第41話 妹ルビー

「おお、力持ち」


 シモンはまるで、クリスがいないかのような速度で階段を素早く駆け下りていく。

 フライに比べれば大した速度ではない。だがクリスは、この階段下りに軽く目を回した。


 階段を降りた後、しばらく四つん這いになる。


「あのフライを軽々耐えてたのに、どうしてこれくらいで目を回すんですか」

「だって、揺れが、酷いんだもん……うっぷ」


 しばし目眩と戦っていたクリスだったが、ふと思い直して魔術を発動。

≪完全体整(パーフェクトコンディション)≫で、一気に目眩が収まった。


 地下は、通路に沿って牢屋が並んでいた。

 骨と皮だけになった人間が、牢屋に張り付いて階段の方を見ている。

 ――先ほどの音に驚いたのだ。


 だがその誰もが、クリスたちの姿には気付いていない。

 そこそこ激しく動いたが、ハイドはまだ解けていないようだ。


「シモンの妹は、どんな子?」

「俺と同じ、赤毛の女の子です」


 いくつかの牢屋を眺めながら、まっすぐ奥へと進んでいく。

 不意に、シモンがある牢屋に向けて駆けだした。


「ルビー! 大丈夫かルビー!?」

「おっ」


 どうやら、妹が見つかったようだ。

 あとはここから逃げるだけだ。


(早く帝国から脱出しないとッ!)


「お、おい、ルビー? 眠ってるのか?」

「≪エアカッター≫」

「はっ!?」


 クリスは格子に張り付くシモン目がけて魔術を放つ。

 魔術はシモンを素通りし、格子を切断。

 落下した鉄の棒が、地下室にガランと大きな音を立てた。


「あ……あ、ぶないじゃないですか! なに考えてるんですか!?」

「大丈夫大丈夫。怪我、してないでしょ?」

「だからって、俺に向けて打つことないじゃ……ク、クリスさん?」


 クリスが牢屋に踏み入った。

 その表情を見たシモンは、顔を強ばらせた。


(常にとぼけた表情の子どもが、こんな顔をするなんて)


 これまでクリスは、常に緊張感がない緩んだ笑みを浮かべていた。

 だが今は、安易に触れることをためらわれるほど、表情が緊迫している。


 声を上げれば、殺される。

 殺されるかもしれない、とシモンは思った。

 だが殺すなら、ここに来る前に殺している。

 なら、どうして――。


「――まさかっ!?」


 困惑するシモンの脳が、一つの答えを導き出した。


 牢屋の中には、妹のルビーが横たわっていた。

 自分が声をかけても、身じろぎ一つしない。


 ルビーはもう――。


(いや、まさか、そんな馬鹿な!)


 否定が頭を駆け巡る。

 想像した現実を、受け入れられない。


 シモンが立ちすくんでいる間にも、クリスがルビーに近づき、何事かを呟いた。

 次の瞬間、ルビーが眠る床に光の文様が浮かび上がった。

 その文様から小さな光が溢れ出し、ルビーに吸い込まれていく。


 その文様が消えても、ルビーは目を覚まさなかった。


「これじゃ、駄目か。こっちならどうだ?」


 クリスは次から次へと、ルビーに魔術を使っていく。

 そのいずれもが、とてつもない難易度の回復魔術であることが、シモンには手に取るようにわかった。


 回復魔術は光属性だ。

 光属性は、神と繋がりのある者にしか使用出来ない。

 たとえば神官がそうだ。


 しかし、魔術に心得のあるシモンですら、クリスの術式は難解すぎて理解出来なかった。

 かつ、使用されるマナも膨大ときている。


 きっとこの魔術は、高位の神官だろうと使えまい。

 そんな次々と魔術を放つクリスの後ろで、シモンはただ見守ることしか出来なかった。


 本当なら、すぐにルビーに駆け寄りたい。

 床に眠る可哀想なルビーを抱き上げたい。


 だがそれをしたからといって、ルビーが目を覚ますわけではない。

 クリスの邪魔にしかならない。


「なんて、俺は無力なんだ……」


 シモンは唇をぐっと噛みしめながら、ルビーが目を覚ますのを信じて待つことしか出来なかった。


 やがて、クリスの魔術が止まった。

 魔術を辞めたのは、マナが尽きたからではない。

 彼の顔には、まだマナ欠乏の初期症状すら浮かんでいない。


 つまり――。


「ルビー……?」


 シモンは恐る恐る、妹に声をかけた。

 その時だった。


「やってくれたなッ」


 背後から、身の毛のよだつ殺意に満ちた声が聞こえたのだった。

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