第36話 魔物を率いた青年
まさに、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
強化度を50まで上げたファイアアローに、燃やせない魔物はいなかった。
いずれもたった一発で、命を綺麗に焼き焦がしていく。
すべての魔物が絶命するのに要した時間は、僅か三分程度だった。
パチパチと、魔物に燃え移った火が爆ぜる。
そんな中、クリスがゆっくりと地上に近づいた。
≪エアコントロール≫で綺麗な空気を循環させる。
その上で、広範囲にわたって≪スコール≫を使用した。
クリスがもたらした雨で、平原を埋め尽くす死体の炎が鎮火した。
「これで、よしっと……ん? どうしたの?」
ふと、クリスの前に一本のファイアアローが出現した。
火矢は慌てたように、クリスの眼前で矢尻(あたま)をキョロキョロさせた。
「ああ、獲物が居ないんだね」
「(コクコク!)」
「じゃあ、今回は残念賞っていうことで」
火矢がまるで縋り付くような素振りを見せるが、もうこの場には標的がいない。
残念だが、今回は魔術を打ち消すしかないだろう。
(もうどこにも残ってなさそうだしね)
改めて辺りを見回してから、クリスがマナを散らそうとした、その時だった。
魔物の死体の中で、唯一動くものを発見した。
一瞬、魔物かと思ったが、違う。
どうやら人間のようだ。
「魔物の中に人間?」
クリスは首を傾げた。
その横で、火矢が『やった、標的だ! 親分、あれ、ヤっちゃっていいっすか!?』と言わんばかりに、炎の勢いを強くした。
今回作成した火矢は、人間に向けて良い威力ではない。
クリスはパチンと指を鳴らし、マナを散らして火矢を消した。
相手の年齢は、フォード家長男スティーヴくらいか。
外套がボロボロになっているが、怪我は負っていないようだ。
ゆっくりながらも、確かな歩みでこちらに近づいてくる。
「もしもーし、大丈夫でしたか? もしかして、魔物に襲われてたんですか?」
声をかけられ、シモンはびくりと肩を振るわせた。
突如現われた少年は、一見するとどこにでも居そうな普通の子どもに見える。だが彼は今し方、自分が呼び寄せた魔物を、一瞬にして焼き殺した魔術師だ。
顔には笑みが浮かんでいるが、まるですべてを見透かされているような気分だった。
(次は俺か?)
言い知れぬ恐怖に、冷たい汗が流れ落ちた。
シモンは北方アレクシア帝国出身の平民だ。
帝国暗部『宵闇の翼』の命を受けて、ゼルブルグ王国領に足を踏み入れた。
暗部の命令は、たった一つ。
『魔誘玉』を利用して、王国北部にあるフォード領に魔物をけしかけることだ。
それ以外に、シモンに与えられた指令はない。
ただフォード領に魔物を誘導するだけで、任務が完了する。
魔物の誘導は、魔誘玉を使って行う。
魔誘玉とは、一定範囲内にいる魔物を呼び寄せ、コントロールする魔導具だ。
コントロールとはいっても、細かい動きは指示出来ない。
まっすぐ進め、敵を攻撃しろ。出来るのは、これくらいだ。
魔物を一匹二匹操ったところで、村を混乱させるくらいが関の山だ。
だがこの魔導具の恐ろしさは、『大量の魔物に影響を与えられる』ことだ。
帝国からフォード領まで移動するあいだに、シモンは千を優に超える魔物の呼び寄せに成功した。
その群を目にして、シモンは任務の成功を確信していた。
だというのに……。
(一体、この子はなんなんだ?)
もし相手の機嫌を損ねれば自らも、他の魔物と同じように消し炭にされるのではないか?
そんな不安が、シモンの体を震わせる。
しかし、だからといって逃げ帰るわけにはいかない。
シモンはどうしても、この任務を成功させねばならないのだ。
たとえ、この命が失われようとも……。
「あれっ、もしかして怪我しちゃいました?」
「…………」
こちらに近づく少年からは、警戒感がまるで伺えない。
警戒感どころか、隙だらけにしか見えない。
しかし見かけに騙され油断していはいけない。
彼は先ほど、大規模魔術を放った人物なのだ。
(まさか、わざと隙を見せているのか?)
隙を見せて、シモンが襲いかかってくるのを待っているのではないか。
だがこのままでは、何もしないまま任務を失敗してしまう。
(あの服の仕立ての良さ……こいつ、貴族か!?)
(まさか、俺の侵入に気付いてここへ?)
(俺の任務も、気付いているのか!?)
(いや、そもそもこいつ――誰?)
考えが纏まらない。
何が最善なのかも不明だ。
分かっているのは一つ。与えられた任務が、絶対であることだ。
ならばやるべきことは、自ずと決まってくる。
シモンは外套の下に隠してあった長剣の柄に、手をかけた。
相手がこちらの間合いに入った瞬間に、剣で斬りかかる。
シモンはこれでも、剣の名手である。
剣術大会で賞を取れるほどではないが、それでも毎年、良い位置に付けている。
そのシモンの目から見て、少年は隙しかなかった。
道場でもまずお目にかかれないほどの、完全無防備状態だ。
どこから斬り掛かっても、絶対に攻撃が決まるだろう。
目の前の少年に比べれば、初めて木剣を持たせた子どものほうが、まだマシかもしれない。
(攻撃は必ず当たる。だから、落ち着け……)
シモンは柄を強く握りしめた。
少年が、自らの間合いに入った次の瞬間。
「――シッ!!」
シモンは少年へと斬り掛かった。
抜剣。
構え上段。
即座に振り下ろす。
少年は、動かない。
防御姿勢さえ取ろうとしない。
(決まったッ!!)
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