第33話 早く帰らないと!
無駄だとは思いつつも、クリスは白を切り続けた。
それは、どうにかして誤魔化せないかと思っているためではない。
自らの罪を認めるだけの、勇気がなかったからだ。
(ああ、もう、これは終わったかな……)
クリスが明るい未来を諦めた、その時だった。
「クリスよ。そなたの類い希なる功績を称え、称号を贈ろう」
「……へっ?」
(称号? 刑罰じゃなくて?)
クリスは小首を傾げた。
「此度は、受け取りを拒否してくれるなよ?」
「あ、はい」
「それでは宣言しよう。余、ローレンツ・デュ・ゼルブルグ二十六世の名において、クリス・フォードに『質朴(のぼう)』の二つ名を下賜する。この二つ名がある限り、クリスがどこで誰に何を言おうとも、決して罰することは出来ない。余の前においても、これを許そう。これに異を唱える者は前に出よ!」
「「「「…………」」」」
陛下の言葉に、貴族が目を剥いた。
クリスがどんな戯言を口にしようとも、誰も罰せないのだ。
田舎貴族の三男に与える権利として、破格も破格である。
しかし、異を唱える貴族は現われなかった。
前回クリスの悪魔殺しを無視したことで、今回の『特例』に譲歩せざるを得なかったのだ。
おまけに質朴は、二つ名としての凄みに欠ける。
悪魔殺しや、王族殺害計画の阻止、間者排除などの功績を考えると、あまりに弱すぎる二つ名だ。
しかし、功績に釣り合うものを選ぶと必ず反発が生まれる。
質朴は『まあ、それくらいなら名乗らせてもいいか』と思わせる、丁度良い二つ名だった。
「よろしい。余の宣言は、貴族により採択された。これよりクリスは、この二つ名がある限り、何人たりともその発言を告発出来ぬ。よいな、クリスよ」
「はい」
なにがなんだかわからないが、とりあえず自分が裁かれることはなさそうだ。
それがわかり、クリスはほっと胸をなで下ろした。
「それでは質朴よ、下がってよいぞ」
「はい。……あっ、じゃあもう帰ってもいいですか?」
謁見の間の空気が凍り付いた。
陛下はがくっと肩を落とし、それ以外の者は皆顔を赤らめてクリスを睨み付けている。
もし二つ名がなければ、今頃クリスの首は胴から離ればなれになっていたかもしれない。
クリスは早くも、質朴の二つ名に命を救われたのだった。
○
『今すぐ帰らないと!』
どこか焦った様子のクリスに、父ヴァンはつい先行する許可を与えてしまった。
本来ならば家に帰る道中、陛下への数々の無礼を咎めようと思っていたのだが……。
「まったく。下手をすれば、首をはねられるだけじゃ済まなかったんだぞ」
馬車の中で、ヴァンは深々とため息を吐いた。
登城する前の不安が的中し、クリスは陛下に数々の無礼を働いた。
にも拘わらず、クリスだけでなくヴァンも、無事に家路につくことが出来た。
まるで、夢幻を見せられているようである。
「これも、運……か」
妻のライラに出会った日、ヴァンは彼女にこう告げられた。
『すごいわ! あなた、幸運の星に祝福されているのね!』
ライラとは、首都でばったり遭遇した。
その瞬間、ヴァンは何故か運命を感じた。
おそらくライラもまた、運命を感じていたに違いない。
二人はそれが当然であるように恋仲となり、結婚、四人の子をもうけた。
上の二人は父に、下の二人は母に似た子に育った。
『きっとわたしたちの子も、幸運に恵まれるわ!』
ライラが言った通り、息子たちはなんの病にも罹らず、すくすくと成長した。
領地は依然として厳しかったが、心は、なんの不自由もなかった。
そんなある日、ライラと一番下の娘ルーシーが、天に帰った。
なんの前触れもなかった。
いつかは天に帰る日が来るとは、わかっていた。
しかしあまりにも、早すぎた。
その日以来、ヴァンはライラに言われた『幸運』については、一切忘れてしまっていた。
だがここへきて、ライラの言葉に信憑性が出て来た。
クリスがなにかしでかすと、まるでそれまで止まっていた歯車が突如として動き出すように、すべての問題が解決へと向かっていくのだ。
これを、幸運と言わずになんと言うだろう。
歯車の中心は、いつだってクリスである。
少し前までは、でくの坊と呼んでいた、不出来な息子だ。
おまけに緊張感もない。
何度忠告しても、ヴァンの声は右から左に抜けていってしまう。
すべてが終わった後で、死の可能性を伝えたって、
『一つ間違えればその首、跳ねられていたかもしれんのだぞ!?』
『大変だ、首をはねられたら喋れない!』
『そこか!?』
クリスはちっとも理解してくれなかった。
彼の行動はすべて綱渡りだった。
もし幸運がなければ、今頃親子共々首を失っていたはずだ。
そのような幸運がいつ途切れるかと思うと、空恐ろしい。
出来れば幸運が持続しているあいだに、もう少しマトモになってもらいたいものである。
「それにしても、クリスの奴め。何故あそこまで急いでいたのだ?」
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