第32話 なんとか逃げ切れないだろうか?

「皆の心配は最もだ。だが、こちらからは打って出ぬ。しばし帝国の様子を窺う」

「陛下。それはさすがに弱腰過ぎませぬか?」

「真の王者は、自ら争いを起こさぬものよ。そもそも、戦争をするだけの金はどこから調達するのだ? 兵を養うだけでも、民から徴収した税を使うのだ。兵を動かせば、もっと税が必要になる。兵が死ねば、遺族に賠償もせねばなるまい。

 その金は、どこから来る? 民から徴収するより他はあるまい。しかしそれをすれば、民が困窮する。

 税とはこの国を豊かにするためのものだ。戦争をするために税を徴収しているわけではない」

「しかし――」

「なればおぬしが、戦争の資金を全額負担するか?」

「……い、いえ。失礼いたしました」


 口を出した貴族が、ローレンツの言葉に顔を青くして引き下がった。


 この男は、王族暗殺未遂という大事に突き動かされ、反論したわけではない。

 単純に、他人の金ならどういう使い道でもいいと考えているのだ。

 だから戦争を、盤上の駒を動かすだけとしか思っていない。


「陛下。しかしそれでは舐められっぱなしですぞ」

「こちらも手は打っている。少しすれば、じれて向こうから顔を見せよう」


 ローレンツは何人もの影を帝国に放っている。

 いずれも優秀な影だ。近々、帝国の弱点を詳らかにするだろう。


 一矢報いるという意味では、ローレンツは影に破壊工作を行わせることが出来る。主要施設を一斉に爆破すれば、帝国は間違いなく混乱するはずだ。


 ただし、破壊工作は一度しか通じない切り札だ。

 相手だって馬鹿ではない。すぐに警戒網の穴を埋められる。

 同じ作戦は二度と使えない。


 ローレンツは、影を用いた破壊作戦は、いざという時のために残しておきたい。

 たとえば――王国側が帝国首都を落とす時だ。


「――さて、かなり脱線してしまったな。本題に戻そう。今日は皆に紹介したい者がおる。帝国の魔の手から娘を救い、隠れた間者を打ち倒した者だ。その者はなんと、とある領地に出現した悪魔を討伐した、悪魔殺しの英雄だ」

「「「「――ッ!?」」」」

「入れ!」


 パトリックの声と共に、謁見の間の大きな扉が開かれた。

 貴族たちの目が、一斉に後ろを振り返った。


 そこには、城付きメイドに連れられた子どもがいた。

 ――クリス・フォードだ。


 クリスはしっかりした足取りで前に進む。

 まるで回りにいる貴族たちを、カボチャとしか思っていないかのような、堂々とした顔つきである。


 貴族たちの視線に曝される中、胸を張って歩くのは並大抵のことではない。

 わかる者にはこの時点で、この子どもがただ者でないとわかるだろう。


 所定の位置についたクリスが、片膝を突いて頭を垂れた。


「そなたの昨晩の行い、大義であった」

「…………一体、なんのことですか?」

「娘を治癒しつつ、城に入り込んだ間者を葬った。その姿は、何人もの目が捉えておる。空に浮かぶ少年が、光の魔術を用いて間者を抹殺した、とな」

「……は、はて、なんのことだか、わかりません」


 再度の否定に、貴族たちがざわついた。

 それを、片手を上げてローレンツが制する。


「……さすが、悪魔殺しよ」


 ローレンツは、自分の声に感嘆の思いが混じるのをひしひしと感じた。


 公式の場における国王の発言は絶対だ。

 たとえ黒を白と言っても、白になる。

 クリスは貴族の子だ。公式発言の重みが分からないような、市井の子ではない。


 にも拘わらず、彼はローレンツの言葉を否定した。


(この年で、我が兵たちに気配りをするとは!)


 もしクリスがここで『自分がやった』と武を誇れば、口さがない者はこう言うだろう。

『王城の警備兵は、子どもでも見つけられる間者を見つけられなかったのか。とんだ間抜けな奴らだ』と。


 その誹りはローレンツにも届く。

 なぜならば警備兵は、すべてローレンツが直々に認可した者達だからだ。


『そんな間抜けな兵を選んだ国王の目は節穴だ』

 たとえ直裁に言わずとも、貴族ならばそのような意図を言葉の裏に潜ませるくらいわけもない。


 つまりクリスは、衆目の面前で自らの功績を否定することで、警備兵やローレンツの面目を守っているのだ!


(なんと末恐ろしい子だ……)


 底の知れなさに体がぶるりと震える。


 しかしなるほど。さすがは生まれる前から国定占術師が『英雄になる』と予言し、生まれた後はフォード家が力を入れて英才教育を施しただけはある。

 クリスの返答はまさに、英雄の片鱗を窺わせるものだった。


 感嘆しきりのローレンツとは打って変わって、クリスは額にびっしりと脂汗を浮かべていた。


(やばい。昨晩、魔術を撃ったことがバレてる!)


 あの時クリスは、ハイドを使っていた。

 だが魔術を放った瞬間だけ、ハイドが解けてしまった。

 光と闇。相反する二つの魔術を同時に使ったせいだ。


 クリスは直ちにハイドをかけ直した。

 これで大丈夫だと踏んでいたが、残念ながら複数の警備兵にその姿を目撃されてしまっていた。


 おまけに、クリスは自ら作り上げたシャドウ・サーバントを消したつもりだったのだが、魔術を放った相手はなんと、魔物化した人間だったのだ!


 シャーロットの部屋を抜け出したばかりか、城で魔術を使い、おまけに人を殺めてしまった。

 これはもう、極刑間違いないだろう。

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