第16話 クリス応援団(所属1名)

 部屋の中で、ずっとダラダラしているようにしか見えないクリスに、ソフィアは痺れを切らして尋ねてみた。


「……以前のように、動かれないのですか?」


 彼は先日、賞金首を焼き殺し、森を開墾し、魔物を殲滅した。

 この領地にあった難題を解決へと導いた。


 そして、帝国暗部に命を握られていたソフィアを解放した。


 まるで12歳の子供とは思えない行動力と実力だ。


 これが本当の、主の姿なのだ。

 しかしそれ以降はまるで眠った獅子のように、クリスは動かない。


 また、あの格好良い主の姿を見たい。

 そんな思いから出た質問だったのだが、


「刻が満ちるまでは、このままだ」

「――ッ!?」


 まさかの発言に、ソフィアは息を飲んだ。

 自分が知らない間に、彼は既に次なるターゲットを定めていたのだ!


 ソフィアとしても、情報収集は怠ってはいなかった。

 この領地の問題をピックアップしつつ、いずれにも対応出来るよう準備を進めていた。


(一体、次はどれを解決するんでしょうか!)


 歓喜に染まる内心を必死に抑えつつ、ソフィアは尋ねた。


「その、刻……とは?」

「えっ? ええと……もうすぐ、かな?」


 まるで、何かに気付いたかのようにクリスの目が泳いだ。

 次の瞬間だった。

 彼の姿が一瞬で消え去った。


「……ぇ?」


 目を瞬かせ、辺りを見回す。

 しかし、クリスが消えた事実は変わらない。

 彼の動きを見失ったわけではなさそうだ。


「もしや、ベランダから出て行かれたのでしょうか?」


 慌てて窓を開ける。だが、その時点でクリスがここを通っていないことに気がついた。

 当然、外には彼の姿は見えなかった。


「一体、どこへ……」


 その時、眼下をスティーヴが走り抜けた。

 彼はソフィアが見たことがないような剣幕を浮かべていた。

 どうも、尋常ならざる事態が発生したようだ。


「もしや、クリス様がおっしゃっていた〝刻〟とは、これのことでしょうか!」


 あの視線を泳がせていたのは、その刻を感じ取ったからだったのだ!


「なんということでしょう! ――と、こうしてはいられないわ!!」


 クリスが動いたことを喜びつつ、ソフィアは即座に情報収集に動いた。


 クリスはいま、事件解決に取りかかっている。

 その彼を、自分が一番近くで眺め――いや、支えるのだ!


 暗部で仕込まれた隠密を用いて、ソフィアは屋根裏に移動。

 執務室の真上に付くと、天井に耳を付けた。


 丁度、スティーヴが執務室に駆け込んでくるところだった。


『父上、大変だ!』

『ぬっ、なんだ、スティーヴ。視察に行っていたのではないか?』

『そうなんだが、大変なことがわかった』


 スティーヴは、父の名により農民が行う開拓事業の視察に向かっていた。

 開拓は、先日クリスが魔術により氷結粉砕させた土地で行われている。


 ついでと言わんばかりに、近くの魔物も一斉に氷付けにして全滅させている。

 なにか問題が発生するようには、ソフィアには思えなかった。


『じ、実は……封印碑があったんだ』

『なんだとっ!?』


 ガタッ、とヴァンが椅子から立ち上がる音が聞こえた。

『封印碑』について、ソフィアはこれまで一度も耳にしたことがない。

 だが思わず立ち上がったヴァンの様子から、『封印碑』の発見は非常事態であることが伺える。


『して、封印は?』

『そ、それが……』

『なん、だと……!?』

『たぶん、誰かが邪魔だと思って倒したんだろうって』

『――ッ!! このっ、大馬鹿者ッ!! お前はなんのために視察に行っていたのだ!!』

『オ、オレが着いた時には、既に碑が倒れてたんだよ! もう、どうしようもないだろ!?』


 執務室の中で、二人が普段の立場を忘れて怒鳴り合っている。

 それだけで、どれほど深刻な状況かが伺えた。


(『ふういんひ』が倒れる――封印の碑? 倒れると、封印が解けるということでしょうか。そこから、なにかが解き放たれた?)


 ソフィアが考えている間にも、下ではバタバタと慌ただしい音が聞こえてくる。


『スティーヴ。すぐにヘンリーを呼べ』

『言づては?』

『全兵だ。その場にいる兵をすべてかき集めろ! 俺が、陣頭指揮を執る』

『――ッ!?』

『スティーヴ! お前はヘンリーの下に走り、その後に城へ急報を放て!』

『はっ! 内容はなんと?』

『封印碑が破損。悪魔がこの世に解き放たれた可能性がある。早急に国軍の派兵を願う』

「――ッ!?」


 悪魔という言葉に、ソフィアは危うく声を上げるところだった。


 悪魔とは、数千年前の魔導世紀と呼ばれた時代に、英雄により封印された凶悪な思念体だ。

 その体は朽ちることがなく、どのような魔術でも滅することが出来ないと言われている。


 世界各地に悪魔が封印され、世界は平和を取り戻した。

 ソフィアが読んだことのあるお伽噺には、そう書かれていた。


(それが、まさか本当に存在しているとは思いませんでした……)


 話から推測すると、悪魔を封印していたものが、封印碑と呼ばれるもののようだ。

 それが数千年のうちに、存在そのものが忘れ去られ、自然に返ったのだろう。


 だから二人は、予想外といった反応を見せたのだ。


(けど、二人は封印碑の実在を疑っていませんでしたね。……もしや、貴族の中では当たり前の知識なのでしょうか?)


 貴族以上の者しか知らない知識は五万とある。

 中でも、封印碑の存在は、情報そのものが非常に危険である。

 もし悪意ある者がその情報を知れば、封印を解除して、国に混乱をもたらそうと考えかねないからだ。


 民衆に知られぬよう、情報統制していたに違いない。

 フォード領を訪れてから諜報活動を行っていたソフィアですら、『封印碑』を耳にしたことすらなかったのは、そのためだ。


(悪魔は、国軍を派兵する程のものなのですか……)


 ソフィアの背筋がぶるりと震えた。

 基本的に、貴族は自分の領地を自前の領兵で防衛する。

 暴徒化した民衆や、魔物の対応などは、基本的に領兵の仕事だ。


 ただし、例外がある。

 国家を揺るがす存立危機事態だ。

 そのような事態が発生した場合は、国軍が派兵される。


 つまり、悪魔とは国家の存亡に関わるレベルなのだ。


「――ッ!」


 そこで、ソフィアははたと気がついた。

 よもや、クリスが消えたのはこの悪魔を討伐するためだったのでは? と。


 これまで動かなかったのは、悪魔との対決に向けて英気を養っていたからだ。

 そして今――〝刻〟が満ちた。


 どのような問題を解決するのか考えていたが、まさか国軍が動くほどの悪魔と対峙しようとしていたとは、完全に予想外だった。


(クリス様、格好いいです!!)


 天井裏で、心の中で喚声を上げながら悶えるソフィアであった。

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