メロンソーダ

碧海雨優(あおみふらう)

メロンソーダ


 雷が鳴る。


 その時僕が思い出すのは、ある晴れた日。


 午後から大荒れの予報だったのに君と外に出て、荒れたら荒れたでわーわー言いながら帰ろうと、そう何となく何でも楽しく美しく瞳に写っていた、あの若い日の出来事。


 あの日に君の言った些細な事。それを僕は未だに思い出せずにいる。

 恐らくそういうところも君が僕の前からいなくなった理由なのだろうと、何年も君のいない時を重ねて、思い知った。


 僕はどこに向かっているのだったか、とふと空を見上げて雨が降っている事に気がつく。体はもうびしょ濡れだった。不快なほどへばりつく服を見て、苦笑した。


 周りの人の不審そうな視線を感じ、僕は何となく小走りで近くの店に駆け込んだ。タイミングが良いのか悪いのかそこは喫茶店で、いらっしゃい、という店主の穏やかな声が聞こえてきた。


 外と同じくらい、いや、外より暗いだろうかという店内を見回し、適当な席に腰を下ろす。僕の他に客はいなかった。その薄暗さと適度に置かれた埃を被ったおもちゃに懐かしさを感じながら珈琲を頼もうとして、やめた。

「……メロンソーダ、お願いします」

 はい、とにこりと笑って店主はゆっくり奥に入っていき、僕は何故か詰めていた息を吐き出す。

「はは……」


 歌に出てくるような古く背の高い時計の音と、奥からカチャカチャという音の他にはただ静かな時間が流れていた。


 いつもならバックに入れてある本を開いて時間を潰すがそんな気にもなれず、ただ目をつむって寡黙そうな男性が奥から戻ってくるのを待った。


 カランと音が鳴り、僕は入り口に目を向ける。するとすぐ隣で声が聞こえた。


「メロンソーダです、どうぞ」


 静かに運ばれてきたメロンソーダに目を移すと、彼女との思い出に絶対に存在しない鮮やかな緑色が揺らめいていた。



「こんにちは」


 驚いて隣の席を見ると、長い黒髪の女性がにこにこと僕に笑いかけていた。

「……こんにちは」

 一応返事を返し、僕はシュワシュワと泡立つメロンソーダを口に含む。

 子供の頃に飲んだそれとは違ってとても甘ったるく、舌に味が残ってしまった。

 一緒に出してもらった水を飲み込むと、温いそれが舌を洗い流す。だがなんとも言えない感覚が残った。


「温いでしょ、氷もらいましょ。私いつもそうしているの」

 女性の声がまた響き、僕は顔を顰める。

 彼女との時を壊されたかのような、そんな気分になった。

 女性は僕の機嫌などお構いなしに手をあげて店主を呼び、凛とした表情と声で、氷を二人分お願い、と言ってごそごそとリュックを探り出した。

 本でも取り出すのかとぼんやりと女性を見ていると、取り出されたのは色が沢山散りばめられたカラフルな絵本だった。


「えっ……」


 声を出してしまい慌てて口を閉じるが、聞こえたらしい女性がパッとこちらを向いた。

 靡いた真っ黒な髪に振り回されそうだと思った。


「あなた、この本読んだことあるの!?」

「!?」


 予想外の返しに戸惑っていると、女性はキラキラした目を僕に接近させる。

 手を上げてしまいたい心境を何とか押し留め、女性のせいですっかり渇いてしまった口を開く。

「いえ……絵本お好きなんですね」

 人当たりの良い表情を作って言うと、女性は長い長い、ため息をついた。


 沸騰しそうになる心を隠し、僕は少しだけ引き攣ってしまった笑みを元に戻した。


 しばらく僕を見つめていた女性は絵本に目を移し、僕に何も言わずに自分の世界に入り込んでしまったようだった。

 僕は呆気に取られつつ、自分のテーブルに目を移した。


 途端に入り込んできた鮮やかな緑色、それと瑞々しい水滴に心が揺れ動く。


「あの……!!」

「!?」


 今度は女性が驚いた顔を僕に向けた。



 外から響いていた雷の音は、もう聞こえなくなっていた。

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メロンソーダ 碧海雨優(あおみふらう) @flowweak

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