第5話 あの日の思い出 前編
「この後は工房に戻るのか?」
新型の雷魔温水器の開発に当たり、寸法の計測が終わった。
持ってきたラタン製の籠を持ち、アランへ挨拶を済ませる。
「いえ、酒場でリュドナイが待っているので」
「こんな時間から飲むのか?」
「頼まれごとが……」
ビオラは頬をかく。とてもばつの悪い返答にアランは腕を組む。
リュドナイがビオラにお金を借りることはよくある話で、察しがついたようだ。
最近では落ち着いたが、昔はリュドナイにお金を貸したとアランに話すと、拳を握ってハルトマン商会に乗り込もうとしていた。
弟子を呼び寄せて、「今じゃ建築屋だが、昔は解体業もしていた」なんて言い出した日には全力で止めた。
建物以外にも解体しそうな勢いであったから。
「あいつ、最近酒場でよく見るぜ。金も酒に使っているように思えるがなぁ」
リュドナイはあくまでも空調調和設備の開発資金でお金を借りたいと言っている。
流石にお酒だけで金貨5枚を浪費しているはずが無いとビオラは思う。
「立場的にきついのだろうが、もうグラジオの口約束なんぞに振り回されなくていいと思うぞ」
「そうは言っても、私はハウスマン工房を守りたいので」
工房は父の一番の形見だ。
工房の守り方は多くあるのだろうが、今のビオラにはこの方法しか知らない。
立場の強い物に巻かれ、安全の保障を得る。
言うことを聞いている限り、ハルトマン商会は私たちを見捨てない。
「まぁ、ビオラがそういうなら……。しかし、我慢ならなくなったら言ってこい。いつでも解体してやる」
「ありがとう。今のうちに、破壊力のある魔導具を開発しておくわ」
アランがにっと笑う姿はとても男らしい。
既婚者でなければ惚れているところだ。
「それでは、待たせてるから」
「あんなやついくらでも待たせろ。気をつけてな」
手を振るアランに一礼するとビオラは酒場『バッカス』を目指した。
日が昇り、蒸し熱い夏の王都。ビオラは大通りを歩きながら、何故かある日の冬の出来事を思い出した。
◇
「期待しています」
建て主で顔も知らない騎士からの期待のお言葉。
この言葉を聞いて脳裏を過ったのは今から13年前の冬であった。
ビオラの住むサグノリア王国ではとても珍しい寒波が訪れ、レンガ造りの赤い街が真っ白に染まった日。
王都の西にある魔術国家トリスタインとその北にあるノーゲンブルグ帝国の間で戦争があった。
魔石や食料の輸出で力を持つ魔術国家と枯れた土地と呼ばれた山間部の多い帝国。
帝国の無茶な貿易要求に魔術国家が反発、秋まで軍事衝突があった。
今は寒波の理由から停戦し互いに物資の補充に努めている。
そのせいもあって、魔術国家からの魔石の輸出が著しく減少し、その影響は王都にまで及んでいた。
「いやー、冷えますね、珍しい。こんな時に北も西も血の気が多い」
「元来、仲の悪い国家でしょう。巻き込まれる我ら王国はいい迷惑だ。グラジオ殿も被害者であろう?」
40歳手前、見た目のわりに若く見える。それを気にしてか、髭を蓄えた男が話す。
王国建国に尽力した血族、アーチカム家特有の小麦色の髪に堀の深い顔立ち。
誇り高い騎士の家系であり、童顔だけが彼のコンプレックスであった。
名はギルバート・アーチカム侯爵。魔術国家との国境、ウォーリアル領を統治する騎士である。
「申し訳ない。戦争がいつまで続くか分からない以上、魔石は節約せざるを得ません」
「構わんよ、みな同じだ。むしろ、我々が贅沢している方が反感を買う」
グラジオ・ハウスマンは娘と同じ亜麻色の髪をかく。
ハウスマン工房でも魔石の在庫が減ってきている。
もちろん、雷魔石もそれに含まれており、製品化から5年、いい風向きに乗っていたこともあり、今回の魔術国家の輸出縮小は痛手であった。
今は、グラジオとギルバートのいる応接間以外の暖房器の運転を停止している。
「お父様、お客様ですか?」
ガチャリと音を鳴らせて入ってきたのは、厚手のセーターに身を包み、亜麻色の髪をニット帽に隠したビオラであった。
8歳の彼女は初めて積もった雪に大はしゃぎしていた。
「すまない、ビオラ。お父さんは大切なお話があるから、もう少し外で遊んでいてくれるかな?」
「でも、一人は飽きました」
「ビオラちゃん、もう一度お外に行ってご覧。きっと、よい友達に出会えるよ」
初対面の髭を蓄えたお兄さんにそう言われ、純粋であったビオラは部屋を飛び出した。
ビオラに母はいない。
ビオラを出産した後、感染症にかかり亡くなった。
グラジオは男で一つでビオラを育てていた。
ビオラには不自由させたくないと、死ぬまでに婚約者まで決めていたが、それがリュドナイである。
グラジオの教育により、とても活発な女の子に育っているビオラは好奇心旺盛だ。
工房兼自宅ということもあり、魔導具が多くあり、父親に黙って持ち出しては怒られていた。
ビオラには魔力があった。小さい頃から悪戯で魔導具を触っていたから使いかも分かる。
今回は、雷魔石にケーブルをつなぎ、
なぜなら、雪は熱いもの近くにあると水になるらしいから。
実験である。
雷魔石と
これは
「ほんとに無くなった……」
作動させた雷魔石をつないだケーブルと
面白い、本当に溶けて消えるんだ。
地味な一人遊びではあるのだが、ビオラはこういった発見や実証が好きでたまらない。
これは父の影響が大きいのだろう。
「何をしているの?」
そんな、一人夢中になっていると、少年の声がした。
ビオラが頭を上げると、そこに立っていたのは見たこともない黒い髪を持つ少年であった。
辺りが雪化粧のせいもあり、その髪はよく目立った。
「これで雪をいじめていたの」
父親勝りの快活な笑顔を振りまき、ビオラは熱を持った
今振り返ると、あの時少年は怯えていたような気がする。
悪魔のような発言と悪魔のような笑みに。
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