第13話 選別と育成
「――あの事件は両親の予定になかったんです」
青太郎はいつしか立ち上がって、窓際に佇んでいた。外を見るでもなく、自分の足元と柴田を目線で往復している。柴田は机の上で手を組んだまま目を閉じ、額に脂汗を浮かべていた。
「でも、あれがあったからこそ、僕は自分の力を教えてもらうことができたんです」
力、と柴田は弱弱しく呟く。
「それは、生き物を急成長させる力です。草花は枯れるまで耐えられることが多いけど、動物は急成長に耐えられなくて、団子みたいに丸まってしまいます。――ただ人間だけは、少し違うんです」
柴田の脳裏に、頭を押さえる子供たちの姿が過った。
「人間も他の生物と同じように急成長に耐えられないけど、最後は腐ったかたまりになるんじゃなくて、小さな粒になるんです」
言いながら青太郎は、親指と人差し指でごく小さな輪を作る。
「お父さんはこれを、ハイ、と呼んでます」
「ハイ、だと……それは植物胚、動物胚の、あの胚か?」
たぶんそうです、と青太郎は頷く。
「待ってくれ、人間の行き着く先が胚なら、それは時間が逆行していることにならないか。若返るということだろう? それはつまり、つまり――」
どもりながら柴田は、人が若返ることを表現する言葉を探したが、ついに自分の記憶の引き出しには見つからなかった。当たり前かもしれない。人間が若返ることなど、ありえないのだから。
「若返るというのは、違うかもしれません。だって影響が出始めたところで、身体の中がどろどろにとけるんです。最初に頭に異変が起きるから、脳波が関係してるって、お父さんは言ってます」
胚、どろどろ、脳波――異常な単語を拾った耳が、脳に危険信号を伝える。手足の震えが止まらなくなった。今すぐに部屋を出ていきたい。しかし、中途半端なまま逃げ去り、青太郎のことを知らないでいるほうが恐怖だった。
柴田は身体が椅子から浮かび上がらないよう押さえつける。
「それで……なんで人間を、胚にする必要があるんだ」
「胚にした粒は、野菜の種と混ぜるんです。力を使って、ひとつの種に捏ねます。それが――」青太郎は先程ほじくった黒い実を持ち上げる。「人の部位を持った野菜として育つんです。僕ら家族は、それだけを食べて生きてます。それ以外は身体が受け付けません」
「……その種に、俺が」
青太郎は目を逸らして、暗に肯定の意を示す。
「……良い種は、若くて、脂肪が少ない人間から作ります。でも途中で病気になったらいけないんです。身体の病も、精神の病も。逆に言えば、とても優しくて穏やかな精神状態の人は、より良い種になります。その中でも特に、誰かのことを気遣ったり、思い遣ったりする人は、栄養が豊富になるんです」
栄養という言葉を聞いて、柴田はとうとう立ち上がった。
――育てられている。
選別され、より良い種となるよう調整されている。今や柴田の眼に映るのは、自分を食おうとしている化け物にほかならなかった。一息に襲われるならまだしも、育てて種にするという、あまりに常軌を逸した行為。
「……今までも、そうやって人を騙して、憐れみを誘って、良い種を作って来たのか」
「たぶん、そうです。僕が知ったのは去年ですけど、今までそうやって、誰かを見つけて育ててきたんだと思います」
「そんなことが――」
許されると思っているのか――柴田は腹の奥から飛び出しかけた言葉を吞み込んだ。
(青太郎は、悪くない)
親の言う通りに行動しただけだ。特異な身体に生まれついてしまった。青太郎が生きるためには親の言う通りに行動し、種を見つけなくてはならなかったのだ。
(憐れな子だ)
酷いのは彼の親だ。子供に人をかどわかす役割を押し付けている。唐突に役割を背負わされた青太郎は、愚直にも彼らの思惑通りに動いた。青太郎自身が気付いたから良かったものの、一体いつまで騙しておくつもりだったのだろうか。
「先生」青太郎が訴えかけるような視線を寄こす。「僕は先生を助けたいです。自分のしていることを知ったから。小さい抵抗はしたんです。イチゴを無理やり成長させたり、背中の傷を自分で治して、先生に気付かれにくくしたり……でも全部無駄でした。両親は僕の抵抗を見通していたんです。そして、先生は僕のことを心配して家に来てしまった。虐待じゃなかったと知って自分を責めた。もっと僕のことを気遣おうとした。全て両親の思い通りです。だから僕は、滅茶苦茶にしようとしました。何もかも、壊れてしまえばいいと……」
青太郎は両手で顔を覆いながら床に座り込む。
「もう、誰も傷つけたくない……」
柴田は逡巡し、青太郎に近づいた。小さく丸まった肩に手を掛ける。腕に微かな痺れが走った。
「……よく言ってくれた。ありがとう」青太郎が目を擦りながら顔を上げる。「一緒に考えよう。どうすれば人を食べずに済むか。尊い命を守れるか」
青太郎は小刻みに頷きながらも、顔を歪める。
「両親に知られたら、きっと僕は叱られます。また別の学校へ転校して、誰かを見つけないといけないかもしれない」
「そうだな、まずはどう理由をつけて、お前を保護するかだな……」
「……傷をつけます」
「え?」
「畑の中を歩き回って、身体に傷をつけます。前は治してしまったけど、今度は何もしません。そうすれば――」
「虐待の証拠が残るわけか」
「はい。でも、僕は両親に監視されてます。勝手に外へ出ると、父がすぐに追いかけてくるんです」
柴田は家庭訪問のあと、追って来た青太郎を父親が呼んでいたのを思い出す。二年生のときに言いつけを破って生物に近付いたことが効いているのだろうか。青太郎の勝手な行動を決して許さない姿勢であることは想像に難くない。
「そうだな……だがその植物でないといけないのか? そいつらは手加減できないだろう。少し傷跡ができるくらいに俺が――」
「それは駄目です。ちょっとくらいの傷なら、勝手に治ってしまいますから。それに、先生にそんなことさせたくない。僕も、自分でやるのは怖いから……」
「なるほどな……」
柴田は大きな溜息をつく。本当は青太郎の身体に傷などつけたくなかった。しかし状況は切迫している。怜悧な夫婦を確実に青太郎から引き離すには、これくらいしなければならないのかもしれない。となれば、その人体を含んだ攻撃的な実を柴田が取り、青太郎に渡すしかない。
「俺が取ってくる」
「えっ」
「俺が取ってきて手渡せば、お前は外に出る必要がない。それに、これは酷い話かもしれないが、二人が特殊な力を持っていることを世間に告発しようと思う。異様な植物を証拠として出すんだ。……世の中がひっくり返るかもしれない。けれど人を育てて食べるなんて、そんな鬼畜な存在を野放しにはしておけない」
「……僕もそう思います。だって化け物ですから」
「悪く思わないでくれ。お前は俺が必ず守ってやる」
柴田は青太郎を勇気づけるように肩を強く叩く。
「先生、焦らないでください。一人の種から育つ食物で一年保つんです。今まで三月の終わりに新しい種を植えてきました。今年はまだまだ時間が――」
「いや、これは一刻を争う。今日のことが両親にいつ知れるとも分からないからな。……任せとけ。俺は大切な命を守るために、こうして先生になったんだ。必ず青太郎を守る」
柴田は白い歯を見せる。つられるように青太郎が顔を綻ばせ、小さな白い歯を見せた。転校以来はじめて見せる、心からの笑みだった。
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