第7話 家庭訪問、決行

 信号が青に変わると、力任せにアクセルを踏みつけた。キュルルルと頓狂とんきょうなエンジン音が響く。余所見よそみをして発進の遅れた対向車の前を、強引に右折した。午後一時、うららかな日差しが田舎町に降り注いでいる。


 家庭訪問初日、柴田は予定していた五軒のうち四軒の訪問を別日に改め、来たるべき一軒との決戦に備えていた。

(何時間掛かってもいい、必ず白状させてやる)

 清水は敗北したのだ。葦原夫婦は相当な策略家に違いない。本来であれば、しかるべき機関と綿密に連携すべきだが、見つかれば夫婦は隠ぺいしようとするだろう。

 ――弱くてもいいの、優しければ。

(祖母ちゃん、優しい子が損したら駄目だよな)

 柴田はバックミラーに映る、あどけない少年を見遣る。集団下校させず、待たせておいたのだ。体調が悪いようだから家庭訪問のついでに家まで送っていく、と適当な理由をつけた。それを快く了解した葦原父の余裕には腹が立ったが、状況はこちらが有利だと胸の内で呟いて怒りを抑えた。

(ありがとうな、青太郎)

 青太郎は昨夜、柴田が背中の傷を確認したことを話さなかった。少なくとも青太郎自身はそう言った。本当かは分からない。両親から「話していないといいなさい」と言われたのかもしれない。だが柴田は信じたかった。青太郎は柴田に嘘をついたことがないから。

(清水の二の舞は演じない。青太郎という証拠を突き付けてやる)


 葦原家は農地のやや奥まった場所に、ぽつ、と建っていた。ごく普通の二階建ての日本家屋が頼りなく見えるのは、周囲を取り巻く広大な畑のせいだろう。しかし、一反はある土地の大部分は畝が作られず平坦なままで、実際に作物が植えられているのは、家に近い僅かな部分だけだった。ある畝にはなみなみと支柱が組み合わされ、葉の生い茂った蔓植物が巻き付いている。ざわざわと葉が風にどよめく光景は、小さなサトウキビ畑のようだ。

「多少は育ってるな……」

 蔓植物には実がなっている。小さなカボチャのような実、扁平な鞘、真っ黒のミニトマトのような果実――どれも柴田の見たことのない特異な野菜ばかりだった。

「こんな野菜があるのか」

 普通の作物では売れないのだろうか。確かに専業農家としては、農地がそこまで広いとは思えない。それに葦原夫婦が耕作できる面積は、現在の僅かな部分が限界らしい。少しずつ耕作面積を増やす算段があるのかもしれないが。

 とにかく農家というのは本当らしい。三人家族なら、なんとか食い扶持は稼げているだろう。


 玄関が見えた。青太郎が一足早く歩いていき、横開きの戸を開ける。「ただいま」と控えめな声が響くと、近くの部屋に控えていたらしい母親が顔を出した。

「ああ、先生。わざわざ息子を送っていただいておおきにね」

 柔らかい関西弁で微笑む。柴田はお決まりの挨拶を返しながら、母親の姿を観察した。ベージュのエプロン、水滴のついた手、額には汗が滲んでいるから、家事をしていたのだろうか。エプロンの前面には染みができていた。

「お料理中でしたか」

「ああ、実はそうなんですよぉ」

 そのとき奥の台所らしき場所から、カタカタと鍋の揺れるような音がした。

「あら、火ぃ止めるの忘れてたかもしれへん」

 ちょっと失礼します、と母親は慌てて部屋の奥へと駆けていく。

 ふうと無意識に止めていた息を吐き出し、青太郎を見る。靴を脱がないまま、二人の会話が始まったので、所在なげに地面を蹴っていた。恐れている風はない。

(これは父親だな)

 隠れて出てこないのなら引き摺り出しやる――そう柴田は意気込んでいたので、背後に突如現れた影に、小さく叫びを漏らした。

「ああ、驚かせたみたいですな」

 父親は細身で背が高い。三月に学校で会ったときは痩身という印象しか抱かなかったが、今は頬がこけて、どことなく病弱な様子である。

「おい、青太郎」

 意外にも父親の低い声はよく通った。柴田の後ろに隠れかけた青太郎を手招きする。目を合わせずに近付いた息子の頭を、父親は片方の軍手を外して無造作に撫でた。

「おかえり。ほら、ランドセルを降ろして部屋で待ってなさい」

 先生と話し終わったらお父さんも二階に行くから、と穏やかな声音で付け加える。青太郎は丁寧に靴を揃えて脱ぎ、奥の階段へ駆けていった。

 父親は濃紺のつなぎにキャップ帽を被っていた。長靴には乾いた湿った泥がついおり、農作業の合間に顔を出したようだった。

 学校での青太郎の様子を聞かせてください、と父親は笑みを浮かべる。

 ほがらかな母親と、痩身ながら頼りがいのある父親――。

(これは騙されても仕方ないか)

 柴田自身、初めて彼らと会って話したときには、家事仕事に精を出す円満な家庭にしか見えなかった。虐待が事実無根という噂が、至極まっとうに思えた。

(だが今日で全ての欺瞞が崩れる)

 柴田は笑みを返しながら、はい、という二文字に力の限り棘を込めた。

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