決戦は土曜日
年が明けてからは、3年生は本格的に受験体制に入っていた。
それと共に、和成は音楽室から聴こえていた里穂のピアノを聴くことができなくなっていた。それだけでなく、クラスも違う里穂とは学校でも会えなくなってしまった。 あんなことがあった後で、里穂に顔を合わせるのが気まずい和成は、できるだけ1組の前を通らないようにした。だがむしろ、そうすることで逆に、里穂への想いが募るのを感じ、どうにもならないもどかしさと受験勉強に追われ、心が疲れていた。
焦りが見えるセンター試験の前日の金曜日、和成は不快な目にあった。
昇降口の下足箱で、いきなり見知らぬ女子生徒に声をかけられたのだ。
「進藤、和成くんだよね?8組の」
(知らない子だ)
ふわふわとした、綿菓子みたいな子だと思った。
「進藤くん、私と付き合わない?」
「へ?」
不可解な表情で首をひねっている和成に、女子生徒は5組の石垣のぞみだと名乗った。
小柄で天然パーマの髪をゆるく2つに結んでいる。
(天パ女子は鬼門だ)和成はとっさに、小学生の頃に迷惑をかけられた田中千穂のことを思いだした。彼女も天然パーマだ。高校でも「あざと可愛い女子」で売っているらしい話を、中学の同級生から聞いたことがあり、心の中で警報機が鳴った。
ルーズソックスは珍しくないが(里穂でも履いていたくらいだから)いわゆる「スーパールーズ」と言われるたるみが大きな靴下に、膝上10センチの短いスカート。校則違反ギリギリの、ベージュのカーディガンを羽織っている。こういうあざとい女子が好きな男子も多いのかもしれないが、和成の好みとは違った。なかなかない「女子に声をかけられた」ことで体は正直に一瞬だけ反応してしまったのが腹ただしかった。
「石垣さん?っていったね。なんで俺?」
「ん~、そうだなぁ。進藤くんって勉強できるし、元バスケ部だし、顔よしだしさ、結構噂になってんだよ。のぞみ、賢い男子が好きなんだよねぇ」
(勝手に外から見て盛り上がらないでほしいんだけど)和成は一瞬呆れた。そして、なんだか腹が立ってきた。石垣のぞみはつまり、自分のことが好きなわけではなく、運動ができて理系の8組の男子ならひょっとしたら誰でもいいんじゃないかと思った。
「決まった彼女とかいないんでしょ?だったら」
「ふうん。…じゃあ別に石垣さん、俺が好きで好きでってわけじゃないんだね」
(これは、あれだ…よくある罰ゲームでなんとも思ってない相手に告るやつだ…OKしたとたんに”ドッキリ大成功”のプラカードが登場する。質の悪い冗談だ)和成は心の中で呟いた。
「悪いけど、ほかをあたってくれ」
普段より一オクターブ低い声で精いっぱいの不快感を表したが、相手は鈍感なのか気づいていない。
「えーなんでぇ?のぞみのこと嫌い~?」
まとわりつくような甘い声が耳障りだった。甲高い声もまさに、田中千穂の再来かと思うほどだった。
(なんでよりによって、田中みたいな女が俺に)
「好きも嫌いも、俺、石垣さんと喋ったの今日初めてだよね?全然接点なんてなかったのに、なんで俺なのって思ったよ、正直。それに、俺、明日からセンターなんだけど」
ぺちゃぺちゃと媚びるような表情で腕や背中に触っていた石垣のぞみは一瞬固まった。
「石垣さん、5組だっけ。もう推薦とか決まってるんでしょ?いいよね、あと学年末試験のことだけ考えればいい人は。
なんで今なの?告るなら文化祭までに来てよ。それか、まだ卒業式のあととか。センターの前日に告ってくるとかほんとやめてくれない?これ罰ゲーム?心をかき乱されることを避けてる国立クラスの奴らのこと知らないの?そういう空気読めない子って俺、残念ながら好みじゃないんで」
みるみるふくれっ面になった石垣のぞみは、たちまち不平不満を口に出した。
「陰気な国立組のことなんて知らないし」
「俺に告るならもっとどんな子が趣味か調査してきたら?石垣さんには悪いけど、俺、人生の中で天パ女子って鬼門なの」
「そんなこと聞いてない。このアタシが付き合って”あげる”って言ってるのに振るとかありえない」
その勝手な言い草に、和成は怒るよりも呆れた。
「いや、頼んでねえし。全然知らない奴に告られても逆に迷惑だし」
「男子って告られたらとりあえず付き合っちゃうんじゃないの?!」
「そういう男もいるかもしれねえけどさ、どうすんだよ、そいつがもし告ってなくても好きな奴いたら」
「告ってないなら付き合ってないも同然じゃん。進藤ってバカなの?」
「失礼な女だな。あんた大して俺のこと知らないでしょ。俺が何が好きで、どんな考えを持ってるのか、そういうことを知ろうともしないで」
「進藤だってあたしのこと知らないじゃん」
「だけど別に俺は石垣さんのことを知りたいとは思わない」
「ひど…何それ」
言いながら、和成はどんどんイライラしてきた。とにかく石垣のぞみに、今すぐ消えてほしかった。
「だから、好みじゃないって言ってんの。俺は”誰でもいい”子より”俺だけ見てくれる子”のほうがいい。馬鹿にすんな。あんたの常識でこの世を測るなよ」
一刀両断にすると、石垣のぞみはまだぶつぶつと文句を言いながら「国立組ってサイテー」と捨て台詞を吐いて去っていった。
(掛川さんが言ってたことはこういうことだったか…)
多分里穂が一番嫌いなタイプの女子にゲームのような告白をされて、和成は胸がむかついた。自分の気持ちを伝えるってもっとまじめで真剣なことじゃないのか、と、和成は頭を抱えた。
「あーあー、やっちまったな進藤」
見ると、自分の横に別のひょろひょろした男子生徒が立っていた。この男子は知っている。7組の竹原悟だった。悟はハンドボール部で部活は違うが、2年で同じクラスになり話すようになり、いつしか友人になった。
「いつから見てたんだよ、竹原」
「なんか、”俺センター前なんですけど”みたいなこと言ってたあたりからかな」
「ほぼ全部じゃねえか、立ち聞きするなよ、人が悪い」
和成がしかめっ面で竹原悟を睨みつけると、悟は困惑したように肩をすくめた。
「そっちこそ。帰ろうと思って下足箱に来たら痴話喧嘩みたいなのに巻き込まれそうになったこっちの気持ちも考えてくれよ」
「今日が初対面の女と痴話喧嘩もないだろ」
「勿体ないことをしたよな。石垣のぞみだっけ、5組の」
「うるせえな。センター前日の国立組に告って動揺させるってどんな罰ゲームだよ」
吐き捨てるように言った和成に、悟は「おや」と目を見張った。
「罰ゲーム、か…そうかもな。”ドッキリ大成功!”ってプラカード持って現れるやつ?」
なんでこいつは俺と同じ思考パターンなんだと、和成は悟を見つめて思った。
「多分石垣の話の5分の1も俺は興味ない。あっちもそうなんじゃないの。喋って楽しくない女子と付き合ってもなあ」
「喋って楽しいねえ。確かに石垣と喋っても俺も楽しくないかもな」
和成と悟は鞄を担ぎ、バス停に向かった。
「お前、”俺だけ見てくれる子がいい”はよかったなあ。俺もそういう子の方が好みだな」
「お前の好みなんか聞いてねえよ、竹原」
「なんだ、やさぐれてんなあ。センター前でびびってるか?」
悟が和成の顔を覗き込む。178cmの悟と180㎝の和成が並ぶとなかなかの迫力だが本人たちは気づいていない。
「センター前でビビってんのはお前もだろうが」
「ちがいねえ」
悟は笑った。
「進藤には石垣みたいなタイプは合わないだろうな。4組とか5組の女子ってうるせえもん。お前そういう女子苦手だろう?俺もだけど。…お前実は好きな子いて、受験終わったら告るのか?ひょっとして、もう付き合ってるとか?あ、うちのクラスの福岡さんとか?」
ここでなぜ福岡友紀子の名前が出てくるんだと和成は思った。友紀子は和成の見る限り、恋愛とかのあたりを超越しているように感じていた。
「福岡さんは確かにいい子だとは思うけど、恋愛対象というわけじゃないな」
「よく一緒に帰ってるだろ」
「…バス停が同じで帰る方向も一緒だと付き合ってるになるのか、竹原は」
「…ほんとかよ。好きな子とかいないの」
「教えねえ」
思ったより落ち込んでいる和成を見て、悟は気の毒になった。バスがやってきて二人は乗り込んだ。早帰りは三年生だけなので、バスは比較的すいていた。
「しっかし、私立推薦組はお気楽でいいよな。俺たちこれからキリキリ胃が痛む日々が始まるってのに。まあ俺も石垣に告られても断る自信はあるけど」
お前告られてもいないだろうと和成が笑って小突くと、悟も「それな」と肩をすくめた。
「じゃあ竹原ってどんな女子が好みなの」
「それ、知りたい?」
「そういう話したことないからさ」
「じゃ、俺に付き合え」
「お?」
「誤解するな。ターミナル駅のマックだ。腹減った」
そこで、和成は悟とともに、ターミナル駅ビルのマクドナルドに入った。里穂と入った時のことを少し思い出し、胸がちくりと痛んだ。(窓側に座るなよ、窓側はだめだ)里穂と座ったことを思いだす窓側の席は、避けたかった。幸か不幸か窓側の席は空いておらず、壁際の席に和成は悟と向かい合って座ることになった。
「もう時効だから言うけど、1年の時に告った」
「えっ」
まさかの告白に、和成は思わずよろけた。
「ああ、2組の松代あゆみ」
「うーんと?」
「合唱部の、よく伴奏やってる子」
「あ、あの子か」
里穂と同じ部の、おさげの女の子だ。里穂よりは背が高く、眼鏡をかけていない。話したことはないが、合唱部の女子は里穂も金沢麻弥耶もだが、大人しくても軽い感じの子はおらず、真面目そうな印象だった。
「で、結果は?」
「まあお決まりの通り文化祭の後夜祭で告って、ちょっと付き合ったけどクラスが離れちゃって。松代さんはNコン常連の強豪合唱部で忙しくて、一緒に帰るとかもできなかった。別れる時ごめんねって謝られたけど、縁がなかったんだよな」
「ふうん」
「進藤お前、ほんとは好きな子いるんじゃねえの」
和成は、悟の話を聞きながら違うことを考えていた。
里穂との間にあったのは、ただの友情だとずっと思っていた。
だがあの日、和成は友情とは違う別のなにか違う感情を強く感じた。
最初は、同じ中学の出身で、成績を争ったことがある相手。誰にも話せなかったという彼女の心の中のことを、何度も聞いた。そのうち、もっと彼女と話したくなった。彼女を知りたいと思うようになった。里穂といろいろな話をする時間は大切な時間だった。
重ねた唇の柔らかさと、コートの上から触れた胸の重さの感触は残っていて、和成の心を乱す。本当は服の上からなんかじゃなくて、じかに触りたかった。
里穂が去っていかなければ、もっときわどいところまで進んだかもしれない。それくらい、里穂の心も体も奪い取るくらい強く欲していることに、自分でも気づいていなかったのだ。愚かな話だ。
先ほど、石垣のぞみに投げつけた言葉が跳ね返った。告白するなら、文化祭の最終日の後夜祭か、卒業式まで、または進路が決定するまで待っておくのが受験生の恋愛だ。中途半端な時期に、中途半端なやり方で、しかも相手に多分伝わらなかった。そんなやり方しかできない、自分は愚かな男だと和成は思った。だから、これは自業自得なのだ。
「進藤と話が合いそうな子…1組のか2組の誰かか…受験だから抑えてるとか」
「…」
「まさかと思うけど、掛川さん?」
黙り込んだ和成を、悟は、不思議な顔をして覗き込んだ。
「図星か。たまに図書館で一緒にいるの見たからとっくに付き合ってるんだと思ってた」
「…だからお前と喋るの嫌なんだよ。…察しが良すぎる。確かに、俺は掛川さんのことはいい子だと思ってるよ、…お前ならべらべら喋んないから言うけど、」
和成は氷が溶けて薄くなったコーラをストローで思い切り啜り、むせて悟に呆れられた。
「なんなの、落ち着けよ進藤」
「…俺は、掛川さんが好きだ。本当に…好きなんだ」
苦し気な和成の表情に、ポテトを摘んでいた悟の手が止まった。これは、本気だ。
「だけどなあ…。それどころじゃないんだ、掛川さんは。あの子音大志望だろ?実技は筆記以上に、水物だって言うし。動揺、させたくない」
悟は察した。これは、告れないやつだと。そんな和成を悟は意気地なしだとは思わなかった。
「そういや、あんたら中学同じだったんだよな。…早いとこ告っときゃよかったのに」
「話すようになったの、3年になってからだし。…自覚したの今更なんだ。遅えって笑うなよ」
すっかり落ち込んでいる和成を悟は笑う気にはなれなかった。
「おい、朽ち果てるのはまだ早いぜ。明日からセンターだろ。戦え。戦い抜けよ、進藤。…俺も、戦う」
そして、ニヤっと笑った。
「もう一杯コーラ飲むか?俺も飲む」
和成は頷いた。落ち込んでいる時間はなかった。そして、詳しい話を伺ってこずにさりげなく気を回す悟の存在がありがたかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます