一口のスープが伝えること(酒井編)

「そんな風に自画自賛している人、直ぐに潰されるわよ」

「別に自画自賛しているわけではありません。ちゃんと実績があるから信じているだけです」

「だから、そんな自信は独りよがりで……」


 その時、厨房から背の低いふっくらとした女性がひょこっと顔を出した。美人とは言い難いが、えくぼが可愛いホンワカした雰囲気の女性。体と同じく、顔もふくよかだから福顔に見えるだけかもしれないけれど。


「よし君、お客さんが来ているの?」

「ああ、みさちゃん、まあね。クレイマーさん」


「な!」

「よし君ったら、メッ!」

 みささんと呼ばれた女性が葉山さんのことを軽く睨んでから、ふわりとした笑顔をこちらに向ける。


「ごめんなさいね。よし君口が悪くて。お詫びにスープでもいかがですか?」

 そう言って持ってきてくれた翡翠色のスープ。


「ほうれん草のスープ。隠し味的にキノコ類も入っているからミネラルたっぷりなの。きっと疲れが取れると思うから、どうぞ」

 断りづらくて、ついつい「いただきます」と素直に口をつけた。


「あ!」

 心の底から、美味しいと思った。 

 素直な気持ちが溢れてきたら、またまた涙が止まらなくなる。

「……美味しい……です」

「だろ」

「こら、よし君」 


 不思議に思った。このスープ、きっと前にもお店で飲んだことがあったはず。その時も普通に美味しいと思った。でも今は、舌先からじわじわと体に沁み込む旨さを感じる。

 なんで同じスープなのに、こんなに感じ方が違うんだろう?

 


 葉山さんは、先ほどまでとは打って変わった優しい顔になる。


「みさちゃんの作る料理は救いなんだよ。この味を拒絶できる人なんていないからな」


 それから、葉山さんとみささんの馴れ初めを、照れくさそうに話してくれた。

 実はこの二人ご夫婦だった。夫婦二人で営んでいるお店。それがこの『幸福フェリス』。


「五年前までは俺もサラリーマンで、いわゆるブラック企業で働く社畜だったんだ。

 一人暮らしでロクな物も食べずに働き詰めの生活を送っていたら、ある日道端で貧血でぶっ倒れて動けなくなった。

 その時知ったんだ。世間って、なんて冷たいんだろうと。

 真っ青な顔で花壇にもたれかかるように座っていても誰も声なんかかけてくれないんだよな。酔っ払いが自業自得でぶっ倒れたんだろうくらいに、眉根を寄せてチラリと見ては、避けるように通り過ぎていく。苦しい、誰か助けてくれと思っても、みんな気づかず、手も貸してなんかくれなかった。


 その時唯一助けてくれたのが彼女だったんだ。


 動けない俺に肩を貸して、閉店した店内に連れて行ってくれた。

 そのころ彼女はまだ別の店の見習いで、最後の店の後片付けをしている途中だった。窓から俺を見つけて、慌てて駆けつけてくれたんだ。

 残り物と言いながら作ってくれた飯がものすごく美味しくて、俺は泣きながら食べたのを今も思い出す。その時救われた彼女の料理は、絶対他の人も癒すって思ったんだよ。だから、俺はこの味のプロデュースをしたいと思って、二人で店を出す事にしたんだ。


 彼女の作る料理を、もっとみんなに楽しんでもらいたいから」


 葉山さんはそう話し終わると、みささんと顔を見合わせて微笑み合った。


「まあ、自信があるのは、彼女の努力と真心を見ているからであって、俺が何をしているわけじゃあないんだが……人を蔑んで自分を相手より上だって思い込もうとしたって、自信なんてものは生まれないんだよな。自信は、自分で作るしかない。がむしゃらに一生懸命やって、ここまでやったんだから、自分で自分を信じてやろうって、そうやって自信をつけるしか方法はないんだと思うんだ。だから……あんたも、頑張ってみたらいいと思う。酒飲んで巻いてないでさ」


「こら、よし君ったら。お客様に向かってズケズケと」

 みささんが、葉山さんのことをまた睨む。


「いえ、その通りなんだと思います。私は自分に自信が無くて、だから人のことを悪くいうことでしか、自分が保てなくて……でも、私だって、なんの努力もしてないなんてことは無いんですよ。一生懸命頑張ってきたのに……うまくいかない」

 止まらない涙のまま本音を零せば、みささんがふわりと私を抱きしめてくれた。


「めぐり合わせが悪い時ってありますよね。そんな時は泣きましょう。いっぱいいっぱい泣いて、泣き疲れたらお腹が空いてくるはず。その時は思いっきり奮発して美味しいものを食べましょう。お腹がいっぱいになったら幸せな気持ちがまた必ず蘇ってきますからね。安心してください」


 みささんが、私の目を見て、『ね!』というように笑いかけてくれる。福顔の笑顔って、なんて温かいんだろう。


「それから、本当に自分が好きな事を思い出してください」

「好きな事?」

「そう、何でもいいんですよ。例えば、漫画を読むとか、絵を描くとか、ハイキングとか魚釣りとか。花を眺めたり、長風呂したり、何でもいいから、自分が好きだなって思える事を夢中でやってください。そうしたら、きっといいことが舞い込んできますよ」

「そんな、私の好きな事なんて、モテ要素何にもない」

「あはは、モテるモテないなんて、関係ないですよ。だって好きな事に一生懸命な人が輝いているのであって、やっていることが輝いているわけじゃないですからね」


「そん……なものなのかしら?」

「そんなものですよ」

 いつもなら直ぐに反発心が沸き上がるのに、みささんの優しい笑顔は、私に安心感を与えてくれる。


「そっか……」


 最後までいただいたスープは、私の体も心も温めてくれた。


 そして気づいた。私は今まで、ちゃんと目の前のお料理を味わっていなかったんだと。

 周りのことばかり気にして、周りに合わせることにばかり力を使って。目の前のことをちゃんと見ていなかった。

 自分自身のことも、ちゃんと……



 帰りがけに葉山さんが、私の目を見て言った。


「昨夜は二度と来ないで下さいとか言ったけど、あれは撤回させてください。すみませんでした。『幸福フェリス』はこれからも、いつでも、あなたをお待ちしています」



 それから、私はすっかりここの常連さん。十日に一度は来て、美味しい料理とお酒を味わわせてもらっている。

 好きなことも見つけたわよ。バイク!

 昔から憧れていたの。でも、女だてらにとか、女には危ないとか思われそうで、チャレンジするのを躊躇っていたのよね。でもどうせ結婚できそうに無いし、結婚資金として貯めていたお金で、思い切って免許をとってバイクを購入したの。

 筋トレして体力をつけながら、少しずつ走行距離を伸ばしているところ。

  


「真綾さん、これ、あそこの席の男性から」

 ある夜、葉山さんが私の目の前に鮮やかなオレンジ色のカクテル『バレンシア』を差し出してくれた。

 言われて横に目をやると、日に焼けた爽やかな雰囲気の男性が会釈している。

「俺の後輩。三十二歳。独身。いい奴なんだけどさ、ツーリングにばかり出かけていて彼女作る時間が無くて未だ独身。一回くらいおしゃべりしてくれると俺の顔がたつ」


 その言葉に心臓がトクンと波打った。

 ツーリングが好きなの? 女性と一緒でもいいって言ってくれるかしら?

 

「真綾さんがバイクに乗り始めたことは、彼も知っています」 

 私の心を読んだかのような葉山さんの補足の言葉。


 もう一度振り返って彼を見たら、ニコッと笑って頷いてくれた。


 もしも、もしも一緒にあちこち出かけられたら、きっと最高に楽しいはず!

 

 縁結びしてくれた葉山さんに感謝の言葉を述べてから、私はグラスを持って彼の隣へ移動した。

 

 初めまして! 酒井真綾です。

 最近バイクに乗り始めた初心者です。

 でも、バイクで風を切って走るの、最高ですよね!


 今度こそ、等身大の私……



          酒井編 完


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