第64話 もう一つの Birthday Present

 誕生日当日。

 結局俺は水族館デートに決めた。

 海が好きで、グッピーを飼っている里桜が魚が嫌いなわけないしね。


 品川駅近くの『マク☆ル アクアパーク品川』

 近くのイタリアンレストランで軽く食べてから、イルカのショーに間に合うように入館した。


 入口近くのアトリウムエリア『カラーズ』では、アートと水槽のコラボが楽しい。

 花火の絵柄の中を優雅に泳ぐ金魚たちに、思わずこの間の夜を思い出した。二人で顔を見合わせて笑い合う。


 その後は足早に二階の『ザ・スタジアム』へ向かった。ここでは夜でもイルカのショーが楽しめる。

 七色のウォーターカーテンの中をのびやかにジャンプするイルカの群れ。歓声を上げながら魅入る人々。里桜の笑顔も弾ける。

 イルカの躍動感と人懐っこい姿に癒された。

 

 ショーの後は、再び一階へ。

 実は今日のハイライトは『ジェリーフィッシュランブル』なんだ。

 透明な円柱がいくつも立ち並ぶ光の迷宮のような空間。柱の中をゆったりと漂う無数のクラゲたちが幻想的だ。

  

 こいつら、何を考えているんだろうな。

 俺たちにこんな風に見られているなんて思いもせず、ふわりふわりと、いつもと変わらない日常を生きているだけ。でもこんなにも美しいのは、命だからなのだと思う。


 夢中になって見つめている里桜。ほのかな光に照らし出されて、いつもより大人っぽく見える。

 俺はゆっくりとその場を離れた。少しずつ、少しずつ距離を取って、やがて水槽の反対側まで辿り着く。一瞬不安そうな顔をした里桜の瞳が、直ぐに俺を捉えた。


 ガラス越しに見つめ合う。


 瞳はそのままに、里桜が左側へ足を出した。それに合わせて俺も左側へ。

 驚いたように見開いた瞳。また一歩左へ。俺も一歩左へ。

 そうやってぐるっと柱の周りを一周する。

 ガラス越しの瞳は、決して逸らさずに……

 

 俺が止まると、里桜も歩みを止めた。

 口の動きで、「そのままそこにいて」と伝える。


 里桜が面白そうに瞳を輝かせた。


 俺はゆっくりと距離を縮めていく。


「目を瞑って」

 

 そっと近づいて首元に触れれば、里桜の体がビクリと震えた。

 思ったようにスムーズにはできなくて、己の不器用さに心の中で悪態をつきながら、それでもなんとか目的を達することができた。

 

「目を開けていいよ」

 真っ先に首元に手を添える里桜。

「ぁぁ……」

 言葉にならないため息をついて、深紅の石に見入っている。

 小さなルビーが埋め込まれた桜のデザインのネックレス。桜は里桜の名前に入っているからね。


「どうかな? 里桜の誕生石にしたんだ」

「じんさん……とっても素敵です」

 顔を上げた里桜の目元に、うっすらと涙が滲んでいた。

「とても嬉しいです。ありがとうございます」


 後ろを向かせて腰に手を回す。二人でもう一度くらげ水槽を見ながら耳元に囁いた。

「誕生日、おめでとう」


 そんな俺たちを気にすることもなく、クラゲはゆらゆらと漂い続けていた。

 



 里桜の鎖骨際で、ルビーの桜が揺れている。

 時折手を添えては幸せそうに微笑む里桜を見て、俺も幸せな気持ちになった。

 並んで歩けば、マンションまでの道のりがいつも以上に短く感じる。明日が会社でなければなぁと恨めしい気持ちが沸き起こるのを止められない。離れがたくて、少しでも一緒に居たくて、歩みはどんどん遅くなった。

 それでも、無常に別れの時間はやってきてしまうのだ。名残惜しくて寂しくて、エントランスで見つめ合う。


「今日はありがとうございました。今までで一番幸せな誕生日でした」

「そう言ってもらえて良かったよ」


 ようやっと気持ちを切り替えて別れの言葉を口にしようとした時、里桜の手が、ヒシっと俺のワイシャツを掴んだ。


「もう一つだけ……わがまま言ってもいいですか?」

「ん? いいよ。何でも言って」

「……もう一つ欲しいものがあるんですけど」


 里桜に似合わぬ思いつめた表情。

 

「もう一つ? 何だろう? 遠慮しないで言ってみて」

「……あの……」


 その瞳がとろりとして長い睫毛が陰を落とした。

 一体どうしたんだろう?


「あの……」

「ゆっくりでいいよ」


「あの……じんさんが欲しいです」

「……それって……」

「私にじんさんをください」


 見上げた里桜の瞳には、今度は決意が込められていた。でもそれは悲壮な覚悟とかでは無くて、先へ進みたいという前向きな気持ちが煌めいていて、次第に温かな笑みへと変わっていった。


 ああ……里桜にはいつも驚かされる。

 ゆっくり、のんびりでいいよ。そんな風に思っていると、ひとっ飛びに超えてくるんだから。

 告白の時といい、なんだよ。いつも俺は先を越されてしまうな。

 

 でも……


「やっぱり、里桜はなんでもお見通しだね。本当は一番あげたいプレゼントだったんだよ。俺のこと受け取って欲しい」


 愛おしさが溢れて止まらない。

 溺れるように、里桜を抱きしめた。


 



              本編 The End




【作者より感謝を込めて】

 ここまで既に16万文字を超えてまいりました。

 こんなに遠くまでやって来れたのも、ひとえに読んでくださり、温かい応援をしてくださった皆様のおかげです。どれほど励まされたかしれません。

 本当に本当に、ありがとうございました!


 この後、酒井編二話。臣と里桜のちょっとしたエピソードを一話加えて、完結にしたいと思っておりますので、よろしければ、後三話だけお付き合いいただけたらと思います。

 ひとまず、本編読了、ありがとうございました!

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