第63話 俺たちの恋は……

 青い海は黒く染まり、太陽と入れ替わるように輝きだした月の光に照らされて、宙との境が浮き彫りになる。白波が静かに押し寄せては返し、耳を傾ければ気分が落ち着いてきた。


 周りの施設のお陰で、浜は思ったより暗くない。同じような人々が、既に何組か光を囲んではしゃいでいた。

 風はまだまだ熱が残っているが、潮の香りを運んでくれる。

 二人で思いっきり海を吸い込んだ。


「じんさん、どれから始めますか?」

「どれでも」

「じゃあ、この七色になるっていうのからやりましょう」


 花火の光の中、陰影を移す里桜の浴衣姿はとても艶やかで、俺はまたドキドキが再燃してしまう。

 花火の先を近づけ合って、炎を移し合う行為にすらエロティシズムを感じてしまうなんて、俺の妄想力もやばいな。

 いや、これは吊り橋効果と一緒なだけだ。いつ吹き出すかわからない光の衝撃に備えて、心が震えてスタンバっているだけ。


「線香花火……私、大好きなんです。儚くて、でも一生懸命で。なんだか光が愛おしくなってしまって」

 ぱちぱちと爆ぜる光を見つめながら、里桜がポツリとそう言った。腕を動かさないように、息を殺している。

「あっ」

 ポロリと落ちた小さな小さな光の玉。

「最後まで落とさないようにするの、難しいです」

 眉根を寄せて悲しそうな顔になる。


「よし、競争だ」

「え?」

「どっちが長くもたせられるか」

「え~」

 可愛く抗議の声を上げたが、始まってみればガチ勝負。案外里桜は負けず嫌いらしい。まあ、なんとなくわかっていたけどね。


 花火をした周辺の砂浜に少しだけ水をかけて、バケツの水にすべての花火を浸し入れてから、二人で海岸沿いを散歩した。

 俺の片手にはバケツ。もう片方の手はもちろん里桜と繋がっている。

 無言のまま、波の音に耳を傾けながら歩く。月明かりにきらめく水面が美しい。


「今日もまた、最高の一日でした」

 俺を見上げながら里桜が呟くようにそう言った。

「うん。そうだね」

「じんさんと一緒にいると、毎日が最高です。でもそうすると、どんどんどんどん最高のレベルが上がってしまって、もっともっとってわがままになってしまって、天井突き抜けちゃって天まで届きそうで……ちょっと怖いんです」

「いいんじゃね、宇宙服なしであの星まで行けるってことで」

 目を丸くした里桜。次の瞬間、ほっとしたように笑顔がこぼれる。

「そう言って、わがままな私をいつも受け入れてくれて、じんさんはきっとブラックホールですね」

「え?」

「ブラックホールです。だって、私の気持ち、いいところも悪いところもぜーんぶ飲み込んでくれます。優しい笑顔のままで。だから私は安心して笑っていられるんです」

「まあね、全部美味しいからね」

 さっと顔を赤らめた里桜。

「だから……これはお礼です。いつもありがとうございます。それから、これからもよろしくお願いします」


 そう言って、里桜が背伸びしてきた。近づいてくる瞳が視界いっぱいになった時、俺の唇は柔らかい感触に包まれた。

 吸いつくように押し当てられた里桜の唇。その一瞬を手放したくなくて、俺は慌ててバケツを砂に置くと、そのまま離れ行く里桜を追いかけた。

 里桜の後頭部を抱えて引き寄せ口づける。深く強く踏み込んで、何度もタッチを繰り返す。里桜の口元が俺の動きに応えるように動いた。

 

 暑い夏の夜はまだ終わっていない。



 はずが……ランドリーから洗濯物を引き上げて来て見れば、浴衣姿は跡形も無く消え去っていた。

 え? 嘘!


「浴衣じゃない」

 思わずがっかりした声を上げれば、里桜が恥ずかしそうに言い訳する。

「私寝相が悪いから、浴衣で寝るとはだけて恥ずかしい事になっちゃうんです」


 いや、そんな心配いらないよ。その前に俺が優しく……

 思わず言いそうになって口を閉じる。


「誰かとお泊りなんて、高校の修学旅行以来です! ドキドキします」

 無邪気な笑顔を見てちょっと切なくなる。高校以来なんて、きっと寂しかっただろうな。俺なんかサークルの合宿とか、スキーとか、新人研修とか結構お泊りしているけどな。

「新入社員研修の時は泊まらなかったの?」

「業務職はお泊り研修は無いんです。それは総合職の方だけです」

「そうだったんだ」

「だから、じんさんとお泊りできて嬉しいです。ドキドキして眠れるか心配です」

 うん。それは俺も同感だけどね。

 

「じんさん」

 ベッドの上に正座すると、眼鏡の隙間から俺を覗き見ている。


「じんさん、きっとお疲れだと思うのですが……もう少し、おしゃべりしちゃだめですか?」

 いや、そんな目で見上げられて、ダメなんて言える男がいたら天然記念物ものだぜ。俺は「大丈夫だよ」と即座に応える。

 嬉しそうに微笑んだ里桜。手を掴んで横に座らされた。

 

「私じんさんのこと、もっと知りたいです」

「俺のこと?」

「私と出会う前のじんさん。小さい頃のじんさん。中学とか高校とか」

「俺も小さい頃の里桜のこと知りたい」

「恥ずかしいですけど……なんでも聞いてください」


 穏やかな昔語り。互いの過去に思いを馳せ、可愛い子どもの頃を想像する。

 己を作ってきた過去。恥ずかしい失敗も、悔しくて眠れなかった夜も、里桜と分かち合ったら、それも一つの思い出だなと、少しだけ客観的に見れるようになる。

 全部が俺で、全部が里桜だ。


 幸せそうな里桜の笑顔を見ていたら、これからも、里桜の気持ちを大切にしてあげたいと思った。のんびりだっていいよな。

 一歩ずつ、里桜の歩みに寄り添っていきたい。


 俺たちの恋はゆっくりで、傍から見たら、なんて意気地が無くて不器用なんだとヤキモキされるかもしれない。

 でも、だからこそ、大切で愛おしいんだ。

 ちっぽけな勇気をかき集めて、やせ我慢して、歩幅もスッゴク狭いけれど。

 それでも一歩ずつ踏み出して行けば、いつか振り返って驚くはず。


 こんなに遠くまで来れたねって。


 そんな恋があってもいいよな。


 どちらからともなく『おやすみ』のキスをして、二人で一つのベッドに入った。俺の胸にペタリと耳をつけた里桜。


「じんさんの心臓の音を聞くと安心します」

「そ、そうなんだ」

 こんなにバクバクな音でも安心できるのかな?


「じんさんも、一緒なんだって」

「え?」

「私と一緒だって。思えるから」


 そっか。バクバクの心臓は里桜も一緒なんだよな。

 だから、今日はこのままドキドキしながら寝よう。


 里桜にとっての久しぶりのお泊りは、隣に俺がいる安心感を伝えられただけで十分だよな。


 だから、おやすみ。いい夢見ような。

 

 

 翌朝、朝焼けを感じて起き出した里桜の動きで、俺も目が覚めた。でも、もう少しだけ目をつぶったままでいよう。

 だって、息を詰めてこちらを見つめる里桜の視線を感じるから。


「じんさん、昨夜はごめんなさい。本当はもっと恋人らしいことしたいって思うんだけど、勇気が無くて。でも、じんさんはいっつも私の気持ちを大切にしてくれて。ありがとう。大好き」

 唇に柔らかい感触。

 もっと欲しいけれど、俺が寝ていると信じている里桜を驚かせたく無いからな。


 俺はそのほのかな甘みだけで我慢した。


 

【作者より】

 ここまで読み進めてくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。後一話で、本編を一応終わりにしたいと思っております。

 でも、この作品の中で唯一、悪役パートを引き受けてくれた酒井のことを心配するお声をいただいておりますので、できれば少しでも幸せにしてあげたいなとも思いますし(笑) 番外編で少しだけ書こうかなと目論んでおります。

 後少しだけ、お付き合いいただけたら嬉しいです。

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