A little bitter taste 一寸先は闇か光か(一ノ瀬&佐々木編)

一ノ瀬の気持ち――― 


 同期の佐々木一成ささきいっせいが可愛い後輩の美鈴ちゃんにフラれたと言うことは、美鈴ちゃん本人の口から聞いて知っていた。

 その時は単純に、モテ男もフラれたんだと一瞬同情しただけ。


 でも、どんな運命のいたずらか、バッタリ出会ったホテルのバーで見た佐々木は、思ったよりも憔悴していて、心から可哀そうに思ったんだよね。

 だって、佐々木が今まで頑張っていたことを私は知っていたから。


 イケメンで仕事もできて人当たりも悪くない。完璧を絵に描いたような男。

 同期の中には嫉妬する奴もいたし、彼と結婚したいがために猛烈アタックを繰り返す女性陣も見てきた。ストーカーまがいの行き過ぎた行為もあったみたいで、モテ男はモテ男の苦労もあるなと遠巻きに見ていたのよね。


 でも仕事に対する真摯な姿勢と、勉強熱心なところは私も尊敬していたし、勇気をもらっていたんだ。

 女性の総合職って、まだまだ狭き門を進まないといけないからね。

 あまり細かいことは気にしないし、自分のわがままに忠実な私だけれど、それだってこの道を進むには、それなりに苦労したり、心無い一言に傷ついたりもしてきた。


 だからなんとなく、同志って気持ちで彼を見ていた。

  

 彼は意外とリベラルな考え方も持っているんだよ。残念ながら、本人が全然気づいてないようなんだけどね。


 まあ、美鈴ちゃんには『海外に一緒についてきて欲しい』なんて言ったから、結婚したら家庭に入って良妻賢母を務めて欲しいと思っている男性だと誤解されちゃったみたいなんだけれどね。ご愁傷様だわ。


 でも実際の彼は、常識とか慣習とかとの姿の中でもがきながら模索している人なんだよ。私にはわかる。だって、私がそれを一番感じて仕事しているからね。

 彼はコンプライアンス担当として物事を上から平等に見ようと人一倍努力している人。

 でも、みんなの輪を取り持とうと頑張り過ぎて、ついつい無難な答えに落とし込もうとしてしまう苦労人気質。

 だから誤解を招いているんだと思う。周りからも、本人の自分に対する認識も。

 

 良識にがんじがらめにされて、窮屈な思いをしているんじゃないかな。


 私にできることは……たまには悪いことにつき合わせちゃおっかな。

 彼の殻を破るには、そんな荒療治もいいんじゃない。

 私も楽しめそうだし。


 これは私の軽い遊び心。


 そう言って認めたく無かっただけかもしれない。本当は彼への想いを秘めていたなんてこと。だって、遊びと思ったら傷つかなくていいものね。

 でも、そんな一瞬の遊び心が、取り返しのつかない誤算を招いた。


 一生の不覚だったわ。


 

 

佐々木の気持ち――― 

 

 一ノ瀬が体調を崩して休んだと聞いた。


 あんな気まずい言葉を交わした後だったが、俺は思い切ってあいつのマンションを訪ねた。美鈴の時と同じ過ちを繰り返したくなかったから。


 無視されることは無かったのでほっとしたのだが、出てきた一ノ瀬は酷い顔色をしていた。相当具合が悪そうだ。


「どうしたの?」

「お前が具合が悪いって聞いたから。一人暮らしだと何かと困るだろ」

「……優しいじゃん」

「別にそんなんじゃない。ただ、おまえには世話になったからな。恩返しさ」

「そっか。でも大丈夫だから帰っていいよ」

「いや、押しかける」

「はあ?」

「どこが具合悪いんだよ」

「貧血と吐き気」

「じゃあ、寝てろ」

 ぐらりとした彼女を抱きとめようとしたら、びくっとして口を押えた。

「ごめん、やっぱ気持ち悪い」

 そう言ってトイレへ駆け込んだ。


 いや、悪かった。具合悪いってこと、わかっていてわかっていなかったよ。

 だけど、あまりのタイミングの悪さに、結構落ち込んだ。

 俺のこと、気持ち悪いって言われたみたいでさ。情けないな。俺って実は小さなことで傷つきやすかったんだ……


 そんなことを心の奥底にしまって、俺はかいがいしく彼女の背中をさする。

 辛そうな体を支えながらベッドへと連れていった。


「来てくれてありがとう。嬉しかった」

「おう」


 眩暈がするのだろう。目を閉じたまま一ノ瀬が言った。冷たいタオルを彼女の額に乗せると、気持ち良さそうに少しだけ表情が緩む。


「薬は?」

「ん、……飲んだよ」

「じゃあ、しんどくなったら声かけろよ。俺は向こうの部屋で適当にやっているから」


 そう言って立ち去ろうとしたら、袖口を掴まれた。


「居てもいいのか?」

「ちょっとだけ、話そう」

「……辛くならない程度にな」

「……私さ、普段はとんがったことばかり言って、常識って言葉と戦っているんだ」

「知ってる。お前はがんばっている」

「でもさ、たまにエネルギー切れになっちゃうんだよね」

「だろうな」

「えらそーに言っているけどさ、全部が自分のエゴばかりじゃないよね」

「なんだよ。落ち込んでいるのか?」

「私だってそういう時ある。特に具合悪いとね」

「だな。人間そんなもんだよ」

 彼女の口からため息が漏れた。


「大丈夫。お前の戦いはエゴじゃない。みんなが口に出したくてもなかなか言えないことを代弁してくれているんだよ。だから、俺も応援している」

「……ありがとう」


 一ノ瀬の目から、涙が横に流れた。 

 こいつ、相当踏ん張っていたんだな。世の中の常識とか慣習とか、そんなものに惑わされずに、本質を見抜こうと必死で努力していたことは知っている。

 軽々と色々な困難を飛び越えたりかわしたりしているように見えたけれど、実は満身創痍だったんだな。こんなにボロボロになるまで……


 俺は彼女を抱きしめたくなった。でも今は無理だと自分に言い聞かせる。


「今日は来てくれてありがとう。この間は……酷いこと言ってごめんね」

「いや、酷いことを言ったのは、俺の方だからな。お前と遊んでいるのが楽しいなんて、お前に甘えすぎた言葉だ。言ってしまった言葉を無かったことにはできないけれど、本当の気持ちを伝えさせてくれ」

「何?」

「お前が好きだ」

「え!」

「鈴香が好きだ。だから、俺と結婚して欲しい」


 ガバリと起き上がった一ノ瀬、世界が回ったらしくふらりと体が揺れる。

 俺は慌てて抱きとめて寝かしつけた。


「悪い。今言うべきじゃ無かった。でも、もう俺、後悔したくない。遅れたくない」

「……付き合うじゃなくて、結婚?」

「ああ」

「本当に結婚して欲しいの?」

「ああ、お前さえ嫌でなければ俺と結婚して欲しい」


「私は仕事を続けるよ」

「応援するし、サポートする」

「海外へついて行かれるかわからないよ」

「覚悟の上さ」

「……本当に私でいいの? 良妻賢母じゃないよ」

「良妻賢母? そんなことを思っていた時期が……あったかもしれない。でも俺は自分らしく生きている人が好きだ。俺が理想にとらわれて四苦八苦している横で、自由に、常識に縛られずしなやかに生きている人がいてくれたら、俺は安心して息が吸えるんだよ」


「そっか……良かった。そう言ってもらえて……嬉しい。私も一成のことが好きだよ。多分、ずっと前から。でもね、結婚をOKする前に言っておくことがあるの。それでも結婚しようと思えるなら、もう一度プロポーズして」


「何?」

「実は……おなかに赤ちゃんがいるの」

「え!」

 避妊せずにやったのは最初の一回きり。なんてことだ。あの一回がこんなことになっていたなんて。

 彼女がこんなに辛いのは、つわりだったのか!


「ごめん。気づいてやれなくて!」


 胃がズンと重くなる。申し訳ない気持ちが全身を駆け抜けた。

 きっと彼女はこの事実に気づいた時、相当ショックを受けたに違いない。仕事のこと、俺とのこと。悩んで悔やんで苦しんだはず。

 彼女のあの言葉は、そんな辛い気持ちの表れだったのに、俺は気づかないどころか彼女に甘えて、恨んでいたんだ。捨てられたとか、気持ちを傷つけられたとか言って。

 捨てられるかもしれない不安を抱えていたのは、彼女の方だったって言うのに!


 これだから、俺はダメなんだな。フラれて当たり前だったんだ。

 こんな身勝手で、鈍感で、彼女をよく見ていない奴。


 それでも、今度こそ俺は鈴香の横にいられる奴になりたい。


「お前俺がプロポーズしなかったら一人で育てていく気だったのかよ。俺に告げもせずに」

「まあね」

「俺はそんなに頼りない男か」

「違うよ。ただ縛りたくなかっただけ」

「馬鹿じゃないのか。お前普段大胆なくせに、変なところで遠慮するなよ」

「遠慮なんかしてない。ただ、私自分がわがままに生きているから、他人のわがままを邪魔したくないだけ」

「平等思想もそこまでいくと馬鹿だな。優し過ぎる」

「な、なによ。気安く莫迦バカ言わないでよ」

「良く考えろよ。子供のことは俺たち二人の責任だろ。お前だけ縛られる理由はない」

「でも、誘ったのは私だからね。私の責任」

「誘いに乗ったのは俺の責任」


 俺はできる限り優しい声で彼女に語りかけた。


「なんでも一人で背負いこむなよ。俺にも分けてくれよ。気持ちが繋がるってそういうことじゃないのか?」

「……そうだね」


 堰を切ったように流れる涙。俺は鈴香の髪を撫でる。


「鈴香、これからは俺がお前のわがままを聞いてやる。だから俺のわがままも聞いて欲しい。俺と結婚してくれ」

「……いいよ。嬉しい」


 これが運命ってやつなんだろうな。

 やっと見つけられた。俺の相棒。


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