テイスト違いの恋 ちょっと未来の話

Bitter taste 完璧男の自己嫌悪(佐々木編)

 俺はその夜、終業時間後に会社へ向かって歩いていた。

 出先から直帰できたら良かったんだがな。金曜の夜だというのに残念だ。

 そこでふと、今週は何の予定も入っていなかったことを虚しく思い出した。

 美鈴には……ふられたんだったな。

 正直、初めての出来事で心がついてきていない。今までさんざん自分から断ってきたくせに、自分が一回断られただけでこのザマか。俺もまだまだだな。


 そんなことをぼうっと考えながら歩いていると、会社のエントランスから現れた男女の背が見えた。二人で仲良く話しながら、駅ではない方角へ歩いて行く。


 美鈴……


 俺は無意識にその後を追った。


 振られた女の後を追うなんて、俺はどうかしている!

 今までの自分だったらプライドが許さない。でも、そんなことを全部捨てて、体が勝手に動いていた。


 水曜の夜、美鈴から正式に断りの言葉を言われた。結論を出すのに時間がかかっていたし、美鈴が真剣に考えてくれていることはわかっていたから、その結論が揺らがないものなのだろうなと思った。

 だから、追わなかったんだ。それなのに、今更……


 そう、俺はあの日、プライドが邪魔して追いかけられなかっただけだ。

 それなのに、他の男と歩いている姿を目にしたら我慢ができなかった。

 

 なんだろう。美鈴から伝わるあのリラックス感は? 

 心がささくれ立つ。俺と一緒の時に、あんなリラックスした雰囲気を感じたことは無かった。

 隣の男は美鈴にとって、そんなに特別な男なのか?

 あの男を近づけたら終わりだ! 野性的な勘のようなものが俺にそう語りかける。 


 隣の男に嫉妬した。


 その後の己のみっともない行動は今でも思い出すと心が抉られる。

 俺は美鈴に縋りつき、横の男が告白するのを邪魔しようとした。最低だな。


 俺はなんで悠長に美鈴を待っていたりしたんだろう。

 どうしてもっと情熱的に、美鈴を求めなかったのか。

 四の五の言わずに先に奪っていたら、今の状況は変わっていたかもしれない。それなのに、なんで余裕のある男のをしていたんだろう。


 自分の気持ちに気づくのが遅すぎた……


 いや、違うな。後から聞けば、横の男は美鈴のことを十年以上も想い続けてきたらしい。そこまでの情熱、俺にあるだろうか?


 なんだよ。出だしから負けているじゃないか。そんな年月、俺には与えられ無かったんだよ。それだけ美鈴を愛して、待つチャンスがな。





「で、やけ酒飲んでいるんだ」

「俺だってたまにはな」


 横でブラッディ・マリーをぐびっとビールのように豪快に飲んでいるのは、同期の一ノ瀬鈴香いちのせすずかだ。こんなところで鉢合わせするなんて、驚いたな。


 会社の奴とは会いたくないという理由で、少し離れたホテルのバーにしたのに。


 一ノ瀬は同じ係長職。見るからにバリバリのキャリアウーマンという雰囲気だ。

 三十歳を超えると、同期の女性の半分くらいが消えていることに気づく。結婚、出産、家族の転勤、健康上の問題……きっかけは色々だ。そんな中で、入社当時と変わらない熱量で仕事に勤しむ彼女のことは、尊敬している。

 自然と戦友と語り合うような気安さで、俺の口も軽くなった。

 ついうっかり、美鈴とのことを漏らしてしまったのだ。

 でも、そんなプライベートなことを聞いてもカラカラと笑ってくれる一ノ瀬に、俺は思いがけず癒された。


 そっか、こんな風に笑い飛ばせることなのかもしれないな……


「今まで付き合う女性に不自由したことなさそうなのに、本命には逃げられちゃったか。それはご愁傷様でした」

「そういわれると、身も蓋も無いな。確かに俺は今まで理想が高すぎたと思うよ。それで振った女の数は多い。でも美鈴は本物だったんだよ。何もかも。だから、本気で惚れていた。初めてだったんだ。こんな気持ちになったのは」

「ふうーん。じゃあ、足掻けばいいじゃない。全てを投げうって」

「やったさ。みっともなく追いかけた。でも、分かったんだ。これは無理だって」

「自分で限界を決めちゃったんだ」

「違う。美鈴の気持ちが俺には向いてないって分かったから、これ以上追いかけるのは迷惑だろう」

「そっか。わかりすぎるっていうのもつまらないわね」

「別に……もう過ぎたことさ」


 一ノ瀬はふふんと鼻で笑うと、その美しい顔を俺の顔に近づけてきた。


「じゃあ私が慰めてあげようか」

「お前、言っていいことと悪いことがあるだろ。そういうお前はどうなんだよ。仕事が恋人なんて言っていると、結婚しそびれるぞ」

「あ、今セクハラ言った」

「ああ、めんどくせ。今はなんでもコンプライアンスだ」

「自分が担当のくせに、だめじゃん」

「はあ。まあな」


 一ノ瀬は真面目な顔になって言った。


「仕事が楽しいからね。今すぐに結婚して子供産んでっていうのは考えられない。でも別に結婚しないと決めているわけじゃないよ。結婚したい奴ができたら結婚するよ」

「お前の人生に付き合ってくれる貴重な奴」

「別に付き合ってもらおうなんて思ってない。私は私。彼は彼。で、一緒に過ごせるときは一緒に過ごして、仕事とかで離れている時もあってかまわない。だって、心が繋がっていればそれでいいもん」

「なんだよ。なんか最後だけメルヘンチックな話になったぞ。心が繋がっているとか乙女かよ」

「乙女だよ。私は女です。男じゃありません。だから男と同じことをすることはできないし、する気もありません」


 珍しくつっかるように言ってきた。


「まったく、男女平等って言うのは簡単じゃないんだよ。機会は均等に、でも男女の違いは尊重しなきゃダメなの。だいたい会社は男の人が多いし、男の人が上に多いから考え方が男性寄りなのよね。でもね、女の発想ってものも馬鹿にできないんだからね。世の中半分は女でできているのよ。男は男の、女は女のライフスタイルがあるの。これはね、体の構造が違うから仕方ないんだよ。男は子供産めないしね。そこんところをもっと理解して会社の仕組みを作って欲しいね」


 俺は自分の仕事にも関わる、耳の痛い話になったなと逃げ腰になる。

 折角の酒がまずくなるじゃないか……


「女性の出産はリミットがあるのよ。でも女性が出産しなかったら、日本社会は少子高齢化が進んで破綻するよ。女性が出産しても仕事を続けられる仕組みを早急に作らないとやばいんだからね!」

「ああ、わかった」

「そのためにはまず育休を安心して取得できるようにすること。男性も含めてね。後ろめたさを感じるような雰囲気があるのはダメなのよ」

「なるほど」

「フィンランドなんかは制度がちゃんと生きているんだよ。日本だってやろうと思えばできるはず」

「ああ、そうだな」

「そのためには男女がもっとちゃんと話し合わなくちゃ。それにね、子育てしながら働ける環境は男の人にだって悪くない環境になるはずなんだから。抜けた人の穴埋めが大変なのはわかるけど、それをお互い様って思えるような雰囲気づくりをしなくちゃいけないのよ」

「ほう、そうか」

「ちょっと!」

「なんだよ」

「ちゃんと聞いている?」

「聞いているさ」

「聞いてなかった」

「いや、聞いているって」


 むぅーっという顔の一ノ瀬。

 あれ? いつものキャリアウーマン顔じゃないな。一個人として怒っているのか。まあ、こいつも色々大変なんだろうな。


 俺は肩の力を抜いた。今までなるべく仕事の愚痴を他人に言わないようにと思ってきた。できる男はそんなことは言わない。でも今日は、のことをこいつに漏らしてしまった。一生の不覚とも言えるが、まあ、そんな日もあるか。

 一ノ瀬も普段、仕事の愚痴を言うことはない。同期の他の奴らが愚痴をこぼしあっていても、それを聞いているだけ。だから今日は珍しい。つい駄々洩れてしまった感じだ。


 会社から離れた場所で、として出会った時くらい羽目外して語り合うのも、ちょっとくらいいいのかもしれないな。

 俺はそう思い直すと、一ノ瀬に向き直った。


「ちゃんと聞いているよ」

「ありがと」


 その後は、二人で楽しく酒を飲んで酔いつぶれた。

 



 朝日で目が覚める。

 ここは……俺の部屋じゃない。ってことは、一ノ瀬の部屋か。

 ベッドの横ですやすやと眠る寝顔を見て、俺は昨夜のことを思い出した。


 あの後二人で酔いつぶれて、タクシーに乗った。彼女のマンション経由で帰る予定が、そのままネクタイ掴まれて部屋まで連れ込まれたんだ。

 いや、拒否しなかったのは俺の落ち度だな。

 

 玄関を入ってすぐに唇を重ねた。時間も惜しんで服を脱ぎ捨て、二人でもつれるようにしてベッドに倒れこんだ。


 一ノ瀬の奴、予想通りの肉食女性だ。でも、なんだろうな。久しぶりに新鮮な情事を堪能した気がする。

 いつもは俺がイニシアティブをとってばかりだった。まあ、俺のテクニックも披露できるし、満足度は高いんだが、でもいつも俺からばかりっていうのも、正直刺激が足りなかった。今回みたいに強烈に求められる経験も、悪くない。



 それから俺たちは、時々声を掛け合って、気軽なセックスを楽しんでいた。

 責任とか、倫理とか、そんなものは気にせずに、互いの気の向くままに楽しむ関係。対等な関係は心地よかった。

 今しばらくこのままで……まるでモラトリアム期を引き延ばしたがっている学生のような気分で、俺は彼女に甘えていたんだ。



 だが、そんな関係がいつまでも続くわけはない。

 当然のことだが、一ノ瀬がだんだん、仕事を理由に断るようになってきた。

 まあ、当たり前だよなと思ったけれど、なぜか俺の心が波立ってきた。

 なぜだろう?


 そんな心の焦りが出て、少し言葉じり強く責めてしまった。

「何、私と今日やりたいの? でもそろそろ失恋の傷も癒えたでしょ。ちゃんとした次の恋に進んだら?」

「……別に、次の恋なんてどうでもいいんだよ。今はお前と遊んでいるのが楽しい」

「……あたしはあんたの御守り役じゃないからさ。そろそろお役御免させてもらうよ」


 最初に酷い言葉を投げつけたのは自分のくせに、俺はひどく動揺した。

 あいつは御守り役のつもりで俺とセックスしていたのかよ。

 

 自分の所業を棚に上げて、俺は傷ついた。


 まただ。俺が本気になると女は逃げる……

 そっか、俺はいつの間にか一ノ瀬に本気だったんだ。だからこんなに悔しいんだ。だからこんなに傷ついているんだ。

 

 俺の何がそんなにダメだというんだろう……美鈴の時と同じだ。

 なんで肝心な時に女に捨てられるんだ!


 自己嫌悪になった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る