第51話 熱がくれた休息
さーやさんの気持ちを里桜から聞いてほっとしていた矢先の木曜日。
里桜が熱を出した!
今朝受け取ったLineメールを見て、俺は酷く動揺している。本当は里桜の部屋へ行って、できることなら病院に付き添ってやりたい……でも、即座に里桜に却下された。
「私は大丈夫です。心配しないでください。ただ、朝一緒に行かれないことをお伝えしなければと思ってご連絡しました。じんさんを一人にしてごめんなさい」
え、そこを気にしてメールくれるんだ。自分の病状よりも、俺が一人で歩く寂しさを心配してくれるなんて……俺の彼女はなんて優しいんだ!
バカップル自覚のある俺だけどな。でもこんなに可愛いこと言われたらさ、にやにやしちまうだろ。
いや、そうじゃない。体調が心配で仕事が手につかないじゃないか! でもそんな理由でミスしたら、里桜がもっと自分を責めてしまうだろう。
ヨシ! 今日はパーフェクトデーだ。
てきぱきと仕事をこなしつつ、残業はできませんオーラを醸しだす。
ま、そんなの吹けば吹き飛ぶチリのような軽いオーラだけどな。
実際には、急ぎの件が入ってしまい、遅くなってしまった。
今から里桜の部屋を目指すのは迷惑かもしれない。とりあえず病院で薬をもらって寝ていると書いてあったから、大丈夫だとは思うけれど、一人暮らしは何かと不自由だろう。俺なんかが行っても何もできないかもしれないけれど、このまま家に帰る気にもならない。
俺は思い切って里桜の部屋経由で帰ることにした。
寝ていたらわざわざ起こす結果になってしまうかもしれないけれど。
事前のLineメールの既読がつかないまま、マンションのエントランスでさんざん逡巡した挙句にインターフォンを押した。
と思ったら、直ぐに反応があってほっとしたのだが……
あ、この可能性は半分考えていたけど、半分考えていなかったって感じだ。
里桜の部屋には、既に二人の先客がいた。
一人はお姉さんの美鈴さん。もう一人は親友のさーやさん。
そうだよな。そうなるよな。
この二人……佑との関係性について、さーやさんは事情を知っているけれど、美鈴さんの方は知らないのか。俺が変に気を遣うのも変だからな。知らないフリしないと。
でもこの二人がそろっているってことは、里桜は逆に気が重いのではないだろうか。
そう思いながらも誘われて覗いてみると……里桜は寝ていた。すやすやと。
まだ頬が赤いから熱はあるんだろうな。でも、苦しそうな息では無いから、下がってきているのは確かだろう。
思わず安堵してほうっと息を吐くと、姉の美鈴さんが嬉しそうに笑った。
「やっぱり。りおから聞いていた通りの方ね」
「え!」
「柿崎さん優しいって、さんざん里桜に聞かされたからね。あの子はのろけているつもりじゃないと思うんだけどね、聞いてるほうにとってはのろけ以外の何物でもないのよね」
クスクスと笑いながら、美しい口角を上げる。
おおー! 佑の女神、間近で見ると迫力だぜ。佑の奴、真正面から見つめられるなんて猛者だなと思ったけれど、ふと、あいつの目に映る美鈴さんは、きっと普段見せている顔と違うんだろうなと思った。そんなあいつの言葉が、美鈴さんに届けばいいなと思ってしまう。
もう一人のさーやさん、互いに合コンで会ったことを思い出す。里桜が言っていたとおり、ベリーショートの髪が清々しい。
話をする美鈴さんとさーやさんの雰囲気にギクシャクしたものは感じられない。
さーやさん、しっかりした女性だなと思った。佑、いい子に惚れられているのになと思う。
「柿崎さんはこの後どうなさいますか?」
美鈴さんに聞かれて、我に返った。この状況では、俺は本当はお邪魔虫だな。帰るべきだよな。でも、顔を見てしまったら今まで抑えていた心配な気持ちが溢れてきて、このまま帰るなんてできない気持ちなんだけどな。断腸の思いで退出を告げようとした時、さーやさんの言葉が。
「美鈴さんの仰る通りですね。もう大丈夫そうだから私帰りますね」
「明花ちゃん、ありがとう。一緒に駅まで行きましょう」
「え!」
「柿崎さんは男性だから、遅くなっても大丈夫でしょ。もう少しいてくれたら安心かな。私たちは女性なので、あまり遅くならないようにこれで帰ります。後、よろしくね」
「は、はあ……あの、お姉さん、いいんですか?」
「ふふふ。お姉さん、いい響き」
「え! あ!」
美鈴さんはちょっとおどけた笑顔を向けた。でもしっかりと釘を刺さしに来ているのはわかる。
里桜を大事にしてねと。
「ありがとうございます!」
なんでそんな言葉が出たのかわからないけれど、俺は美鈴さんに頭を下げてそう言っていた。
「里桜のこと、これからもよろしくね」
そう言って二人は帰っていった。
嵐の後の静けさって感じだなとしみじみ思う。だが、残された俺はハタと考えた。結局俺にできることなんてあるのかな?
苦し気ではないけれど、まだ少し浅い息。俺はそんな里桜の額を触って熱を確認した。下がり切っていない。今度は保冷材で手を冷やしてから、もう一度触る。
里桜がちょっとピクリとした後、気持ちよさそうな表情になった。
あ、やっぱり冷たいと気持ちいいいのか。
そうだ。生温くなった水枕を交換しよう。それぐらいなら俺にもできそうだ。
そうっとそうっと、里桜の頭の下に左手を回し入れて……
「あ……じんさんだ」
「里桜、ごめん起こし……」
「嬉しいな……夢の中でも会えた」
あれ? 夢と勘違いしている?
モソモソと布団から手を出すと、俺の右手を掴んできた。
「じんさんの手、冷たい。気持ちいい」
グイッと引っ張られて、俺はバランスを崩して里桜の上に覆いかぶさるような形になってしまった。
な、なんだ、この状況は!
自分の頬に俺の右手をもっていきたかったらしい。里桜は嬉しそうににこっとすると、スリスリし始めた。
「気持ちいい~」
そしてまた、すぴーと可愛い寝息を立て始めた。
里桜の奴、寝ぼけているんだ。
無意識にこの状況を作り出すなんて、恐るべし小悪魔。いや鬼教官だ!
俺の自制心がどこまで保てるか試しているのか?
もう無理だ……これ以上は無理だ!
しかもこの体勢、中腰できつい! くそ!
俺は心身ともに限界だった。そのまま里桜の顔に己の顔を近づけて……
「あれ? 本物のじんさんだ!」
「へ?」
里桜がパチリと目を開いた。
驚いたように二、三回瞬いた後、はっと我に返ったように俺の手を離した。
「ごめんなさい! 私ったら何をして……」
真っ赤になって布団を引き上げて、目だけきょろきょろさせている。どうやら別の熱を加えてしまったようだ。
やばい、これじゃ看病になってねえな。
「あ、あの。すみません。本当に来ていたなんて思っていなくて」
「大丈夫? 熱辛そうだね」
「ご心配をおかけしてすみませんでした」
「疲れが出たのかな。里桜の体力を考えないで連れまわしてしまってごめんな」
「じんさんのせいじゃ無いです。お出かけ楽しかったですし。それに熱だけで咳とか喉の痛みとか無いので直ぐに治ります」
「無理しちゃダメだよ」
「はい」
ふーっ。誤魔化せたか?
それにしても、なんで惜しいタイミングで起きるかな。はあぁ~。
「水分取る?」
「あ、じゃあポカリを」
「OK」
里桜はゆっくりと起き上がった。枕を少し立てて寄りかかりやすいようにしてやると、嬉しそうな顔になる。手渡したポカリをクピッと半分くらい飲むと一息ついた。
周りを見回して、二人の姿を探しているようだ。
「お姉さんとさーやさんなら帰ったよ。もう大丈夫そうだからって言って」
「そうですか」
「里桜」
「はい」
「あの二人なら大丈夫だよ」
「……そう……ですよね。じんさん、ありがとうございます」
里桜はふっと力を抜いた。まるで肩の荷を下ろすかのように。
「じんさんにそう言っていただけて、なんか一気に安心しました。そうですよね。あの二人なら大丈夫」
「うん。大丈夫」
『大丈夫』という言葉を繰り返す。言霊となって、里桜の心労を軽くして欲しいな。
ぽつりと里桜が呟いた。
「熱、子どもの頃から
「そうなんだ」
「知恵熱のようなものなのかも」
「ぷっ、知恵熱って」
「で、熱で頭が回らなくなってクールダウンみたいな」
「きっと、里桜にとって『熱が出る』ことは休息の合図なんじゃないかな」
「休息の合図?」
「そ、疲れたから休めよって体が里桜に言っているんだよ。でないと、無理してどうしようもないところまで突っ走って行きそうだからな」
「無理しているつもりは無いのですけれど……」
「無理している奴のセリフだな。それにさ、俺のことでも困ることいっぱいあっただろ」
「じんさんのことで困ることなんて無いですよ」
「そうか?」
「はい。ドキドキが止まらなくて困ることはありますけど」
「ほら、動悸、息切れ、不整脈。心臓酷使してるじゃん」
ハッとした里桜。でも次の瞬間、ふふふっと楽しそうに笑った。
良かった。元気になってきた。さっきより顔の赤みも減ったので、一安心かな。
「だから、休まないとな」
「はい」
みんなの恋の行方に思いを馳せながらも、俺たちはしばし、熱がくれた休息時間を味わっていた。今度はちゃんと手を繋いで、里桜が眠りつくまでそばで見守る。
これも幸せな一時だな。
ちなみに、今夜は終電で帰ったぜ。
☆感謝 看病するシーンをリクエストしていただけました☆
無月兄様 より
『見たいシーンを挙げるなら、どちらかが体調を崩したところを看病するというのが見てみたいです。看病イベント、大好きなのです』コメントより抜粋。
無月兄様ありがとうございました!
甘々シーンにするのが難しくて、ちょっと物足りない雰囲気ですがお許しください(^^;
無月兄様の作品をご紹介させていただきます♬
『退魔師一家の平凡な私』
退魔師一家に生まれたにも関わらず、邪鬼の姿が見えるだけで戦えない杏ちゃんは、双子の妹花梨ちゃんに対してコンプレックスを持っていました。でも親友のために、勇気を振り絞って自分にできることを見つけていきます。
思春期の瑞々しい感性を描いた作品、お勧めです。
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