第七章 十人十色 十苦十恋

第52話 最後の一歩は始まりの一歩(佑編)

 金曜日。いよいよ美鈴さんと約束した日。

 十年以上引きずってきた片恋に終止符を打つ日。


 朝から腹の底が震えている。いや、これは武者震いだ。

 そう思って、自分を鼓舞する。


 

「ごめんね。重原君。お待たせしてしまって」

「いえ、俺も今少し前に来たところです」

「ふふふ。優しいのね。じゃあ行きましょうか。イタリアンだけどいいかしら?」

「もちろんです」


 当たり障りのない会話をしながら二人で歩く。並びながらふと思う。隣を歩く美鈴さんの視線が俺の肩くらいの位置だという事を。

 初めて会った中学生の頃はまだ身長が伸び始めたばかりで、美鈴さんと同じ位の目線の高さだったんだよな。しみじみと年月を感じた。

 でも、楽しかったなと、負け惜しみで無く思う。


 次のブロックを曲がったら目的のお店というところまで来て、思いがけない事が起こった。

 コンプライアンス担当の佐々木さんが後ろから声をかけてきたのだ。

 美鈴さんも驚いたような顔をしている。


「朝比奈さん、美鈴……すまない。ただ二人で歩いているのを見かけて……つい追いかけてしまった」

「佐々木さん……」

 ちらりと俺を見た佐々木さんの瞳に、意外な色を見て俺は驚いた。


 嫉妬だ。


 社内でも信頼が篤い佐々木係長。彼が今も独身なのは、単に理想が高かったからに違いない。そんな彼が見初めたのが美鈴さんだったのは、必然だろうと思う。

 そして、そんな無敵な男から嫉妬の目を向けられた俺。


 負けは確定していても、ちょっとだけ誇らしい気持ちになる。

 佐々木さんに、少しはライバルとして認められたってことかな。嬉しいかも。

 でも同時に、佐々木さんの美鈴さんへの本気度がヒシヒシと伝わってきた。


「すまない。邪魔をして。ただ、俺はまだ君のことをあきらめていないってことをどうしても伝えておきたくて」

「そんなこと……今はそんな話をする時ではないわ」

「いや、今じゃないと」

「どうして?」


 佐々木さんは少し情けなさそうな顔になる。

 ああ、イケメンの切ない顔って反則だよな。街灯に照らされて、余計にセクシーに見えるじゃないか。男の俺でもドキッとするぜ。

 

 聞いたら告白できなくなるから、怖くて確認しなかったけど、この二人、実は付き合っているかもしれないんだよな。俺はやっぱりお邪魔虫だ。  

 

 佐々木さんは逡巡した後、意を決したように美鈴さんに言った。

「彼は君に告白するつもりだぞ」

「なっ! そんなこと。勝手な想像を言わないで、私の大切な後輩なのよ」


 やっぱり……美鈴さんはそう思っているよな。

 後輩が仕事や恋の悩みを先輩に聞いてもらいたいと思っているだけ。そう思っているから今日も気軽に食事に付き合ってくれているんだ。


 わかっていたことじゃないか。今更そんなことに傷ついてる場合じゃないぞ。


 目の前の二人を静かに見つめた。どこから見ても似合いの二人だよな。

 そっか、俺の本当の役目は、二人が本気で互いに恋しているのだと気づかせることなのかもしれない。


 なんだかな……最後までかっこつかないな。十年分の勇気を振り絞ってもこれだぜ。でも、まあ俺らしくていいか。


 今日のために必死で考えた告白の言葉もあったけど、でももうどうでもいいと思った。

 所詮俺の目的は、どう伝えるかじゃなくて、だけ。

 それは俺自身が美鈴さんを吹っ切るためだ。

 美鈴さんには迷惑以外の何物でも無いだろう。だったら、なるべく軽く。重荷にならないように……


「いえ、間違いじゃないです。俺、美鈴さんに告るつもりでした」

 美鈴さんの瞳が驚きで大きくなった。


「美鈴さん、俺初めて会った時から、ずっとずっと美鈴さんのことが好きでした。今まで言えなくて、でも今日はどうしても伝えたくて。でもこれでスッキリしました。俺、これで帰ります。後はお二人で話してください」

 ぺこりとお辞儀をして帰ろうとした。


 そうだ。これでいい。これこそが俺の真の役割なんだからな。


「待って! 重原君待って」

 でも、美鈴さんは俺を呼び止めてくれた。佐々木さんに向き直って静かに言う。


「佐々木さん、後ほどご連絡します。でも今は、この時間は私が重原君とお約束した時間です。予定を変更するつもりはありません。重原君さえ良ければ、予定通りお食事をしに行きましょう」

「え!」

「美鈴!」

「佐々木さん、必ずご連絡しますので」

 美鈴さんは真剣な顔をして佐々木さんへ答えた。


 俺は申し訳なさと嬉しさでいっぱいになった。

 美鈴さんはやっぱり、いつでも、どんな時でも相手のために動く女性だ。


 レストランで向き合うと、謝らずにはいられない気持ちになる。

「美鈴さん、ありがとうございました。後、すみません。佐々木さんとお付き合いされているかもしれないって、なんとなく噂で聞いていたんですが……だからこのまま何も言わないでいようとも思ったんですけど、それだと俺が終われ無くて。勝手に告白させてもらいました。でも、これで俺、あきらめられます。だから気にしないでください」

「ごめんなさい」

「え!」

「全然気づいてなくて」

「いえ、気づかれないようにしてきたんで。当たりまえです」

 

 美鈴さんは綺麗な瞳を曇らせながら、真っ直ぐに俺を見てくれる。

 こんな自分勝手な告白をした俺のことを。ありがたくて泣きそうな気持ちになった。

 

「初めて会った時からって言っていたよね。それってもしかして、あの屋上で会った時からってこと?」

「……はい」

「そんなに前から……」

「美鈴さん、俺の勝手な片想いです。いや、むしろこんなこと言われたらキモいですよね。十年以上も好きでしたなんて、まるでストーカーみたいじゃないですか。笑ってやってください。拗らせ後輩男です」

 

 俺は笑った。できる限りなんでもないことのように。軽い調子で。

 美鈴さんはどうしたら良いのか、戸惑った顔をしている。


「重原君、ありがとう。とっても嬉しかったわ。でもちょっと急で、なんとお答えしたらいいのかわからなくて。実は佐々木さんには正式にお断りしたばかりなの。でもだからと言って直ぐに他の方とお付き合いするって気持ちにもなれなくて。考えるお時間いただけないかしら」

「また······美鈴さんは、気を使いすぎです。いっつも周りの人を喜ばせようって、頑張りすぎ」

「え? そんな事」

「そんな事あります」

 俺はにこやかに、でも確信を持って言った。


「今だってこうやって、俺に誠心誠意答えようとしてくれる。勝手に俺が美鈴さんを追いかけていただけですから、気にせず本音を言ってくれていいんですよ。俺が傷つかないように、どう言ったらいいかなんていちいち考える必要ありません」

「そんな……」


「期待に応えようとし過ぎです。辛くてもがんばっちゃうから周りは調子に乗ってもっともっとって期待するんですよ」

「重原君、私のこと買いかぶり過ぎだわ」

「もっと泣いたり怒ったりした方がいいです。そんなんで息つまらないのかなって思っていたんですよ。それに······あんな風に佐々木さんが追いかけてくるなんて、佐々木さん本気ですよ。だから美鈴さん、佐々木さんにもっと甘えていいと思います。きっと佐々木さんもその方が嬉しいはずです」


「え! 甘える?」

 驚いたような顔をする。

 やっぱり、この人は甘え下手なんだろうな。

「はい。甘えていいんです」

「そんな……甘えたら重荷になるでしょう?」

「むしろ嬉しいものですよ。それだけ信頼されているって思えるし」


 美鈴さんは俺の言葉の意味を必死で考えているようだった。

 

「料理もそろったし、食べませんか?」

「え、ええ……」


 二人で乾杯する。思ったよりボリュームのあるパスタやピザを、素早く俺が小皿に取り分けた。美鈴さんが困ったような顔になった。いつもは自分がやる側だからだろう。手持ち無沙汰の顔で、おろおろしている。


「はい! じゃあいただきます!」

「重原君、分けてくれてありがとう。いただきます」


 パリッと音がするくらい薄いピザ生地が香ばしい。しばし無言で味わってから、二人で自然と顔を見合わせて微笑み合った。


「……重原君は最初から優しかったわね。泣いている私を一生懸命笑わせようとしてくれて」

「あの時は笑ってくれてありがとうございました。俺むちゃくちゃあれで自信が持てたんですよ。俺、将来お笑い芸人になれんじゃねってくらいに」

「そうだったんだ。でも、正直に言ってもいい?」

「え、なんですか?」

「ネタ全然覚えてないの。ごめんね。でも、あなたの百面相が面白かったの」

「う、なんかそれ俺のネタより俺の顔ですか」

「ごめんごめん」

 美鈴さんの楽しそうな笑顔。

 

 そうだ。俺はこの顔が見たかったんだよな。


「美鈴さん、自分のことを第一に考えてください。美鈴さんが心から笑えることを大切にしてください」

「重原君……」

「美鈴さんが笑っていたら、周りのみんなも幸せになれますから」

「……ありがとう」

「それから、もう一度よく考えて、佐々木さんのこと本当は愛しているって気づいたら、四の五の言わずに追いかけてください。んでもって、全体重かけて寄りかかってあげてください。佐々木さんほどの男性なら、それを受け止めるだけの強さがありますから心配しないで大丈夫っすよ」

「重原君ったら……」


 美鈴さんは、俺の言葉を胸に収めるように静かにうなずいてくれた。


 同じ電車で帰路につく。二つ手前が俺の最寄り駅。

 別れの挨拶を扉が断ち切っていく。


「美鈴さん、今日はありがとうございました。さようなら」

 俺は電車が去った後も、ずっと見送っていた。 


 俺の初恋が終わった……

 

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