第47話 佑の初恋
「え! 中学一年から!」
佑はしまった! という表情になって、黙ってビールを飲み始めた。
「もしかして、それがこの間言っていた女神?」
「……まあな」
「佑、ごめん。実は俺、お前の女神の正体知っているんだ」
「……だろうな。里桜ちゃんと付き合い始めたってことは、まあそうなるよな」
「否定しないんだな」
「お前の想像している人だよ。今更否定するのも変だろ」
「中学から知っていたんだ。ってことは、里桜のことも昔から知っていたのか?」
「美鈴さんの妹だからな。里桜ちゃんは名前と顔は知ってはいたけど、会社入るまで話したことは無かったよ」
「そっか」
「ただまあ、姉の美鈴さんが小学校でも中学校でも有名な美少女だったからな。妹の里桜ちゃんも時々変な注目のされ方はしていて、ちょっと可哀そうな気がしていたんだ。で、会社に入ってきた時、なんでまた一緒の会社って不思議に思ったんだよ。案の定姉妹ってこと隠したがっているみたいだったし」
「そうか、それで心配していたんだな」
「単なる老婆心ってやつだけどな」
「もしかしてこの会社に入社したのって、美鈴さんがいたからか?」
「……」
「本当に好きなんだな」
「単なる馬鹿だろ。まるでストーカー。自分でも嫌になる」
「そんなことねえよ」
「いや、そんなことあるんだよ。うじうじと……俺何やっているんだろうな」
佑はぼさぼさの髪をさらにわしゃわしゃと搔きまわした。
俺はその時、もう一つの疑問が解けた気がした。
俺はこの会社に、広域総合職として入社している。でも佑は地域専門職として入社した。ぶっちゃけたことを言うと、広域と地域では初任給に多少の差がある。
転勤を厭わない人のほうが、会社としては使い勝手がいいからな。
佑はもともと理系でIT関係に強いから、システムの専門職として入社している。仕事の内容は限定されているけれど、会社の中で出世を本気で狙うなら転勤がある広域専門職で申し込むはずだ。だから不思議に思っていたんだよな。
きっと美鈴さんは一般業務職で転勤が無い。一緒にいたかったら転勤が無い方がいいもんな。
そこまで佑を夢中にさせる美鈴さんって、どんな女性なんだろう?
この間の印象だと、確かに美人で気配りもできて理想的な女性に見える。でもそれだけで、佑がこんなにも恋焦がれるものなのだろうか?
もしかして
佑は観念したように、ぽつりぽつりと、美鈴さんとの出会いを語り始めた。
「美鈴さんは学校でも結構注目されていたからさ、俺も小学生の頃から知っていたんだ。でも二歳学年が上だから接点は無くて。単なる高嶺の花って感じだった」
「お前千葉の出身だったよな」
「そ。美鈴さんも中学三年卒業までは千葉の成田に住んでいたんだよ。卒業と同時に東京に引っ越しちゃったけどな」
「中学一年で何があったんだよ?」
「初めて話した。直接」
「お! それが忘れられない出会いになったってわけか」
「まあな。俺ガキの頃から人を笑わすのが好きでさ。暇さえあればギャグネタ考えたり、ふざけたことして、クラスの連中笑わすのが楽しみだったんだよ」
「ああ、わかる気がする。今だってお前ムードメーカーだよな」
「今はみんなに笑ってもらうと俺も楽しいし嬉しいと思える。でもあの頃はほんっとに馬鹿なガキだったからさ、人を笑わすのは単なる自己顕示欲だったんだよ。俺すげえだろって、こんな面白いネタ考えられる俺って天才じゃね! みたいな。目立とう精神の塊」
「そりゃな、小学生の頃なんてそんなもんだろ。俺も一緒だよ」
「でもさ、美鈴さんに会って初めて、承認欲求のためにお笑いやってる奴はダサいって思ったんだよな。笑いは相手を幸せな気持ちにさせるからこそ意味があるんだって」
「なんか、むずいことに目覚めたんだな。美鈴さんって、そんなことまで完璧を目指す女性なのか?」
「いや違う。彼女は泣いてて……次に笑ってくれただけ」
「泣いてたのか!」
「部活でなんかあったみたいだった。何があったのか詳しいことは知らない。ただ、屋上へ向かう階段のところで座って泣いてた。一人で隠れるように。俺、忘れ物取りに行こうとしてなんも考えずに駆け上っていったら、勢い余って自分の教室の階通り過ぎちゃってさ。それで偶然出会ったんだ。あの時顔を上げた彼女のびっくりした顔、今でも思い出す」
「そっか」
「……ポロポロ涙流していて、でもめっちゃくちゃ綺麗でさ。なんか色んな意味でドキドキしちまって。でも、俺、どうしたらいいかわからなくて、とっさにギャグネタかまして笑かそうとして。彼女最初すっげえ戸惑った顔してさ。でもそのうち涙が止まって……最後には笑ってくれたんだ。俺の馬鹿みたいなネタにさ、ほっとしたように笑ってくれたんだよ。あんとき思ったんだ。人を笑わせることって、こういうことなんだなって」
佑はそう言って、懐かしそうな遠い目をした。
「それから時々、廊下ですれ違ったりすると、美鈴さんがにっこり笑ってくれるようになってさ。別に何かを話したわけじゃなかったんだけど、俺はそれだけで幸せだったんだ。でも彼女は卒業して東京へ引っ越してしまったからそれ以来会って無かったんだけど……」
「じゃあ、東京で再会したってこと?」
「大学一緒だった」
「マジか。気づいてなかったぜ」
「気づかれないようにしていたからな」
「なんで?」
「はずいから」
「ぷっ」
「なんとでも思え」
「ずっと高嶺の花にあこがれていたってことか」
「いや、俺だってずっと美鈴さんを追っていたわけじゃないぜ。高校では普通に彼女とかもいたしさ。でも大学で偶然再会して、勇気振り絞って声を掛けたら覚えていてくれてさ」
「もしかして!」
「なんだよ、急に」
「英語劇サークルの主役の人?」
「……まあな」
「だからか。英語劇見に行って勉強熱心だなって思っていたけど、そういうことか」
「悪かったな。下心だらけで」
拗ねたようにそっぽを向いている佑が、俺はいじらしくて愛おしくてたまらない気持ちになる。
なんだよ。一途すぎるだろ。それも相手にも周りにも気づかれないように必死で。
力の入れどころ間違っているだろ。
ついつい頬が緩んで笑ってしまう。
佑はますます憮然としたような顔になった。
「馬鹿な奴だと笑うがいいさ」
「いや、いい奴だなと思ってさ」
「ほっとけ」
空のビール缶を力任せにグシャリと潰して発散させている。
「俺さ、あれからずっと、誰かを幸せにできる笑いを磨こうと努力してきたんだ。誰かのために。みんなが少しでも楽しめるように。それを極められたら、美鈴さんに告白できる資格を得られるような、そんな気がしていたんだ。でもさ……誰かのためって思ってやる笑いって、ゲスイんだよな。媚びを売って偽善者気取っている気分になってきて。だんだん辛くなってきたんだ。美鈴さんに笑ってもらって嬉しくて、だからみんなにも笑ってもらえるようにって思ったのに、なぜかそんな自分が醜く見えて仕方なくなって……」
「わかる。誰かのためって、俺もずっと間違ってきたから。でもさ、佑はもう本当はわかっているはずだぜ」
「?」
「優奈に寄り添った時にさ。ただ、隣にいるだけ。それでいいんだってこと、わかっていたじゃねえかよ。告白できる資格だって? んなもんくそくらえだ! お前はもうそのまんまでいいんだよ。だからさっさと告白してこい!」
「他人事だと思って」
佑がふっと笑った。
「リア充になった奴はこれだよ。成功体験ハイテンション。爆ぜろ!」
「おお! これはチャレンジした奴しか味わえない美酒だからな」
「そうだな……これ以上拗らせたら、くさっちまうな。あー! もうどうにでもなれだ! 美鈴さんを幸せにしたいじゃなくて、俺が美鈴さんの笑顔を見たいから笑わせたい。それだけでいいのか。それで笑うか笑わないかは美鈴さんが決めることだもんな。所詮、どんだけ頑張ったって、誰かを支えられるような大人物になんかなれねーんだよな!」
佑はズリッと滑りながら寝そべって大の字になった。
「カッキー、サンクス。俺、告ってみるわ。告って振られてくる。じゃなきゃ前へ進めねえよな」
「おう。ま、振られたら今度はお前の泣き言を俺がずーーーーっと聞いてやるからさ」
「覚悟しとけよ!」
「おう!」
ついつい焚きつけてしまったけれど……良かったのか悪かったのか。
まあ、でも告らねえと始まりも終わりもしないからな、佑の初恋は。
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