第六章 それぞれの恋の行方
第42話 それぞれが向き合うもの
「里桜」
「……」
「りおさーん」
「……」
「りおちゃん」
「……」
今俺は、ちょっと変な筋肉の使い方をしていて、体の一部がピシピシいっている。
ちょっとだけ、緩めてもいいかな。
里桜は今までの思いを全て吐き出すかのように、泣き続けていた。
始めは静かに、次にしゃくりあげて激しく、そしてそれが徐々に落ち着いてきたら、安心しきったように……眠ってしまった……
おーい。りおさん。
俺も一応オオカミの一族だってこと、忘れていませんか?
満月の夜でなくって良かったね。
力強く抱きしめていた肩の力を少し抜いて、緩やかに寄りかかってくる里桜の体を抱き直す。
涙に濡れた睫毛が湿り気を帯びて、黒味が増している。満足したようにふっくらとした白い頬。ピンク色の柔らかそうな唇の端は、少し上を向いていて幸せそうだ。
なんて……可愛いんだ。
だめだ。これ以上考えたら終わる!
俺は静かに深呼吸をして、煩悩を払い、精神を落ち着ける。
ふーーーーっ。
この修業は、苦行でしかないな。めちゃくちゃ辛いな。
俺は悟りなんか開けそうにないから、ちょっとだけ……
そうっとそうっと。
里桜の額にキスを落とした。これくらいなら、許されるよな。
これだけで我慢したんだ。俺すげえよな!
全身を包み込む柔らかな感覚が温かくて、手放したくない気持ちになる。寝返りを打ってそれを掴めば、ふわりと優しい香りが広がった。このままいつまでもぬくぬくしていたい……そこまで思ったところで、はっと我に返る。
俺は一体……
ぱちりと目を広げてみれば、目の前に白魚の手が移りこんだ。
慌てて見上げてみれば、眼鏡の奥の恥ずかしそうな瞳を見つけた。
「じんさん、おはようございます。すみません。体痛くないですか?」
「あ、ああ……おはよう」
ガバリと起き上がって、慌てて自分自身を見下ろす。体の下にはクッションが、上にはふわふわの掛布団。当然ながら、着衣の乱れなし。
「じんさん、昨夜はごめんなさい。私、散々泣いた挙句に寝てしまって……その……重くて痛かったのかなと思いまして。本当にごめんなさい。ご迷惑をおかけしました」
「いや、別に大丈夫だよ。それに迷惑なんて思ってない。むしろ、里桜が俺に打ち明けてくれて、嬉しかったよ」
「……ありがとうございます。じんさんに打ち明けたら、なんだかほっとしてしまって。それから……じんさんの胸がとっても温かくて」
里桜は真っ赤な顔になって俯いた。
「優しくて居心地がよくて、安心して眠くなっちゃったんです……」
「またいつでも貸すよ」
照れ隠しとからかい半分にそう言ってみたら、ものすごく素直に嬉しそうな顔をするから、俺はまた理性が吹っ飛びそうになる。
里桜のやつ。無自覚にあおってくるなよな!
「お詫びに朝食を用意しましたので、良かったら召し上がってください」
ふわふわのだし巻き卵と熱々のお味噌汁。
腹に染み渡る美味しさだった。
結婚したら、毎日これが食べられるのかなと頭に浮かんで、一人で赤くなる。
里桜が心配そうに見つめる視線を感じて、慌てて言葉にする。
「めちゃくちゃ美味しい」
「良かったー」
安心したように自らも箸を取った。
「じんさん、今日この後、私実家に帰ってすずねえちゃんと話してみます。その結果はLineでお知らせしますね。そのまま実家に泊まって、明日は実家から会社に行こうと思います」
「わかった。無理しないでいいよ。お姉さんと話せるようならで」
「はい。でも、さーやのこともあるし」
里桜の部屋を後にして、既に暑さを感じさせる日射しの中を駅へ向かって歩いた。
昨日は色々あったなと思い返す。
でも、里桜と心の奥で繋がれたような安心感が、俺を強くしてくれるような気がした。
ふと、里桜とのこと、まだ佑に報告していなかったなと思った。
以前話した時に俺の気持ちは伝えたけれど、付き合うことになったことは言って無かったな。
Lineに打ち込もうとして、手を止める。できれば、会って話したいな。
そして……俺も逃げてばかりはいられない。
思い切って佑と話してみよう。俺が佑の想い人について気づいていることを、ストレートに伝えてみよう。あいつの本当の気持ちを聞いてみたい。
できることなんてないけれど、話すだけでも救われたり、進んだりする時があるからな。あいつももしかしたら、行き詰っているのかも知れないし。
そっとしておくのが優しさの時もあるけれど、踏み込むのが優しさの時もあるはずだ。
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