第41話 真珠の涙を掬う

「じんさんは、私の姉をご存じだったんですね」


 里桜が元気になって良かったとほっとしたのも束の間、実は本当の難関がやってきた。

 そうだよな。そこ、里桜的にはスルーできないよな。やばい。何て言えばいいのかな。人事の片山君からの情報だなんてことは、口が裂けても言えねえ。

 ということは、佑から聞いていたというのがいいのか。いや、それはもっと矛盾してしまう。佑から里桜のお姉さんが好きと直接聞いたわけでも無いのに、お姉さんの話なんてするわけないんだからな。駄目だ。

 知っていて、なんで黙っていたのかとも思っているだろうな。いや、黙っていたわけじゃなくて、たまたま言う機会がなかっただけ……よし、それでいこう。そうだよな。そんなこともあるよな。


 俺は冷や汗をかきながら言葉を探していた。

 そんな俺の様子を気にする様子もなく、里桜は言葉を続けた。 


「あの姉のことを知っていても、私にこんなに優しくしてくださって……私、ほっとしました」

「え?」

  

 思ってもみなかった言葉に、力が一気に抜けた。


「いや、その、知っていたけれど、別にそれだけの事で……」

「隠していたわけでは無いんですけれど……でも、できれば姉妹とバレないほうがいいなとは思っていたんです。……姉と私、違い過ぎるので。みんな知ったらがっかりするし」


 一瞬にして、里桜の悲しい気持ちが流れ込んできた。


 完璧な姉を持つ妹。里桜はそのせいで、どれだけ傷つけられてきたんだろう。

 もちろん、周りのみんなが悪意を持っていたわけではないだろう。むしろ、できすぎる姉と比べられたらやっていられないよな、可哀想にという同情の目の方が多かったかもしれない。

 でもそれすらも、彼女の心を傷つけてきたに違いない。


 そうか。だからあんなに目立たないように過ごしていたのか……


 俺は無意識に里桜を抱き寄せていた。


「違っていていいんだよ。里桜は里桜だから。同じだったら惚れてねえよ」

「じんさん……」


 その言葉に、また里桜の目から涙がポロポロ零れ落ちた。今まで胸に秘めてきたものが一気に溢れでたように、彼女の心が伝わってくる。

 辛くて、悲しくて、悔しくて、諦めながらも諦めきれない思い、全部詰まった涙。


 今度の涙は、俺が多く見てきた涙。いつの間にか。巻き込まれるのが怖くなって逃げてきた涙だ。


 でもなぜだろう? 里桜の涙は怖くない!


 もう逃げたくない。俺はここにいて、里桜を抱きしめていたい。そう思った。


 それは俺が里桜に心底惚れているから。そして一番は、里桜を信頼しているからだ。里桜が立ち直れないなんてことは、考えられないから。里桜なら必ず前を向く。

 だって、里桜の涙は自分を卑下して泣いているわけじゃないから。

 里桜の涙が、俺に『ありがとう』と言っているのが伝わってくるから。

 

 俺は黙ったまま、背中を優しくさすり続けていた。


 言葉なんかいらないのかもしれない。

 俺は今まで、なんて傲慢だったんだろう。

 俺がなんとかしてやろうなんて、支えてやろうなんて、気負い過ぎだったんだ。

 所詮、他人の気持ちをどうこうさせられるわけねえんだよな。


 ただ、こうして側にいるだけ。

 俺にできるのはそれだけ。でも、それだけで充分なんだな。


 初めは声を殺して泣いてた里桜だったが、だんだんしゃくりあげて肩を震わせ始めた。

 俺はここにいるよ。そのままの君が好きなんだよって伝えたくて、抱きしめる腕に力がこもった。

 が、ふと思い至って力を緩める。


 俺の胸に収まった里桜の顔。 

 眼鏡が当たって痛いんじゃないかな?


 肩を少し離して、里桜の顔を覗き込んだ。やっぱり眼鏡に涙がたまっているし。

「涙で眼鏡の中が大洪水だね」

 俺の言葉に里桜が泣き笑いになる。

「本当に」

 そう言いながら慌てて取りはずした。


 俺はそうっと指で頬の涙をぬぐった。少し熱をもった里桜の頬は温かいから、余計に涙は冷たく感じる。

 里桜の瞳がまた大きく見開かれた。

 黒い深海の底を見つめながら、俺は思わず吸い込まれるような感覚を覚える。

 自らの顔がゆっくりと里桜に近づいていく。

 もう少しで額が当たりそうなところまで行った時、里桜の瞳からまた涙があふれてきた。

 真珠のようにキラキラと、綺麗な涙。


 俺ははっとして動きを止めた。

 このままキスしてしまうところだった。


 でも、今の里桜の気持ちを考えたら、そんなことをしても慰められるわけじゃないだろう。むしろ困惑するに違いない。

 俺のエゴを押し付けるわけにはいかないよな。

 初めてのキスは、こんな悲しい気持ちの時にするものじゃない。心の底から幸せな時に。ドキドキと幸せで鼓動が鳴りやまないような瞬間に。


 だから、お預けだ。


 里桜は今までの思いを全部吐き出すかのように、いつまでもいつまでも泣き続けていた。


 里桜が部屋でと言った理由が、なんとなくわかった気がした。

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