第39話 海月と戯れる
「お待たせいたしました」
店員の一言で見つめ合っていた視線を慌ててほどく。
この店の名物。海鮮カレーと海鮮サラダ。サラダには蘭の花も飾られていて、トロピカルな雰囲気だ。
食べながら里桜の瞳を思い出したら、また心臓がバクバク言い始めた。火照った頬の言い訳に、スパイスが辛かったからって言ってもいいかな。
二人で海を見ながら、味わいながら食べる。俺はこの間知ったばかりだけれど、ゆっくり食べることは味覚にも健康にも優しいからな。
食後は散歩がてら、海岸に降りてみた。
遅い昼をゆっくり食べたおかげで、太陽の位置は真上よりだいぶ西よりになってきたけれど、それでも強い日差しは変わらない。
砂浜の砂は焼けたように熱く、サンダルの隙間から入り込む砂に少し飛び跳ねるように歩く里桜の動きが面白い。
波打ち際。水が描いた曲線が、次から次へと塗り替えられていく様を見ながら、ふいに里桜がサンダルを脱ぎ始めた。
「じんさん、私がまんできません! 水に入ってきます」
「お、おお」
慌てて俺もシューズを脱ぐ。
里桜は黒いストラップサンダルを脱ぎ捨てた。濡れてしまわないように、片方の手でワンピースの裾を少したくし上げて持ち上げる。露わになった白いふくらはぎが艶めかしい。俺は目のやり場に困って思わずそっぽを向いた。
そんな俺の戸惑いに気づかないように、里桜は熱い砂に負けて慌てて海へ走りだした。
慌ててその手を掴む。
振り返った顔に浮かぶのは少しいたずらっ子のような遊び心。そのまま俺の手を引っ張るようにして、一緒に白波に飛び込んだ。
生温い海水の泡が纏わりつく。生き物のように肌を撫でて通り過ぎる波。
やがて吸い込まれるように引いていく。足元の砂が削れる感覚が気持ちよい反面、心もとない不安定さを伝えてくる。
俺は思わず里桜の手を強く握りしめた。波に引きこまれないように。
俺の手から奪われないように……
そんな俺の心配が伝わったのか、里桜がこちらを向いて微笑んだ。
大丈夫! そう伝えてくるかのように。
押し寄せては引く波打ち際で、俺たち二人はしばらく手を繋いだまま遊んでいた。
波を追いかけたり、逃げたり、遅れて波しぶきを浴びたり。
何度も何度も行ったり来たり。
笑い声が弾ける。
こんなに心から笑ったのっていつ以来だろう?
大人になると、見栄え良い笑い方を覚えてしまう。愛想笑い、内面の葛藤を隠すためだけの取り澄ました笑み。
でも今の俺は、心の底から笑っている。おかしいことがあるとかじゃない。
ただただ、幸せで笑みが零れてしまう。それだけのことだ。
里桜の顔を覗き込む。里桜の瞳も笑っている。楽しそうに弾むように。
二人で見つめ合って立ち止まった一瞬を、きっと波は手ぐすね引いて待っていたんだろうな。
バッシャン! と派手な音を立てて、俺たちの足元を直撃した。
里桜が「あっ!」と叫んでワンピースの裾をさらに持ち上げたが、間に合わなかった。俺のズボンのすそもびしょびしょ。
「あ~あ。じんさん、びしょ濡れです」
「だな」
二人で顔を見合わせて笑い転げた。
冷えた足は、先ほどまでは火傷しそうなくらい熱かった砂でも心地よく感じる。
ようやく波打ち際を離れて、少し高いところへ移動した。
里桜が持ってきたビニールシートを広げて並んで腰を下ろす。里桜はワンピースの裾を広げて乾かそうとしている。まだまだ高い日差しはじりじりと肌を焼くけれど、濡れたワンピースにはちょうど良いかもしれない。
「やっぱり暑いですね。そうだ!」
里桜は鞄から日傘を出した。パラソルの代わりに広げて俺の頭上にも掲げてくれた。
雨じゃ無くても、相合傘ってできるんだ。
俺はなんだか間抜けな感想を思う。そしてひらひらと風になびく里桜のワンピースの裾を見て、なぜか海月の触手を思い出した。傘の下、なびくワンピース。
まるで俺たち海月みたいだな。
思わず噴き出した俺の顔を、里桜が不思議そうに見上げた。
楽しい時間はアッという間に過ぎ去り、日付が変わる少し前に、俺たちは里桜の家に向かって歩いていた。街灯の隙間から微かに見える星を見上げながら余韻に浸る。
「今日はとっても楽しかったです。じんさん、ありがとうございました」
「俺もすげえ楽しかった。里桜ありがとう」
二人で見つめ合う。
すると、里桜が急にモジモジし始めた。
「じんさん、実はお願いがあるのですが……」
「お、いいね。何でも言ってみて」
「ありがとうございます。あの、いつか世に言うダブルデートをしてみたいのですが……」
「え?」
思いもかけぬ提案に驚いた。でも、これはチャンスかな?
もしかしたら、佑に里桜のお姉さんを紹介できるかもしれない!
「お節介だと言うのは重々承知しているんです。でも、ダブルデートと言う形でなら自然なのかなと。いつも助けてもらってばかりなので、何かできることがあったらいいなとずっと思っていたので」
「誰とダブルデートしたいって思っているの?」
「あの……じんさん、重原さんとお友達でいらっしゃるのかなと思いまして」
俺は予想通りの言葉に、心の中でガッツポーズする。こんな形で佑の恋の架け橋になれたらどんなにか嬉しいだろう。
その喜びのまま、思わず考えずに言葉を発してしまった。
「もしかしてお姉さんと一緒にってこと?」
「え? 姉ですか? いえ……じんさん……」
それっきり、里桜は固まってしまった。
しまった。失敗した!
なんでお姉さんのことを知っているんだって、里桜は不信感でいっぱいになってしまうよな。
俺はどう言い訳しようかと焦る。背中を冷たいものが走り抜けた。
「じんさん、もしかして重原さんの好きな方をご存知なのですか?」
「それは……」
そっちの話か! ちょっと気が軽くなったが、絶対絶命なのは変わらない。俺は頷くしかなかった。
「それが……すずねえなのですね……」
里桜は混乱したような表情で考え込んでいる。
「じんさん、とっても申しわけ無いのですが、ご相談に乗っていただきたい事があって……もし嫌で無ければ私の部屋で……」
「!」
彼女のお部屋訪問と言う、最高にエモいシチュエーションが、こんなに気まずい展開になってしまったことに、俺は内心がっくりとしていた。
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