第38話 深海に魅入る
二人でしばし海を眺めてから、少し遅い昼食に向かった。
目的地は海沿いの海鮮カレーが美味しいお店。もちろん景色も折り紙付きだ。
ポリネシアン風の建物の階段を登って入り口の扉を開くと、アロハシャツを着た店員が明るい声で迎え入れてくれる。ピーク時間を避けて予約をしておいたお陰で、ギリギリの時間でも待ち時間無く席に付くことができた。窓際の特等席。ガラス窓に向かってカウンターのように設置された席は、隣合わせに座ることができる。そして目の前には、あの青い海が広がっていた。
「本当に綺麗な青」
里桜は夢中になって眺めている。弾む声、クルクルとよく動く瞳。横で見ているだけで、俺も幸せな気持ちになる。
クーラーの部屋から眺める海って言うのもいいな。なんか贅沢だ。
「何してるの?」
目線の先で里桜が手を緩やかに動かしている。白魚の指先が生み出す波の軌跡を、美しいなと眺めていたけれど、ふと不思議に思って聞いてみた。
「あ!」
里桜は、慌てて手を下ろす。
「ごめん。邪魔しちゃったね。続けていいんだよ」
恥ずかしそうに俯いた里桜、覚悟を決めたように言う。
「海を掬っていました。あまりにも綺麗なので」
「え! こんな遠くから?」
「変……でしたよね。でもこの景色を忘れたくなくて、心にちゃんとしまいたいと思ったら、無意識に手が動いてしまって……」
俺はまた面白くなって笑いながら、ちょっと困らせてやろうと目論む。
「景色を心にしまい込む儀式か。じゃあ、次は俺のことしまってくれるのかな?」
「はわわぁ……じんさんは、しまえません」
真っ赤な顔になった。あれ、今、自然にじんさんって言ってくれたぞ。いい感じだ。
「じゃあ、そのままポイ?」
「そんなわけないじゃないですか。ちゃんと目に焼き付けます!」
グッと右手を握りしめて、俺を真っ直ぐに見つめてきた。
おっと、その目力。いいねぇと思いながら、俺も精一杯の想いを込めて見つめ返した。そしてふと思いついて口にする。
「そう言えば、りおはコンタクトにしないの?」
はっとして慌てて俯いた。
「実は……持っているんです。でもドライアイがあるので、普段はあまり付けないようにしていて、休日のお出かけの時だけにしていました」
「あれ? でも今日はしてこなかったの?」
「はい。じんさんに私と気づいてもらえなかったら悲しいし」
「そんなこと無いよ。絶対」
「それに、なんか初デートだから気合を入れ過ぎているイタい人みたいに見えるのも嫌だし」
面白い。里桜もそんなこと考えるんだ。
「別に大丈夫だよ。それに眼鏡無いほうが里桜の顔良くみえるから嬉しいよ」
「……一番の理由は違くて……あの、私が眼鏡が無いと、耐えられないと思って」
「? 何が耐えられないの?」
「……眼鏡越しなら安心なんです」
「安心なの?」
「……はい」
その言葉に、俺の悪戯心がピコン! と鳴った。
そっか、そう言うことか。
嬉しくなった俺。でもニマニマ顔は隠して、真面目腐った顔をつくる。
グイっと里桜の近くに顔を寄せて、じーーーーっと見つめた。
案の定、里桜の顔がみるみる赤くなる。そしてだんだん耐えられないように視線が下を向き始める。
その時、静かに彼女の眼鏡に手を掛けた。
ハッと顔を上げたところで、素早く、でも優しく外す。
これでもかというほど、大きく見開かれた瞳。
うっわ! まじ綺麗!
曇りの無い双眸は、澄み渡ってとても美しかった。
悪戯を仕掛けた俺の方が、強力なノックアウトを食らってしまった。心臓が早鐘のように鳴り響いてくる。
でもここで逃げるわけにはいかない。
ガシッと鷲掴みされた心のままに覗き込めば、深海のように
「ああっ!」
里桜が慌てて口を押えて下を向いた。
「ム、ムリです~。耐えられない……」
「俺の視線は耐えられないの?」
「だって……恥ずかしくて。せめて眼鏡~」
里桜の必死な様子に、ちょっと可哀そうになって思わず眼鏡を返す。
「じんさん! 酷いです!」
初めて怒っている里桜の顔を見た。
真っ赤な顔して息絶え絶えで。
でも……可愛い。怒っていても可愛い。
ダメだ。俺末期症状。
「ごめんごめん。そんなに俺の視線が耐えられないとは思ってなかったんだよ。ごめん」
ちょっと寂しそうに言ってみれば、直ぐに表情を変えて、焦ったように言ってくる。
「あ、いえ……じんさんの視線が耐えられないような視線ってことじゃ無くて、単に私が恥ずかしくて、まだじんさんに見つめられるのに慣れていないし、じんさんを見つめたいけど隠れる物がないと恥ずかしくて……」
「隠れる物?」
「はい、眼鏡でも隠れている気分になれるんです。ガラス越しに」
思わず吹き出してしまう。
頭隠して尻隠さずって言葉あるけど、眼鏡越しに隠れた気持ちって、なんだよ、それ。全然隠れて無いのに。
「そうなんだ」
「はい」
あまりの可愛さに、俺はまた笑ってしまった。こんなところでも天然!
やっぱり里桜は最強だ。
「ごめん。笑ったりして。でも、里桜可愛すぎる」
素直に気持ちを漏らせば、里桜はまた真っ赤になって俯いた。でも、もう怒ってはいない。寧ろ嬉しそう。
「ゆっくりでいいから、慣れて欲しいかも。俺も安心して見つめたいし、見つめられたいからな。でもって、そのうち勇気が出たら、コンタクトで来てよ。楽しみにしているからさ」
「はい……あの、ごめんなさい。それと、ありがとうございます」
「謝るのは俺の方。ごめん。無理やり奪ったりして」
「……うん」
俺を見つめたいって言ってくれた。今はそれだけで十分だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます