第五章 青い海は冒険心を掻き立てる

第37話 白魚を捕まえた

 俺達は今、鎌倉駅に降りたったところ。

 行き先は、七里ガ浜海岸。


 最初は颯爽とドライブしたいと思ったんだ。 

 でも俺はまだ自分の車を持っていないので、親父の車を借りるかレンタルするかになる。迷っていたところ、里桜の一言で決定的になった。


「あの、かき、あ、じんさん、私江ノ電に乗ってみたいんです」

「OK、電車で行こう」


 そして今、鎌倉駅から江ノ電に乗る……前に、小町通りを散策しようと言うことになったのだ。


 今日の里桜は、会社とは別人だった。

 柔らかい夏らしい爽やかなブルーストライプのワンピースに白のカーディガン。

 細い黒ストラップのサンダルが、思ったよりセクシーだ。

 実は俺も白のオープンシャツの下にブルーストライプのTシャツを入れていたので、相談してないのにペアルックっぽく見える。縞の向きは違うけど。

 二人で同時に気づいて照れくさくなった。



 鎌倉駅を出て直ぐ左手に小町通りへの入口がある。道の両側に小さなお土産店が並んでいて、覗いて歩くと楽しい。『大仏さま焼き』や『いくらのミルフィーユ』熱々せんべいやベーグル専門店など、美味しそうな和洋のスイーツ店も所狭しと並んでいるが、この後海を見ながらのランチを予定しているので眺めるだけにした。

 この道に平行して、鎌倉八幡宮へ向かう参道、春には桜並木が美しい段葛が通っている。八幡宮も行ってみたいけれど、結構広くて時間がかかりそうなのでこちらも今回はパス。


 休日ともあって、小町通りは人通りが多かった。二人で歩けないことは無いけれど、里桜は遠慮して、俺の影に隠れるように後ろから付いてくる。

 うーん、これは無理やり隣に引っ張りださないといけないなと思ったけれど、里桜の両手は鞄に添えられたまま。白魚のような手の爪先には、今日は淡いブルーとパールホワイトの色味が添えられていて、波を宿したような雰囲気だ。


 ああ、最初から手を繋いでおけば良かったなと後悔。


 そう、実は駅を出た時、手を繋ぐべきか迷ったんだよな。でも、いきなり手を繋ごうなんて言ったら、里桜は固まりそうだし。

 

 俺は背中全部を目にする思いで、タイミングを見計らっていた。

 なるべくさり気なく、自然に繋ぐ方法は······頭フル稼働だ。


 前の人波に阻まれて歩みを抑えたところで、思い切って振り返って声をかけた。


「里桜、人が多くて迷子になりそうだから、手を繋ごう!」

 驚いたような顔で目をパチクリさせた里桜の目の前に、そっと手を差し出す。

 最初はぎゅっと鞄を握りしめて、じっと俺の手を見つめていた。でも意を決したように、おずおずと伸ばされた指先。

 

 その時、横を通り抜けた人の勢いでよろめいた。

 すかさず彼女の手を握り締め、グッと力を入れて引き寄せれば、里桜は無事俺の隣へ収まった。俺、今ほどサウスポーで良かったと思ったことは無いかも。


 ほっとしたように見上げた顔を覗き込む。

「危なかったね」

「ありがとうございます」

 そして目の前に繋いだ手を掲げて組み直した。いわゆるって奴。

 白魚のような手だと見惚れた彼女の手は、やっぱりとても細くて柔らかい。思ったより冷たいから緊張しているのかな。

 優しく包みこめば、恥ずかしそうに微笑んでくれた。


 やっと捕まえられた!


 俺は憧れ求めた釣果に出会えたような気持ちになった。



 小町通り散策の後は、手を繋いだまま江ノ電へ。一度繋いでその温もりを知ってしまったら、もうそれなしにはいられない。

 何かで手を離しても、用事が済めばまた、どちらからともなく自然に手を繋ぐ。

 そんな安心感が心地よい。



 江ノ島電鉄。観光のためだけでは無く、鎌倉、藤沢間を繋ぐ生活の足としても使われている単線の路線。その始めは明治時代まで遡る。

 単線のため、上下線が入れ違うために途中の駅で待ち合わせをしたり、ホームの長さが足りなくて、前の二両しかドアが開閉しない駅があったりと、昔の面影が今も残る鉄道だ。タンコロの愛称で親しまれた一両編成の車体は、今も人気があってイベントが開催されたりしている。


 流石に今では一両と言うことは無く四両編成。混んでいて座るのは難しかったが、進行方向に向かって左側のつり革をゲットできた。こちらが海側と言うことは確認しておいたからね。

 家々の軒下をくぐり抜けるように進む電車に、里桜が驚いたように目を見張る。


「こんなに家に近いところを走っているなんて、びっくりです」


 稲村ガ崎駅を過ぎた辺り。ガタンゴトンとのどかな音を響かせながら、電車は突然青い海の横へ踊りでた。眼前に広がる海岸線。

 里桜の瞳が輝いた。


「じんさん、海です! 綺麗です」

「すげえ、今日は天気もいいから真っ青だな」

「はい!」


 七里ガ浜駅で降りたって一、二分歩けば、遮るものの無い一面の海。

 夏の日差しの中、砂浜には多くのサーファーが訪れていた。白い波間に、カラフルなボードが揺れている。


「うわぁ、綺麗ー」


 光り輝く海、空、島影。そして俺達二人のブルーの装い。

 ありったけの青に囲まれて里桜の笑顔が弾けた。


 なんて無邪気な、無防備な笑顔!

 こんな笑顔が見られるとは!


 海に潜らなくても、お宝ゲットできるんだな。俺はトレジャーハンター気分を満喫する。

 それでも飽くなき探求心は留まるところを知らない。里桜をもっともっと知りたい。俺は自分で思うよりもずっと、欲張りだな。

 彼女を見つめてそう思った。

 

 そんな俺の熱をクールダウンさせるかのように、涼しい潮風が吹き抜けた。


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