第34話 最高に幸せな一日

 そろそろ帰ろうかと腰を浮かせたところで、白いワイシャツに黒のカフェエプロンをキリリと締めた、端正で落ち着いた雰囲気の男性が伝票を持ってきて一礼した。


「本日は当店フェリスをご利用いただきまして、ありがとうございました。フロア主任の葉山です。お食事の内容や量はいかがでしたでしょうか。何かご要望などありましたら、いつでもお気軽にお申し付けください」

 隙のない身のこなしと穏やかな笑み、このお店のサービスが細やかなのは、この葉山主任の方針なのだろうなと思わせるだけの雰囲気があった。


 頭フル回転で考えている顔をしている里桜を見て、俺から先に言おうと口を開く。

 料理やタイミングの良い点に軽く触れながら、居心地が良かったこと素直に伝えた。

 葉山主任は嬉しそうに頷くと、深々と謝辞を述べた。そして、まだぐるぐると考えていそうな里桜に、爽やかな笑顔を向けると、

「ご無理はなさらないでください。もし何かありましたらと思い、ご挨拶に伺っただけですので、お気遣い無く」

 そう言って頭を下げて去っていった。


「柿崎さん、ありがとうございました! 私緊張してしまって、何をどうお伝えしたらよいか上手くまとめられなくて」

「俺だってびっくりだよ。でもこんな風にさり気なく顧客の要望をリサーチしながら、改善していこうとしているんだろうな。なかなかいいお店だな」

「はい」

「ところで、里桜、俺の下の名前は?」

「あ、……じんさん」

 俺はにっこり笑うとお会計をすませた。慌てたように財布を開く里桜に、「任せて」と囁くと、心得たように店の外まで財布を握り締めている。

 外に出て清算しようとする手に手を添えて、「今日は特別」とまた囁いた。


 里桜の顔が驚きと戸惑いに変る。あ、顔が赤いのはもはやデフォルトだな。

「柿崎さん、それでは申し訳ないです」

「今日はお詫びも兼ねて。酒井さんの事では迷惑をかけたしね」

「でも……」

「その代わり……名前練習しておいてね。宿題」

「は、はい! それではお言葉に甘えまして、ごちそうさまでした。じ、じんさん!」

さんって」

 思わず吹き出す。

「一文字違ったらだな」

「はわわわぁ、ごめんなさい!」

 口を押えてあわあわしている里桜を見て笑うと、そのうち里桜も安心したように笑顔になった。

 

 やっぱり二人でいると楽しいな。


 里桜の住むマンションは俺とは違う路線を使っているのだが、驚いたことに地域は隣合わせということがわかった。

 めちゃくちゃ近いんだ。それだけでテンションが上がる。

「送っていくよ」

「あ、いえ、でも……」

「女性が夜道を歩くのはいつでも危険だからね。俺が心配だから」

「……ありがとうございます」


 緊張した面持ちだけれど、嬉しそうな里桜を見て俺はちょっと気を引き締める。まずは護衛役ナイトとして役にたつところを見せないとな。


 電車の中や歩きながら、互いのことを色々話した。

 好きな音楽、好きなアニメ、好きな食べ物、行ってみたいところ、やってみたいこと。いくらでも話すことはあるよな。

 里桜はゲームをやらないみたいなので、その話題だけはちんぷんかんぷんみたいだけれど。その代わり、小物づくりが好きらしい。


「里桜の携帯のストラップのマカロン、もしかして手作り?」

「はい。あ、うん」

 必死になって敬語をやめようと四苦八苦している顔も可愛い。そのうち舌噛むんじゃないかとちょっと心配になるけど。

「スゲー! 可愛いし上手にできてるね」

 物凄く嬉しそうな顔になる。なんか、子犬が褒められて尻尾フリフリしているみたいな雰囲気。わかりやすい。おもしれえ。


「後一日で休みだな。週末一緒にどこか行こうよ」

「ふぁい!」

 びっくりしたような声をあげて、慌てて口を押えた。

「はい。どこへでもお供します」

「いや、行くところは二人で決めよう。それに、言葉が固い。やり直しー」

「あ、はい、うん。行きたいで……行く」

「どこ行きたい?」

「……」

「行きたかったけど、まだ行かれていないところってある?」

「それでっし……えーっと、海」

「おお、海」

「泳ぐんじゃ無くて! ……見るだけ」

 そんなに直ぐ否定しなくても、俺の妄想時間くらいくれてもよくね? って思ったけれど、どうやら、里桜の水着姿はお預けらしい。別にいいんだけどさ。


 どこの海を見に行くか、明日までに考えてこようと言うことになって、マンションの前になる。ここはどうやら女性専用マンションらしい。まあ、その方が俺も安心かな。


 今日はエントランス前まで。

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 そのまま見送ろうとする里桜に、中に入るように促す。

「今日は……ありがとうございました」

 ぺこりと頭を下げた。

「気をつけて帰ってくださいね」

「うん、ありがと」

 その直後、真っ直ぐな瞳が俺を捉えた。目を逸らせなくなる。


「今日は、私にとって最高の一日でした。人生で一番幸せな日です。絶対一生忘れません!」

 そう言い終わると、くるりと身を翻して中へと消えて行った。


 反則だよな。言い逃げかよ。


 俺は体がカッと熱くなって心臓が爆音を奏でている。熱の逃し方がわからなくて、兎にも角にも深呼吸した。 

 

 長い長い一日だった。

 でも色々変わった一日。

 人生が大きく動いた日。

 きっと忘れられない日

 

 そして、今日は間違いなく、俺にとっても最高に幸せな一日だった。


『俺も、最高に幸せな一日だったよ』

 Lineに打ち込んで送信すれば、直ぐに既読が付いた。

『ありがとうございます』


 携帯を抱えて微笑む里桜の姿を、迷わず想像することができた。

 

 幸せだな……

 


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