第31話 七変化しながら進む恋 〜罠〜
「あ、かきじん!」
エレベーターから降りると、エントランスロビーから酒井さんが駆け寄ってきた。
「かきじん、やっぱり相談に乗って欲しい。でないと私どうしたらいいかわからなくて……」
いきなり涙目になって俺の左腕に抱きつくとグイグイ引っ張っていく。
げ! やめてくれ!
「いや、それはもうことわっ」
慌てて振り払った俺の目に、驚いたような顔の朝比奈さんが写り込んできた。
ロビーの真ん中で佇んでいる。
え? なんでここに?
え? いつから見ていた?
いきなりこんな状況見たら、誰だってびっくり……嫌、寧ろ疑うか。俺が二股とか、誰にでもほいほいついていく優柔不断野郎とか。
ここは酒井の術中にはまらないように、バッチリ断らなければ。
「酒井さん、悪いんだけど」
「かきじん、話聞いてくれるって言ったじゃない。それともあれは嘘だったの?」
んな約束してねーし。ちゃんと断ったし。
俺は険しい顔で酒井さんを見下ろした。それでも気にするそぶりも見せず、大胆にも朝比奈さんへ宣言した。
「じゃあね。朝比奈さん」
俺は再び掴まれそうになった腕をかわすのに必死だった。
こいつ、俺達の仲を裂こうって魂胆か!
「おい! 酒井!」
「酒井さん!」
二人の声が重なった。
あーやっぱり、朝比奈さん、耐えられなくてきっと何か言うよな。そしてその疑いの矛先は俺にも向いて……
「酒井さん! 三人寄れば文殊の知恵と言います。私なんかではお役に立てないと思いますが、でも私、人とは違う発想なら自信があるんです!」
あ、あれ?
疑ってない? っていうか本気で心配?
グッと握りしめた拳を胸の前に掲げて、自信満々に笑顔で言う朝比奈さん。
す、すげえ! この状況でもこんなこと言えるって、天使か!
俺は心の底からほっとしてしまう。
この修羅場になりそうな状況で、仕掛け人の酒井を心底心配しているって、どんな仏心だよ。
でもそれが、違和感無いしあざとくも無いのが、朝比奈里桜と言う人物だなと思う。
「はぁ? あなた一体何言っているの」
酒井さんが驚いたように声をあげた。
「私はかきじんだけに聞いてもらいたいし、かきじんも聞いてくれるって約束したの。だからあなたは必要無いのよ」
「俺、そんな約束してないだろ」
「かきじんも……酷い。私を嘘つき呼ばわりするなんて。私達のこと、彼女に知られたくないなんて」
なんだそれ? なんか俺がこいつと付き合っているみたいな言い方じゃ無いか!
わざと誤解を生むような言い方しやがって、ふざけるなよ!
我慢も限界だ。しかも、こんな会社のエントランスで痴話喧嘩なんてもっと我慢ならない。
「おい! いい加減に」
「あの、酒井さん、柿崎さん、お二人の言っていることに相違点が認められます」
「だから何? あなたは私が嘘を言っていると思っているの?」
「結論から言うと……はいになります」
「な!」
いつもの朝比奈さんからは想像もつかないほど、はっきりとした言葉に、俺ですら驚く。案の定、酒井さんも一瞬ポカンとした顔になった。
「な、ななな何を言うのよ。あんたそんなこと私に言っていいと思っているの!」
「すみません。先輩に対して申し訳ないと思っています。それに真実は私にはわかりません。でも、三段論法で考えたら、酒井さんのおっしゃっていることは違うのかなと思ってしまったんです」
「さ、三段論法?」
流石の酒井さんも、目が点になっている。いや、俺も実はそうだけどさ。
左の中指で眼鏡のフレームをかちりと上げてから、朝比奈さんは静かに説明を始めた。
「はい。実はお昼に酒井さんに教えていただいて気づいたのですが、私は今までとても自分に自信が無かったんです。でも、柿崎さんのお陰で、こんな自分でもできることがあるって気づくことができました。だからこれからは自分で自分を信じようって思ったんです」
朝比奈さんの言葉に、思わず俺はジーンとしてしまった。
俺のお陰で自分を信じることができたなんて……なんて嬉しい言葉なんだ……
「全然意味わからないんだけど」
一方の酒井さん、イライラしたように腕を組んだ。
「すみません。分かりづらくて。えっと、柿崎さんが私のことを信じてくださったので、私は自分を信じられるようになりました。だから私は柿崎さんを信じている自分を信じられるってことです。そうなると私の中では柿崎さんのおっしゃることが正しくなるので、酒井さんのお言葉は、何か誤解が生じているから違っているのだろうなと言う結論になりました」
「……」
流石の酒井さんも黙る。
「ですから、その誤解を解消した方が良いと思います」
「何言ってんの! ばっかじゃないの。あんた」
「はぁ……やっぱり他の人とは違う考え方なのですね。でも、もう迷いません。笑われてもいいです」
酒井さんが心底呆れたような顔になった。
「あなた達、バカップルね」
「バカップル?」
戦意喪失したような酒井さんだったが、朝比奈さんの目の前にグイっと体を寄せると皮肉交じりの顔で俺を指差しながら言った。
「女はずるいなんてよく言われるけれど、男だってずるい奴はいっぱいいるのよ。善人ヅラしているこういう奴ほどタチが悪いんだから。そんなに頭から男の人を信用していると、いつか痛い目に合うわよ。気をつけなさい」
そして俺の方を向くとこう言い放った。
「かきじんも! そんなに鼻の下伸ばしていると、そのうち足元を掬われるわよ。女は化けるんですからね」
そして急に俺達に興味を無くしたように、出口へ向かって歩き出した。
「あーあ、清廉潔白なバカップルなんて、虫唾が走るから現実を突きつけてやろうと思ったのに。つまんないの。バカップルはそれにすら気づかない馬鹿だったわ」
馬鹿バカうるせえなと思ったが、朝比奈さんは神妙な顔で聞いていた。
大丈夫かな。
「すみません。出過ぎた真似をしました」
「まあ、あなた達の行く末がどうなるか、見物だわね」
酒井さんはそう言い捨てると、さっさと歩き去って行った。
驚いて振り向いていた人たちも、そそくさと出口へ。
嵐の後のような静けさに、俺たち二人は取り残された。
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