第30話 相手を信じることは自分を信じること
突然、目の前に綺麗な
私の宝物の一つ、白砂のサンドグラス。
さらさらと音もなく滑り落ちる砂が、時を可視化している。
上のグラスの砂は未来、下の砂は過去。
そして真ん中の狭い空間を滑り抜けるその一瞬が、今。
柿崎さんの言葉に、とってもとっても幸せな気持ちになった瞬間。
夢のようなこの瞬間をそのまま取って置きたいと思ったけれど、それは無理な事で。
でも止まることなく落ち続ける上の砂の向こう側に柿崎さんの瞳を感じて……
ああ、まだ柿崎さんは目の前にいてくれるんだと嬉しくなった。
砂が落ちきる直前に、ひっくり返し続けていたら、ずっと柿崎さんと一緒にいられるのかしら。いられたらいいなって、そう心から思った。
同じ担当のベテラン社員の魚住さんに挨拶をして、ギリギリに席に付いた。
息つく間も無く仕事を始める。
魚住さんが、ちらりとこちらを見て面白そうな顔をした。
「朝比奈さん、珍しいね。いつも三十分前出勤のあなたがこんなギリギリなんて。体調とか大丈夫? 顔も赤い気がするし」
「へ、い、いえ、大丈夫です! ご心配おかけしてすみません」
「でも、その服装はいい。こっちのほうがいいよ」
「あ、ありがとうございます!」
高校生の男の子と中学生の女の子のお母さんで、人生においても大先輩だ。
よくお局さんが怖いなんて話もあるけれど、魚住さんは明るくて優しい。恵まれた職場だなと改めて思った。
「若い子はいいなー何着ても可愛い。私くらいになってくると色々隠さなきゃいけなくなってくるからね」
「隠す?」
「お腹周りとか二の腕とか」
そう言って、魚住さんはちょっときつそうに収まっているウエストゴムを、ゆるっとしたチュニックの下からチラ見せした。
「私が若い頃はウエストゴムでも会社で着れるような洋服、少なかったからね。最近はバリエーション豊かでいいよ〜楽チン」
そう言って陽気に笑った。
そっか! 自分が仕事しやすい格好っていうのは、悪いことじゃ無いんだわ。
仕事効率をアップさせてくれるのかもしれない。そう思ったら、急にスーツが窮屈に思えてきた。
これからは周りの皆さんの洋服をよく観察してみよう。あ、でもジロジロ見たら失礼よね。
そ~っとそ~っと。
瞬く間に午前中が過ぎ去り、昼食時の
さり気なく周りを見回してみたけれど、柿崎さんの姿は見つからなかった。ちょっとがっかりしながら列に並ぼうとしたところで、柿崎さんの同期の酒井さんに声をかけられた。
「朝比奈さん、ちょっといいかしら」
「はい」
社食の壁際に案内される。
また何かアドバイスをくださるのかしら。
「お付き合い始めたって聞いて」
いきなりの言葉に顔が真っ赤になってしまった。
「あ、はい」
「ちょっと噂に聞いたのよ」
え? 噂って? そんなにアッと言う間に社内に知れ渡るものなの?
一気に不安になってしまった。
柿崎さんに何かご迷惑をおかけしてないといいけれど。
「一つだけ忠告しておくわ。この前も言ったけれど、かきじんは優しいからね。可哀想な子を放っておけないの。ボランティア精神って奴。だからあなたのことも放っておけなかったのかも。かきじんってどんな女の子でも見捨てられない人だからね。先に断っておくけれど、今夜は私が相談に乗ってもらう事になっているから。かきじんに相談したいって言ったら、快くOKしてくれたわ。ね、本当にかきじんって優しいわよね~」
おお! 流石柿崎さん!
ボランティアで同期のお仕事相談までしているなんて。お忙しいはずよね。
OK!
私からは連絡しないようにすればいいのね。
噂がご迷惑をおかけしたわけではなさそうなのでほっとする。
「わかりました!」
酒井さんは、ちょっと疑わし気な顔をしたけれど、そのまま「じゃあね」と言って立ち去って行った。
今夜は柿崎さんとのLineは出来ないかもしれないな。
寂しい気持ちが胸に広がる。でも、彼氏彼女の関係になったと言っても、お互いに色々都合があるんだから、そこはちゃんと我慢しないと。
うん、こうやって考えていけば、私の『好き』が暴走しないですむはずよね!
ほぅっと小さく息を吐いた。
さーやに言われて、自分の柿崎さんに対する気持ちが『好き』なのだと気づいた時、嬉しさと同時に物凄く困惑したの。
だってこんな気持ちになったの初めてだったから。
『好き』だから見ていたい。そして『好きだから見ていて欲しい』
それは願って良い願望なのか、単なるエゴなのか。
私には境目が良く見えなくて、自分の気持ちが暴走しそうで怖かった。
でも、柿崎さんの早鐘のような心臓の音を聞いた時、ああ、柿崎さんも同じなんだって。好きって、こんなにドキドキして抑えきれなくなちゃうことなんだって思ったら、安心したの。
私のこの気持ちは、他の人と違わないんだって。
いつもは笑われる私の感覚が、今回はちゃんと合っていたって思えたら、ほっとしたんだ。
子どもの頃から、私が考えることっていつもどこか人と違っていて、みんなを困惑させたり呆れられたりすることが多かった。自分でどこがおかしいのか、気づけないから、私はどんどん不安になってしまったの。だから、人と話すのが苦手になってしまった。
でも柿崎さんは、私が変なこと言っても、面白がって聞いてくれる。
心から笑ってくれる……
その時、酒井さんの一言が、チクリと胸を刺した。
ボランティア精神。
確かに柿崎さんはボランティア精神旺盛な方だと思うわ。
だって、落としていた定期入れを拾ってくださったり、私の願いを聞いてくださったり。
でも、笑顔のボランティアなんてするかしら?
言ったことが面白くないけど、可哀そうだから笑ってあげようなんて……そりゃ、相手に気を使って笑ってあげることだってあるかもしれないけれど。でもあんなに明るく優しい笑顔が演技なんてことは無いわよね。
柿崎さんはそんな方じゃないわ。
そうよ! 柿崎さんのこと、もっとちゃんと信じなきゃ!
それが好きってことだよね。
誰かを好きになるってそう言うことだよね。
あれ? だったら、私は自分のことも信じないといけないんだわ!
柿崎さんが笑ってくれた私。
柿崎さんが好きって言ってくれた私。
もっともっと自分自身を信じて、自信を持たないといけないんだわ。
だって私、柿崎さんを信じているんだから!
【作者より皆様へ】
ここまで読み進めてくださり、いつも温かい応援をありがとうございます。
感謝の気持ちでいっぱいです。
この物語、ざっくりとは考えているのですが、物語の続きはその時々で考えております。ですから、もし、こんなシーンを入れて欲しいと言うご希望などありましたら、私が書ける内容でしたら、書かせていただけたら嬉しいなと思っております。
まあ、ポンコツカップルなので、素敵なラブシーンになる保証はありませんが(笑)
あ、エロも書けませんので、お許しください(^^;
コメント欄にご記入いただけたらと思います。
そんな遊び心も持ちつつ、続きも頑張っていきたいと思います。
いつもありがとうございます!
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