第21話 言霊の力

 が、所詮男の考える小手先技術なんて通用するわけがない。

 アイデアが思い浮かばないうちにシナリオ通りに進んでいく。


 呼ばれてジュースを取りに行った酒井さん。ご丁寧にまた戻ってきた。

 おい、先に行けよ。気が利かない奴だな。


「酒井さん、先行っていていいよ。俺達のはまだできていないから」

「でも、別に急いでないし。一緒に行こう」

「いや、それは……」


「あ、あの、私はお品が届いたら失礼しますので」

「え! っちょ」

「やだ~それじゃ私が二人の邪魔したみたいになっちゃう。気にしないで。一緒に行きましょう」


 一緒にって、三人でって、やめてくれ……


 俺の心の悲鳴は外に出したら不味い。なぜなら、もっと朝比奈さんを困惑させることになるだろうから。


「朝比奈さん、大丈夫?」

 思わず尋ねると、

「はい。それではお言葉に甘えて、静かにご一緒させていただきます」


 結局、酒井さんが俺達の真ん中に陣取って、ひたすらしゃべり続けることになる。

 まあ、俺にと言うよりは、朝比奈さんに話かけていたから、酒井さんは酒井さんなりに気を使って朝比奈さんを会話に入れようとしているのだろうことは感じ取れた。


 だが……疲れる。


 楽しみにしていた朝の時間は無残に崩れ去り、朝比奈さんとはその後ほとんど話すことも無く分かれた。


 同じフロアでエレベーターを降りた酒井さんと俺。

 俺は「じゃな」と軽く言ってそのまま給湯室へ直行した。


 折角買ったライムジュース。できればゆっくりと味わって飲みたいからな。

 朝比奈さんのプールサイドコメントを思い浮かべながら。


 ところが酒井さんが何故かそのままついてくる。


「ねえ、かきじん。かきじんは朝比奈さんのこと好きなの?」

「……」

「そうだよね。そんなはずないよね。じゃあ、私にもチャンスはまだ残っているんだね。朝比奈さんも違うみたいだし」

「は?」


 朝比奈さんの前ではなんとか抑えてきたが、もう我慢できない!

 俺のイライラはピークになってしまった。

 何が言いたいんだこいつは!


「酒井さん、付き合っている人がいるんだろう。あんまり思わせぶりなこと他の男に言っていると彼氏にフラれるよ」

 腹立ちまぎれにキツイ一言を返した。


「フラれちゃったの」

 ぽつりと一言。


 怒りをぶちまけた俺の心に、投げつけたはずの言葉の刃が戻ってきた。

 一瞬、冷たい水を掛けられたような気分になる。

 あ、失敗した。悪かったな。


「上手くいかないね」

 泣きそうな顔になった。


 まずい! 女の涙!

 

 悪かったなと言う罪悪感のために、気の毒だなとか、何か励ましてあげないととか、様々な思いが押し寄せてくる。

 だが、頭の中にアラートが鳴り響いた。

 このまま押し流されるな!


 彼女の心を抉ってしまったのは、俺の一言のせい。それは分かっているけれど、ここでやたらに優しい対応をすると、また今までと同じ結果になってしまう。


 俺も少しは成長しなくちゃいけないよな。

 それに……今は誰からも誤解されるような行動はしたくない。そう思うから。


「そうだったんだ。残念だったね」

 なるべく冷静に、感情を込めない声で言う。


「な~んてね。やっぱりかきじんは優しいな」

「はぁ?」

 

 俺は眩暈でくらくらした。なんだ今のは!

 冗談? フラれたって言うのも嘘なのか? それとも落ち込んでいるのが嘘なのか? 訳が分からなくて思い切り不機嫌な顔になってしまった。


「ごめんごめん。フラれたっていうのは本当。だから私フリーだから。じゃあね」


 そう言ってさっと給湯室から去って行った。


『フリーだからじゃあね』じゃねえよ!

 

 再びぶり返したムカムカした気持ちを、どこにぶつけたらいいのか分からずに給湯室で立ちすくむ。

 一日の始まりが台無しだ。くそ!

 そして相変わらず女性に振り回されてばかりの自分に、ほとほと嫌気がさす。



 イライラの逃し先が無くて、手元のライムジュースに思い切りストローをぶっさした。中身が少し手に飛び散って、ハッと我に返る。


 ああ……なんてことだ。後で味わいながら飲むつもりだったのに。


 ますます情けない気持ちになって、俺は仕方なくストローに口を付ける。

 開けてしまったものは、飲むしかないな。


 悲しい気持ちで吸い上げた液体が口に流れ込んできた。


 その瞬間、鼻に突き抜ける柑橘系の爽やかな香り。

 思わず目を見開いた。

 程よい甘さと酸っぱさが全身を駆け巡り、細胞が生き返るような感覚。

 そして最後に舌先に残った独特の苦みは、さっきまでのむしゃくしゃしていた気持ちに寄り添ってくれた気がした。

 

 なんだこれは!


 朝比奈さんの言葉が蘇る。

 夏の太陽。プールサイド。

 肌を焦がす日差しとキラキラと輝く水面が目の前に広がった。


 元気出して!

 のんびり行こう!


 そんなメッセージが伝わってきた。


 ほっと肩の力を抜く。

 

 飲み物一つで、こんなに癒されるんだ。

 いや、飲み物だけじゃないのか。


 彼女がそのものが、こんなに俺を癒してくれたんだ。


 言葉の大切さを改めて思う。


 酒井さんの一言に、かき回されむしゃくしゃした。

 でも朝比奈さんの一言に、俺の心は凪いで穏やかになれた。 



 俺……やっぱり朝比奈さんのこと好きだ!


 心に沸き上がる想い。

 思い切って言葉にしたら、スッキリした気分になった。


 そっか、俺、朝比奈さんに一目惚れしてたんだな。


 あれこれ考え抜いた先、頭を空っぽにして素直な気持ちに身を委ねる。

 自分で自分の心に言霊を刻むように、俺は『好き』という言葉を何度も心の中で繰り返した。




 そう言えば……酒井の奴、何か酷いこと言ったな。


『朝比奈さんも違うみたいだし』


 この恋、望み薄いのか?



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