第16話 笑われたって大丈夫
次の日の朝。
今日も駅を出て足を止める。
ついつい確かめたくなって、さり気なく振り返ってみた。
私ったら、ここで振り返るのが癖になってしまいそう。まずいわ。
柿崎さんいるわけないのに。
え? いらっしゃった!
ほんの数メートル先に、こちらを見ている柿崎さんの姿を発見した。
も、もしかして夢?
自分で自分の目が信用できない気分だった。
あ、どうしよう。目が合ってしまったわ。
今更気づかなかったふりしたら変よね。
そんなことしたら失礼だわ。
びっくりし過ぎて、頭の中がフリーズしている。
瞬きすることも忘れて柿崎さんを見つめ続けてしまった。
駅の出口から溢れ出る人波が目の前を横切って、実際には柿崎さんの姿は見えたり隠れたりしているのに、私の脳内では柿崎さんしか捉えられなくなっているみたいだ。
これはきっと一瞬の出来事なのだと思う。
でも私にとって、この一瞬は永遠のように長く感じて……
あ、れ? だんだん柿崎さんが大きくなってきた。
どういうこと?
ち、近づいてきているみたい。
どうすればいいのかしら?
逃げるわけにはいかないわよね。ここでそのままお待ちしているのが正しいはず。
きっと何か用事があるに違いないわ。
逸らすことが出来なかった柿崎さんの瞳、アッと言う間に目の前に迫ってきていた。
「おはよう」
「お、おはようございます!」
爽やかな笑顔で声をかけてくださったので、私も慌てて挨拶を返す。
「今日も会ったね」
「は、はい」
「今日は晴れていて良かったよ」
「は、はい」
「今日も何か飲み物買う?」
「はぁわわわ」
自分の口元から漏れたおかしな声に、頭が真っ白になった。
どうしよう……
この前はなんとかお答え出来ていたはずなのに、今日は何を言ったらいいのかわからない。
焦って頭を働かせようとすればするほど、何にも思いつかなくて泣きそうな気分になる。
その時、柿崎さんがぷっと吹き出した。
ああ……また笑われちゃった。
胸がぎゅーっと締め付けられるような感覚。
私ったら、どうしていつも上手く話せないんだろう······
昔からずっとそうだった。
本当はもっとみんなと色々お話したいのに、思いついたことを話すと笑われてばかり。
何をどう話したら笑われなくなるのか一生懸命考えたけれど、ちっとも上手くいかなくて。そのうち、話したいことが何も思いつかなくなってしまった。
ただアワアワと焦って、口をパクパクさせているだけ。
酸欠の魚のようだわ。
これ以上惨めな気持ちになるのは嫌だから、なるべく自分からは話さないことにした。
みんなの話を聞いているだけだったら、問題ないからね。
だから会社でも静かに過ごしていたんだ。
でも柿崎さんだけはお話したいと思ってしまったの。
そんな高望みしなければ良かった······
情けないな。
思わず涙が出そうになった時、柿崎さんの口から思いもかけない言葉を聞いた。
「なんか可愛い声が出たね」
か、可愛い?
こんな情けない声を出したのに、そんな優しい事を言ってくれるなんて。
私はお礼を言いたくなったけれど上手く言えなくて、結局パクパクと口を動かし続けていた。
そうしたら柿崎さん、今度は心配して深呼吸した方がいいって言ってくれたの。
大きく息を吐きだして、ようやく楽に息が吸えるようになった。
思い切って、柿崎さんの顔を見上げる。
言葉には上手くできないけれど、ありったけの感謝を込めたつもり。
その時初めて気づいたの。
ああ、そうか!
笑われたって大丈夫なんだって……
だって見上げた柿崎さんの笑顔、とてもとても優しかったから。
いつもはみんなに笑われて終わりだった。
苦笑して呆れたような声音と共に肩を竦める。
その仕草が私を刃のように突き刺してきた。
めちゃくちゃ落ち込んで、どんどん話すのが嫌になって······
でも不思議だったの。
さっき柿崎さんに笑われた時、全然嫌な気持ちにならなかったから。
そりゃ恥ずかしかしかったし、落ち込んでしまったけれど。
でも嫌では無かったんだ。
そして今、柿崎さんのお顔を見て確信したの。
なんで嫌な気持ちにならなかったのか。
なんで救われた気持ちになったのか。
それは柿崎さんの声音も表情も、みんなと全然違っていたからなんだ!
柿崎さん笑っているけれど、バカになんかしていない。
寧ろ嬉しそうに楽しそうに笑ってくれて、すっごく温かい笑顔だ。
だから私、今初めて思えたの。
笑われたって、大丈夫って!
とっても……嬉しかった。
急に体の力が抜けてしまってガクってなりそうだったけれど、歩みだした柿崎さんの後を追うように、上手く一歩を踏み出すことができた。
その後、柿崎さんは敢えてお仕事の時みたいな話し方をしてくれたの。
何故かはわからないんだけれど、お仕事と思うと頭の中の整理もスムーズになるんだ。お仕事って、伝えるべき物事が明確にあるから、一から考えなくていいからかもしれない。焦らないで済むのよね。
まるでお話の練習相手をしてくださるように、柿崎さんは私に話しかけてくださった。
そして、とっても楽しそうに笑ってくれたから······
私の胸、幸せな気持ちでいっぱいになった。
でも、最後におっしゃっていた『誘っている』って何のことかしら?
ライムジュースはプールサイドに最適な飲み物ってお話したのは、やっぱり変な説明だったのかな。
もしかして私の願望がダダ漏れて、『また一緒に台湾スイーツのお店に行ってください』って声に出ちゃっていたのかしら?
わわわ! 私ったら大胆なことを!
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