第12話 寝坊した朝

 あれ? 今何時だろう?

 

 俺は慌ててガバッと起き上がった。

 やべえ! アラームつけ忘れてた!


 朝食諦めればなんとか間に合うかな。

 慌てて支度をして食卓の上のバナナだけ食らいつく。これで昼まで持たせるしかないな。


「臣! 食べてかないとぶっ倒れるよ」


 母親の声を背中に「時間無い!」と叫んで家を出た。

 

 いつもの電車より三十分も後だ。ギリギリだな。これじゃ朝比奈さんとは会えないなと思う。いや、別に会えなくても何の問題も無いのだが。いやむしろ会えない方が面倒くさくなくていいんだが。


 こんなふうにごちゃごちゃ思っている時点で、俺って結構面倒くさい奴なのかもと自己嫌悪になる。

 一旦落ち着こう。


 今日は昨日と違って青空が広がっている。これから暑くなりそうだ。


 相変わらずの満員電車。でも携帯を持って眺められるくらいのスペースがある。

 三十分違うと混雑度合いが変るんだな。こっちのほうが楽だな。

 いや、でも毎日この時間は余裕無いな。やっぱり元の時間がいい。


 そこでまた朝比奈さんのことが頭に浮かんだ。

 おかしいな。俺はこんなに記憶力がいいタイプじゃないはず。どうも頭の中がバグっているらしい。

 そんなことより、今の最重要課題は、佑の想い人の特定だ。

 昨日考えた通り、一ノ瀬係長は無しだ。切れ者女性は鋭いからな。

 後で足がつくような形にはしたくない。


 もう少しさり気なく聞き出せる人……あんまり深く考えてなさそうな人がいいな。


 俺はそればかり考えながら、足早に会社へ向かって歩いた。

 お陰で周りを見回す余裕もなくエントランスへ。そして自分の席へと辿り着いた。

 駆け足しなくても間に合ったじゃん。この電車もありだなと考えを改める。


 いつもと違ってコーヒーを飲む時間は無く、直ぐに仕事に取り掛かった。


 気を張る仕事の合間に、ふと作戦を考えてしまう。

 だめだ。なんか今日は集中力がかけているぞ。きっと腹が減っているからに違いない。


 だがその時、突然閃いた。 そうだ!

 最高にいい案を思いついて心の中でにんまりする。


 この手があった。俺って天才!



 昼休み、柳川さんに断りを入れて、隣のシマの片山郁人かたやまいくとに声をかけた。


「片山君、たまには外で食事しない? 俺の奢りで」

「え! マジっすか! あ、でも俺同期の西村にしむらといつも食べているんで、ちょっと待っててください」

「ああ、西村君も一緒で構わないよ」

「ええ! あいつめちゃくちゃ喜びますよ。じゃ連絡します」


 そう言って片山君はスマホを操作した。

 よし、思惑通りだ。


 彼がいつも一緒に食事している同期の西村亮太にしむらりょうたは、何を隠そうコンプライアンス担当だからな。これで少しは情報がゲットできるだろうと心の中でガッツポーズをした。

 

 思わぬ出費は痛いけれど、まあたまには先輩らしいことをしてみるのもいいもんだ。ついでに彼らの同期の話も聞けそうだしな。


 一瞬、朝比奈さんのことが頭を過る。


 いや……別にこれは重原のためだから彼女は関係ないぞ。それに彼女は地味そうだからな、同期の話題にあがるようなことは、きっと何も無いだろう。




「「ゴチになります!」」

 可愛い後輩二人を連れて向かった先は、ボリューム満点の天丼屋。 

 頑固な雰囲気の大将が切り盛りしていて、案の定行列ができているが、今日の気分はこの店しか考えられなかった。朝抜いたからな。腹減った。


 サックサクな衣に包まれた大きなエビ、ナスにしいたけ、サツマイモにインゲン。

 山のように形良く盛られた天ぷらとご飯には、コクのあるタレがたっぷりかけられている。これが千円で食べられるなんて、大将! ありがとうございますと拝みたい気持ちだ。

 運よくテーブル席に座れたので、話もしやすくてなおいい。


 俺はさり気なく二人に仕事の様子を聞いた。

 二年目ともなれば、少し慣れてきて色々思う時期だろう。困っていることが無いか、職場の雰囲気がどんな感じなのか。

 注意深く話を振っていった。


 そして遂に、この一言を紛れ込ませるのに成功したのだ。


「佐久間さんと仕事していると大変だろう。できる上司の下だと勉強になるけれど、求められることも厳しくなるだろうな」


 何も知らない西村君、我が意を得たりと嬉しそうな顔でこう言ってくれた。

「そうなんですよ。提出した書類にめちゃくちゃ細かいチェックが入ってきて修正が大変なんです。佐久間さんあんなに忙しいのに、いつの間に見ているんだろうって不思議ですよ」

 付け合わせの味噌汁をぐいっと一口飲んでから、

「最近は佐久間さんも残業減らして早く帰ることが増えたんですけどね」

「上司の残業が減るって言うのはありがたいことだよな。部下も帰りやすくなるし」

「そう、それ! 柿崎さんの言う通りですよ。帰りやすくなった。『秘書室の聖女』に感謝です」

「秘書室の聖女?」


 俺は遂に知りたかった情報に辿り着いた手ごたえを感じた。

 

 よし! 後一歩!


 逸る心を抑えて、できる限りさり気なく、なんでもないことのように尋ねる。

「秘書室の聖女って誰のこと?」

「柿崎さん、そういう噂疎いですよね」


 片山君がいらぬ一言を付け加えてくる。

 いや、確かに俺は噂話には疎いが……


「まあな。だから知らないんだよ。聖女って誰のこと?」

「朝比奈さんですよ」


 え? 朝比奈? つい最近聞いたことのある名前!

 

 俺の心臓がドキンと大きく跳ねた。

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