第3話 ギャップ萌えと一目惚れは似ている
トートバッグを脇にギュッと挟み、ライムジュースの袋を腕に下げて、花柄の折り畳み傘を広げた朝比奈さんは、覚悟を決めたように一歩踏み出した。
黒いローヒールの足元が、みるみる水しぶきで覆われていく。
バシャバシャと傘にぶつかる雨音の騒々しさに、これじゃ会話できないなとちょっと残念に思いながらも、俺も覚悟を決めて踏み出した。
二人で黙々と歩く。風は強く無かったので、傘が飛ばされそうになることは無くて一安心。でも、傘を差していてもみるみるうちに服が重くなっていった。
「傘の意味ないね」
俺が半分叫ぶように言うと、彼女も大きな声で答えた。
「そうですねー。なんか滝行しているみたいですねー」
「た、滝行?」
またしても予想外な答え。でもそんな風に言われたら、激しい雨が違う見え方になる。そうか、俺達は今、修行僧のように精神統一の最中なのか。
いや、違うから。
結局会社のエントランスに着くころには、膝から下はびしょ濡れ。
全身に細かな水しぶきが付着してしっとりしている。
傘から滴り落ちた水滴によって、鞄や手元も濡れてしまった。
傘をビニール袋に仕舞い終わってから、ほっと一息つく。エントランスは同じような状況の人々でいっぱいだったので壁際に移動した。
「風邪ひかないように、タオルで拭いた方がいいね」
「はい」
「ここで一回拭こうか」
「はい」
彼女は鞄から可愛い猫柄のタオルを取り出すと、自分の顔や髪の毛と共に、胸元を抑え始めた。グレーのスーツの下には、白いブラウス。
その胸元が濡れて、貼り付いてしまっているのが見えて、俺は慌てて目を逸らした。別に見ようとしたわけじゃなくて、自然と視線が誘導されただけで……
俺も慌てて鞄から青いタオルを取り出して、髪と顔を軽く拭いて、スーツの肩から一通りなぞった。
「仙草ジュース、どんな味か知りたい?」
何気なく俺の口を突いて出た言葉。
その時、丁度濡れた眼鏡をはずして拭いていた朝比奈さんが、パッと顔を上げた。
「もちろん知りたいです」
彼女の瞳が輝いた。その瞳があまりにも邪気が無くて綺麗で、俺は吸い込まれそうな感覚を覚える。
「じゃあ、昼休みに一緒に……」
「
同期の
「
「あれ? 俺、お邪魔しちゃったかな」
気づくのおせーよ。ってか、もしかしてわざとか?
俺は冷ややかな目を佑に送ると、「わりい」という感じに肩を竦める。
彼女の方は「それでは失礼します」と頭を下げて、さっさとエレベーターへ向かって歩き去って行った。
で、ふと気づく。
俺は彼女に何を言おうとしていたんだろうか?
一緒に昼休みに飲もうって言おうとしていたような……
「あれ、営業企画部の不思議ちゃんだろう」
「不思議ちゃん?」
「そ、俺の感覚的にはな」
社内の情報通で、合コンと聞けば参加しまくっている佑情報はバカにできないので傾聴しておく。
「彼女のことよく知っているのか?」
「いや、むしろ知らない」
「はぁ?」
「合コンに来たことがない」
「そんな感じだなって、お前の判断基準は合コンに参加、不参加なのか!」
「んな訳無いだろう。職場と合コンとその他もろもろの状況の中で総合的に判断すべきだと思っているだけさ。だから職場の印象だけでは語らないってこと。な、俺って深いい奴だろ」
見た目はチャラ男の佑だが、中身は案外硬派なことは知っている。
そう、確かに他人を一面的に捉えるのは良くない。
でも、俺の心の中の無意識なレベルであの子はこんな子だと言う思い込みがあったから、今日彼女の違う面を見て、ちょっと驚いたんだよな。
これがギャップ萌えって奴か!
危ない危ない。危うく一目惚れと間違えるところだったぜ。
佑は記憶を辿るように考えながら続けた。
「仕事はしっかりやるし、真面目。女性同士のトラブルも悪口も聞かないから、まあ常識的な普通の女の子なんだろうな。見た目も普通。いや、むしろ地味か。だから不思議ちゃん」
「なんでそこで不思議になるんだよ。普通の女の子なだけだろ」
「いや、そうなんだけどさ、俺の鋭敏な感知レーダーに引っかからないほど無難でとらえどころが無いってことが逆に気になるんだよな」
「お前の感知レーダーってなんだよ、それ」
佑はそこで「ハハハ、なんか言ってみたかっただけ」と笑いながら、すかさず突っ込んできた。
「そう言う臣こそ、なんで一緒に出勤しているんだよ」
「たまたま駅で一緒になっただけだよ。別に同じ方向だから一緒に来ただけで」
「ふーん。ところでその手に持っているの何?」
「これか?」
指差された仙草ジュースを覗き見て、俺はなんでもない事のように言った。
「雨が小降りになるのを待っている間に、駅のジューススタンドで買ったんだよ」
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