第2話 甘いのはジュースの味を想像したから

 はからずもドキドキしてしまい、俺は焦っていた。


 お、俺の顔、赤くなっていないよな。


 ほーっと息を吐いて冷静になる。

 雨は相変わらずどしゃぶり。彼女はその雨を見上げていて、俺の動揺には気づいていない様子でほっとした。


「飲み物でも買って来ようかと思っているんだけどどうする?」

「ああ、そうですね。私もそうしようかな」


 朝比奈さんはそう言うとくるりと駅の構内へと歩き出した。俺も慌てて一緒に歩く。これも予想外のことで、彼女は逡巡する間が無かった。

 案外キビキビと決断が早いタイプなのかも知れない。


 駅から出てくる人の流れに逆らいながら二人で歩いていると、時々体がぶつかってしまって、俺が目でごめんと謝ると彼女も大丈夫っとニコっとする。

 そんなことを繰り返していたら、なんだかまたドキドキが再燃してしまった。


 やばいやばい。


 自分でもびっくりな感情の上がり下がりに翻弄されていた。


「柿崎さん、私この間オープンしたばかりの台湾スイーツ店に行こうと思っているんですけど、どうなさいますか? テイクアウトのジュースコーナーだけは朝から開いているはずなんですよ」

「お、俺もそうするよ」

「じゃあ、一緒に行きましょう」


 普通にコンビニとかス〇バでコーヒーを買おうと考えていた俺は、彼女の言葉に驚いた。流行りに敏感なタイプとは思っていなかったからだ。

 でもまあ、たまには台湾スイーツとやらを飲んでみてもいいかと思った。

 どちらかと言うと甘いものは苦手なんだけれど。


 横を歩く彼女をチラリとみる。

 俺はさっきからドキドキしているけれど、彼女は全然そんなそぶりが無い。

 自分だけ盛り上がっているような情けない気分になったので、新しい飲み物のテイスト予想に意識を切り替えようと思った。



 最近できたばかりのお店は、案の定行列ができている。ここに並んでいて会社に間に合うだろうかと、一瞬不安が頭をよぎったが、彼女はそのまま列の最後尾に並んだ。俺も後ろに付く。

 次の瞬間くるりと振り向いた彼女は、俺の不安を読み取ったかのようにこう言ってきた。


「並んでいるけれど、進みは早いんですよ」

「え、そうなの?」

「はい、リサーチ済みです」

「リサーチって」


 思わずその言葉に吹き出す。

「いつリサーチしていたの?」

「帰りがけにこそっと」

「あ、もう飲んだことがあるんだ。じゃあお勧め教えてよ」

「いえ、飲んだことは無いです」


「え? そ、そうなんだ。お店の前で見ていただけってことか」

「はい、携帯のタイマー片手に見ていました」

「え?」

「嘘です」

「え、う、嘘?」

「あ、すみません。冗談です」

「あ、冗談ね」


 真顔で言う冗談。冗談の域に達してもいない冗談。

 でも、なんだか彼女が言うと、面白みが出てしまうのはなんでだろう?

 絶妙な間がなせる業か。

 俺は朝から意外な事の連続で、ワクワクと同時に心地よい疲労感も感じていた。


「私は、ライムジュースにします。柿崎さんはどうなさいますか?」

「じゃあ、俺はこの仙草ジュースにする」

「チャレンジャーですね」

「え? そうかな」

「底の方に黒い塊が入っているみたいですよ」

「コーヒーと変わらないかなと思ったんだけど」

「そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれませんね」


 いや、それ当たり前すぎる言葉だから。

 心の中で突っ込んだ。

 なんとも言えないとぼけた言葉の数々。


 人は見かけによらないとは言うけれど、真面目で大人しいと思っていた朝比奈さんが、こんなに天然でとぼけた女性とは思ってもみなかったな。


 俺は純粋に、彼女に興味が湧いてきた。

 一体どんな女性なんだろう?


 彼女の宣言通り案外サクサクと進んだ行列のお陰で十分後。

 ライムジュースと仙草ジュースは無事俺達の手の中だった。


 持ち運びできるように密閉されているので、まだ味は分からない。

 その薄黄色いライムジュースを掲げてクルクルと動かしては、液体の揺れる軌跡を眺める横顔は無邪気そのもの。

 

 飲み物を眺めるだけでこんなに嬉しそうな顔をする女性、初めてかもしれない。

 純粋に可愛いなと思った。

 そして気づく。彼女の言動に男性へ媚びる雰囲気が全く感じられないことを。

 でもだからと言って俺を蔑ろにしているわけでは無くて、寧ろ丁寧な言葉遣い。


「色も綺麗ですね」

 満面の笑みの朝比奈さん。改まったように俺の方を向いた。


「柿崎さん、一緒に並んでくださってありがとうございました」

「別に、俺も飲んでみたくなったし」


 だからこんな風に、きちんと礼を言ってくれるんだな。


「そろそろ雨小ぶりになりましたかね」

「いや、そんなに簡単では無いだろうね」

「でも時間ですよね」

「しかたないね」


 俺達は二人で肩を竦めて笑い合う。そして覚悟を決めた。

 先程とたいして勢いの変わらないどしゃぶりの雨の中。

 でも気持ちは全然違っていて、憂鬱な雨の通勤路が、心弾む一時に変わる予感がしていた。

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