僕たちの恋は不器用だけど愛おしい
涼月
第一章 どしゃぶりの雨の中を一緒に歩いた
第1話 きっかけは雨音
慌ただしい朝の出勤。みんな無言で速足だ。
そんな人々を足止めしたのは、突然振り出したどしゃぶりの雨。
梅雨の終わりの雨は、毎年こんな感じだ。
俺の会社は、駅から地下通路で繋がってはいない。
突然の雨に慌てて折り畳み傘を広げてみたが、あまりの大音量の雨音に一歩踏み出すか否か躊躇した。
傘を差していても濡れるほどの勢い。これは会社に着く前にびしゃびしゃになってしまうな。
始業までまだ時間があるし、この雨の勢いがずっと続くとも思わない。
少し雨足が弱まるまで待っていよう。
そう思い決めたら、何か飲み物でも買って来ようと何の気なしに周りを見回した。
その視線の先に、見覚えのある顔を発見。
同じように傘を持ったまま空を見上げている。
サラサラのストレートロングを後ろで無造作に縛っただけの髪型。
シンプルなグレーのスーツ姿。リクルートの学生と見間違えそうだ。
俺の会社は制服は無いので、女性もお洒落な人が多い。
そんな中であの服装は、逆に目立ちそうだなと思う。
気づかなかったふりをして、飲み物を買いに行こうと歩きかけて、ふと彼女の足元に定期入れが落ちていることに気づいた。
これは……教えてあげないといけないパターンだな。
俺はめんどくさい気持ちをなんとか抑えて、仕方なく彼女に声をかけることにした。
俺の名前は
総務部で社員の福利厚生に関する仕事をしている関係で、各部署の庶務担当とやり取りすることが多い。うちの会社の庶務は女性の方が多いので、社内の女性と知り合う機会が多いと言えるかな。
そのせいで、同期からは羨ましがられて、何故か合コン設定を頼まれる。
社内恋愛なんて、碌な事が無いと思うんだけれどな。
俺自身は社内恋愛はNOサンキューなので、合コン設定だけして逃げちゃうことも多いんだけどね。
だから、俺が彼女を知っていたのは単に仕事上のやり取りがあったからだ。
俺が今二十六歳で、彼女は二つ年下だから、今二十四歳か。
入社二年目にしては落ち着いた印象を与える女性で、大人しくて真面目。
仕事はきちんとこなしてくれるから、トラブルも無いし、そのお陰で名前と顔は一致しているけれど、実際に話す機会はほとんど無かった。
だから、そんな彼女が雨を見上げてため息をついていても、本来なら声を掛ける気なんて更々なかったんだ。
でも、定期券を落としていたらそのままスルーもできないよな。
自分で気づいてくれるかなと、しばらくそのまま観察していたんだけれど……
やっぱ気づかないらしい。
俺はため息一つついて、彼女に近づいて行った。
「朝比奈さん、おはよう」
彼女はびっくりしたように飛び上がると、目をぱちくりさせながら俺を見た。
最初、誰という感じの表情になり、次にああと言う顔に変わる。
「柿崎さん、おはようございます」
丁寧にお辞儀しながら挨拶し返してくれた。
俺は彼女の足元にかがんで定期入れを拾いあげた。
「これ、君のじゃないかな」
「あ! ありがとうございます」
先ほどまでちょっと他人行儀だった彼女が、恐縮した様子で頭を下げた。
「すみません。わざわざ教えてくださってありがとうございました」
そう言って受け取ろうと差し出された指先が……
とても美しかった。
いや、俺何を見ているんだって思われるかも知れないけれどさ、目に入っちゃったもんは仕方ないだろう。
細くて長い指。『白魚のような手』って、こういう手を言うのかなと初めて納得した。
定期入れを渡す時、無意識に触れてしまい、細い指先の爪に慎ましやかに美しい桜の花が描かれていることに気づいた。
あまりオシャレに興味無いように見えた朝比奈さんの、意外な一面を見た気がして、ドキッとしてしまったんだ。
俺は指先を褒めようと口を開いて、慌ててその言葉を飲み込む。
いきなりそんな話をするのも、なんか変かな。
無難な話題と言ったら、目の前の雨だよな。
「凄い雨だね。会社に行き付くまでにびしょ濡れになっちゃうから、ちょっと待っていようと思って。朝比奈さんも無理しない方がいいよ」
「そうですね。ありがとうございます」
定期入れを鞄にしまいながら、彼女がふわりと笑った。
ドキン!
本日二度目のドッキリだ。
何の変哲もない眼鏡。色の薄い口紅。色白な肌は透明感があって綺麗だけれど、華やかとは言えない顔立ち。
でも、笑顔はとてもとても、温かかったんだ。
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