第2話
やることは分かっている。あれして、これして、あそこをこうだ。
決して下町で見かけた盛った野良犬どものようにヘコヘコしたりはしない。
いや、今の逸る気持ちのままではヘコヘコしてしまいそうだ。
落ち着け。クラウディアを怖がらせてはならぬ。
落ち着け。落ち着け。紳士たる振る舞いでベッドまでエスコートしなくては。
と頭ではそう考えていたのに、口に出た言葉は・・・。
「今日は疲れたであろう。私は少々この本を読んでおきたい案件がある。先に休んでくれ。」
と思ってもないことを口にしていた。しまった。と後悔しながらも取り繕うために「んんっ!」と咳払いし、持っていた法律書をパラリとめくる。
いくつの呼吸分の時間が過ぎただろうか。全くの動きを見せないクラウディアを、どうした?と目線を向けると思いもよらない彼女の様子にギョッとした。
クラウディアの瑠璃色の大きな瞳からポロポロと大粒の涙が流れていた。
「ど、ど、どうしたっ。な、泣いているのかっ?な、な、何があった!?」
慌てるアレクシスに対して返ってきた言葉は意外なものだった。
「ア、アレクシス殿下は、私のことをそこまでお嫌いですか?」
「っ!? 何を言っている?嫌いなはずなかろう!」
クラウディアがポロポロと止め処なく涙を流しながら言うには、
王族としての義務でもある初夜さえも相手にして貰えないようでは、生家のエレフィエント侯爵家に顔向け出来ないとか、
喜んで貰おうと婚礼衣装の意匠を何度も何度も、一流の工房と打ち合わせを重ねた自慢の出来栄えだったのに、かけていただいた言葉は「人目に晒せない」だったとか、
今までの夜会に一緒に参加した時のドレスも一度も褒めて貰ったことがなく、「目立ち過ぎる」「露出をもっと無くせ」と言われて、足先から頭のてっぺんまで厳しい目で見つめられ、
最初の一曲だけ踊ると直ぐに馬車に乗せられて帰されていて、ほとんど社交ができなかったとか、
例え私のことが嫌いで一緒に居たくない、大事にされない婚約者だったとしても、せめて初夜だけでも義務として寵愛をいただけると思っていたと。
アレクシスは今までの己の所業に頭を抱えた。
✳
己は今まで何をしてきたんだ。
自分の事だけしか考えず、愛していたはずのクラウディアには何も伝えていなかった。
それどころかクラウディアには『嫌われている』とさえ思われていたとは。
それもそうかもしれない。今までは、クラウディアとの時間、一時、一瞬の美しさを見逃すまいと目を凝らし(そのせいで眉間に皺が寄り睨むような目つきになっていることなど気が付いていない)、他の男には触れさたくないため、夜会は自分とのダンス一曲だけで終わらせて帰らせていた。
それに今までろくに褒める言葉を掛けてこなかったのは、緊張してしまいどんな言葉をかければ喜んで貰えるのか判断つかなかったからだ。
でも今となっては唯の言い訳でしかない。
このままではクラウディアに何一つ理解して貰えず、気持ちがすれ違ったままでは、またクラウディアを泣かせてしまう。
アレクシスは立ち上がりクラウディアの元へ近寄ると、座っているクラウディアの目線に合わせるため跪いた。
「クラウディア。・・・今まで悪かった。本当にわたしは其方のことを大切に思っている。
今日も、婚礼衣装姿があまりにも美しくて、言葉では言い表せなかったんだ。
それに・・・その美しい姿を誰の目にも映したくなかったんだ。
自分だけのものにしたいと思ってしまい、人目に晒せないなどと言って其方を傷つけてしまった。
本当に申し訳なかった。
許して欲しい。」
クラウディアはえぐえぐ言いながら、
「ほ、本当でございますか?」
とアレクシスの目を見据える。
「あぁ、本当だ。だからもう泣かないでくれ。」
アレクシスは自分の目線より高い位置にあるクラウディアの顔を覗き込むように見つめ返すと、
指先であふれ出す彼女の涙を拭い、
そして彼女の手を取り、指先に口づけをした。
「クラウディア。どうやら私は其方と心を通わせる努力を怠っていたようだ。
これからはお互い心を通わせ合いたい。そこからやり直して欲しい。」
と、ふたたびクラウディアの指先に口づけをした。
九年間も婚約期間があったのに今更な感も否めないが、このように優しくされたことがなかったクラウディアはすっかりほだされた。
クラウディアがこくこくと二度頷くのを確認すると、アレクシスは持っていたクラウディアの手を引き、立ち上がるように促した。
涙で濡れたクラウディアの頬を手のひらで包み込むように拭ってやりながら、寝台へ誘う。
「添い寝しよう。
今日は疲れただろう。ゆっくりお休み。」
と額に口づけをする。
泣いたせいだろう。クラウディアは秒で寝た。
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