第59話 「そこにいるんで、しょ!!!!!!」

「ゆ、ゆーくん! 大丈夫ですか? 本当にゆーくんですか?」

「俺は俺だ。それ以外の何者でもない」

「で、でも……私にも、心の準備といいますか、現実を受け入れられそうになくて……」


 アクセル全開ですっ飛ばしすぎた俺は、円花の予想を、大幅に外した道をいってしまったらしい。壁に覆われてみえなかったが、開けた先は平坦な道ではなかった。


「そ、そうだよな。いやぁ……ちょっと急ぎすぎたかな。いったん落ち着かせて」

「あ……いいですよ。そうですよね。ゆーくん急ぎすぎてましたよねっ!!」


 うん。突然「お前のことが欲しいんだ……」は頭のネジがすべて外れないと出せないセリフかもしれない。


 兄妹から結婚も唐突ではあったが、兄妹から恋愛関係、そして……。いったい俺は、何段飛ばしをしようとしていたのだろうか。


 己の筋力をかえりみずに運動すれば、筋肉痛になったり、最悪骨折することもある。


 自分では軽傷で済んだと思っていたかったが、第三者の目線からみると、複雑骨折で全治三ヶ月以上というレベルであったのかもしれない。痛すぎるにも、程がある。


「大丈夫ですよ?積極的なのはいいことです。ムードとか何にも考えず、ど真ん中で豪速球のストレートを投球できる才能には、敬意を払いたいものです」

「いっけん褒めてるようでけなしてるね。優しさは、ときに氷の刃となって、心臓を突き刺してしまうものなんだよ」

「さすがは詩人ゆーくん。短歌を粗製濫造していただけありますね!」

「もはやそれはただの悪口では?」


 というか俺の短歌、読まれていたんだな。まあ、円花のことだから、知っているとは思っていたけどさ。


「それと引き換え、綾崎のエッセイは格が違いすぎて輝かしかったですよ」

「珍しいな。俺の女友達を褒めるなんて」

「ゆーくんを貶すためには、矜持とかは捨てられますよ? 今回限りですがね!」

「……怒ってるよね?」

「地球が自転しているくらい当然のことですよ。あ、でも、ゆーくんはいましがたまで天動説信者でしたもんね。私が怒っているということを受け入れられなかったんですね」


 完全にご機嫌ななめだ。あれだ。要は、俺の「欲しい」発言が完全な失言であるというのが、互いに周知のことであったというわけだ。


「……ごめん。変なこといいだして」

「違うんです、

「!?」


 円花は冷えきっていた。瞳には、これまでのように、のぞくだけで吸われてしまいそうな深淵が宿っている。闇だ。真の暗黒が、ここにある。


「あのまま、ゆーくんが私をメチャクチャにしてくれればよかったんです。それなのに、ゆーくんは最後の最後でためらってしまった。いや、最初から期待しなければよかったんです。本当に覚悟が決まっていれば、きょうまでのどこかで、祐志さんは、私に急速なアプローチをかけていたはずなんです」

「……」


 戻ってしまった。危険な円花が。つい先ほどまでとは別のベクトルの狂気が、円花の全身を包みこんでいる。


「ただ待っているだけでよかったと思う私が馬鹿でした。はぁ……祐志さん、あなたもこれまでの人でしたか」

「でも、だからといって、いまから円花を求めたら……」

「もう遅いんです。待つときは終わったんです。果実は熟したのです。動き出すのは、別に祐志さんだけでなくていい! 私から、いけばいい……!」

「おい、円花ッ!」


 円花のまとっていた服が、彼女自身の手によって、少しずつ脱がされていく。


 スカートが落ちる。これまで隠れていた下着が、視覚に、いやがおうでも入ってくる。


 靴下が地面に落ちる。生足が、照明の光を反射して、煌々と輝いている。


 そして、上衣にも手がかけられる。


 最後の砦が陥落したとき、俺は、円花の下着姿を、はっきりと目に焼き付けることとなった。


 丸みを帯びたやや大きい双丘は、黒い下着。下半身のそれは、黒いレースのものだった。どちらも、布の面積がいささか狭すぎるというものだった。


「どうですか? 祐志さんの理想の肉体美を追求してできあがった、完璧な身体は……」


 目に入る下着姿は、脳内を一気に駆け巡り、短絡的な思考を生み出すだけの思考回路を再構築させていた。


 さきほどの後悔も一瞬で吹き飛んでしまう。理性を抑えることに、限界を感じている。


「……」

「どうしたんですか? 前かがみになって? 興奮しているんですか?」


 円の目線は、下等生物を心の底から軽蔑しているかのようであったが、それにさえ、一種の興奮を覚えてしまった。救いようがなかった。


 下腹部に、いささか熱いものを感じていた。熱い。下半身に、じんわりと、温かい血が巡っていく感覚が走る。


「やっぱり、本能には逆らえないようですね。でも、祐志さんから襲わせてはあげません。機を逃しましたからね。主導権はすべて私が握ります……」

「……」


 いま、俺は、いったいどうすればよいのだろう。オーケーといえばいいのか? それとも。いうことを無視して、円花に手を出してしまえばよいのだろうか? それとも……。


「意見がないなら! それなら、あとは私が動くだけです。さあ、快感だけに支配されて、理性を忘れて獣になりましょう? さあ、さあ、さあ!!」


 今度こそ、これでいい。


 ここで、新たなステージへと踏み込んでしまえばいい。流れに身をまかせてしまって――――。





 理性の乱れきった空気は、突如として崩れさった。


「ユージ! 学校サボって何してるわけ!? いいからさっさと顔を見せなさいよ! さっきから嫌な予感がしてならないのよねっ!」


 この声は……!


 なぜ、どうしてがよりによってこんなときに!


「そこにいるんで、しょ!!!!!!」


 アイツの大声は、俺をビビらせるに充分すぎた。


 足を、踏み外し、体が前に倒れる。


 にもかかわらず、円花は俺の前に接近してくる。まるで何もきこえないかのように。


 このままでは、確実に!


「ここね!」


 アイツがドアを開けた瞬間。俺は、円花を押し倒す形となって、地面と盛大にキスをした。


 その光景を、むろん、アイツ――――月里騎里子つきさときりこは目撃してしまった。

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