第43話 「はい。葉潤糸唯といいます。葉っぱに潤う、糸に唯一の唯です」

「へ?」


 正体不明のソレが人間だと名乗ったために、俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。


 すでに目は開けておいた。じょじょに暗闇に慣れていくにつれ、ソレの全貌が明らかになる。


 ソレはトンネルの壁に背を預け、体育座りをしていた。前髪が長く、目元まで完全に覆われている。着ている服はどこか生きている人間のようには思えない。


「や、やっぱり人間じゃない? 喋れる亡霊なのか……?」

『その、化け物扱いはやめてもらっていいですかね』

「ゆーくん、あれは人間だよ」


 これまでは幽霊の気配がするとかなんとかいっていた円花が、主張を百八十度変えた。


「もしや、騙してたってことなのかな」

「うんうん。気配がまずいのはあってる。でも、前提が違っていた。彼女は幽霊ではなくて、幽霊を引き寄せる雰囲気が、私に似ているの。」

「霊感強い者同士惹かれ合うってか」

「そういうことみたい」


 いちおう理解はできた。だとしてもさ、体感温度が下がるくらいのヤバいオーラを放つ人間ってなんだよ。


「あの、ほんと幽霊扱いしてすみません。謝罪という形で奢るかなにかさせてください」

「ゆーくんってそんな軽い男だったっけ? その前にお互いに名乗るぐらいあってもいいんじゃないの」

「やべえ、早まりすぎたな」

「……ということは本当にナンパするつもりだったの?」


 暗くてよく見えないが、たぶんいまの円花の視線なら人の命を奪える気がする。


「違います。まじで許して。お願いだから」

「あのぅ、いったん場所を変えませんか?」


 いったのは、例の前髪の長い女の子だ。


「ほら円花。そういうわけだから、いまは怒りを抑えような?」

「そうですね。後でみっちり教育するということでいいかな?」


 俺はどこかで道を踏み間違えたらしい、




 洞窟を抜けた俺たち一行は、近所のファミレスへと足を運んだ。ちなみに、ここは三咲ちゃんとゲームをしたところである。


「ゆーくん、あの子に奢ってあげるわけでしょう? なら私にも当然奢るのが筋だと思います」

「なぜそうなる」

「ゆーくんのせいですからね」


 やれやれ、と俺は心の中で呟いた。


 時間帯か曜日が良かったらしく、すぐに店内に入れた。現在、俺たちは四人席のテーブルについている。俺と円花が隣り合っていて、例の子は俺の前に座っている。


 お冷が運ばれてきたところで、ようやく例の子は口火を切った。


「あのぅ、名前を知らないと互いに面倒だと思うので、自己紹介でもしませんか?」

「ごめんな、なかなか切り出せてなかった。こちらからでも大丈夫か?」


 例の子は首肯する。それから俺は自己紹介をはじめる。


「俺の名前は成竹祐志。それで、横にいるのが白羽円花」

「ユージさんとマドカさんですね」

「ちなみに、私はゆーくんの義妹で、近いうちに結婚したいと考えているの。そこだけは覚えて帰ってくださいね」

「おい、面倒な情報を吹き込むもんじゃない。苗字違うのに義妹で、かつ結婚がどうとかいわれたら混乱するだろう」


 実際、例の子は目をぱちくりさせていた。明らかに理解に苦しんでいる様子だった。


「……いまのは忘れてくれ。円花はな、ちょっと妄想癖がひどいんだ。話半分で聞くのがいいぞ」

「さすがにひどくないですか? 適当にごまかさないでくださいよ」


 その後も、円花がぐちぐちと独り言のように文句を垂れていた。


「おふたりとも、仲がいいんですね」

「まぁ、悪いといったら嘘になるかな」

「ひどいです。ゆーくんは私の旦那さんになるんですよ?」

「危険な属性が眠りから醒めようとしている……!」

「夏休み中は、もはや夫婦のような生活だったのでゆーくんに要求するところも多くなかったものですから」


 円花が大人しかったのはそういう理屈だったのか。夏明けがさらに怖くなったな……。


「……失礼。君の名前も教えてもらっていいかな」

「はい。葉潤糸唯はうるしゆいといいます。葉っぱに潤う、糸に唯一の唯です」


 しゆいちゃん、か。


 俺が思うに、唯一の糸、という名前は実に彼女自身を表すに的確な表現である。



 彼女は、白と茶色を混ぜ合わせたような上品な髪を持っている。かなり長いというのに、一本一本丁寧に手入れをしているような、透明感のあるサラサラとした髪である。


 前髪に隠れて顔はよく見えないのが残念だ、と思わざるをえない。こんな素晴らしい髪を持つ人物の顔を、一目見たかったのだ。こんなことをいったら、間違いなく円花に怒られるのがオチだろうが。


「女の子、ガン見、鼻の下を伸ばす……あとはわかりますね?」


 いけない、見入ってしまった。


「だって、こんないい髪をしていたら誰でも見惚れるだろう」


 そういうと、糸唯しゆいちゃんは驚いた様子で、


「え……私の髪、変だと思わないんですか……?」


 と俺に問いかけてきた。


「変もなにも、むしろ誇るべき美しさじゃないか。綺麗だよ」

「これまで、この髪が他の子と違うからという理由でずっと悩んでいたので……」

「そうだったのか。申し訳ない、軽率な発言だった」


 さほど考えなくともわかる話だった。


 この髪色は、他の黒髪の中ではやけに目立つ。嫌な話だが、身体的特徴がいい印象にも悪い印象にもつながってしまうものだ。


 変に目立ってしまい、それとなく避けられたりだとか。そんなことがあったのかもしれない。


「謝らないでください。久々に綺麗だよ、なんていわれて、どう反応すればいいのか」


 あわあわと体を揺らし、糸唯ちゃんは視線を合わせてくれない。顔以外の部位が、赤く染まっているように見える。


「ゆーうーじーくーん?」

「早まるな円花。フォークを握る手が震えてるぞ? それにあのリアクションは予想外だ!」

「祐志歩けば女に当たるということなんでしょうね。わかりました、夏が終わっても自宅学習でいいですね」

「おい」

「大丈夫です。オンライン授業があります! もちろん私も一緒に受けますよ」

「そういう問題じゃねえ!」




 ……かくして、俺は葉潤糸唯はうるしゆいと一度目の出会いを迎えたのである。この後、円花をなだめるために数日かけて画策したのは、また別のお話。


 なんにせよ、偶然の出会いが意味もなさぬまま終わることはなかった。


 俺の狂気的な祈りは、円花が来ただけでは終わらなかったのだ。


 葉潤糸唯はうるしゆい─────彼女こそ、第二の転校生なのである。

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