第27話 「祐志さん! 私が舐めましょうか?」
お仕置きタイムが終わると、俺は自室に向かっていた。一度、円花さんから距離を置きたかったんだ。
壁に背中を預けたまま、腰を落とす。もたれかかるような体勢になる。
「アハハハハハハ……おかしいすぎておかしいよな……」
笑うしかなかった。任意の上だったとはいえ、縄で拘束されるとは予想外だった。なにかしらの形で、嫉妬心を露わにするだろうとは思っていたがな。
隣の部屋に、まだ円花さんはいる。俺の頬をぺろりと舐められてご満悦らしく、呑気に鼻歌を吹いている。
……だめだ、なにもしないと余計なことを考えちまう。
「記録、するか」
床からすぐに立ち上がれない。足が震えているようだ。
ようやく机の前に座ると、目の前の棚からノートを取り出した。
ついさきほどまでにされたことを列挙していく。話の構造はシンプルだ。騎里子の唇が思わぬ事故で俺の頬に触れ、怒った円花さんが〝お仕置き〟を実行した。
椅子に座らせ、全身を縄で拘束させる。アイマスクもつけさせる。それも、許可を求めた上で。
それから、彼女の顔が俺の顔に急接近し、触れそうで触れないラインで舌を動かした。ついには舌を頬に数秒間つけ、ぺろりと舐められた。いまだに舌の感覚が忘れられそうにないくらいに。
字に起こして見ると、実感以上にひどい目にあっていたことが理解できた。ずいぶん冷静になってきて、その恐ろしさを再度思いしらされる。
もはや、円花さんの行動はエスカレートするばかりだ。拘束の次に何が待ち構えているのだろうか。
「ゆーくんさ〜ん」
「な、なんだよ白羽円花!! 脅かすんじゃねえよ!!」
「怒鳴ることじゃないですよー。ね?」
いつの間にかあいつは俺の部屋に侵入していたらしかった。あんなことの後だ、こちらの警戒心はマックスだ。
「それに、私はもう成竹円花です。間違えないでくださいよ、ゆーくんさん」
「ともかく、ゆーくんさんという呼び方はやめてくれ。気分がいいものじゃない」
「では祐志さんに戻しましょうか」
「頼むよ」
俺は最高にいらだっている。それを自覚できているだけマシだよな。ああ、あいつは底しれぬ闇を持ち合わせていて怖えんだ。
「お仕置きの感想を伺いにきたんですが」
「もう騎里子と────」
「一生関わらないでいこうと思う。なるほど、感心ですね」
「いや、そこまでは……」
「ああ、高校生活中ずっとですね。そうですよね」
騎里子と距離を置くってのは今後の対策として妥当だよ。だがな、一生関わらないはやりすぎだろうが。
「私だって、好きでお仕置きなんてしません。ですから、火種は祐志さんができるだけ減らしてください」
「鋭意努力する」
「それでは失礼し────」
「……なんて、やすやすと引き下がるわけにはいかないね」
「歯向かうおつもりですか?」
「いやいや、俺は至って平和主義。争いは好きじゃあないよ。持ちかけるのは和解だ」
「不平等条約はお嫌いでしたか」
「一方的な支配はうれしくない。対等な関係が望ましいんだ。そうすることで、俺は気兼ねなく円花さんに愛情を抱け、また抱かれることができる」
歪んだ愛は危険を孕んでいる。限度を越えれば、身体中に毒が巡る。
しかし、よく考えてほしい。人間はフグを食っているのだ。もちろん百パーセント安全ってわけじゃあないが、正しい処理をすれば食えるんだ。要は扱い方次第というわけで。
「対等な関係……それは理想的ですね」
「理想に溺れるのが俺の悪い癖だからな」
「いいでしょう。それでは条件を提示してください」
どこまで、俺は円花さんに要求するのか。少なくとも、拘束プレイ以上のことを強引にされては困る。でもな、それ以上なにかあるだろうか。今後の関係は、かかってこの交渉にあるというのに、いい考えが思いつかない。いちおう、これを持ちかけてみるか。
「……よし。俺が三回続けて『やめてくれ』というまでにやめなかったら。十日間、いっさい円花さんと口をきかないようにする。場合によっては、この家から一時的に出ていく」
「そ、そんな……! ひどすぎるじゃないですか!」
「簡単だ。円花さんは三回のうちに命令を受理すればいいだけなんだ。自分が嫌な思いをしないためには、どうすればいいかわかるよな?」
「…………」
円花さんは黙りこくってしまった。
「まぁ、こんな口約束で済むなら警察はいらないって話なわけで。きちんと書類を作っておこう」
「本格的ですね。どうしてですか?」
「成竹家の平和を守るためだ。ちなみに
「本格的ですね。どうしてですか?」
どこか既視感のあるやりとりだったが、そんなことはどうでもよくて。
「しっかりと覚悟を決めてほしいんだよ。拘束されてもさほど嫌いにならないくらい、円花さんのことが好き……なんだと思うからさ」
「ずいぶんあっさりとした告白ですね」
「ノーカンだ。あれはただの供述に過ぎない」
「でも、発言は取り消せませんよ? もうしっかり記憶も記録もしておきましたから。後で何回でもきけますよ」
「あっさり盗聴を告白しないで」
「これはノーカンにしてくれないんですか?」
「くっ、うまいことをいうな」
このままだと漫才になりそうな予感がしたので、俺は咳払いをする。
「ともかくだ。いまから書類を作成する。作り終わったらサインと
「もちろんです」
家族共用のパソコンを立ち上げ、ネットからそれっぽいフォーマットを参考にしつつ、サクッと文書を作る。リビングにある印刷機にデータを送り、印刷をしていく。
おのおの名前をペンで書き、いよいよ指を切る時間をむかえた。
「私、指切るのが不安です……」
「あくまで形式だから。針かカッターで軽く切るだけだからね」
机からカッターと裁縫針を取り出し、円花さんから切り始める。簡単に血が出て、すぐに作業は終わった。
次は自分の番だ。よく切れそうな気がするので、カッターを選択。切りやすそうな左手の指を選択。
「さあ、切るか……」
慎重にいきすぎたせいか、まったく血が出ない。
「おかしいな……」
「もう少し強めにやってみたらどうですか?」
「そうだな」
忠告に従い、思い切ってカッターを動かす。
「うわぁ! やべぇ!」
俺は
「祐志さん! 私が舐めましょうか?」
「うん、頼むよ……って、それじゃあこの血判の意味が薄れる気がするんですけど! 念のためやめとこう、ね?」
「でも……爪の垢を物理的に煎じて飲むよりはハードルが低い気がします。それに、祐志さんの血を見ると動物的な本能が刺激されるんです」
「やっぱだめじゃん。嫌な予感しかしないよ」
その後、軽く血を拭った後に血判をした。消毒を済ませ、今では左手の人差し指は絆創膏に覆われている。慣れないことをするもんじゃないね。
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