第26話 「お仕置きタイム、スタート!」
セルフ椅子拘束を終え、ついに尋問が始まる。
「さっそくですが、ゆーくんさんはこの状況でなにを望みますか」
「すみやかな解放に決まっている。自分で縛るとはいったがな」
「それは自分次第ですから、きちんと誠意を見せてくださいね」
恐れ
「どうしたんですか? 苦しそうにして」
円花さんは、こちらまで近づくと、自身の膝を折り曲げたらしかった。レバーによって、空気の抜ける音とともに椅子の座高が下がっていく。
適切な位置にセッティングされると、円花さんは左耳を俺の心臓に押し当てたようだ。
「ほらほら、こんなにドクドクと脈打っていますよ? 私の命令で縛られて、もしかして興奮しちゃっているんですか?」
「違う、この状況が恐ろしいだけなんだ。興奮なんてしていない!」
「たとえゆーくんさんの言葉でも、いまは信じられません。他人が疑わしいとき、信じられるのは自分だけです」
「もし、自分の判断が誤っていたらどうするんだ」
「どうでもいいんです、そんなこと。他人に騙されるほうがよっぽどつらいですから」
俺がギルティだということは、円花さんの中では不動の事実らしい。考えを変えるつもりはなさそうだった。
一度信じたら、なにをいわれようとも耳に入ることはないらしい。
彼女は立ち上がり、別の椅子に座ると口火を切ったようだった。
「それでは次の質問に入りましょう。ゆーくんさんは謝りたいですか?」
「ああ、謝りたいさ。椅子に縛り付けられるほど怒っている相手に、謝罪の言葉もなしに解放されようとは思っていない」
「まだ、どこか『自分は悪くない』と思っているように見受けられますね。ダメですよ、ゆーくんさん……やっぱりお仕置きが必要みたいですね」
「お仕置き?」
「────目には目を、歯には歯を」
「ハンムラビ法典か」
「はい、その通りです」
たしか。被害を受けたら、それに相当するような報復をすること、だったはず。
「唇には唇を、です」
「おい、早まるんじゃない、俺が悪かった。でも、こんな形でキスをされることなんて臨んじゃいないんだよ、円花さん。ファーストキスがこんな形でいいのか?」
「これはファーストキスにカウントしませんから問題ありません」
「それなら、騎里子とのやつもノーカンじゃあないのか」
「何度もいせないでください。この状況ではゆーくんさんに決定権はありません。私の判断こそが絶対の正義で、それ以外は悪なのです」
諭すようないい方だった。自分の考えに取り憑かれ、酔いしれたかのような声色。幸か不幸か、アイマスクのために円花さんの様子は窺えない。
表情が見えない分、恐ろしさが増してるともいえるし、歪みきっているであろう表情を見ずに済んだともいえる。
「ああ、私もひどい人間です。ゆーくんさんから自由を奪って、お仕置きと称して好きなようにするだなんて」
彼女は舌舐めずりをした。唾が動き、じゅるりと音を立てる。
「さぁ、お仕置きの時間です。覚悟はできていますか」
「やめるんだ、早まるな。まだ取り返しはつくぞ。後悔することになるのは円花さんだ」
「取り返しのつかないことをしたのは、むしろゆーくんさんの方ですよ。それに、後悔なんてするはずありません」
彼女は肉薄する。また膝を折り曲げたようだ。少しずつ、顔が近づいてくる。
匂いが鼻腔をくすぐる。悔しいが、いい匂いだった。陳腐な表現だが、香りのいいシャンプーの匂いのようだ。
「ああ、こうやってまじまじとゆーくんさんの顔を見たのは久しぶりですね。はじめて出会った日以来でしょうか? すばらしいです。ああ、時が止まってしまえばいいのに!」
至近距離で熱弁されたため、少し唾が飛んでくる。
「……では、ここで再度質問させてください。覚悟はできていますか? もちろん拒否してもらってもかまいませんよ。私はただ言質をとっておきたいだけなんです」
いま、お仕置きから逃げ出すことは簡単だ。円花さんのことだから、自分のいったことは守るだろう。そして、
だが、また自分で縛る手間や追及される面倒臭さを思うと。いま耐えればいいだけだ、と思考が切り替わる。この瞬間さえ乗り切れば終わりなんだ。唇には唇を。
別にもういいじゃないか。どうしてまだ抵抗してるんだ。命まで取られるわけじゃない。これが終わればまたいつもの日常に戻る。ふつうの円花さんに戻る。そうだ、きっとそうだ。
「……覚悟は決まった。もういいよ、あとは好きにすればいい」
「ありがとうございます♡」
「感謝されることじゃない。至極当然の意思表示だよ」
俺は受け入れてしまった。
「お仕置きタイム、スタート!」
演技がかった口調で、高いテンションで、彼女はいった。
ゆっくりと、彼女は距離をつめていく。
その度に、興奮のために荒ぶった呼吸が顔に当たる。くすぐったい。
「唇を奪うほど、私はひどい人間ではありません。頬には頬をです。でも、ちょっとだけお仕置きは激しめです」
唇が、触れるか触れないかのギリギリまで近づいているのがわかった。それから──唇は触れていないままだったが──、彼女は顔全体を舐め回すようにした。
「もう終わりでいいんじゃないか。騎里子と接触したのは一瞬だったぞ」
つい、俺は不満を漏らしてしまった。
「文句をいういけない子には、まだお仕置きが必要でしたかね?」
唇がさらに近づく。耳からの情報によると、彼女は舌を伸ばしているらしい。
「……ッ!!」
ねっとりとした感触。
頬についたクリームを舐めてとるように、彼女は舌を動かした。数秒ほどして、舌は頬から離れた。
「あっ。これは別腹ですよ? それに三秒ルールもきっちり守っていますし♡」
突っ込む気力もなかった。いまされたことに対して実感が湧かず、ただ茫然とするしかなかった。興奮なんて、もってのほかだった。感情を殺していないと、平常心を保てそうになかった。
実感を持てたのは、縄を解かれ、ティッシュで頬のぬめりをとった後のことだった。
俺はまた思い知らされるのだった。白羽円花は────紛れもない、真のヤンデレなのだと。
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