Dream peeping:09 あの頃は空も飛べると思っていた
玄関を開けて室内に入ると、すぐ鍵を二重にかけた。
靴と上着を脱ぎ、荷物を机にあずけてベランダへ向かい、洗濯物を取り込むと手早く窓の鍵とカーテンを閉めた。電気を点けるのはそれからだ。六階に住んでいるからといって、油断はできない。
手洗いとうがいをし、風呂ボタンを押してから冷蔵庫に手を伸ばす。取り出したのは缶ビール。指を引っ掛けて開けると、心地のいい音がした。一口飲んで、ほっと一息。この瞬間がたまらない。
コンビニで買ってきた弁当を食べながらわたしは、帰宅までの出来事をふり返る。
誕生日前日、久しぶりに母からの電話。電車内から見た、巨大な猫のような姿をした夢の王ヨルと夜風魚。そして怪しげな二人――夢狩りバルザフと夢買いオボロ。公園前では夢使いルリと出会った。彼女は「夢を実現する手伝いをするのが仕事」といっていたけど、結局あいつらは一体何だったのだろう。おかしなことに巻き込まれる体質でもないのに。仕事の疲れで、幻覚でも見ていたのだろうか。
夢という言葉は妙になつかしく、それでいて嘘っぽい。
できないことを夢といい、夕日の向こうに消えいく今日にさよならとつぶやくとき、はかない皮肉と哀れな情緒が交錯したときみえる残像だ。
夢のないヤツほど「現実見ろ」と、したり顔でよってくるものだ。
「そういえば、子供のころの夢って、なんだったかな?」
大人ってだめね。都合の悪いことはすぐに忘れてしまう。逆に子供は、どうでもいいことほどしっかりおぼえていたりする。でもいまの子供は、夢なんて持っているのだろうか。
選ぶと選ばざるとに限らず、この世はピラミッドのある世界で成り立っている。望んだとしても、頂点に立てるのはひと握り。多くがふるいにかけられては落とされ、わずかに掴んだそれなりの幸せで心を慰める日々を暮らすのだ。
そういう現実を、否応なしに子供たちは知っている。
歳をとれば賢くなるわけではない。一生懸命がんばっても報われない。魅力的な未来は鳴りをひそめ、残酷という現実だけが未来から流れてくる。かつて夢みた世界は、どこへ消えてしまったのだろう。
湯船に浸かりながら、自分の夢について考えてみた。
子供のときはあれがしたい、これをやりたいと、考えなくても目につくことがすべて夢だった。でもそれをかなえるには、時間とお金が必要だった。お金がほしかったし、はやく大人にもなりたかった。
大人になって、働いて、お金を手にして、やりたいことを一つひとつやっていった。いろんな国に旅行に出かけ、おいしいものも食べ、ブランドものにも手を出し、友達と騒いだり、ひと通りの恋愛もした。でも本当にやりたいことだったのだろうか?
才能とよべるものを持っている人たちは確かにいた。彼らは才能を伸ばすため、自分の才能を認めてくれる海外へでていくようだ。
なにか秀でたものを持っているわけではなかった。才能もないから、資格を取ろうと躍起になっている。でも資格を取っても仕事につけるかは別問題だ。
実質、経済を動かしているのはわたしたちの世代だ。でも一番元気がないのもわたしたち。幻想に幻滅しているのだ。
「自己愛という傷を舐め回してるだけなのよね。傷は誰しももってる。辛いことはそのへんにゴロゴロしてる。けど、明日がどうなるかわからないところで、希望と絶望は生まれる……か」
そうつぶやいて、われに帰る。今の言葉はどこかできいた覚えがあった。それは昔、というにはあまりに近くてそれでいてもう引き返せないくらいの昔、確かにわたしは聞いた。
風呂から出て、忘れないうちに思い出そうと棚から高校時代のアルバムを引っ張り出した。
アルバムはなつかしい。昔の思い出が詰まっているからではなくて、どのページにどんな写真が収められているのかをおぼえているからだ。正直、写真に残っていることぐらいしか、昔のことは思い出せない。
あるページで、わたしの手はとまる。一枚の写真があった。三人仲良く並んでいるその写真。真ん中で笑っているかわいい子がわたし。右にいる髪の長い子は碇矢可子。左の目つきが悪そうな男の子が愛敬友朗。わたしの大事な友達だ、
浮かんだ思いを忘れるようにつばを飲み込む。それ以上のことが思い出せない。
昔のことを思い出したところで、いいことなんて一つもない。
あるのは後悔と自責の念、己の未熟さだけ。成長すれば解決できるわけではないし、歳をとれば賢くなることもない。我が強くなるだけだ。手にしたいと思っているものは絶対に手にすることができない。そのことはわたし自身よくわかっていた。
だから昔のことを考えないようにしてきた。仕事に一生懸命がんばり、振り返ろうともせず、ただ前だけを向いて生きてきたのに。二人の名を思い出してしまった。
「なつかしさの正体は、忘れえぬ過去か、はかない夢か」
ぬれた髪が揺れるのを感じながら顔を上げると、カーテンがたなびき、窓の向こうに人影をみた。
瞬間、部屋の明かりがいきなり消えた。
「誰なの!」
ここは六階。
十二階建てだから、上から人が降りてくるはずもない。
さっきベランダに出たときには誰もいなかったのに。しかも鍵をかけたはず。
窓の向こうに赤い満月が見える。月光を背にして立つ暗い影が、たしかにそこにいた。
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