Dream peeping:03 掃き溜めの世界

「あなたたちのこと……忘れたことなんて、ない」


 窓の外をぼんやり眺めていると、自分のいる場所が海の底におもえてくる。

 汚れて青ざめ、暗く重苦しい街。

 光届かぬ海底に沈んだ街は、まるでこの世の掃き溜めだ。


「……なに、あれ?」


 満月をみて、目を細める。

 はじめは月に雲がかかってきたのかと思った。

 けど、なにかがちがう。

 渦を巻いて排水口に吸い込まれていくみたいに、満月へと吸い込まれ、心なしか膨らんでいる。

 まるでダイバーになって、魚の群れをみているみたい。


 なにかが、はじまろうとしている。

 いつも、そうだ。身近にあるのに誰も気づかない。

 はじまりを気づけないでいると、風が吹くみたいに突然、終わってしまう。終わりは、いつも足跡だ。足跡をみつけた人は、考古学者気取りで、なにかがここで起こったのだろうと想像する。

 想像は、はじまりに気づけなかったことへの贖罪と懺悔か。それとも今度こそは、はじまりに気づくことができたのだろうか。


 わたしは、目を細めて外の様子をうかがった。

 車道を走り抜ける車が風を切るたびに、魚に変わって泳ぎだす。

 ビルとビルの間を風が吹きぬけると、無数の魚となって群れを成す。

 走る電車が巻き起こす風でも、魚たちは生まれていく。

 車窓の外は、名もわからぬ不思議な魚たちが泳ぎまわっていた。


「これは、夢?」


 ドアの隙間から風が入ってきた。

 目の前で風は小さな魚となり、数匹の魚たちが車内で泳ぎ回る。

 近くに来た魚をつかもうと、おもわず手を伸ばす。

 けれど、元が風のためか、触ることなくすり抜けていく。

 すぐに乗客たちをみた。

 誰もおどろいていない。

 それどころか、この光景に気づいてもいない様子だった。

 疲れ果てて脂汗が浮かぶサラリーマンのおじさんも、土気色した肌の女の人も、携帯端末の画面を食い入るようにみつめるカップルも。

 魚たちはどんどん数を増している。

 なのに、乗客はだれも目の前で起きていることに興味を抱こうともせず、ただひたすらに自分のことで忙しい。


「あれは夜風魚だ」


 隣から男の声がした。

 しわがれた声で話すその男は、黒いサングラスをかけていた。

 体格のいい中年男性。垂れ下がる前髪で、どんな顔をしているのかはっきりわからない。その髪は小汚く、鳥の巣みたいにくちゃくちゃだ。グリーンのコートも薄汚れ、くすんだ色をしていた。

 あまりの怪しさに、わたしは一歩身を引いた。


「こいつらは、夢をこのんで集める習性がある」

「夢を?」


 思わず問いかけてしまい、あわてて口に手を当てた。


「そうだ」と男が答えた。「生き物は光に向かう習性があるのとおなじで、夢の輝きに惹かれるのだ。とくに満月の夜は特別だ。満月を従者にしてやってくるあいつの登場だ。その咆哮は夜を切り裂くと言われている」

「あいつって?」


 問いかけて、わたしは口を閉じた。

 息が詰まりそうだった。

 海のなかで息を止めているときのように苦しかった。

 落ち着け、落ち着くんだ。自分に言い聞かせて深呼吸をする。

 この男は酔っぱらいか、変質者かもしれない。

 変なことを口走ったら最後、有無を言わさずぱくりと食べられてしまうという想像におびえながら、高ぶる気持ちを落ち着けようとした。


「見ろよ、出てきた」


 男の声にうながされて、わたしは窓の外に目を向けた。

 膨らんだ満月の輝きに照らされる建物の向こう、なにか大きな山みたいな影が現れ、暗い闇の塊がどんどんどんどん大きくなっていく。


「あれって……なに?」


 わたしは息を飲む。

 あいつと呼ばれる存在、それは巨大な猫の姿をした影だった。

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