Dream peeping:02 無慈悲な月

 スマホが鳴った。

 表示画面をみながら迷ったが、息を漏らして、わたしは電話に出た。


「元気かい?」


 母親だった。

 仕事は終わったかと聞かれて、終わったと返事。

 どうして電話をかけてきたのか、わたしは知っている。

 いい人はみつかったのかとか、お見合いの話がねとか、そういった内容だ。


 結婚すればしあわせになれるわけではない。

 結婚した友人たちは、しあわせにみえない。子供には手がかかるし、自分の時間が持てない。結婚してしばらくすると夫はかまってくれないし、相手の親との人間関係もむずかしい。そんな愚痴ばかり聞いていると、結婚する気がなくなってしまう。


「そんなこといってると、一生独りよ」


 独りはさびしい。

 いわれなくてもわかっている。

 昔は、と、胸の中でつぶやきかけて、いやになって自分にいい直す。高校のときは学生結婚することに憧れていた。けれどそんな夢はあっという間に現実が消し去ってくれた。


「はやく孫の顔を、みてみたいものだね」


 母親の声を聞きながら、わたしはしあわせについて考えをめぐらせてみた。

 しあわせの対象として、きれいな女、金持ちの女、仕事のできる女の三種類しか浮かばない。きれいで金持ちの女もいるし、仕事ができてきれいな女もいるし、きれいで金持ちで仕事ができる女もいる。


 仕事ができて、美人で、お金持ちな女は、自分なりの目標を立てている。

 ざっくり大きな目標に向かうため、そこへと至るための展望をいくつか用意し、いますぐ取り組むべき小さな問題を一つずつ日々クリアして自信へと変えていく。

 このとき、問題を解くのに必要となってくるのがプロセスだ。

 問題のパターンを判断して解く方法を思い出し、必要な知識を引き出して解いていく。その場しのぎのひらめきはいらない。おぼえた知識の蓄積をどれだけ実行できるかが重要なのだ。


 問題解決は、選択によってほぼ決まってしまう。

 途中でどれだけ手を抜いたか、という減点方式で、その後の人生のしあわせ度合いが決まってくるのだろう。


 そういうことは授業で教えられたことはないなぁと、わたしは何気に思い出す。

 成績で塾のクラス分けをするように、格差によるクラス分けは確かに存在している。それでも誰もがしあわせになりたいと願っているし、充実した人生を送りたいとも願っている。もちろん、わたしもだ。


 自分の子供だけはしあわせになってほしい、と必死に働く親は大勢いる。うちの親もそうだ。でも、しあわせで充実した人生を送るためにどうあるべきか、誰をモデルにすべきか。わからない。

 しあわせは人生に満足することだと、親戚のおじさんは話し、自分でつかみ取るものだと友人は語っていた。ちょっとした気の持ちようで訪れる、と仕事の先輩は話してくれた。


 本当だろうか?

 満足するにどうすればいいのだろう。どうやってしあわせを掴めるだろう。ホームムレスも、ちょっとした気の持ちようでしあわせになれるだろうか。わたしはわからない。

 結婚さえできればしあわせになれる、と信じている人はどれだけいるだろう。金持ちの男と結婚すれば、しあわせになれると信じている人は多いかもしれない。結婚したほうが不幸になるリスクが少ないのか。それぞれのケースで違うからわからない。


 わたしはどうだろう。好きな人と結ばれることがしあわせだと信じているのだろうか。わからない。結婚は一度はしてみたいし、恋愛はしないよりしたほうがいい。


 わかっていることはと結論を出す前に、

「しあわせってなにかな?」

 母親に問いかけると、なにをいっているのかと笑われた。

 わかっているのは、こうすれば必ずしあわせになれるというモデルは存在しないことだ。きっと、昔もなかった。


 人身事故により到着が遅れたことをお詫びするアナウンスが流れ、ホームに電車が入ってきた。電車に乗るからと伝え、わたしは母親におやすみといって電話を切った。


 満員の車内から、なんとか座る場所をみつけて腰を下ろす。

 座れなかった人たちは、ドア付近に集まるようにつり革にしがみついている。取り込み忘れた洗濯物のようだ。彼らは目指す駅まで立っていなくてはならない。

 そんな光景を横目に、幼いころみんなでよくした遊びを思い出す。果物をひとつ選び、名前を呼ばれたら別席へ動かなくてはいけない、という遊びだ。

 わたしはこの遊びが嫌いだった。名前を呼ばれて無理やり立ちのかなくてはいけないからだ。いい歳だからと結婚をせかされるのと似ている。

 明日は誕生日。

 老いてはいない。でもけっして若くはない。いつ死んでもおかしくない。三十はそういう年齢かもしれない。そう胸の中でつぶやいて、わたしは視線を変える。

 車窓からみえるネオンの灯る夜の街には、おおきな赤い満月がひとつ、浮かんでいた。

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