第4話 革命前夜

「展開」

 誰が言ったか――それを合図にするように、四人の甲殻が鎧の姿を成していく。

 水色の閃光を放ち、《懲役燦然年》が。

 紫色の稲光に滲み、《惑える子羊》が。

 緑色の彩光に溶け、《変幻自由自在》が。

 金色の威光を受け、《大いなる無力》が――甲殻を広げ、剣に力を満たす。

 まばゆい光が収まったとき、乗っていたエレベーターが目的階で停止した。ポーンと電子音が鳴ればドアが開いていく。数センチ開いたところでまふゆは一歩踏み出し、剣の柄を握る。完全に開き切ったのと、まふゆが抜剣したのは、同時のことだった。


「やっ!」


 着いた途端襲いかかろうとしてきたセツリを一瞬で薙ぎ払う。俺の力で大した脅威にもならなかったそのセツリは、白い四肢を真っ二つにして、容易く地に伏していった。

 まふゆは「ふう」と剣を鞘に戻す。


「本当にドアが開いた瞬間に来たね……籠中さんの言ったとおりだ」

「まあ、警戒しておいて損はないくらいの気持ちだったんだけど、当たっててよかった」

「小物だったのも幸いしたね。コインを持ってるセツリ以外はだいたいこんな感じなのかな?」

「雑魚に付き合う道理はねえよ。とっとと先に進もうぜ」


 四人ともエレベーターの庫内から出る。ドアが閉まると、庫は元いた十二階へと戻っていった。それを見届けることなく四人は進む。

 薄暗い会場だった。全会場がそうなのか、それとも六階にかぎってのことなのかはわかりかねる。少なくともまふゆたちが降りたこの会場は全体的に照明もなく、どことなく埃っぽかった。部屋というよりはとてつもなく長い廊下のようで、奥行きがあるわりに幅は狭い。視界を遮る障害物がない代わりに、甲殻を展開しているかぎり、全員で横一列に並ぶことはまず不可能だろう。

 まふゆと翼切が前方に並び、その後ろを籠中と実花島が歩く。

 スロースターターな籠中を控え、精霊の特徴上、縦横無尽に攻撃できる実花島を背後に回した陣形だった。


「にしてもまふゆ、さっきの居合はよかったよ。上手くなってきてる」

「ほ、本当?」

「本当本当。褒めてつかわす」


 剣技の師匠である実花島が、師匠というよりも幾分かえらそうな態度でまふゆに言った。けれど褒められたまふゆは心底嬉しそうで、肩を軽くシェイクしている。

 まふゆは稽古の一環として、抜刀術の修行を行っていた。

 俺の無効化という力は抜剣の状態で発動する。もしまふゆが強いセツリに遭遇したとき、チームメイトの助けなしに戦うのは危険だ。しかし、まふゆが剣を抜いている状態では、そのチームメイトたちが戦えない。ならば、セツリを倒すギリギリまで、剣を抜かないことが重要になってくる。そのために訓練する必要があると判断したのが、居合などの抜刀術だ。ただし、ギリギリまで剣を抜かないとなると無効化という利点がほとんど消えることになるため、場合によりけりで使い分けていく必要があるが。

 発案者の実花島が指導を行っており、現在稽古の半分を抜刀術が占めていた。


「家でもちゃんと練習してるんだよ」

「えらいえらい。でも、やりすぎには注意しなよ。こゆりんとかならその感覚わかると思うけど、肩とか痛めたら大変だから」

「えっ……な、なんのことかな。やりすぎなんてしてないやい。ふんふん」

「いや、してるだろ」


 俺がツッコむとまふゆは「しっ!」と人差し指を口元に持ってくる。黙ってやっていてもよかったが、俺としてもまふゆには無理してほしくなかったし、愛の鞭だとでも思ってほしい。

 まふゆの罪に関して口を出してきたのは、意外にも――いや、普段気にかけているからこそ当たり前ではあるんだろうが――さっきまでなんの反応もなかった籠中だった。


「菜野さん。本当に気をつけなよ。元々訓練してるとはいえ、剣はそんな軽い物じゃないし、振りすぎると痛くなるのはわかるでしょ?」

「で、でも、04ゼロヨンに来るまでに通ってた指導塾で……」

「指導塾も予備校も監督官がちゃんと計算配分してくれてるの! そんな考えたらすぐにわかるようなことで体を酷使しない! しっかりしてよ!」

「はいっ! ごめんなさい!」

「うるせえ! お前ら試験中だぞ、集中しろ!」


 翼切による叱責により、三人とも口を閉ざした。まふゆは翼切の顔色を窺い、実花島は飄々とし、籠中はまさかの翼切に注意を受けたことを小さく恥じていた。

 しばらく沈黙が続いたが、おそるおそる、囁くような小声で、まふゆは俺に言う。


「……なかなか、大型のセツリと会わないね……ナルくんは、セツリの気配とか、感じたりできないの?」

「いくら俺たちが精霊でも、探知機みたいな便利な機能はついてないな。気配を察したりなんてのは不可能だ。神秘が神秘を知りつくしてると思ったら大間違いだぞ、まふゆ。森は氷河を知らないし、川は火山を知らない」

「そっか……私だって、ひとの気配とか、全然わからないし。そういうものだよね」

「もしかしたら、セツリの気配を察知する精霊もいるのかもしれないがな」


 だとしても、やはり俺の与り知らぬところの話だ。俺たち精霊は他の精霊のことをなにひとつ知らない。甲殻に降ろされるまで、俺たちはただの概念や現象にすぎないのだから。


「まあ、目当てはコインを持つセツリだけなんだ。無駄な体力を使わずに済むし、ラッキーだと思っておいていいんじゃないか?」

「んー、それはどうだろうねえ?」後ろから実花島が口を入れてきた。「こゆりんの斬撃速度を上げておくためにも、チョロい敵の一匹や二匹は倒しておいて損はないよ。試験的にも点数にカウントされるんだから」


 籠中も、いつものように落ち着きばらった声で言う。


「気になるのは、点数のカウント方法。戦闘を見る、って言ってたけど、なにに重きを置き、どう数えるのかまではわからないから。コインの回収が合否と言っても、それが点数に直結しないとは言ってなかった。たとえば、コイン三枚で合格最低点のライン、という計算なら……積極的にセツリを倒してより高い点数を狙わないと、いい成績は取れないよね」

「ああん? 合格するならなんでもいいだろ、そんなの」

「甘いよ、飛馬くん」実花島はどこか誑かすような、面白半分な声音で、囁くようにそう言った。「点数落としちゃってもいいの? 他のチームに負けちゃうよ? 学ぶことなんかねえっていつも馬鹿にしてるくせに、あいつらよりテストで点数取れないの、想像してみなよ。可哀想に。飛馬くん超かっこわるい」

「うるせえ!」


 キレた翼切が、肘鉄を食らわせようと実花島の脇に肘を突きだす。それをさっと避けた実花島は、何事もなかったかのように話を続けた。


「俺が気になってるのは、時間かな。指導官は制限時間の話なんてしなかった。無制限と考えるのが妥当だけど、俺は攻略タイムを計られてるんじゃないかなって思ってる」

「それって、三枚のコインを集め終えるまでの時間?」

「そんな感じ。まあ、出発時間がチームによって微妙に違うから、考えすぎの可能性だってあるんだけどさ」

「だったら俺様はコインの所有ってのも気になるぞ」翼切はぶっきらぼうに言った。「セツリにコインを持たせてるのか、コインのある場所をセツリが守ってるのか。最悪、セツリを倒しても探す時間が必要、って可能性も出てくるんじゃねえのか?」

「言えてる」


 三人の話に、まふゆも俺も舌を巻いていた。

 さすが成績レベルカンスト組と言ったところか。たった一ヶ月かそこらで一年の養成課程分であるレベル99にまで達するだけのことはある。籠中はもちろんのこと、実花島、以外なことに翼切に至るまで、考える振幅が他の生徒よりも広く深い。三人の強さはそういうところから来ているようにも思う。

 そもそも、現時点で己の殺法を確立していること自体驚くべきことなのだ。

 画家だって、絵柄を確立するのには時間がかかるし、また、時代によって完全に変化させる者もいる。固定させるのは難しい。幼ければ幼いほど形成段階だ。

 養成学校に入学したての若者が、自分だけの型を身につけているなど、通常はありえないだろう。どのクラスメイトもまだまだ発展途上だった。

 己を完全に管理する籠中も、剣術と精霊の力を融合させた実花島も、精霊の特性を遺憾なく発揮させている翼切も、この学校では異様と言える――それなりに考えて向き合わないと出せないのが、殺法なのだから。

 俺をインストールしていた一ヶ月間、その三人と比較されすぎたまふゆは、無意識的な劣等感や憧れを抱いているように思う。あまり気にしなくてもいいとは思うが、周りがそれを許さないだろう。三人が優秀であればあるほど、余り者のまふゆに後ろ指を指したくなるのだ。馬鹿にしたくなるのだ。それが人間の感覚なのだ。

 しかし、チームメイトの三人はある程度まふゆを認めている。もう足手纏いだとも下等だとも思っていない。だから、まふゆもチームメイトを対等に見てもいいと思う。

 感嘆するのも、褒めるのも、憧れるのも結構だ。

 けれど、お前だってもう、なにもできない落ちこぼれじゃない。


「……セツリ発見!」


 先頭にいたまふゆと翼切が、十数メートル先に五匹の飛行するセツリを見つける。白い腕を伝うように生えた半透明の羽を持つ、サイズとしては小物のセツリだった。


「俺様に任せな!」


 翼切はタタタッと駆けだした。

 鞘から剣を抜けば、ケーブルから満ちる紫の光で冴えわたる。

 すぐさま剣を振りかざすも――セツリは軽々とその斬撃を避けた。


「ちょ、なにいまの、問題映像でしょ」


 実花島の呟きに翼切は「またか! 菜野!」と振り返ったが、生憎とこちらは抜剣していない。勝手に無効化されたと責められても困る。しかし、本当に《惑える子羊》の力が効かないのだとしたら、一体どういうことなのだろう。


「目の前のセツリの解析を申請します」


 籠中は冷静にサポーターに話しかけた。スキャンの結果、『《托卵・音波・結合》のセツリです』という結果が弾きだされる。


「……超音波」籠中がひらめくように呟いた。「コウモリの反響定位と同じ! そのセツリは音の反響を受信して周囲の状況を察知してる! より正確な平衡感覚を持っているとするなら、《惑える子羊》じゃ分が悪いわ!」


 籠中はまふゆのほうを見た。

 まふゆはこくんと頷いてから俺に囁く。


「ナルくん、お願いね」

「任せろ!」


 すぐさま剣を抜いたまふゆは、翼切と入れ替わりになるように駆けだした。

 音波を封じられたセツリはいとも容易く、振るう剣に吸いこまれるようにして斬られていく。天上からぶら下がった人形を嬲るに等しい行為だった。けれど、音波で仲間を呼んでいたのか、殺しても殺しても湧いてくる。翼切も共に剣を振るったがなかなか数が減らない。二人の周りには何十匹ものセツリが飛行していた。


「菜野さん!」


 呼ばれた声に振り向くと、籠中や実花島のほうにもセツリが現れていた。詳しくは知れないが、その長く硬い棒のような手足が蛍光していることから――おそらく蓄光のセツリなのだろうと予測される。鋭い爪を持っているため、神秘の力なしでは不利だ。

 まふゆは周囲のセツリを引きつけて走り、無効領域内から籠中と実花島を出す。

 途端、覚醒したように籠中のスピードは増した。

 囲まれた実花島も剣を大きく振り上げて、目の前にいたセツリを切り捨てる。すると薙いだ勢いのまま――剣はブーメラン軌道に乗ったように後方へ伸び、真後ろにいたセツリを一掃した。祓どころか、その狩り様は鎌を振るう死神のようでもあった。

 しかし、一匹の蓄光のセツリが強く輝いた状態で実花島の前に現れる。攻撃はされなかったものの、突如目の前に現れたことで、目の光量の調節を惑わされ、実花島はくらっとふらついた。なんとか剣を振るってはいるものの、視界が鮮明でないことから、その筋に正確さはなく、手足を切り落とすことしかできないでいる。


「主! 後ろです!」


 背後から襲いかかってきたセツリに《変幻自由自在》が声を上げるも、やはり実花島の動きは鈍かった。その背が鋭い爪により袈裟切りにされる――というところで、一筋の素早いきらめきが、セツリを蹂躙した。


「しっかりしてよ、実花島くん」


 もちろん、それは籠中だった。

 その涼しげな目でセツリを見据え、流れるようなスピードで斬っていく。


『現在のユーザーの攻撃速度は初期値の1.6倍です』

「了解です。このまま計測を続行してください」


 首を手の平で触れながら、実花島は苦々しく呻いていた。


「げえ、俺もかっこわる……飛馬くんのこと言えないな」

「私からしてみればいつもかっこわるいよ」


 なんとか視力も回復したらしい実花島は、籠中と共にセツリを倒していった。薄暗い部屋では蓄光という特徴は居場所を教えているようなもので、さっきのようなアクシデントに気をつければ殲滅は容易いだろう。


「しっかりしろよ、ポンコツ!」


 一方、まふゆと翼切が相手をしている音波のセツリは、その数の多さに勢いをつけ、二人を苦戦させていた。一匹一匹の力は大したことがなくとも、こうも数で圧倒されると倒せるものも倒せない。大量の多角的な攻撃はある意味では変則的ともいえ、まふゆにとっては苦手な相手だ。おかげで翼切からも叱咤される始末である。


「あ、ありがとう。翼切くん」


 振ってかかったセツリを切り捨てた翼切に、まふゆはそう言った。


「ああん? 礼なんか言われる筋合いはねえ。獲物ってのは早い者勝ちなんだよ。こいつは俺様が相手だ。ここは俺様に任せてお前はどっか行け」

「翼切くん、かっこいい……!」

「なんでそうなるんだよ!」


 そのとき、たくさんいたセツリが一ヶ所に集まり始めた。

 その様子は時空の歪みから生まれる魔の渦のようでも、真っ白い乱層雲のようでもあった。

 ぐにゅぐにゅと気持ち悪い音を立てて細胞を溶かし、合体でもするように一つの体を生む。

 そこに現れたのは、ぶくぶくと太り、三メートルほどにまで膨らんだ、大きなセツリだった。


「……結合した」

「はんっ、ちんまいのが大量にいるよりは、でけえのが一匹でいるほうが楽だろ」

「動きも鈍くなってる。今だね」

「わかってるじゃねえか!」


 翼切の、甘さを裏切り続けるような目つきが、さらに鋭く、爛々と輝く。

 まふゆと翼切はセツリを休みなく斬りつける。剣を振り上げるための攻撃の間隙を互いに補い合う、シックスティーンビートの刻みだった。

 しかし、羽を持ったセツリの手足がバサバサと蠢き、風で剣の軌道を逸らしていく。

 それなりに攻撃できてはいるものの、致命傷には欠けていた。

 あの羽を切り落とさないことにはどうしようもないだろう。


「まふゆ! セツリの手足を狙え! その羽を――」


 もげ。と、俺がそう言うよりも先に、翼切は動きだしていた。

 まふゆの肩に乗り上げ、力強い跳躍。まふゆを蹴飛ばしながら弾丸のように宙を裂いた翼切は、重なった両羽を剣で貫き、抉るように手首を回した。すると羽はねじれながら破け、布かなにかのように包まりながら剣に纏わりつく。翼切は対面に着地すると、剣を一度横薙ぎにし、その羽を脱ぎ捨てた。

 蹴飛ばされた反動で尻もちをついていたまふゆは、そこで立ち上がろうとする。しかし、まふゆの頭上ギリギリを、光る何本もの矢が駆け走った。


「ひっ」


 反射でもう一度尻もちをついたまふゆは、ただ見送ることしかできなかった。

 まふゆの頭上を通った光の矢は、セツリの体を鋭く穿つ。


「えっ?」


 しゃがみこんだまま、まふゆは矢が飛んできた後方を振り向く。

 そこでは、戦闘を終えた実花島が、弓に矢を番えた体勢で立っていた。

 どうしてあいつが弓矢なんて持っているんだと思ったが、よく見ると、その光る矢が蓄光のセツリの手足だということに気づく。また、実花島が構えている弓は、《変幻自由自在》によって形を変えた、実花島の扱う剣だ。

 また、実花島が光の矢を放つ。

 まさしく光速のような一撃でセツリの体を射止め、深く胴体に突き刺さった。

 声とも言えない悲鳴のような不協和音を上げるセツリの背後から、両手で剣を持った翼切が悪魔のように現れる。振り落された剣はセツリの頭部を胴体から切り離し、見事その息の根を止めてみせた。

 音波のセツリ、蓄光のセツリ――どちらともの殲滅に成功する。


「やったのね」


 籠中と実花島がこちらに駆け寄ってくる。実花島は剣を元の状態に戻し、鞘へと収めていた。しゃがみこんだままだったまふゆを立ち上がらせて、籠中へと振り返る。


「どう? 俺たちかっこいいって思うでしょ?」


 どうやら先ほどのことを根に持っていたらしい。なんと面倒くさい男だ。

 籠中は取り合わず、セツリの死体のほうに目を向けていた。その死体のそばまで近寄って、しゃがみこんだときになにかを拾いあげる。まふゆと翼切がその手元を覗きこんだ。その手の平には、養成学校の校章があしらえられた、プラチナのコインが。


「えっ! うそ! なんで?」

「さっきのが第一のセツリだったってことか?」

「元は小さなセツリだったけど、結合してからは大きなセツリ……コインを持ってる条件に当てはまるからね。これからは、セツリが隠し持っているという体で、探したほうがよさそう」


 セツリの体内にあったせいか、その肉のようなものがついていた。籠中はそれを手の平で擦って汚れを落とした。確認を取ってから、自分の上着のポケットにしまう。


「一枚目、回収完了。先に進もう」



▲ ▽




「……翼切。お前、さっきまふゆを踏み台にしただろ」

「ああん? だからなんだよ」


 俺は責めるように翼切に言ったが、やつに反省の色はなかった。

 一枚目のコインを回収し、その先を急いでいたまふゆたち。その後小物のセツリを倒したり、いくつかの扉を潜ったりと、先に進んでいたが、二枚目のコインを持つセツリと対峙するには至っていない。周囲を注意深く観察しながらの会話だった。


「まふゆは縄跳びのジャンプ台なんかじゃないんだ。代償としてお前も踏まれろ」

「誰が踏まれてやるかよ」深いそうに眉を顰める翼切。「セツリは倒せたんだからそれでいいだろ」

「ぎゃっははははは! ボクのプリンセスに向かってその言葉はないなあ、《大いなる無力》! むしろ怒りたいのはこっちのほうなのさぁ。ボクだって我慢してあげてるんだから、フェアにいこうじゃないか」

「チームワークってやつだよ。こっちはお前らのせいでメリーを使えねえんだからな」


 ぐう。

 それを言われると言葉が出ない。

 両手をもじもじさせながら成り行きを見守っていたまふゆが「いいよ、ナルくん」と俺に言う。


「私は別に気にしてないよ。ちょっとびっくりしたけど……ごめんね、メリーさん」

「ぎゃっははははは! 謝ってくれるなんてかわいいねえ、ナノ! こっちこそいじめちゃってごめんごめぇん!」

「本当にいいのかまふゆ。あいつのせいで転んだんだぞ」

「でも、私の体幹がもっとしっかりしてたら、あんなことにはならなかったわけだし……そっ、それよりも、すごかったよね! 翼切くん、セツリの羽を思いっきり突き破って、突撃○×マルバツどろんこクイズみたいだった」

「そんなわけねえだろ!」


 途中までは存外嬉しそうに聞いていた翼切だったが、最後の一言で怒鳴り声を上げる。

 反対に、《惑える子羊》はげらげらと笑っていた。

 いくつかの角を曲がりながら、しばらく進んでいく。長い廊下のような道を抜け、広いスペースに出た。湿気と熱気のせいで、気温がぐっと上がったように感じる。目の前には白い大きな山のようなものが存在していた。妙にゴツゴツとしていて、けれど光の反射率からはしっとりとした質感であることがわかる。無機質か有機質かの判断もつかない、曖昧な白山だった。


「なにあれ」


 実花島が呟く。


「わずかに脈動を感じます。おそらく、あれもセツリでしょう」


 甲殻のスピーカーから《変幻自由自在》がそう答える。


「にしては、なんか静かなんだけど」

「襲ってくる気配もねえな」

「あのセツリもだけど、この赤い線ってなんだと思う?」


 まふゆは地面を指差して言った。

 このスペースに入って五歩ほどのところに、赤い横ラインが貼られていた。その存在は〝いかにも〟という感じで、一歩踏み超えるのを躊躇わせる。他意がないならそれはそれで人騒がせな線だが、油断大敵の試験において、おそらくこれはなんらかの意味を持っているはずだ。


「真っ先に思いつくのは、そうだな……この線から向こうがあのセツリの縄張りで、踏み越えると襲ってくる、っていうのかな」

「あーね。ありそう」俺の発言に、実花島は失笑して言った。「単なる試験だっていうのに手のこんだことするよねえ。04ゼロヨンにいるのは養殖のセツリばっかりだし、調教するのも簡単なんだろうな」


 翼切は剣の刀身を肩口にトントンと当てる。


「ああん? なんだよ、てめぇら。ビビってんのか?」

「ビビってないしー。ちょっと考えてただけだしー」

「はんっ。だったらとっとと進もうぜ。どうせこのセツリがコインを持ってんだ。早いとこ片づけて回収したほうがいいに決まってんだろ」


 恐れ知らずというか、無鉄砲というか。もちろん剣で戦う四人にとって、遠距離から攻撃を繰り出せる鉄砲などの類は縁のない者だが――それにつけてもなんの対策もなしに、翼切はその一歩を踏み出した。

 一歩、赤い線を越えた瞬間。

 大きな〝砲弾〟が真正面から襲ってきた。

 声も挙げられない一瞬の出来事だった。ぴくりとも動かなかったセツリが大きく目を開け、その眼球から超高速の飛礫つぶてを〝撃った〟のだ。

 ただ突然の出来事にぞっとして、翼切の反応が送れる。

 固まっていたその手をまふゆが、肩を籠中が引っ掴み、急いで翼切を線の外側へと押しこめる。前に出た実花島がレバーを押し、剣を盾へと変化させる。猛烈な音を立てて飛礫と盾はぶつかり、勢いに押されて実花島の足は地に着いたまま後退する。

 しかし、反発力が完全に飛礫に返ったころには、飛礫はその身を砕けさせていた。中からいくつもの金属片が弾け飛び、甲高い音を立てて足元に転がる。

 線の外側。

 砲撃はない。

 盾を構えたまま振り向いた実花島は、冷や汗を掻きながら、しかし、からかうような口調で、翼切に物申す。


「ご無事でしたかぁ? お飛馬さま」


 後ろに控える翼切は黙ったままだった。庇われたことへの羞恥か、からかわれたことへの苛立ちか。眉間に皺を寄せたまま、わなわなと震えている。


「うわ、飛馬くんめっちゃおこじゃん」

「る、まで言えよ」

「とにかく向こう見ずは危険ってわかったろ」実花島は続ける。「作戦会議しよう」


 翼切の肩から手を離した籠中が、サポーターにセツリのスキャンを申請した。


『スキャンします――《多産・噴石・早贄》のセツリです』

「さっきの砲弾は噴石というわけか」俺は足元に散らばる石屑に呟く。「もはや飛礫でもなんでもないな。立派な火山礫だ。頭に当たれば致命傷だぞ」


 けれど、その砲弾を無視できないのは確実だ。

 砕けた砲弾から飛び散った金属片――それは紛れもなくコインだった。


「目的のコインじゃないよね、これ」まふゆは散らばった何十枚ものコインの中から一枚だけ拾い上げて言った。「赤とか、黄色とか、塗装されてるのばっか……さっき落としたコインはプラチナだったし、残りも二枚もプラチナのはずだよね……?」


 まふゆはコインを噛んで確かめているようだったが、数秒後「うえっ」と口から出した。おそらくなにも得られなかっただろう。元のコインの山に放り投げると、チャリッと独特の音が鳴った。

 俺は「虱潰しにコインを回収していけってことか」と呟く。


「ってことは、ナルくんの無効化は使わないのが得策かー。コインを回収するには砲弾を撃ってもらわなきゃいけないわけだし……回収する前に倒しても意味がない」

「見てたけど、あのセツリは翼切くんに一直線に砲弾を撃ってきた。多分、線を出た途端ランダムに、じゃなくって、ちゃんと対象を見て攻撃してるんだと思う」

「全員で前へ出るのはやめといたほうがいいだろうな。すんげえ速い攻撃だったし、互いに避けるのにも邪魔になる。さらにコインも飛び散るんじゃここ一面がえらいことになるぞ。せめてもの救いは、あれの動く気配がまるでねえことだ」

「敵もそう易々とこちらには近づきますまい。いかがいたしましょう?」


 そこで口を入れた《懲役燦然年》が全員にではなく籠中一人に向けて言ったのだと気づいたのは、立ち上がった籠中が宙を素振る様を見てからだった。


『現在のユーザーの攻撃速度は初期値の2.0倍です』


 その声を聞いた籠中は、思慮深い横顔で散らばった火山礫を拾いあげ、ぽいっと真上に投げる。抜き身のままだった剣を振るい、落ちてきたそれを両断する。砕かれた火山礫はカラコロと音を立てて地べたを転がっていった。一度こくんと頷いて「よし」と呟く。


「あ、あの……籠中さん。なにを……」

「回収はみんなに任せるわ。たくさん飛んでくると危ないから、実花島くんは大きな盾を作ってあげて。わかってると思うけど、万が一、いえ、に備えて、臨戦態勢だけは取っておいてね」


 カツン、と硬いヒールの音。散らばったコインや石を踏みつけながら、籠中はセツリに向かい、一歩踏み出していた。剣を構えて、三人より前へ出る。


「籠中さん、まさか――」


 まふゆの声がもつれたと同時に、籠中は赤い線を踏み越えた。

 一閃――――開かれた眼球から放たれた超高速の砲弾を、籠中は剣で両断する。鼓膜を劈くような激しい音が響き、次の瞬間にはコインと石屑が散らばっていった。見事な反射神経と斬撃速度だ。しかし、攻撃は一発だけでは済まない。ショットガンのように連続で砲弾は発砲される。籠中は一歩たりとも動かずに、それを剣で砕いていく。まるで星が爆散する光景を見ているかのようだった。

 指示通り盾を展開していた実花島が、その様を覗きながらぼそっと呟いた。


「こゆりんイケメンすぎ」

「おっかねえ女だな……あいつ……」

「でも、籠中さんってかわいいとこもあるんだよ。この前なんて一分間ケセランパサランの行方追ってた」

「それ斬り伏せる隙狙ってたんじゃないの」


 籠中は鮮やかに飛沫くコインを払い、実花島の頭を撃った。

 精霊の特徴上、初めの数分は調整期間あそびである籠中だが、時間を重ねれば重ねるほど、剣を振るえば振るうほど、その剣は冴えわたり、太刀筋が速くなる。たしかに、この素早い砲弾に迎撃できるのは、この四人の中ではこいつしかいないだろう。

 籠中は燦然と輝く。

 まさしく揺光。先頭に立ち、勝利を齎す破軍星。


「まふゆ、コインの回収!」

「あっ」


 完全に見入っていたまふゆに声をかける。盾から顔を出してあたりを見回した。

 俺もあたりに注意を遣ってプラチナのコインを探す。

 しかし、散乱する彩りの中から目的の一枚を探すのは困難だった。

 俺には人間のように体もないし、手分けすることができない。

 まふゆは跪いてばらばらとコインの山を崩していった。目に飛びこむのは赤やら青やら安っぽい色ばかり。翼切たちも探しているがなかなか見つかりそうにない。


『現在のユーザーの攻撃速度は初期値の2.1倍です』

『現在のユーザーの攻撃速度は初期値の2.2倍です』

『現在のユーザーの攻撃速度は初期値の2.3倍です』

『ユーザーの攻撃速度が加速限界点を越えました。これ以上の使用はユーザーに負担がかかります。即刻納剣してください』


 まずい。

 籠中自身が言っていた。《懲役燦然年》で底上げする斬撃速度には限界がある、と。

 速度を上げ続けることは理論上可能だが、籠中の体が耐えられなくなる。速度を上げすぎると、腕や肩に負担がかかり、最悪怪我をしてしまうのだ。ただ速度に耐えるだけでなく、そのまま戦うことも考えると、四十五キロくらいが限界らしい。これ以上籠中を最前線に立たせるのは危険だ。


「……あった」


 実花島の呟きにまふゆと翼切が振り向く。実花島の手にはプラチナのコインが握られていた。顔を上げて「こゆりん! 下がれ!」と叫ぶ。


「……と、おっしゃっておりますが? あるじさま」

「下がるわけないでしょ!」

「あまり羽目を外しませぬように」


 一つの砲弾を粉砕したあと、籠中はそこから駆けだした。

 放たれる砲弾を避けつつ、もしくは足場にしながら、セツリまで間合いを詰める。大きく跳躍して、まばゆいほどの斬撃を食らわせた。思ったよりも呆気なく、セツリは息絶えた。巨体を真っ二つにされたセツリはバタリと両側へ倒れこむ。その間に、籠中は威風堂々と立っていた。


「……ふう」


 剣を鞘へ収める籠中に、飛び散ったコインや石屑を蹴散らしながら、まふゆたちは駆け寄った。まるで海辺を歩いているかのように、コインは足へと纏わりつき、蹴れば容易く弾け飛ぶ。


「こらっ」一言目を発したのは実花島だった。「無理しちゃだめでしょ。なんのための速度管理? 使い物にならなくなったらどうするつもりだったのさ」

「籠中さん、大丈夫?」二言目はまふゆだった。「前に、使いすぎるとよくないって言ってたよね? 腕とか、痛めたりしてない……?」

「やるじゃねえか」三言目の翼切は、三人の中でも肯定的なことを言っていた。「お前、よくやるやつだとは思ってたが、まさかここまでやりやがるとはよお」


 多少げんなりした籠中も三人に近づいていく。甲殻のスピーカーから「お叱りを受けてしまわれましたな」という《懲役燦然年》の呟きが漏れた。


「たしかに限界値はきてたけど、あと一振りくらいなら大丈夫だと判断しただけ。せっかく最高速度にまで達したんだし。あと腕はまだ痛めてない、ちょっと疲れてきたけど、大丈夫だよ。翼切くんは、まあ、ありがとう……前の戦いではあんまり活躍できなかったからね。いいとこ見せなくちゃ」


 まふゆは熱烈な眼差しを向けて「すっごくかっこよかったよ……!」と言った。


「納剣したから斬撃速度は初期値に戻る。もう無理はしない。今回だけだよ」

「本当に勘弁してくれよ。お前が故障したら、《懲役燦然年》が哀れだ」


 俺がそう言うと、籠中は少々詰まったが、「わかってる」と了解した。


「あまりあるじさまを責めないでくだされ、ナル殿。あるじさまはちゃんと節度を弁え、限度を見極めておいでです。可能だと判断したから少々羽目を外したまでのこと。ご容赦を。本当は、私のことも考えてくださる、素晴らしいお方なのです」

「そうか……お前がそう言うなら、それでいいんだが」

「……ナルくんと燦然さん、いつの間にそんなに仲良くなったの?」


 俺と燦然が話していると、まふゆは訝しそうにそう言った。珍しいことに眉を顰め、甲殻――俺に振り向いてじっと見つめている。まふゆに見つめられるのは嫌いじゃないが、いつもと雰囲気が違うため、なんとなく居心地が悪い。甲殻の位置がずれたわけでもあるまい。理由は無論、その責めるような眼差しのせいだ。


「いや……お前や籠中が更衣室で着替えているあいだに話すことがあってな。別に精霊同士が仲良くしておいて問題はないだろう。《懲役三千年》はこのチームの精霊の中でも話しやすい部類に入るし」

「ほほう?」


 なんだその口調は。

 妙に小芝居がかったまふゆの態度にわけがわからなくなる。なにか責められるようなことをしただろうか。なにかまふゆにとって不都合になるようなことをしただろうか。そんなはずはない。はずだ。


「はいはい、そうだね、まふゆ」宥めるような口調の実花島は、まふゆの肩をぽんぽんと叩く。「ナルくんが他の誰かと親しくしてると、ジェラ……ってくるんだよね」

「ジェラ……?」


 なんだそれは、と思ったが、実花島の言い分は正しいらしい。リスのように頬をむっつりと膨らませたまふゆは、実花島を指差して何度も頷いていた。


「気になさる必要などありませんぞ、菜野まふゆ殿。私が付き従うは生涯にあるじさまだけと決めております。そして、ナル殿はそなただけの武器です。同じく武器である私がナル殿を扱えるわけでもなし……私はナル殿を取ったりは致しませぬ」


 察したらしい《懲役燦然年》はまふゆにそう伝える。

 俺もまふゆを安心させるため、重ねるように言った。


「そうだぞ、まふゆ。俺はお前を守り、お前と共に戦う、お前だけの武器だ。お前以外のものになるつもりはないし、お前以外に仕えたいと思わない。全霊を以て支えたいと思う俺の主は、まふゆだけだ」


 そう言うと、まふゆは顔に朱を散らせた。耳まで真っ赤になったまふゆは、によによと笑み崩れていく口元を手の甲で隠し、浮かれた声で「ありがとう」と言った。


「本当に、のろけてくれちゃってもう」

「ここまで愛されていると、武器としても鼻が高いでしょうな」

「そういうものなの?」

「そういうものにございます」

「ボクとプリンセスも仲良しだよぉ? なんと、いつでもどこでも一緒さ」

「当たり前じゃん!」


 また実花島はげらげらと笑った。この男の笑いのツボは案外浅いと思う。《変幻自由自在》は冷たい声で「うるさいですよ」と吐いていた。

 たしかに、俺としても鼻が高い。

 主であるまふゆにこうも信頼されていて、こうも大事にされていて、こうも愛されている。約束の通り、扱いにくいであろう俺を使ってくれているし、俺を使えるためにそれなりの苦労もしてくれた。あの弱気なまふゆが、俺のために努力してくれた。

――それが、その信頼が、どことなく危うく感じてしまう。

 本来のまふゆは消極的な性格だと思う。インストール待期期間でもその様子は何度も伺えた。しかし、なにがあったか、いまのまふゆはわりと積極的で、何事にも前向きに取り組んでいるように見える。だんだんと自信を取り戻し、まだ引け目はあるものの、チームメイトともちゃんとコミュニケーションを取れるようになった。

 いい兆候だが、どこか不安だ。

 どういう心境の変化だろう。本当はどこかでまた無理をしてるんじゃないかと心配になる。

 危ういのだ。

 たしかに誇りを取り戻せとは言ったが、こうも容易く立ち上がれるものなのか? こうも俺を信じてくれるものなのか? 一ヶ月も主をほったらかしにしてしまった、この俺を。

 いったいなにが、こうもまふゆを奮いたたせているのだろう。


「……いたよ。最後のセツリ」


 まふゆの呟きで足が止まる。

 気を引き締めながら、三体目のセツリを見遣った。

 四足歩行。白く長い胴体に細い手足。体型はアメンボの類に近いが、大きさはそれの何百倍、何千倍とある。仰がなければ全貌が見れないほどの巨体で、間違いなく〝大物のセツリ〟だ。手足を動かして忙しなく、まるで水面を歩くように、すいすいと移動している。


「目の前のセツリの解析を申請します」

『スキャンします――《多産・震動・消滅》のセツリです』

「震動……?」籠中がぎょっとしたように呟く。「こんな屋内、しかも地下で?」

「他の区域に伝わらないよう部屋に仕掛けがしてあるのかも……準備のために、午前は登校禁止だったわけだし」


 そう言ったまふゆはちらりとチームメイトに視線を遣る。四人は物陰に隠れ、セツリの動向を伺った。神妙な面持ちで、セツリに気づかれない程度の声で話し合う。


「作戦会議。あのセツリをどうやって倒すか」

「けっこう動くタイプと見る。普通にやってちゃ逃げられそうだ」

「翼切くんとこのメリーちゃんで動きを止める。そこを叩けばいいんじゃないかな」

「菜野さんは、念のため、いつでも抜剣できる状態にしておいて」

「わかった」

「じゃあみなさん」実花島は三人の顔を見回した。「ようござんすね」


 まふゆは柄に手をかける。他の三人は完全に剣を鞘から抜き、頷きあったと同時にセツリの前へ躍り出た。ふらっと体が揺らめいたと思ったら、セツリの動きは不器用に停止した。《惑える子羊》の力が効いているのだろう。


「かかるぜえ!」


 翼切の野蛮なかけ声とともに一斉に駆けだす。

 最初に攻撃を繰り出したのは、最前列にいた実花島だった。いつかのときのように剣を棒状に伸ばし、高跳びの要領でセツリの頭上に到達、大きな斧へと変身させた剣を振りかぶり、その胴体をかち割ろうとした。

 しかし、間一髪のところでセツリは退いた。実花島の斧は地面を突きたてる。避けたセツリは勢いよく実花島に体当たりを食らわせ、その体を吹っ飛ばした。実花島は即座に剣を槍の形に変化させ、後方の壁に突き刺してから鉄棒競技のように柄の部分で一回転し、レバーを握ったまま、柄に着地。


「飛馬くん」気だるげな声で実花島は呟く。「ちょっといい加減にしてほしいんだけど」

「馬鹿言え! メリーの力は効いてるぞ! あいつ適当に動いてるだけだ!」


 たしかに。セツリの動きを注視していると、むやみやたらに移動しているだけだということがわかる。尻のほうから歩くこともあるし、足元だってどこか覚束ない。前後左右不覚になりながら、それでも動いているような状態だった。


「ずっと、メリーさんと飛馬くんはすごいって思ってたけど、俺の勘違いだったのかな」

「は? ぶんなぐ」

「る、まで言おーねー」

「だけど実際問題……これじゃあんまり意味ないわね」


 籠中の呟きのあと、地面がぐらぐらと静かに揺れる。まふゆと籠中はわずかにふらついて、数歩その場でもたついた。しばらくすると揺れはやんだが、さっきのはあくまで前震だ。次に大きな震動が来る。


「うわあっ!」


 物があれば倒れていたであろう。それほど大きな震度がまふゆたちを襲った。まふゆは完全にバランスを失い、転倒しないようわたわたと足を動かしている。立っているのも難しい強い揺れに、籠中や翼切も翻弄されていた。


「まふゆ! 剣を抜け!」

「わわわわかった!」


 俺の力で揺れはおさまった。まだ震動の感覚が残っているのか、まふゆは頻りに足場を確かめている。けれど視線はセツリに向いたままだ。息を整えてから、背後のチームメイトに呼びかける。


「援護をお願い」

「了解」


 まふゆを先頭に、三人は斬りかかっていく。籠中と翼切は手足を狙い、まふゆは胴を狙っていった。しかし、予測不能な動きについていけず、致命傷を負わせられずにいる。

 せめて動きを止められればよかったのだが、《惑える子羊》はほとんど無駄に終わったし、俺の力は動作を無効にするものじゃない。

 なにか手はないのかと考えていたところで、さっき後方に吹っ飛ばされた人間の存在を、俺は思い出す。


「実花島!」

「はいよ」


 こちらに駆け寄ってきていた実花島はむくれた顔で返事をした。

 無効領域の手前で止まる。左手を前に突き出し、剣を持った右手を奥へと引く。


「無様でしたね。ここで挽回しないと師匠の名が廃るのでは?」

「本当に生意気だよね、お前」実花島は《変幻自由自在》に文句を垂れた。「こういうのは弟子を立てるもんでしょ」


 実花島に気づいたまふゆは剣を鞘に収め、バク転しながら実花島の隣に並び、低い姿勢のまま柄に手を添える。それを見届けた実花島は不敵に笑い、レバーを押した。


「串、一本入りまーす」


 繰り出された素早い突き。剣はまっすぐに形状変化し、凄まじいスピードでセツリへと伸びる。長い串のような剣はセツリの胴体を貫通し、奥の壁に突き刺さってその体を固定した。


「まふゆ、行きな」

「うん!」


 セツリへと続く刀身にまふゆは飛び乗り、その上を駆けていく。

 剣を鞘から抜き、思いっきり跳躍した。

 サポーターによるブザーとアナウンスでまふゆの襲来を察知した籠中と翼切は、まふゆの視界が広くなるようにセツリから退く。

 まふゆは回転して剣に遠心力をかけ、その勢いのまま、大きくセツリを斬り捨てた。

 セツリは跡形もなく消えていく。そこにはまふゆしか立っていなかった。足元のコインに気づいたまふゆがそれを拾いあげる。プラチナに輝く、最後のコインだった。


『回収完了を確認しました』


 四人のサポーターの声が重なった。

 いきなりのことにぎょっとする。なんの指示もなしにサポーターが動くなんてありえないことだ。しかしよく聞くと、それが指導官や講師からの発信だということが確認できる。


『お疲れさまでした。奥にある直通エレベーターにて地上へ向かってください。着きましたら、監督官の指示に従ってください』


 たしかに奥のほうを見ると、エレベーターのドアが見えた。やはり、準備の良いことだ。最後のラウンドに移動手段を設けるとは。サポーターの声の通りとすると、階を経由することなく直接地上へ上がれるのだろう。

 三人ともまふゆの元へ駆け寄ってくる。


「菜野さん、コインは?」

「あったよ」


 まふゆはコインを目線の高さまで持ってくる。籠中と実花島も、持っていたコインをポケットから出して、同じようにして見せた。


「三枚揃った」


 四人ともほっと息をつき、肩の力を抜いた。エレベーターに乗って地上へと出る。ドアが開くと、そこは教室棟の玄関ホールだった。あたりを見回しながら庫から出ると、指導官の一人が駆け寄ってくるのが見える。


「一番乗りおめでとう! さすがだね、アルプス一万尺!」


 いきなりなにを言いだすんだと思ったが、数瞬後、それがチーム名なのだということを思い出した。俺のような躊躇がなかったまふゆは「一番乗りなんですか?」と声を弾ませている。


「ああ。四時間十二分三十三秒。平均タイムより一時間も早い記録だ」

「やっぱりタイム計ってた」


 実花島の呟きに、指導官はギクッとした。あからさまな態度で口笛を吹いたあと、「ま、まあ、とにかく。他のチームが終わるまで待機しててよ」と話を戻す。

 言われた通り、地べたに座りこんで待機すること一時間。やっとこさ次のチームが地上に上がってきた。二番乗りのそのチームは満身創痍のようだったが、それなりの結果を出せたことに満足していた。そこから続々とチームが雪崩れこんでくる。余裕綽々の者。気だるげな者。負傷したのか手当てを受けている者。三者三様だ。まふゆたちは一足先にゴールしたこともあり、疲労はおよそ回復していた。

 全チームが集合したところで、監督官から声がかかる。


「回収完了、ご苦労だった。これより配布するボックスの中に、集めたコインを入れていってくれ。蓋にチーム名のラベルが貼ってある。取り違えないように気をつけなさい」


 コインをボックスの中に入れ、指導官に提出する。

 全チーム分が回収し終えたとき、監督官は再度口を開いた。


「点数結果は後日発表するが、今回最も速く回収し終えたチームは〝アルプス一万尺〟だった。みんな、拍手を」


 生徒も講師も関係なく、惜しみない拍手を贈る。口笛の音さえも響いたが、それに混じるように悪意の声も漏らされていた。


「十億分の一の劣等生が、えらそうに……」「カンスト組のおかげでクリアできたくせにな」「どうせなにもしなかったんだろ」「合格はしても、監督官はちゃんと見てる」「どうせ大したことない点数だって」「翼切たちも可哀想にー」「あんなお荷物と一緒のチームでさ」「だってあの精霊だよ?」「役立たず」「戦えるわけないじゃん」


 その言葉にまふゆは唇を噛み締めた。

 拍手の音に紛れるように、だんだんと視線を下げていく。

 勝手なことを、と俺が反論するよりも先に――その顔は体ごと、チームメイトによって引き上げられた。

 籠中がまふゆの両手を掴んで立ち上がらせる。それとほぼ同時に実花島と翼切も立ち上がると、四人の立ち位置はちょうど円形になった。いきなりのことに驚きを隠せないまふゆ。賞賛の拍手も陰口も全てがやんでいた。籠中はまふゆの両手を掴んだまま腕を持ち上げる。そしてその手を離した瞬間――パン、と乾いた音が四つ分打ち鳴らされた。

 四人が手を叩き合う音だった。

 向かい合った四人が輪になって、隣のチームメイトの手を叩く――互いを労い、褒め称えるハイタッチだ。

 その感動に、まふゆは呼吸を震わせる。

 実花島は悪戯っぽい表情を、籠中は微笑を、翼切はどこか面倒そうな表情を浮かべていた。手を下ろすと、静かに座りこむ。まふゆもハッとなって膝を折った。感動で潤んだ目をごしっと擦った。

 指導官の一人が微笑ましそうに口元を緩める。

 監察官が間を置いて口を開いた。


「では、各自教室に移動してもらう。君たち以外の生徒はいないが、移動は静かに、速やかに行うこと。以上、解散」


 散り散りになっていく生徒たち。腕を振ったり互いに凭れあいながら「疲れたー、帰ったら寝る!」と叫んでいた。地下にいたときの緊張はもうなかった。指導官の指示通り、しかしざわつきながらゆっくりと、教室へと戻る道を辿る。日没を終えた外は真っ暗だった。


「よくやったな、まふゆ」

「うん」

「よかったな、まふゆ」

「うん」


 俺の声かけに、本当に幸せそうに頷くまふゆ。さきほどの感動が抜けきらないのか、身を迸る震えを抑えつけるように、ぎゅっと拳を握っている。


「しかし、あいつらのぽかんとしたまぬけな顔を見たか? ざまあみろだ」

「そういう口の聞きかたはよくないよ、ナルくん」

「悪い。ちょっとスカッとして……三人にはいいサプライズをもらった」俺はしみじみとして言った。「お前だって、スキッリしただろ?」

「……そうかな……でも、ナルくんを――」


 と、そこで、言い終わるも先に。

 まふゆと俺は崩壊にぶん殴られた。



▲ ▽




 ぶん殴られた――と思ったけれど、結局なにかしらの外傷を負わされたというわけでは決してなく、ただ急すぎる衝撃音と光景にそう感じてしまっただけだった。

 突如、廊下の窓際の壁が破壊されたのだ。

 瓦礫のように崩れ、その粉塵がチリチリと漂う。破壊された箇所から暴風が舞いこんだ。舞いこんだと言うよりも押し寄せてきたと表現するほうが正しい。髪や塵は翻弄される。まともに立っていられないほどの凄まじい圧力だった。


「な、なんだ!?」


 俺の叫び声は風により消し飛ばされる。

 いったいなにが起こっているんだ。

 破壊された壁から外を見る。木が風に圧されて倒れていくところだった。けたたましい音が聞こえたと思った、ソーラーパネルがまるで紙かなにかのように容易く飛ばされていった。屋上にあったものが剥がれたのだろう。相当な風速だ。

 悲鳴にも近い声で騒ぎだす他の生徒。彼らの視線の先をまふゆも追いかける――破壊されたところから、全長五メートルほどの巨大なセツリがぬっと現れたのだ。


「ま、さか……暴風のセツリ……っ!?」


 そのとき、グラッと大きく地面が揺れる。風のせいかと思ったが、どうやら地震のせいらしい。こんなときに地震なんて、まさか、震動のセツリまでいるというのか?


「まふゆ! 剣を抜け!」


 ハッとなったまふゆは俺の指示通りに剣を抜いた。揺れが止まることはなかったものの、暴風のセツリは無効領域内にいたため、強い風だけは収まった。


『エマージェンシー。エマージェンシー。構内の養殖設備からセツリが逃げだしました。繰り返します。構内の養殖設備からセツリが逃げだしました。速やかに対処を行ってください』


 全サポーターからそんな声が漏れる。

 その場にいた生徒は混乱と驚愕に顔を見合わせていた。

 まさか、試験が終わって全員が疲弊しているタイミングでこんなことが起こるなんて。

 目の前には、これまで生徒が見たこともない大きさのセツリ。不安定に建物は揺れ、足元も覚束ない状態だ。あまりにも危険すぎる。ひとまずこの場から避難しなくては。


「みんな! 大丈夫かい!?」


 後方から一人の指導官がそう叫ぶ。まふゆにとっても馴染みの指導官だ。大人が現れたことに生徒一同もホッとする。


「どうやら電線も破壊されたみたいで、携帯端末が使い物にならない。とにかくみんなは冷静に行動して――」


 その言葉はぶちぎられるように飲みこまれた。

 

 背後から現れたセツリによって、文字通り、一口で、飲みこまれてしまった。セツリがもちゅもちゅと口を動かす。嬉しそうにのたうち回る様を全員が呆然と見ていた。なにが起きたか信じられないでいた。まふゆは顔を青褪めさせる。


「う…………あっ、そんな……っ」

「逃げろ! まふゆ!」


 数瞬後、解き放たれたように阿鼻叫喚が広がる。目の前の惨事から逃れるため、一斉に走り出した。まふゆも走り、大急ぎで階段を登る。そのあいだもセツリは追ってきた。まるで地獄絵図。小物から中型まで、たくさんのセツリが校舎中に蔓延っていた。

 すぐ後方から、まるでマグマのような熱が忍び寄ってきているのを感じる。

 逃げ惑いながら振り返ると、そこには指導官を丸呑みにしたセツリがいた。涼しげな真っ白い巨体からは想像もつかないほどの熱を放っている。校舎にはその熱が伝わり、蒸し風呂のような状態になっていた。

 わけもわからず逃げ惑っていると、長い廊下の先、教室のドアから、何人かの生徒が声を上げながら手を振っているのが見える。その中には籠中や実花島の姿もあった。


「この教室まで来て!」


 まふゆは納剣してがむしゃらに走った。別の階段口や渡り廊下からも、多くの生徒が駆けこんでいく。ふと窓際から冷気を感じると思ったら、大量の氷柱が飛んできた。まふゆはそれを紙一重で避けて、懸命に走り続ける。


「菜野!」


 教室の手前のドアから翼切が手を伸ばす。まふゆは最高速度を保ちながらそれに手を伸ばした。ちょうど触れ合ったとき、翼切は強引な力でまふゆを教室に引きこむ。

 その瞬間、魔法のように、教室が

 閉じきる前に入ってきた小さなセツリを、中の生徒の一人が切り殺す。

 まふゆは激しくなった呼吸を整えていた。

 安全区域と化したこの教室で、はち切れかけていた困惑が破裂する。


「なんなのあれ」「いきなり」「アケミがいない!」「無理だよ、あれ以上待ってたら僕たちだって死んでた」「先生は」「なんでこんなことに」「見たかよ、指導官が食われたんだぞ!」「他のやつらもうまく隠れてるといいんだけどな」「これからどうしよう」「私たちこのまま死んじゃうかもしれないの?」「連絡つかないって」「もうやだよ」


 生徒の急いたざわめきが互いにさらなる不安を呼んでいる。

 籠中はまふゆに近づき、いつもより緊張に先走ったような声で「大丈夫?」と言って肩を擦った。まふゆはまだ碌に声も出せない状態で、こくっと頷くしかできなかった。

 俺はこの教室を分析する――まるでドアや窓なんて最初からなかったかのように完全な密室が作られている。明かりはゼロに近く、小さな非常灯と精霊の光だけしかなかった。薄暗くて全体を見ることはかなわなかったが、教室のドア付近に実花島が佇んでいるのが見えた。それも、どうやらただ立っているだけでなく、自分の甲殻と壁に据えられた設備器とをケーブルで繋いでいるようだった。


「実花島くんに《変幻自由自在》の力で教室を改造してもらってるの」籠中はまるで俺の思案を汲みとったかのようなタイミングで言った。「運よく私が予備のケーブルを持ってたから。接続して、教室付近を操ってる。周りからかなり〝集めてきた〟みたいで、壁も厚いし温度管理もできる。熱伝導しにくい素材を集合させてて、灼熱のセツリにも対応できそう。不安なのが震動のセツリだけど、倒壊する心配はなさそうだし」


 なるほど。いつも煩わしかったシステム化された建物だったが、思わぬ活躍をしてくれているようだ。もしこういった最先端の機械が組みこまれていなければ、甲殻と部屋をケーブルで接続するなんてこともできなかっただろう。今回は状況に救われた。


「そう、なんだ」まふゆの息も整ってきた。「他のひとたちは……?」


 明らかに欠けているクラスメイトの顔ぶれを見た。籠中は複雑そうな表情で「無事を祈るしかない」と答えた。


「籠中さんの友達は?」

「固まって動いてたから全員無事。チームともちゃんと再会できて、本当に良かった」


 その言葉にまふゆも苦笑した。それからハッとなって、翼切のほうに振り返る。


「翼切くん。引っぱってくれてありがとう。翼切くんが引っぱってくれなかったら、急ブレーキしたところでこけちゃって、セツリに追いつかれてたかも」

「ああん? そんなこと一々気にしてんじゃねえよ。それより大事なのは、この状況をどうにかすることだろうが」


 翼切の言葉に、まふゆも籠中も顔を引き締める。


「状況を整理しましょう」籠中の甲殻から《懲役燦然年》の声が漏れる。「04ゼロヨンで養殖しているセツリが逃げだし、校舎を襲っている……確認できているセツリだけでも十体は下りませぬ。中には超大型のセツリもおりましたな」

「まふゆと俺が確認したのは、まず暴風のセツリ。それから、おそらく震動のセツリもいるぞ。指導官を食ったのは灼熱のセツリだろう。最後は氷柱のセツリにも追いかけられたが、前の三体に比べればかわいいものだ」

「前二体については、補足できるわ」籠中は続ける。「サポーターのスキャンの結果だけど、最初に現れたのは《少産・暴風・消滅》のセツリ。その次が《多産・震動・消滅》のセツリ。その、指導官を食べたっていうセツリが出たんだってね? ちょっと、信じられないけど……推察するなら、その灼熱のセツリの本能は〝肉食〟だと思う」


 肉食。セツリが持つ特徴のうち、その性質にかぎらず無意識的に行ってしまうことを本能と呼ぶ。肉食の本能。神秘の力で害するだけでなく、人を食らいもする。相当に危険なセツリだ。訓練で相対した試しは、一度だってない。

 そもそも、連携実践や試験で敵対するセツリのほとんどが、チーム対セツリ一、つまり、四対一なのだ。あれだけの大物のセツリを、それに付随する何体ものセツリを、一度に相手取るなんて。


「ぎゃはははは……なはーんて、笑えない状況だねえ」

「連絡もつかない。指導官も食われた。この外ではセツリがしてて、おまけに肉食セツリときたもんだ。この世は地獄だな」

「そりゃ、そうだよ」まふゆは声を低くして呟く。「セツリは、私たちにとって当然の宿敵なんだから」


 その超常的な力で災害や厄害を成す、多種多様な危険生命体・セツリ。

 セツリに対し、数千年ものあいだ、人類は弱者として甘んじてきた。

 どうしようもできない生態系的法則。抗いようのない環境意思。神の意思。神秘。

 西日本では、元は砂丘だった地域が完全に砂漠化し、人の住めない状態になった。大きな湖のあった地域は水で溢れかえり、周囲の地域は巨大な堤防を築くことで水難を逃れているという。また、東日本の最北端でも、一年を通して温度が零度を下回る、永久凍土となってしまった地域がある。その他にも数えきれない事例がいくつも存在した。

 甲殻に精霊を降ろし、神秘の力を借りた祓が戦うようになった昨今、弱者という立場から上方修正された。勢力としては拮抗できるほどにまで尊厳を回復し、ようやっと、誇りを取り戻すことに成功したのだ。


「人類とセツリは相容れない存在で、宿敵で、天敵だ」翼切もまふゆに賛同する。「ここに入学する前からそんなこと、わかってただろ」

「セツリと戦うのだから、遅かれ早かれ、こういった状況に身を投じることになってたはず……そうね、今回はあまりにも準備できてなかっただけ。完全に意表を突かれた」

「いつまでもこうしちゃいられねえぜ。この教室だってずっと持つわけじゃない。そろそろボロだって出るだろ。水も食料もねえとこにいつまでもいれねえし」

「うん」まふゆは頷く。「やっぱり、元凶自体をどうにかしないといけない」


 そのとき、教室中の視線が自分たちへと集っていることに三人は気づいた。どことなく異様な空気を感じる。居心地の悪さに、翼切は顔を顰めた。


「おい、なんなんだよてめえら」

「……本当に、この状況、どうにかできると思ってるのか?」


 生徒の一人が諦観したような表情でそう答えた。それに続くように、他の生徒たちも声を上げる。


「もう無理だよ。連絡もできない、指導官まで食べられて……私たちもこれで終わり」

「いまさら戦いに行っても死ぬだけじゃん。あんなセツリと戦うなんて、無茶苦茶だよ」


 その言葉に翼切は「はあ?」と低く漏らした。

 なんでこいつらこんなに弱気なんだ。俺も「待て待て」と声を上げる。


「この教室だってそう長くはもたないんだぞ。ここにいたって仲良くセツリの餌食になるだけだ。だったら戦ったほうが有意義だろ」

「お前は精霊だからわかんねんだよ! 襲われる人間の気持ちなんてな!」生徒の一人が声を荒げた。「あんなの怖いに決まってんだろ! どうせ俺たちはここで負けるんだ! もうおしまいだ! あんなセツリに勝てるわけないだろ!」


 どうやら、それが生徒一同の意見らしい。まふゆも籠中も翼切も、困惑しながらその表情を見つめている。諦めと、悲しみと、苛立ちの募った表情。焦りの表情。立ち向かおうとする者たちに、不満を持つ表情。

 そもそも、この学校に入学してきた時点で、それなりの誇りと覚悟を持っているはずだ。ここは点在する養成学校の中でも名門中の名門。だからこそ、ここにいる生徒の全員は誇り高い。将来祓になる自負を持っている。

 それが、どうした、この体たらくは。


「聞き捨てならないよねえ」壁際にいた実花島が口を開いた。「俺たちだって祓だよ。戦うことを決意して、ここに入学したんじゃないの? やってやろうよ。指導官がいなくてもさ。これまで訓練してきたし、コインだって回収できたじゃん。戦う前に士気下げてどうすんの?」

「戦う気があるのはお前らだけだろ」

「…………そうみたいだねー」


 実花島は苛立っているようだった。

 まふゆが稽古を頼んだときに見せた表情よりも無に近い。


「ねえ、みんな、冷静になろうよ」籠中は続ける。「ここにいたっていいことは一つもない。力を合わせて戦って、うまく倒していけば、きっと――」

「だったらお前らだけで戦えばいいだろ!」


 弾けるような怒声が、教室中に響いた。

 俺はその言葉に腸が煮えくり返るような感情を抱かされた。

 誇りはないのかだのこれまで散々吠えてきたくせに。こちらを馬鹿にするようなことを散々ほざいてきたくせに。なんだその無様な言い分は。

 これまで意気軒昂だったのが嘘のよう。高々だった鼻は折れ、張っていた胸は萎み、偉そばった威勢は消え失せ、背負ったはずのものを押しつけている。呆れを越して憎しみしか湧かない。

 あまりの理不尽さに焼ききれそうだ。

 今の状況にも腹が立つが、なによりも許せないのがそれまでのやつらの言葉だ。

 これまでにどれだけその偽物の誇りでまふゆを傷つけてきたと思ってるんだ。たとえなにを言われても、間違っているのは自分のほうだから、相手のほうが正しいから、ずっとまふゆは言い返せないでいた。まふゆだって本当なら、馬鹿にしないでと言いたかったはずだ。けれど我慢して、口を噤んで、ただひっそりと俯いていた。俺がどんな思いで、その様子を眺めてきたと思ってるんだ。ふざけるな。まふゆをそうさせたのはお前らだろうが。危うい状況になったら手の平を反すくせに、大した覚悟もないくせに、自分たちの薄っぺらい尊厳を振りかざすためだけに、まふゆを利用したのか。本当の誇りからくるものではなく、ただ誇りを謳う自分に酔い痴れるために。


「あんたたちは試験でもいい成績とってんでしょ! 私たちの代わりに戦ってきなさいよ!」

「ま、待て! 実花島まで行ったらこの部屋だって……!」

「とにかく! 俺たちは戦わないからな!」

「仔揺も馬鹿なことはやめて残ろうよ、もう無理だよこんなの!」

「もしかしたら、騒ぎを聞きつけて、祓が助けてくれるかもしれないじゃん!」

「死にたいなら勝手に死にに行けばいいだろ! その役立たずの精霊と一緒に!」


 どいつもこいつも……。

 俺が侮蔑を吐き散らそうとしたとき――その声は響いた。



「いっ、いい加減にして!」



 この空間の中で最も苛烈な声だった。

 耳を殴りつけるような大きな声。

 俺を含む大勢の者がその声の主に呆然としてしまった。声を失ってしまった。信じられないと見開かせた目で、ただじっと見つめていた。

 俺さえも呆然とし、感じていた。

 拳をぎゅっと握り、睨みつけるような顔をした――菜野まふゆという人間を。


「戦わなきゃいけないのはみんなだってわかるでしょ。こんなところに閉じこもったままじゃなんにも変わんない。私たちだって祓なんだから、戦うのは当たり前! それなのになんでそんなこと言うの? 私たちだけで戦えなんて本気で言ってるの? なんのためにこれまで努力してきたの!」


 放心していた俺も次第に意識を取り戻していく。

 まふゆの勇ましい姿に、心が震えるのを感じていた。

 これまで見たことないほど強い意志と誇り。

 口を噤む必要も、俯く必要もなくなった、俺の主。

 さきほどまでの苛立ちを拭い取り、刃として振るってくれる。

 そのとき、まふゆの背後で壁に亀裂が入っていくのを確認する。静かに穴が開き、にたりとした口を持つ白いセツリが顔を覗かせた。揚々と教室内に侵入していく。まふゆはそれに気づかず叫んでいたが、生徒の一人が焦ったように声をかける。


「お、おいっ、菜野」

「黙ってて」

「あのな、お前、」

「黙っててって言ったの!」


 叫びながら、這入ってきたセツリを横薙ぎにした。

 これにはさすがに周りも絶句する。

 ずっと鍛えてきた居合抜きは凄まじいもので、それはそれは美しい速さでセツリを諌めたのだ。けれど、まふゆは視線を逸らすことなく、教室中に叫びつづけた。


「臆病者! 意気地なし! なにが誇りだ、なにが祓だ! 十億分の一に劣ってどうすんだ! セツリと戦う覚悟もないくせにこんなところに来て、そっちこそ誇りはないのか! あんなセツリ、怖くないわけないでしょ! 私も、えぐるくんも、籠中さんも、翼切くんも、みんな怖いけど戦おうって言ってるの! 誇りを取り戻そうって言ってるの! 私なんかに怒鳴られるなんてとんだ落ちこぼれ! 恥っずかしい! みんな全員劣等生! ばーかばーか! ばかがいっぱい! 何度でも言ってやる! 誇りはないのか!」


 まふゆの声は途中から震えていった。潤み始めた目を、抑えつけて痛みを伴った喉を、いくら気にもしないで叫ぼうとも、どうしてもその声は震えていった。けれども、滲む炎のような涙を拭いもせず、まふゆは「それから、」と言葉を吐きだす。


「ずっと、あなたたちに、言ってやりたいことがあったの」


 ……そうだ。

 言ってやれ。

 ずっとずっと我慢してきたことを俺は知っている。

 つらくても言い返せなかったことも。ずっと耐え忍ぼうとしていたことも。認められたくて陰で努力してきたことも。本当は、誰よりも誇り高かったことも、俺だけは知っている。もう言い返していい。もう我慢なんてしなくていいんだ。今なら言える。

 だから――――



! 馬鹿にしないで!」



――真っ白になると同時に、沸騰するほどの感情を覚えた。

 なにを言っているんだ、まふゆは。

 違う……違う違う、そうじゃないだろ、俺じゃなくて、自分の、だって、ずっと言いたかったことがそんなことなのかよ、つらかったのは、苦しんできたのはお前で、なんで、俺はただの武器で、かまわなかったのに、別に、なのに、そりゃあ、やめろよ、ああ、まただ、くそ、そんなこと言われたら、俺はもう、なにも言えないだろうが。


「えっ!? ふ、わ! 熱っ! 熱っ!」


 感情の高ぶりによって発熱した甲殻にまふゆが悲鳴を上げる。

 ぼんやりとまふゆの言葉を聞いていたチームメイトが、呆れたような苦笑を浮かべた。


「――――いいなあ」


 一気に間の抜けてしまった空間に、ある精霊のぽつんとした呟きが落とされた。

 その声に精霊の主が反応する。


「いいって、なにが?」

「あの精霊は自分の主にすごく愛されてるんだなあって」

「わかる!」また別の精霊が賛同する。「あそこまで大事にされてるなんて羨ましい」

「俺だってお前が大事だぞ?」

「でも、あの精霊みたいに、信頼してくれてないのかなって」


 その言葉に精霊の主が言葉を詰まらせる。

 精霊とは武器だ。主と共に戦うための武器。その主が戦うことを拒んでいるのだから、精霊の身としては信頼されていないのかと思ってしまう。この精霊の言い分は無理からぬことだった。

 精霊たちの声は次第に大きくなっていく。


「信じて」「主、戦おう」「僕を使ってください。必ずお守りしますから」「もっと頼ってよ!」「俺はあんたの武器だぜー?」「安心しなよ。傷一つつけさせないわ!」「一緒に戦いましょう、主上」「私がついてます」「あるじさま!」「主!」


 まふゆは手でぱたぱたと扇ぎながら、その光景を「ほえー」と眺めている。さっきまでの苛烈な感情はもう鳴りを潜めていた。俺も冷静になってきて、甲殻の温度もだんだん下がっていっている。危うくまふゆが火傷するところだった、と心中で項垂れながら、俺はまふゆに話しかける。


「……まふ、まふゆ」

「うん?」

「いいのか、お前は……」


――言い返すべきは。使う武器は。

――散々にお前を待たせてしまうような、扱いづらく、不甲斐ない。


「俺で、いいのか?」

「君しかいないよ」


 まふゆは即答した。なにも言わせなくする橙黄色の瞳で俺を見つめて、甘く痺れるような手つきで俺に触れて、まふゆは強く俺に囁く。


「人生の中で、私のものだって誇れるものは、きっとそうない。私にはナルくんだけ。私はね、ナルくんじゃないとだめで、ナルくん以外いらない」


 俺はまた性懲りもなく発熱した。

 まふゆが悲鳴を上げるのを、実花島と《惑える子羊》がおかしそうに笑っている。籠中はそれを咳払いで諌めたけれど、なかなか収まることはなかった。


「っはあ……笑った笑った」実花島は力なく手を叩く。「だるいなって、思ってたけど、まあ、だんだん面白くなってきたよねえ?」


 実花島は悪戯っぽく笑った。

 もう教室の空気がさっきまでとは違うことなど、誰が見ても明らかだろう。鼓舞を受け、諦観していた瞳には意志と誇りが宿り、気を練っている。翼切もギラギラと目を光らせる。籠中はいつも通り凛としていた。まふゆは息を大きく吸い、前を見据える。


「作戦会議をしよう」

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