第3話 アルプス一万尺

「邪魔だポンコツ! すっこんでろ!」


 連携実践中、翼切飛馬はまふゆを押しのけて前へ出た。

 この展開はあらかじめ予想していたので、そうがっかりするようなことでもない。二人のチームメイトは呆れたような表情でやつを眺めるも、しょうがないと見過ごす。まふゆは俺に「今日も使ってあげられなくてごめんね」と呟いた。そう言わせていることだけが、少し悔しかった。


 《大いなる無力》の無効領域――精霊である俺が神秘の能力を無効化できる範囲を言う――は半径十五メートル。ならばその十五メートルに干渉しないようにすれば、チームで戦うことができる。

 籠中仔揺の機転で解決策を見出したまふゆらは、早速それを訓練で取り入れようとした。いつものフィールドでは、半径十五メートルにプラスしてチームメイトらが動けるだけの広さはないので、指導官に事情を説明し、フィールドを拡大してもらった。代わりに、各員が二体同時に相手取るようなエネミー数となったのだが、それでまふゆの活躍できる場が設けられるのなら安いものである。

 翼切にも事情を説明し、各自サポーターにブザーを設定したのだが、そう簡単に対応はできなかった。ブザーを気にしながら戦闘するというのはいくら優等生と言えど難しく、動きもぎこちなくなってしまう。慣れれば大丈夫だろうと経過を見ていくつもりだったのだが、ついに翼切が耐えられなくなった。実花島英繰ですらその窮屈さに我慢していたというのに。


「ちょっと飛馬くーん。これじゃあ練習にならないんだけど」

「うるせえ! この俺様がまだるっこしいことしてられっかよ!」


 そう言いながら、翼切は剣を振るった。

 怒りをぶつけるような、豪快で苛烈な一閃だった。

 《惑える子羊》の力により平衡感覚と視覚が不安定になっていたセツリは、呆気なく袈裟切りにされ、そのまま動かなくなった。


「《惑える子羊》……あなたにもそちらの主を説得していただきたいのですよ」

「やぁだよ。プリンセスは嫌がってるんだ。ボクはプリンセスに従うさぁ」

「主の間違いを諌めるのも僕たちの務めですよ」

「お前のそれは忠言じゃなくて反逆だろう? 《変幻自由自在》。いくら精霊の好とはいえ、お前なんかの言葉は聞けないよぉ。ぎゃっはははは!」


 精霊に訴えかけるもまるで通じない。翼切を懐柔し、理解してもらうのは相当難しいだろう。なにせ〝俺様強い〟を地でいく男だ。チームプレーに時間をかけるのなんか糞食らえと思っている。

 今日も今日とて、まふゆは棒立ちになったまま、無効領域の外で活躍するチームメイトを眺めて途方に暮れていた。


「やっぱりだめだな、菜野は」「今日も全然動いてないし。いる意味あんの?」「十億分の一の劣等生には無理だろ。誇り高き祓をなんだと思ってるんだ」「役立たずの精霊なんか降ろしてさ」「馬鹿みたいだよな、あのときあんな大口叩いといて」「十億分の一の欠陥品だよ、ありゃ。お似合いじゃん!」


 違うフィールドから貶めるような声が聞こえてくる。

 実際なにもしていないまふゆには言い返せる言葉もなく、悔しそうに口を噤んでいた。

 俺だって、もうなにも言えない。

 翼切だけでなく、籠中や実花島だって、俺の順応に時間がかかっている。二人も努力してくれているが、セツリを前に集中を欠くというのはかなりリスキーな行為なのだ。


「こういうのは慣れ。体に覚えさせればいいの。まだやり始めたばかりだから歯車が噛みあってない感じがするけど、きちんと嵌ったらいい連携ができると思う」


 優等生籠中はそう明言する。

 しかし、このチームが連携を取るような日は、果たしてくるのだろうか。



▲ ▽




「チーム名登録?」


 連携実践終了後、主訓練ゾーンに集まった生徒の前で指導官が言った単語を、まふゆは小さく復唱した。はてな、という表情を浮かべているが、そう思っているのはなにもまふゆだけではない。


「みんな、四月からチームは組み分けていたよね? もう公表したはずけど、中間テストの実技試験でも、チーム単位での参加になる。そこで、成績管理の都合上、各々のチーム名を事前に決めて申請してもらいたいんだ。期限は試験前日まで。各チームに申請用紙を配っておくから、記入欄を埋めて、訓練指導室のボックスに入れておくこと」


 そう言って指導官は申請用紙を配っていく。

 受け取った生徒らは騒ぎながら訓練場を出て行った。

 話題に上がっているのはチーム名よりも、テストの実技試験のことだったが。


「正直なところ、不安は残るわね」


 更衣室で籠中が呟いた。

 最近のまふゆと籠中は、実技授業の更衣を並んで行っている。裸の付き合いとはよく言ったもので、それ以降、二人の会話は格段に増えた。いまのように籠中がまふゆに呟きを漏らすこともあるし、まふゆの独り言に籠中が反応することもある。


「ご、ごめんなさい……」

「菜野さんの責任じゃなくて」籠中は甲殻をベンチに下ろしながら言う。「翼切くん。全然協力的じゃないし。今日だって勝手に突っ走って。まあ、試験自体も、討ち取ること自体はわけないはずなんだけど、全員で連携することが重要だから……成績に大きく関わってくるし、これまでみたいにはいかないのに」


 籠中の言う通り。俺が常日頃から懸念していたように、このチームには団結力というものがない。成績が良くても、他のチームと比べて圧倒的に欠けていると言っていい。

――これまで連携実践に参加できなかった分、実は一番不利なのだ。


「遺憾ですな。せっかく事が動き始めたというのに、翼切飛馬殿が足並みを揃えてくれねば、ただ転がっていくだけでございましょう」

「《懲役燦然年》……お前も俺たちを理解してくれるのか」

「水臭いことをおっしゃりますな、ナル殿。制約があるとはいえ、戦力が増えるのは素晴らしいことではありませんか。それに、菜野まふゆ殿の姿勢は認めないわけにはいきません。我があるじさまも随分とその気でいらっしゃるので」


 ベンチの上でスリープ状態のまま待機する俺と《懲役燦然年》は、このとき初めてまともに会話した。礼のよすぎる精霊ではあるが、その溌剌とした声音から、自然と他人行儀なイメージは持たない。チームメイトの精霊の中では比較的話しやすい相手だった。


「そりゃ、嬉しい限りだ。まだ周りは、まふゆを認めてはくれないからな」

「時間の問題だとは思われますが……心情お察しします。私ども精霊は、契約者である主を第一に考えるものですから」

「お前ほど忠誠心の強い精霊もいないだろうがな。主を罵倒されたことで抜剣まで促すようなやつはそういないぞ」

「それは……あるじさまにもお叱りを受けました。とんだ失態ではあります……けれど、唯一無二の主ですから。我があるじさまのおそばに控え、あるじさまの全てを、誇りさえも、この身を以てお守りするのが、私の役目でございましょう?」


 この精霊に視線というものがあったなら、きっとそれは一直線に、籠中仔揺に向いていることだろう。俺と会話しているいまも、意識はずっと籠中に向いているような気がした。よほど籠中を好いているのだろう。そして、籠中に使われていることを誇りに思っている。


「え、うそ。じゃああの変なストラップって、実花島くんの趣味なの?」

「多分……少なくとも甲殻につけてる分は。他のは、お兄さんが毎朝フードに物を入れてくるからだって言ってたけど、嫌がってはないと思う。この前見つけたんだけど、えぐるくん、刺し身ちゃんの靴下履いてた」

「十五歳にもなって……」


 どうやらまふゆと籠中の会話は実花島の話にまで飛んでいたらしい。実花島にとっていい流れではないかもしれないが、まふゆが楽しそうにしているのだ、このままやつには生贄になってもらおう。


「そもそも甲殻にストラップをつけるなんて危ないことよ。剣を繋ぐケーブルに引っかかるかもしれないし」

「あ……う……そうかも」

「ん? もしかして菜野さんもなにかつけようとしてたの?」

「し、してないよ? 考えたこともないもん。やいやい」


 実花島からストラップを受け取りかけたことはノーカウントにしているらしい。

 俺が断らなかったら意気揚々とつけてただろお前。


「……菜野さんも、あのキャラクターが好きだったりする?」

「刺し身ちゃん? かわいいよね。私はグッズとか持ってないけど」

「えー、かわいいかなあ……? でも、たしかに菜野さんって、あんまり派手なものは持ってないイメージ。持ち物だって意外とシンプルだし」

「持ち歩くのは恥ずかしいから……見えないところで使ってるの」

「ああ、なるほど」


 一歩踏みこんだ視点から言わせてもらうならば、今この時点でもまふゆは持ち歩き、使っていた。身に着けている、といってもいいだろう。タンクトップの肌着で隠れて見えないが、まふゆの使用している下着こそ、籠中の言う派手なキャラクターものだった。

 開いた襟ぐりから、白い肌ごとその下着のフリルが覗いていたが、籠中は気づかない。

 鞄からボディシートを取りだし、腕や鎖骨を拭いていくまふゆに、籠中は問いかける。


「菜野さんはなんの匂いのを使ってるの?」

「シャボン」

「あっ、私と一緒」

「わああ、お揃いだね」

「シトラスのやつも好きだったんだけど、汗と混ざると気分が悪くなっちゃって」


 まふゆは肌着の裾から腕を突っこんで、腹や胸周りも拭いていく――へそが見えるあたりまで肌着が持ち上がった。腹を冷やすからやめたほうがいいとは思うのだが、女性の主に対して失礼かと思ってなかなか言いだせないでいる。

 まふゆはいそいそと制服に袖を通す。潜りこむように頭を突っこみ、裾を下ろしていった。裾を持っていた指が一度引っかかり、ふにゃっと胸を押した。蕩けるような布擦れを起こしたが、大きく引っぱれば、ゆとりのある制服に隠れる。


「問題点はまだある」再び籠中は意見を言う。「もう試験まで三日しかないんだし……一度、実花島くんとも話し合っておきたいんだけどね」


 さすが本物の優等生は違うと、俺はぼんやりと思っていた。

――しかし、そのように考えていたのは籠中だけではなかったらしい。


「このチームには連携が足りないよねえ?」


 籠中が宣誓してからそう日も経たないうちに、実花島本人が籠中とまふゆを屋上に呼びだし、そんなことを言いだした。

 昼休み、弁当を持って来られたし。なるはやで。

 まるで果たし状のような文言で呼びだされ、実花島を前にした。

 今は地べたに座りこみ、ちょうどトライアングルのような形になって向かい合っている。まふゆと籠中は持参の弁当を、実花島はコンビニで買ったであろうフルーツサンドと焼きそばパンを啄みながら。


「こうして集会させるとは熱心だな」


 意外だと感心してしまった俺は実花島に言った。

 基本的に実花島は積極的に物事に関わろうとしない。性格的にも真面目とは言い難く、間違っても自分から、こんな会議を開催するような人間ではなかった。

 そこを指摘した俺に、実花島は拗ねたような表情を浮かべる。


「俺は面倒なことでも、楽しいならやるよ。それに最近、十五メートル法則を試運転し始めたばっかじゃん。情報共有しとこうかな、って」

「情報って、なんの?」


 そう言ったまふゆに、籠中は「まさか菜野さん、ちゃんと考えてなかったの?」と責めるように見る。そのまますらりと、お前は大丈夫だろうな、という視線を実花島に送ったが、話を振った本人であるはずのそいつは「俺はこゆりんが確認してくれてると思って、なーんにも見てなかった」と白状する。


 こいつ……けっこうマメなやつだと感心した直後にこれだ……こういうところで本来の性格が出てくるな。

 当事者である俺には大体のあたりはついていたので、一言だけ投げる。


「俺の能力と性質についてだろ」


 まふゆは首を傾げる。それは解決したはずでは、というような表情だった。

 俺の言葉に対し、籠中は「そう」と詳細を述べる。


「前に調べたような無効化の範囲についてじゃなくて、なんていうのかな……無効化のラグについて。せっかく本物のセツリと戦える絶好の機会があるんだから、訓練を通して見極めてたの……実花島くんも菜野さんもサボってたみたいだけど」


 まふゆは申し訳なさそうに、実花島はおどけたように「ごめんなさい」と呟いた。


「まず、実花島くんの《変幻自由自在》とのラグについて。《大いなる無力》発同時、精霊の力を行使できない。でも、訓練の様子を見て気づいたのが――無効領域内で形状変化させることはできないけど、変化させたままの状態で入ることはできるってこと。これって穴だしミソじゃないかな? 一度変化させておけば、無効領域内でレバーを離そうが、形状が元に戻ることはないってわけ。ちなみに、私の《懲役燦然年》でも似たような結果が出たわ。無効領域内だとどれだけ剣を振るおうと私の速度は変わらない。でも、無効領域外に出れば、無効領域内で振るった分……つまり奪った分が加算されて、私とセツリとの速度差が変動している。また、ある程度加速された状態で無効領域に入ったとき、速度は初期値に戻ることなく、蓄積した分の速さで戦うことができる。つまりね、領域内での力の作用が許されないだけで、私たちの行った活動は無駄じゃない。これは、《大いなる無力》の力が精霊の特徴を完全に制圧しながらも、保護していることを意味するんじゃないかな」

「……領域内で勝手はさせないけど、領域外でちゃんと働けるようサポートはするし、持ちこみ自体はオッケーですよーってことだね」

「コスプレして来るのはオッケイだけど、会場内で着替えるのはやめてくださいって、そういうアレかな」


 まふゆと実花島がそれぞれ納得したように呟いた。

 実花島に関してはこいつなに言ってるんだろうと思ったが、本人はなんでもないように言葉を続ける。


「俺はともかく、こゆりんにとってはいい発見だよね。《懲役燦然年》の特徴上、もし活動の一切を無効化されてたんなら、セツリからの速度の剥奪、自分のスピードアップ、その両方を完全に封じられるってことなんだから」


 《懲役燦然年》の力は、他の精霊とは違い、蓄積の性質を持つ。剣を振るうことでやっとその真価を発揮するのだ。他のチームメイトのように、一瞬で神秘が発動するわけではない。

 だから今回、このことを確認できて本当によかった。もし実花島の言う通り、完全に力を封じていたのだとしたら、《懲役燦然年》に申し訳ない。


「まあ、実際封じられるのは〝自分のスピードアップ〟の部分だけだけどね。速度を奪うっていうのは、スピードアップの副産物っていうか、工程でしかないし」

「え? なんで?」


 疑問を持ったまふゆに、今度は存外柔らかく、籠中は答える。


「実際に燦然を使えばわかると思うんだけど、セツリから速度を奪うっていうのはほとんど無意味なの。同じ相手で長期戦、って設定なら活かせると思うんだけど……説明が難しいな……相手の速度を奪って私の攻撃速度を上げても、新たな敵が出てきたとき、その敵は平常の速度のままじゃない? なんて言うんだろう……千切っては投げ、みたいな戦闘には効果を発揮できないんだ。相手の速度を奪う、なんて、対峙したセツリを倒した時点で消えてしまってるようなものだから」

「たしかにねー。燦然ちゃんには失礼だけど、けっこう使いづらい力だよね。加えて、上乗せされる速度には限度があるわけだし」

「……それって、体が耐えられないから?」

「その通り」まふゆの問いかけに籠中は頷く。「スピードアップをすると言っても、私の動きが速くなるわけじゃない。速くなるのはあくまで斬撃速度。平常時だと、だいたい時速二十キロくらいなんだけど、調子に乗って速度を上げすぎると、腕や肩を痛めるの。そうだな……ただ速度に耐えるだけじゃなくて、そのまま戦うことも考えると、四十五キロくらいが限界だと思ってる」


 だから籠中はサポーターで速度管理を行いながら戦うのだろう。己を知り、己の限界を見極め、己を徹底的に統率する。見習うべき、堅実な戦いかただ。


「体ごとスピードアップしないのは、精霊の宿ってる甲殻にケーブルで接続されてるのが、剣だけだからだろうねえ……? 甲殻を媒体してしか神秘の力は使えないから」

「逆に言えば、接続すればありとあらゆるものの動作が速くなるはずなの。人体に接続するのはさすがに無理だけど、応用はできそうだから、改造学の講師から話を聞いてるんだけど……」

「まさか武装改造学? 二年生からの授業だったくない?」

「籠中さん、すごい」


 まふゆも実花島も驚いた表情で籠中を見る――その視線を受けて、籠中でなく、《懲役燦然年》のほうが誇らしげに、鼻を鳴らしていた。己の主が他人に褒められているのは気分のいいものなのだろう。そんな精霊の気持ちは俺にもよくわかる。

 しかし、籠中のほうは困ったように肩を竦めるだけだった。


「なにもすごくないって。引け目に感じても、燦然を責めてもいないけど、カルテ上のこの子の数値ってそう高くないから、いろいろ立ち回ってるだけ。レアリティは二ツ星だけど、威力に関しては一ツ星なの」


 まふゆは意外そうに目を見開いたが、実花島は「ああ」と頷く。


「平均くらいだけど、俺たちチームで考えると低いよねー。《変幻自由自在》のレアリティは二ツ星、威力は三ツ星。飛馬くんとこのメリーさんはどっちとも三ツ星。ナルくんに至っては規格外。こゆりん、使い物になるまでよく耐えたね」

「慣れ次第だって思ってたから」籠中は微笑む。「石の上にも三千年よ」


 しかし――そう考えると、籠中は本当に上手く扱っていることになる。

 実花島も言っていたが、《懲役燦然年》の特徴は使いづらい。それなのに、籠中は不満の一つだって言わず、その力を上手に活用できるよう研鑚してきた。実際、《懲役燦然年》を輝かせてやれるのは籠中くらいのものだろう。きっと自身もそう自負している。まふゆは彼女を〝考えて強くなったひと〟だと評していたが、まさしくその通りだ。


「籠中はこのチームの中でも努力型の部類だろうな……翼切は完全に天才型だし」


 俺の呟きに、まふゆは「そうなの?」と首を傾げる。


「そうだねえ……ナルくん降ろしたまふゆに言うようなことじゃないけど、飛馬くんの場合、降ろした精霊がトンデモって感じ」実花島はけたけたと笑う。「呼びかけの才があるんだって。もう一種インストールする話も先生のあいだで出てるみたいだよ」


 これには俺も驚いた。力のあるやつだとは思っていたが、まさかそこまでとは。

 たしかに、翼切の降ろした《惑える子羊》は強力な精霊だ。目に見えるものでもなく、俺の力により完全に封じられる特徴なので、その凄まじさが伝わってこないだけで。相対することによって相手の前後左右上下の感覚を逆にする――実感しないとわからないだろうが、これは相当厄介だ。平衡感覚と視覚が不安定になり、脳が混乱し、身動きが取れなくなる。この状態で通常の動きをすることはまず不可能だろう。同じ土俵に立たせてすらくれない。言ってしまえば反則技だ。圧倒的不利に相手を押しやる。そうして惑っているうちに、翼切は剣を振るうのだ。俺と違ってセツリ限定というのも使い勝手がいい。なるほど、優秀な精霊を降ろした優秀な生徒という評価は妥当だろう。

 実花島と籠中は多少うんざりしたようにぼやき合う。


「あの性格でそんなもてはやすみたいな扱いすると、そりゃあああ、、なるよ」

「テストまでそう日にちもないってのに」

「今日も飛馬くんの独壇場だったしねー。こゆりんはどうするのが理想だと思う?」

「力的には菜野さんも翼切くんもサポートに向いてるから、本来は、私と実花島くんが前に出るほうがいいとは思うな。でも、翼切くんは好戦的だし、私はスロースターター。エンジンをかけっぱなしの彼に比べると、エンジンのかかりにくい私は斬りこみに向かない。結局、場面ごとに対応するしかないんじゃないかな」

「でも、そうなると、三人で集まって話すだけじゃ、コンビネーションにも限界があるよねー」実花島はまふゆと籠中に一瞥ずつ送る。「やっぱりさ……飛馬くんにも話し合いに参加してもらったほうがいいと思うんだけど」


 臆するように縮こまりながら、それでもまふゆは神妙に頷く。

 どれだけこの三人が結託したところで、チームメイトは四人なのだ。炙れた一人が問題になってくる。それも、存在感の強い、じゃじゃ馬のような一人だ。手綱を握るか、足並みを揃えるかしないと、連携にはならない。


「……でもなー飛馬くんだもんなー」

「どうしたものかしら」

「ダメ元でもう一回お願いしてみる?」

「なんで俺様がこいつの都合に合わせてやんなきゃいけねえんだよ、とか言いそう」


 実花島も籠中も、現段階では打つ手なしのようだ。この三人がある程度結託している現在でも、翼切のほうに譲歩の姿勢は見られない。まふゆを押しのけて、勝手に突っ走り、場を蹂躙するのだ。おそらく言葉で説得するのはもう不可能だろう。


「ねえねえ、ナルくんはなにかいい案あったりする?」

「あるぞ」


 まふゆが問いかけてきたので、俺はそう返す。まふゆは「えっ、本当?」と表情を緩めた。詳細を尋ねられる前に、逆に俺はまふゆに問いかける。


「そもそもだ。翼切がまふゆを認めないのは何故だと思う?」

「……私がだめ、だから?」

「全然違うぞ、まふゆ。お前はだめなんかじゃない。正しくは、だめだと思われてるからだ」


 翼切は〝俺様強い〟を地でいく男――しかし、同じカンスト組である実花島や籠中のことだけはある程度認めている。これは、実花島が籠中や翼切の剣技をある程度認めているのと同様、二人の実力に少なからず信頼を置いているからだ。だから、翼切は連携実践でまふゆを除け者にすることはあっても、二人を邪険に扱ったことはない。吐きだす暴言には、自分一人で戦える、というより、三人でも戦える、というようなニュアンスが含まれている。

 つまり――自分と同等に優れた人間だと認めさせれば、翼切はどんな相手であろうと、最低限の敬意を相手に見せるのだ。


「ナル殿の言うとおりでしょうな」《懲役燦然年》が賛同の声を上げた。「翼切飛馬殿は力量を重んじる御仁。認めさせるには、菜野まふゆ殿の戦闘を見せ、納得させるのが一番でしょう」

「なるほど……でも、訓練じゃ除け者にされてるのに、どうやって翼切くんに納得してもらえばいいんだろう……」

「簡単なことだぞ。まふゆ」


 曇っていたまふゆの顔色は、ぱっと明るくなる。

 しかし、次の瞬間、まるで石膏で固められたかのようにまふゆは静止した。


「お前が翼切とサシで勝負して勝てばいい」



▲ ▽




 まだ陽も高く芳しい、その日の午後四時半。

 中庭は静かなものだった。

 今日は風の強い日で、蒸し暑くなってきた気候を和らげてくれる涼しさがある。木々はダンスするように楽しげに揺れ、宇宙柄の影を地面に落とす。降水確率は全国的に低く、雨が降る予報もない。

 絶好の決闘日和。

 我が主・菜野まふゆと、荒くれ者の優等生・翼切飛馬は、剣を持って対峙していた。


「はんっ! まさかあのポンコツが、俺様に戦いを挑むなんてなあ」


 翼切は、獰猛で悪魔的な色をした目を細め、噛み殺すようにまふゆを見据えた。

 一方のまふゆは相変わらず心臓をバクバクとさせながら、剣の柄を握りしめていた。

――ここまでのいきさつ。

 まふゆと翼切を戦わせる、という俺の案に初めに乗ったのは実花島だった。太平楽な調子で「アリ寄りのアリ」と言い、〝放課後、中庭に来られたし。なるはやで〟という果たし状を率先して書いた。一方の籠中は、勝敗結果に多少の不安を覚えてか、なかなか頷きはしなかった。しかし、剣を鞘から抜いた時点で、俺の力により《惑える子羊》は封じられる――つまり、単純な剣技の勝負になる――その状況を自身の中で厳密に考えた結果、「ナシではない」と判断したらしい。果たし状を翼切に託す役割をしたのは籠中だった。最後まで渋っていたのがまふゆ本人で、レベル99を相手にできるわけがないと怯えた様子だった。もちろん、翼切に対する苦手意識もあって気乗りしなかったのだろうが――意を唱えていたのは、やつが怖いという理由からではなく、純粋に勝てっこないと思っていたからだ。


「それはどうだろう」しかし、実花島は言う。「飛馬くんはかなり精霊の力に頼ったところがあるし、いい勝負にはなると思う。むしろ、俺が鍛えてやってる分、まふゆのほうが優勢だろうね」


 珍しく真面目そうに、顎に手を添えてそう言うものだから、まふゆも揺らいだ。


「……認めてくれると思う?」

「ああ」

「役立たずなんて、言われなくなる?」

「ああ。そしたら俺も嬉しいぞ」


 最後はまふゆも「わかった。ナルくんのためだもんね」と頷いてくれた。

 まふゆだって、ずっと嫌だったはずだ。翼切に突き放されるたび、そのせいで嘲笑を浴びるたび、俯いて唇を噛み締めた。まふゆだって本当は、馬鹿にしないでと言いたかったはずだ。

――翼切に勝てば、やつからも、他のクラスメイトからも認められれば、まふゆの誇りは取り戻せる。

 放課後に決闘を申しこむと言っても、そう簡単に事が進むわけではなかった。果たし状はビリビリに破られたようだし、その気にさせるまで実花島と籠中の二人がかりで取り組んだ。現場に居合わせたわけではないので詳細は知らないが、それなりに荒っぽい手を使ったのだろう。

 中庭に来たとき、翼切の機嫌は悪かった。


「チッ。なんで俺様がこいつの都合に合わせてやんなきゃいけねえんだよ」


 甲殻を展開した翼切はまふゆを見据えて吐き捨てた。

 翼切のセリフに「こゆりん予言者すぎ。仲良しじゃん」「わかりやすいだけだって」と呟き合う実花島と籠中。籠中は若干嫌そうな顔だ。

 まふゆは自分を落ち着けるのに必死のようで、さっきから一言も発していない。

 無理をさせている自覚はあったので、心苦しかった。誰だって、自分を馬鹿にしている人間と向き合うのはつらい。よく思われていないとわかっている相手を目の前にするのは怖い。けれど、耐えてくれ。神秘の力のない翼切なら、まふゆが勝てない理由はないのだ。いつも通りにやればいい。

 俺は落ち着けるように「大丈夫だ」と囁いた。

 深呼吸をしたまふゆの震えは、だいぶ収まっていた。


「……翼切。この勝負、まふゆが勝ったら、ちゃんとチームとして認めると誓え」

「ああん? 好きにしろよ。もしかしたら勝てると思ってるのが気に入らねえけどな。お前みたいに役立たずな精霊を落としたポンコツになにができるってん――うおっ!?」


 まふゆは動きだしていた。

 一瞬で間合いを詰めて、翼切に斬りかかる。

 翼切は素早く避けるも、驚いたようにまふゆを見つめていた。


「なんだそりゃ、おい、反則だろ!」

「じっじじじ」

「アブラゼミかお前は!」

「じ……〝実戦〟じゃ、よーいどんなんて、言ってくれないよ、翼切くん!」


 その言葉に眦を割いた翼切は「上等だ!」と剣を振るう。

――実戦を想定した戦い運びは、実花島がいつも教えていることだった。

 授業の〝実践〟訓練や対人訓練では、開始の合図としてブザーが鳴る。けれど、将来、本物の祓として戦いに出れば、そんな音は与えられないのだ。巨大な神秘の力を持つセツリが、問答無用に襲ってくる。なにがあっても止まることはないし、終わりのブザーだって鳴らない。あらゆる状況や可能性に備えて、常に気を張らなければならない。誇り高き祓にとっては当たり前のことだ――それを学生時代から意識するのは難しいことではあるけれど。


『――スキャン終了。解析に移行します』まふゆのヘッドセットからサポーターの声が響く。『斬撃速度、時速23キロ。現在のユーザーの攻撃速度の1.2倍です。これまでの動作から攻撃パターンを予測――動作リズムは〝ヤンキードゥードゥル〟に相当します。六秒に一回の割合で右上から左下にかけての斬撃。バックステップの際、右足から出す癖を確認』

「はあ!?」翼切は怒りとも羞恥ともつかない赤を顔に散らした。「てめ、なに勝手に分析してんだよ! 籠中の真似事か!?」


――そう、サポーターを上手く使った分析は、籠中を見て学んだ。

 元々、祓であるユーザーに足りないものを補い、戦闘を助けるのが、サポーターという初期データの役目だ。大概の生徒はその存在意義を考えず、持ち腐らせていた。上手く扱えれば、きっとその真価は発揮されたであろう――今のように。

 単純な翼切のことだから、指摘された己の斬撃の手など、二度と使わなくなる。自然、こちらにとっては次の動きも予測しやすくなるし、頭に血の上ったやつの動きは極端に荒くなる――しめしめ!


「っこの!」


 翼切の攻撃は目に見えて単調になっていった。

 後退していくまふゆは一見して押されているように見えるが、その実、翼切の斬撃を最低限の力でかわしている。鍔迫り合いにはしてやらない。相手の力を完全に受け流す。

 金色の光に、紫の光が惑わされる。涼やかな音を奏でながら、きらめきを散らす。跳躍し、翼切の頭上を舞い、背後を突く急襲。完全にまふゆのペースだ。

 大きく斬りかかってきたところを刃上で滑らせて絡め、一気に持ち上げる。勢いと遠心力により、翼切の剣は腕ごと宙に投げられ、懐ががら空きになった。

 その瞬間をまふゆは狙う。

 後退していた一歩をすっと屈めて、下から突き上げるように剣を振るった。翼切も首だけで避けてみせたが、まふゆは反撃を許さない。翼切が踏みこもうとするたび、一撃を浴びせようとするたびに、その呼吸を読んで剣を振りかざす。盾を眼前に突きだして退かせる。相手にリズムを作らせない。戦りにくいように、動きにくいように。

 もはや後退しているのは翼切のほうだった。


「う、あっ!」


 足の縺れた翼切はそのまま仰向けに倒れこむ。

 まふゆはその腕を掴んで掬い上げ――翼切の首筋に剣を添える。

 中途半端な体勢のまま、二人は見つめ合った。


「――試合終了」籠中が静謐に呟いて終わりを迎える。「菜野さんの勝ち」


 二人の手がパッと離れる。まふゆは声を潤ませて「やった……」と呟き、翼切は呆然としていた。互いに予想だにしない結果だったのだろう。俺からしてみれば順当そのものだったけれど。予想の裏切りに準じて、両者の心境は対極に振れていた。

 まふゆは剣を鞘に収めて「やったよナルくん」と両拳をシェイクする。


「すすっ、すごい! 本当に勝っちゃった! あの翼切くんに! なんでだろ!」

「お前……勝ったくせにちゃんとわかってないのかよ」

「わかんないよ。ナルくんが大丈夫だって言ってくれたから、じゃあ大丈夫だよねって思っただけで」


 こんな適当に生きてて大丈夫かなこいつ。

 まあ、俺がついてるんだし、そう気にすることもないか。

 観戦していた実花島と籠中が近づいてくる。実花島は棒つき飴を舐めながらにやにやと翼切を見つめていた。籠中はまふゆに「お疲れさま」と声をかける。まふゆは照れくさそうに笑い、右手で緩いピースを作った。


「飛ー馬くんっ」実花島は飴で翼切を指す。「ショック受けてるところ悪いけど、男の子だろ。泣かないで」

「誰が泣くか! こんなことでめそめそするわけねえだろ!」

「んふふっ、飛馬くんカックイー」

「……くそ、なんで負けたんだよ、この俺様が……! っだあああああもう!」


 空を見上げて吠えるように叫んだ翼切に、籠中は「ちょっと翼切くん。逆ギレしないでよ」と顔を顰める。しかし、思いのほか、翼切は冷静のようだった。


「してねえよ! メリーの力が封じられてたことだって理由にはならねえ! いきなり仕掛けられたのも、分析されたのもだ! それを加味しようが俺様のほうが力もあった! なのに負けた! それが理解できねえだけだ! くそっ! しかも! しかも! こんなポンコツに!」

「菜野まふゆはポンコツじゃないぞ」


 まふゆを指差した翼切に、俺は強く言った。

 翼切は息を呑んで押し黙る。


「精霊である俺だって呼び覚ませた。迷惑をかけることもあるが、無効領域についての解決策も出た。頭だってそう悪くない。剣技だって磨いてる。現にお前に勝ってみせたぞ」俺は続ける。「どうだ? 俺の主は――お前のチームメイトは、すごいだろう?」


 相手を待つだけの数秒間。じっとこちらを見ていた翼切だが、フンと顔を逸らしてしまった。そのあとすぐ、やつの甲殻のスピーカーから楽しげな笑い声が漏れる――《惑える子羊》だ。


「どうやら、ボクらの負けみたいだよぉ? プリンセス」

「…………」

「これからどうする? ボクは君の指示に従うけど」


 翼切は痒いのを我慢しているかのように体を強張らせる。片足の爪先で何度も地面を踏みしめ、イライラを紛らわせるように頭を振っていた。傍から見ると馬鹿みたいな光景だったが、やつなりの、自分自身を納得させるための行為なのだろう。

 ばっとふり向き、まふゆに指差して言った。


「勘違いすんなよ。お前のことは認めてやるが、俺様が負けたわけじゃねえからな」


 その言葉に、まふゆは肩を浮かせて喜んだ。締まりのない顔で「うん、うん、ありがとう」と何度も礼を言う。最後まで強情な翼切の態度などどうでもいいようだった。俺としては勝敗についても認めさせたいところだが、とりあえず問題は解決だ。

 翼切飛馬は、まふゆをチームメイトとして認めたのだ。


「だけど……本当に勝てるなんて思わなかった。勝率はゼロではなかったけれど、片や成績レベルカンスト済み、片やレベル30なりたて。冷静さを失いやすい翼切くん相手とはいえ、勝つのは厳しいと踏んでたのに」


 そう言いながら籠中は意外そうにまふゆを眺める。

 俺は籠中の呟きに返す。


「まあ、そりゃ、まふゆが頑張った、ってのもあるけどな」


 実際、最近のまふゆはかなり頑張っていた。この一ヶ月で遅れた分を、必死に取り戻そうとしている。チームメイトの理解を得るために奔走――いや、むしろ紛争した。その甲斐あって、まふゆは実花島から剣術を習い、籠中から冷静な戦法を学んだ。


「だけど、たぶん、どういうコンディションであっても、まふゆは翼切相手なら何本でも取れると思うぞ」


 俺の言葉に翼切は「は?」と凄む。


「それはさすがにナメすぎじゃなぁい? 《大いなる無力》。ボクのプリンセスはちょーっとキレやすいけど、実力は本物だよお……?」

「別に翼切が弱いって言ってるわけじゃないぞ。単に相性の問題だ」


 鳥瞰するように主たちの戦闘を見ていた精霊だからこそ、わかる感覚なのかもしれない。特にまふゆを主としていた俺には顕著に感じ取ることができた。


「まず――俺の主である菜野まふゆ。性差もあって力こそないが、それを覆す技巧的なディフェンス。実花島の受け売りになるが、合気のセンスがある。不意打ちでもないかぎりまず攻撃は受けない。ただし、予測しづらい動きをする実花島と相性が悪い」


 まふゆはひっそりと頷いた。実花島との追いかけっこの日々や、これまでの稽古を思い出しているのだろう。説得力を持たせるような、味のある表情をしていた。


「実花島英繰の持ち味は、変則的な剣捌き。巧妙に相手の意表をつく戦法。精霊の力なしにしても相当厄介……いい性格をしている。だが、人間にランダムは作れない。冷静に分析されると、剣筋が完全なランダムでないことに気づかれる」一拍置いて。「サポーターの扱いが上手く、慎重な籠中と相性が悪い」


 思い当たるふしがあるのか、実花島は「なるほど」と言って納得した。


「籠中仔揺の剣筋は、正直このチーム内では劣る。まあ、言ってしまえば速いだけの剣だからな。だが、その速さに持っていくだけの技量はあるし、自分の意思と関係なく無闇に増していく速度を使いこなすこともできる。さすが、正真正銘の優等生。玉に瑕なのがスロースターターなことだな。最初からかっ飛ばしてくる翼切と相性が悪い」


 昼間の籠中も、似たようなことを言っていた。エンジンがかかりっぱなしの人間と、かかるのに時間を必要とする人間。どちらが先に攻撃に出られるかなど、火を見るよりも明らかだ。


「翼切飛馬は、その大振りな動きから強いようにも見えるが、技術的に特別秀でているわけじゃない。乱暴で荒々しい。力が強いだけでそれに甘えてるんだろうな、って感じが伝わってくる。超オフェンス型だ」

「わかる。格ゲーに似てるよね」


 実花島の言葉にその場にいる全員が噴いた。人間精霊関係なく噴いた。言った張本人である実花島や、翼切を主人に持つ《惑える子羊》までも。まふゆも苦しそうに震えながら、片手の甲で口元を押さえている。そんな様子を、翼切は憎らしそうに睨みつけた。


「ぷふ……っこ、今回のことからも、わかるだろうが……とにかく押せ押せな翼切は、単純な力勝負をしない相手と相性が悪い。まふゆみたいなな」

「わかるー。飛馬くん序盤から負け確だったよねー」

「俺が負け犬みてえに言ってんじゃねえぞ、実花島」

「負け犬っていうか当て馬だよね」


 さすがに翼切も耐えきれなかったのか、実花島の胸ぐらを掴んで乱暴に揺する。実花島は飄々とした態度を崩さなかったため、翼切の怒りにさらなる拍車をかける。

 籠中は呆れたため息をこぼしたあと、考えこむように呟いた。


「でも、そう考えると、けっこうバランスが取れてるのかもね……誰かが突出して力を持ってるわけじゃないし。全員が全員攻撃に出て、全員が全員サポートもできるようになったら、本当に理想的。菜野さんも、剣が得意ってことはわかったし」

「と、得意だなんて、そんな……」

「胸を張りな、まふゆ」胸ぐらを掴まれた状態のまま、実花島は言う。「まふゆの腕は間違いなく本物だよ。それは間違いなくあんたの強みだって。師匠が保証してあげる」

「……ま、お前の精霊の力を考えると、剣技はできておいて当然だけどな」胸ぐらを掴んだ状態のまま、翼切は責めるような孕みもなくそう言った。「とりあえずは合格だろ。ったく、面倒かけやがって」


 翼切は一人、歩きだす。実花島の「それ飛馬くんが言うー?」という言葉は無視された。追いかけるように歩きだし、実花島と籠中は翼切の隣に並んだ。

 まだ空はまばゆいけれど、これから陽も傾くような青い影が建物に落ちている。しみじみとするような光景だった。

 眺めていたまふゆもすぐに追いついて、三人の隣に並ぶ。誰もそれを不思議に思わないし、責めたりもしない。まふゆの体温が上がったのがなんとなくわかった。臆面もなく、このチームメイトのすぐそばに並んでいいと思えるようになったのが、心底嬉しいようだった。

 実花島がフードをがさごそと漁りながら、陽気にスキャットする。


「ランラララ、ララララ、ランラララ、ラララ」

「やめろ実花島」

「ヤンキードゥードゥルってアルプス一万尺の元ネタだっけ」

「アルプス一万尺ってさー、飛馬くんっぽいよね。だし」

「それってのこと……? そもそもだけど」

「なら籠中さんっぽいよね。だし」

「このリズムで戦ってるって考えたらウケるんだけど。まさしくアルペン踊りって感じ」

「私、翼切くんと戦ってるとき頭の中で歌ってたよ」


 耐えきれなかったのか実花島が噴きだした。その弾みでフードが震えて、漁っていたチューイングキャンディーや絆創膏が落ちる。籠中は呆れたようにそれを拾いあげ、黙々とフードの中に戻していった。まるで母親のような手際のよさだった。


「籠中さんって保母さんみたい」

「こんなでっかい子供やだよ」


 似たような感想を抱いたらしいまふゆは、籠中の返答におかしそうに笑う。

 俺も、これまでにない朗らかさを感じていた。まふゆの元へ降りてきて一ヶ月、前へ進めず悩みあぐねて数週間。やっと、まふゆはチームメイトと笑うようになった。最初こそ、本当にチームとして機能できるか不安だったが、なんとか動きだそうとしている。


「……ねえ、ナルくん」


 まふゆが、俺にしか聞こえないような、囁くほどのか細さで、そっと言った。

 俺が「なんだ?」と返すと、まふゆは優しい手つきで甲殻を撫でる。

 なにも感じないはずなのに、感じないからこそ、触れられたところがもどかしく疼くような、そんな甘い心地がした。できることなら、いつもでもこうしていてほしかった。


「私はいまね、きっと君のおかげで、楽しくてしかたがないや」


 俯かずに、前を向いて、まふゆは言った。

――嬉しい。そんなふうに思ってくれることが、そんなふうに前を向けるようになったことが、たまらなく嬉しい。ずっと、顔を上げてほしいと思っていた。その目で前を向いて、笑ってほしかった。自信を持ってほしかった。誇りを取り戻してほしかった。

 俺はちゃんと武器として、まふゆを支えられていた。

 それがなによりも誇らしい。


「違うぞ、まふゆ」情けないことに声が震えていたため、それを悟られないよう、なるべくゆっくりと紡いでいく。「これは、お前が努力して勝ち得たものだ。でも、そう言ってくれて、俺も嬉しい」

「えへへ、ふふ。よかった」


 まふゆは蕩けるように笑う。そして、改まるように俺に言った。


「ナルくん。これからもよろしくね」

「ああ。全霊を以てお前を支えよう」


 隣にいた籠中が「のろけないでよね、二人とも」とからかってくる。思えば今まで、チームメイトからこんな言葉を受け取ることさえなかったのだ。それゆえか、少しも不快だとは思わなかった。

 まるで糖蜜のように甘い蜜月。この時間がたまらなく平和だった。

 だから、まふゆも俺も、それに満足するばかりで、考えもしなかったのだ。

 三日後――まさしく運命の日に、全てが覆る。



▲ ▽




「私、メリー。いまあなたの後ろにいるの」

「当たり前じゃん! 甲殻つけてんだから!」


 《惑える子羊》の言ったジョークに実花島はげらげらと笑った。それに対してうんざりしているのが、《惑える子羊》を甲殻に宿す翼切と、実花島の精霊である《変幻自由自在》だ。それを眺めているまふゆや俺は、籠中と共に呆れていた。


「これから試験だってのに、緊張感のない連中だな」

「翼切くんもよく耐えてるよね。まあ、試験のために体力は温存しとかなきゃいけないし、実花島くんに怪我されても困るんだけど」

「どうしよう……私、緊張して吐きそう」

「ちょっと、しっかりしてよ菜野さん。ほら、薬なら実花島くんのフードの中にそれっぽいのあるから」


 籠中はまふゆの背を擦りながら言った。

 試験当日――朝からまふゆは緊張しっ放しだった。

 学年ごとに実技試験の実施日が違うため、今日はまふゆら第一学年の生徒しか学校にはいなかった。数日に分けて行われる筆記試験と違い、一日目の実技試験は午後から行われる。午前のあいだに試験とする地下会場を整えるため、生徒は登校禁止になっているのだ。高が試験のためだけに大それたお膳立てをするとは、さすがは名門の養成学校。会場調整のこともあり、いつもより長時間眠れたまふゆだが、いざ当日を迎えると、体が強張ってきたようだった。携帯端末のグループトークで〝今日は頑張りましょう〟とメッセージが来たときも、まるで脅しでもされたかのように怯えていた。着替えるときも、俺に挨拶をするときも、甲殻を装着するときも、どこか不安げな表情だった。相当なプレッシャーがあるようだ。

 学校に着いてチームメイトと顔を合わせると少しは落ち着きを取り戻したが、それにしてもまだ表情は硬い。


「ま、入学して初めての実技試験ともなると緊張するしね」

「本当にバクバクいってるの……死なないかな、毒でも盛られてないかな……」

「死なない死なない」

「倒れて人工呼吸されることになったらどうしよう……恥ずかしすぎるよ……」

「ならないならない……なんでそんなことばっか考えてるの」

「か、籠中さんは落ち着いてるよね……怖くないの……?」


 籠中は麗しい目を丸くさせてから「ドキドキするけど怖くはないかな」と言った。


「あくまでこれは養成学校の試験なんだから、そこまで身構えなくてもいいと思う。これまでやってきたことをこれまで通りやればいい」

「お、おお……」

「それに……」籠中はチームメイト全員を一瞥し、剣の柄を撫でた。「一人で戦うわけじゃないんだもの」


 数秒後、指導官により集まるよう招集がかけられた。冷え冷えとした地下十二階にてチーム単位で整列し、大きなエレベーターのドアの前に立つ。試験会場となる地下の訓練場は広く壮大で、とんでもないなにかが始まるのではないかという不安を生徒に煽らせた。様々な機具やコードなどが目立ち、青白い電灯に晒されて黒を強く見せている。

 時計の針が二時手前まで上ったあたりで、指導官は口を開いた。


「これから試験を開始する。あらかじめ通達していた通り、試験はチーム単位での戦闘となる。チームごとにそれぞれ違う階へ移動してもらう。試験が始まれば、本物のセツリが出てくるはずだ。見つけ次第、速やかに倒すこと。君たちの戦闘は監視カメラで確認している。戦闘の様子を見て、点数の判定を行う」


 思ったよりも普通の試験だった。そこそこ脅すようなことも言っていたのでなにが出てくるのかと身構えていたが、内容としては単純なものだ。籠中の言う通り、これはあくまで養成学校の定期試験――まふゆも安堵したように肩の力を抜く。


「だが、倒すだけが試験ではない」


 続けられた指導官の言葉に、まふゆは「えっ?」と声を漏らした。


「それぞれの階には三体の大物セツリが陣取っている。そのセツリが一枚ずつ持つコインをすべて回収すること……これが合否の判定となる」


 なるほど。セツリを倒すというのはあくまで〝点数〟上の判定。一番重要なのは、コインを回収する、というタスクだ。どれだけ点数を稼ごうと、合格を得られなければ全て無駄だ。コインを三枚回収する、というのがこの試験の大前提なのだろう。


「一度目のブザーが鳴ったら試験開始。二度目のブザーで試験終了だ。最後まで気を抜かないように。なにか質問は?」


 誰も手を上げない。それを見て指導官も頷いた。


「では、これからチーム名を五十音順に読みあげる。呼ばれたチームから前へ出て、どの階へ行くか決めるためのサイコロを振ること」


 それを聞いた途端、まふゆと籠中は顔を見合わせる。


「待って。私たちってチーム名登録したっけ?」

「わ、私も知らない」

「俺も知らないぞ。そもそも誰がチーム名申請の用紙を受け取ったんだ?」

「少なくともあるじさまではありませんでした……はっ、お待ちくだされ。たしかあのとき一番指導官の近くにいたのは――」


 そのとき、指導官が初めのチームの名を呼んだ。


「チーム〝アルプス一万尺〟、前へ」


 はーい、と低く手を上げたのは、飄々とした態度の実花島だった。前へ出る実花島に続いて、当惑気味に翼切も一歩踏みだす。まふゆと籠中は実花島を見つめながら、まさかと前へ出て行く。集まった四人は互いに顔を見合わせていた。


「アルプス一万尺ぅ?」

「あれ、言ってなかったっけ。登録したチーム名」

「聞いてねえよ! なんだそのふざけた名前は。馬鹿にしてんのか」

「でも、なんかかわいくていいかも」

「っていうか実花島くん、さっきの伸びた〝はい〟はなに? ちゃんと返事しなよ」


 静粛に、と指導官から小言を受ける。四人がすっと口を閉じれば、指導官はサイコロを差しだしてきた。ちょうど指導官の前にいたまふゆが、そのサイコロを受け取った。

 不可思議な多面体だ。赤い面には黒と白で目が彫られてあり、よく見ると全部で十二の数があることがわかる。ちょうど地下階の数だった。まふゆはチームメイトの顔色を確認しながら、おずおずとサイコロを放り投げる。台を転がっていったサイコロはぴたりと止まり、最後に四人に目を見せる。


「六階だな」


 指導官はエレベーターのドアを開け、六階のボタンを押した。四人はエレベーターの中に入っていく。どこか薄暗い庫内は四人が一度に入ってもなお余りあるほどの広さだった。おそらく、甲殻を展開させてもいいように作られてあるのだろう。


「試験開始!」


 大きなブザーが駆け走るように鳴り響く。

 籠中が閉ボタンを押すと、思ったよりもずっと速いスピードで、ドアは閉まった。

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