第2話 トレイン・ナノセルフ

精霊大いなる無力――あらゆる能力を無効化する特徴を持つ。

レアリティ ☆☆☆三ツ星

威力    ☆☆☆+αエラー



「わあ、ナルくんってすごいんだね」


 いつもよりも早めの時間帯に登校した朝のこと。

 まふゆと俺は監査室へと赴き、渡された初期カルテを眺めていた。

 監査の結果が出たから取りに来てほしいと、昨晩学校から電話がかかってきたのだ。速いスクールバスに乗るため、まふゆはいつもよりも二十分ほど早起きをした。普段の時間帯に出るスクールバスでも十分に間に合うだろうに律儀な人間だ。

 監査室で見せられたカルテに感嘆しているまふゆに、室長は食い気味に反応した。


「すごいなんてものじゃないわ! ハイパーすごいから! すごさにすごさ重ねちゃってるから! ものすごいレアよこの子、三ツ星なんて菜野さんの学年じゃあ翼切飛馬くらいのものだもん! やったじゃない! 威力数値に関しては天変地異ね! 大きすぎて算出不能になるなんて前代未聞だわ! とんでもない当たりくじ引いちゃったんじゃないのこれ!?」


 テンションの高い室長は眼鏡の奥の目を見開かせ、両手をポケットに突っこんだ白衣をバサバサと揺らした。

 そんな室長をまふゆはぽかんと見つめていたが、やがて俺に言葉を投げる。


「ナルくんみたいなすごいひとが私なんかのところに降りてきていいの?」

「なんかとか言うなよ」

「だって、月とスッポンっていうか、スッポンに月だよ。私、全然才能ないし……インストールにも時間かかっちゃったし」

「いや、多分それって菜野さんが悪いからじゃないと思う」室長はカルテを叩いて言った。「これ見たらわかるでしょ? 《大いなる無力》の力は強い。そもそもおかしかったのよ、インストールに一ヶ月もかかるなんて。04ゼロヨンに入学できたんならみんな降霊能力はあるはずだもん。つまり呼びだした菜野さんじゃなくて、精霊のほうに問題ありってこと。並の降霊じゃ呼び出せないくらい、彼の力は偉大だった」


 まふゆはぱっと顔を輝かせて「ナルくんすごいっ!」と拍手した。こうもまふゆが喜ぶとは思わなかった。俺を気に入ってくれたようで嬉しい。


「しかもよ」室長は笑みを浮かべて言った。「精霊としての彼の特徴がすごいわ……セツリの特性を無効化できるってことだもん! びっくりした。かなり戦闘で有利になると思う。そもそも、祓が甲殻に精霊を宿して戦うのは、人類の力では埋めきれない、セツリとのハンデをなくすため。神秘には神秘をって考え。そのハンデを根本から埋めてくれるんだから、そりゃすごいに決まってるわ」

「ハンデって、セツリの特性三つのうちの〝能力〟の部分ですよね?」

「よく覚えてたわね。テストもバッチリよ、きっと」室長はまふゆを褒めた。「そう。セツリには生殖、能力、本能の三つの特性がある。発生・出現方法を〝生殖〟、各々が持つ特徴を〝能力〟、以上と関係なく無差別に行われる行動を〝本能〟と称しているわ。ま、原義と違ったりもするからイメージの齟齬が起こるだろうけど、それは人類の概念では適当な言葉が見つからなかったからね。まっ、それでよ。《大いなる無力》が無効化するのは、この、能力、の部分。わかりやすく見せてあげる」


 室長は部屋の奥に引っこむと、一つの水槽のようなケースを取って戻ってきた。

 中に入っているものを見て、まふゆも俺も驚愕する。

 室長は先回りするように「本物よ」と言った。

 うさぎサイズほどのセツリが、そこにいたのだ。

 真っ白の骨のような塊。フォルムは四本足の蜘蛛のようだ。表情筋のなさそうな単調な顔がのっぺりと貼りついた蜘蛛。外気より体温が低いのかケースには結露が浮かび、また氷が走るように曇っていた。


「この子の特性は生殖、能力、本能の順に、《多産・凍雨・消滅》のセツリ。生まれたばかりであること、また、消滅しやすいことから、そう危険な種でもないわ。安心して」

「どうしてこんなものが……?」

「連携実践で用意される本物のセツリはみんな養殖だからね。この凍雨のセツリも半年後には菜野さんと相対することになるんじゃないかな」


 まふゆはじっとケースに入ったセツリを眺めた。

 口と思われる穴から吐きだされる吐息には氷が混じり、音を立てて底に落ちている。


「菜野さん。抜剣してみて」


 躊躇うように数回瞬きをするまふゆだったが、スリープ状態から起動させ、甲殻を纏う。言われたとおりに鞘から剣を抜くと、ケースの中のセツリが氷を吐かなくなった。


「わっ、すごい」

「刀身が鞘から出ているあいだあらゆる特徴を無効化する……まさしく《大いなる無力》!」室長は熱く拳を握った。「素晴らしいわ! この特徴だけでも即戦力よ! これまで近づくことさえ困難だった灼熱のセツリを相手にできる!」


 温暖化解消の貢献に繋がるわよーと室長は雄叫びを上げた。

 相当大きな声だったので、どうやら外にまで漏れていたらしい。廊下に意識を遣れば通行人のざわざわとした呟きが聞きとれる。これまでの会話を立ち聞きしていた者も少なくはなかった。講師から生徒まで、いろんな人間がまふゆを噂していた。


「あの十億分の一の劣等生が三ツ星引いたってよ」「嘘でしょ……その精霊そんなにすごいの?」「そりゃそうだよ」「だからインストールに一ヶ月もかかったんだろ」「威力でエラーが出るってどんだけだよ」「えっ、なにそれ。やばくない……?」


 周りの、まふゆを見る目が変わった。

 称賛よりも焦りの濃い、驚愕の色。

 そりゃそうだ。これまで彼らがまふゆを冷遇していたのは、まともに精霊を降ろせなかったことに原因がある。しかし、いまやその限りではない。取るに足らないと侮っていた菜野まふゆが強大な力を引き当てた。それも、己の力よりもずっと強大な力。

 ここにいる生徒は皆総じて自尊心が強い。昨日まで馬鹿にしていた生徒が自分よりも格上だと知れば、屈辱で居た堪れなくなってもおかしくない。教室に入ればまず誰もがまふゆを眺める。そのくせすぐに、居心地の悪そうな表情で下を向く。自分たちの上に立ったまふゆが糾弾してくるのを恐れているのだ。

 いい気味だ。

 いい気分だ。

 しめしめ! もう誰もまふゆを馬鹿になんてできない! まふゆが劣等感に囚われることも、人目を避けることも、俯かなければならないこともない!

 菜野まふゆは誇りを取り戻せる――!

 待ちに待った午後の実技の授業。ジャージに着替えたまふゆは主訓練ゾーンで二の腕のストレッチを行っていた。強張りながらも、口元がほんのりに緩んでいるのがわかる。嬉しそうなまふゆを見ているのはやはり気分がよかった。いつもならすぐにでもギャラリーに向かわなければならなかったが、もうその必要はない。眺めるだけの生活とはおさらばなのだ。


「っはぁあ……緊張するなあ」

「心配しなくていい。お前はいつも通りに剣を振るえ」

「でも、本物のセツリと戦うのは初めてなんだよ……?」

「そんなのあいつらだって一緒だろ」


 まふゆは、こちらへと歩いてくるチームメイトたちに気づく。

 ジャージを着こんだ三人も甲殻をスタンバイさせてある状態にあった。己の精霊と会話しながら集合する。籠中仔揺はまふゆ同様、軽いストレッチをしている。実花島英繰はスポーツドリンクのキャップを開けているところだった。

 チームメイトに迷惑をかけずに済むのだ、もう申し訳なさに遠慮しなくていい――四人で固まったあと、まふゆは声をかけようとした。が、それよりも早く、翼切飛馬は口を開いた。


「おい、ポンコツ。いままでみてえに俺様の足を引っぱるんじゃねえぞ」


 その凄みのある声にまふゆは戦いてしまった。言おうとした言葉も忘れて、ふらっと視線を下げる。やはり翼切許し難し――腹の立った俺は、まふゆの代わりに声を出す。


「たしかにこれまではお前らに迷惑ばかりかけていた。だが、もう俺がいる。むしろお前のほうこそ足を引っぱらないようにするんだな」

「ああん?」翼切は顔を顰めた。「この俺様に言ってんのか?」

「お前だって連携実践は初めてなんだろ? 慣れないことで粋がって、恥を掻くのはどっちだろうな。ただの強がりじゃないことに期待しといてやるよ」


 カチンときた翼切はさらに顔を歪めさせたが、吹き飛ばすように快活な笑い声があたりに響いた。


「ぎゃっははははは! 面白いことを言うねえ《大いなる無力》! 可哀想に、うちのプリンセスがおかんむりだよぉ? だけど君が思うようなことは一つもないよ。なんてったって、プリンセスにはこのボク、《まどまど》える子羊こひつじ》がついてるんだからさあ!」


 それは翼切の甲殻に宿った精霊の声だった。少年とも少女ともつかない声。

 蠱惑的な紫を光らせる様は、甘噛みするように牙を見せる獣。


「刀身が鞘から出ているあいだ相対するセツリの前後左右上下の感覚を逆にするのがボクの特徴。狂わされたセツリはなすすべもないさ! セツリを相手にするほうがプリンセスは強い! 残念でーしたぁ! ぎゃっははははは!」

「そういうこった」


 翼切は鼻で笑った。鼻で笑うと表現するより鼻で蹴飛ばすと言ったほうがしっくりくるような腹立たしい表情だった。まふゆにずいっと顔を近づけ、ぶちまけるように吐く。


「いいか? こうして戦うってことは当たり前のことなんだからな。浮かれて調子乗ってんじゃねえぞ」


 籠中に「翼切くん」と諌められたが、やつの態度が軟化するようなことはなかった。

 カンスト組の中でも翼切飛馬はひときわプライドが高い。連携実践に参加できなかった時間は心底苦痛であっただろうし、その原因であるまふゆを恨んでもいるのだろう。

 チームの中でまふゆの顔を上げさせるのはまだ先になりそうだ。


「実践の前に確認しておきたいんだけど」籠中は手を上げて注目させる。「一対一のときと違って、今回は連携を目的としてる。自分以外の人間がいるんだから不確定要素も出てくるでしょ? 正直、お互いの技量においては信頼しているから、どんなことにも対処できるとは思うけど……ある程度の統率はとれておいたほうがいいと思うんだ」

「俺様は最前線だ。ずっとサシで戦りたかったんだよ」


 サシで戦わない授業だと言っているのにこいつはちゃんと話を聞いていたのか?

 似たようなことを籠中も思ったのか美しい眉を顰めさせたが、すぐに「そう」と言って実花島に向き直る。


「なら翼切くんが斬りこみ隊長ってことになるけど、それでいい?」

「どうでもいーよ。好戦的な飛馬くんに任せちゃえばいいんじゃない? 俺は露払いとか、サポートにでも回っとくから」

「菜野さんもそれでいい?」

「あっ、うん」

「……なら前衛は翼切くん。あとは各自柔軟に、ってことで」

「りょー」「頑張ります」


 実花島の気の抜けた返事とまふゆの緊張した返事が重なった。

 指導官の声を合図に、いよいよ連携実践の開始だ。主訓練ゾーンに立つとバリアが展開される。このバリアは主訓練ゾーンと他のゾーンを分けるためのもので、一度張られれば解除コードなしに消えない仕組みになっている。これでフィールド内外は互いに一切干渉できない。


「メリー」

「待ってたよお!」


 翼切の声に《惑える子羊》が答える。

 紫の光が飛び散れば、甲殻が展開された。

 癖のある髪を覆う双角の兜。背面から伸びる漆黒が脇を通り、上腕から手の甲までの籠手を形成する。剣の柄は指の型のついたグリップへと変貌。すらりと刀を抜けば妖しい紫色のラインが光った。


「ぎゃっははは! 待ちに待った日だもん! セツリをバンバン狩ってろうね!」

「わかってるじゃねえか」

「俺たちの分も残しといてよねー、飛馬くん」

「ああん? こういうのは早い者勝ちだろうが」


 甲殻の展開を終えたころ、奥のゲージのランプが点滅する。

 ゲージのシャッターが開けられ、一体のセツリがゾーンの中に入ってきた。

 体長は二メートルほど。つるんとした白皙で軟体動物のように湾曲した体。自ら発光しているようで、小さな火花のような電気を纏わせている。

 籠中は臆することなく冷静に、サポーターへと指示を出した。


「目の前のセツリの解析を申請します」

『スキャンします――《托卵・雷電・消滅》のセツリです』

「うっわ、雷電か。ちょっと厄介かもー」

「ビビってんじゃねえぜ、実花島」


 そうしているあいだに目の前のセツリは放電した。四人とも距離を取って電撃を避けたが、セツリは幾度も放電する。焦げた足元や鮮烈な光にその稲妻が本物であることを知る。妄想でもバーチャルでもない、正真正銘の実践だ。


「アガるなよ、まふゆ。放電前には一度セツリの体の色が濁る。それさえわかってりゃ、見切るのは難しくないからな」

「う、うん!」


 まふゆも俊敏に動いて電撃をかわす。初めての実践とは思えないほど体はよく動いていた。程よく距離を取ったとき、やっと剣を鞘から抜く余裕ができた。

 月が音を立てて輝くような、淡い金色を帯びる一筋。

 大いなる無力で、場は支配される。


「うわ、本当にセツリの雷電がやんだ……」

「やるじゃない、菜野さん!」


 籠中の言葉にまふゆは柔くはにかんだ。

 剣を持った翼切は強く地面を蹴る。そのまま一直線にセツリへと向かい、乱暴に剣を振りかぶった。あと少しでセツリを薙ぐというところで、セツリは容易く身を翻し、翼切の斬撃を避けた。


「あ?」


 翼切は訝しげに眉を寄せる。

 俺は笑いたくなった。

 なんだ。大口を叩くわりに、ちっとも戦えてないじゃないか。あんなに容易くセツリに逃げられて。今日までバーチャル訓練しか行っていなかったのだから無理もないが、さっきの自信はどこへ行ったのやら。セツリを相手にするほうが強いだのなんだの言ってたくせに。


「ちょっと! ぼーっとしないでよ、翼切くん」


 叱りつけるような言葉を吐いたあと、籠中は空を切るように剣を振るった。


『現在のユーザーの攻撃速度は初期値の1.0倍です』

「え?」


 籠中は呆けるように自分の剣を見つめる。数瞬後、もう何回か振るったが、また困ったような表情を浮かべた。敏捷な彼女らしくなく、その場に佇んでいる。

 その脇を通り抜けてセツリへと斬りかかったのが実花島だ。前脚を使ったセツリの攻撃を鮮やかな身のこなしで避け、体がしなるほど力強く引いたあと、セツリの巨体を剣で串刺しにした。けれどまだ致命傷ではない。実花島は剣を引き抜かぬまま、柄についたレバーを押す――反応なし。


「ん?」


 実花島は顔を顰めながら首を傾げる。

 動きが鈍ったのは攻撃を受けたセツリだけではなかった。わけがわからず、まふゆも「えっ……みんな?」と狼狽えてしまう。どういうわけかチームメイトの三人は、己の剣を見つめたり、たたらを踏んだりしていた。チームワークのなっていないチームだと思っていたが、まさかここまでとは…………しかし。


「チャンスだ、まふゆ」俺は囁くように言う。「お前がとどめを刺せ」

「えっ、でも……私なんかが」

「どっちにしろあの三人は機能していない。優等生三人を差し置いて、お前がセツリを倒してやるんだ」


 まふゆは大きく息を吸って、震えるように頷いた。

 セツリが暴れるように身じろぎをする。剣を引き抜いた実花島は剣を振り回し、セツリの胴に抉るような傷をつける。その背後からまふゆは大きく跳躍。弱っていたセツリがそれに対処できるわけがない。落下と振りかざした剣の勢いのまま、まふゆはセツリを頭蓋から両断した。

 終了のブザーが鳴り響く。


「……やっ、やった」まふゆは上擦った声で言った。「やったよ、ナルくん! やった!」

「ああ、よくやった。すごいぞ!」


 俺がそう答えると、まふゆはさらに笑みを深くした。

 ギャラリーのほうからもざわざわと声が聞こえてくる。どいつもこいつもまふゆがセツリを倒したことに驚いているようだった。それも、あの優等生三人を差し置いての活躍だ。どうだ、と叫んでやりたい気持ちだった。たまらない高揚に、甲殻が熱を持ちそうだった。

 ふとまふゆが周囲を見回すと、チームメイトの三人が眉間に皺を寄せてこちらを見つめていた。そのことにまふゆは戦いていたが、堂々としていればいい。今回のことできっと、こいつらもお前を見直すはずだ。

 ギャラリーから慌てたように指導官が降りてくる。まふゆの見事な戦いぶりを褒めに来たのだろうと思ったが、彼が駆け寄ったのは三人のほうだった。そのことを怪訝に思うよりも先に、指導官の様子がおかしいことに気づく。


「ねえ、さっきの戦闘、なんとなく変だったんだけど、どういうことかな」指導官は三人に問いただす。「いつもと様子が違う……初めての実践で緊張するような性格でもないよね。いったいなにが――」

「精霊の力が発動しません」


 籠中がきっぱりと言った。他の二人も同意見なのか、籠中に発言を任せている。


「発動しないって……だって甲殻は展開してるし、精霊のインストールだって……」

「実際、私の《懲役燦然年》は正常な動作が行えませんでした。翼切くんの《惑える子羊》も、実花島くんの《変幻自由自在へんげんじゆうじざい》もそうです」

「バグが発生したのか……? いったい、どうして、」

「こいつのせいだよ!」


 翼切はまふゆを指差して、噛みつくように声を荒げる。


「は? なに言ってる」俺は声を張りあげた。「お前らの不調をこっちのせいにするな」

「いいえ。貴方のせいなんですよ、《大いなる無力》」


 不機嫌になる俺に、指導官のものとも翼切にものとも違う、落ち着いた男声が冷や水を浴びせた。それは実花島の甲殻に宿る《変幻自由自在》の声だった。突然しゃべりだした己の精霊に、実花島も「あー、やっぱり?」と呟いた。


「なーんかおかしいと思ってたんだよねえ。《変幻自由自在おまえ》、俺の命令に逆らわなくなるほど腐っちゃいないはずだし。特にあの二人の精霊なんてご主人様には従順なはずなのに」

「参りましたね……こんなケースは初めてですよ。まさか彼の力がここまで〝大いなるもの〟だったとは思いもしませんでした」


――その言葉に、嫌な予感がよぎる。

 まさか。まさかまさかまさか。

 指導官もようやく察したらしい。なんともいえない表情で顔を青くしている。わかっていないのはまふゆだけだ。彼女一人がまだ混乱したようにあたふたと周囲を見回している。そんな彼女に、申し訳なさそうな表情で指導官は言った。


「菜野さん……悪いけど、剣を鞘に」

「え?」

「訓練を再開する。菜野さんは最後尾まで下がってて。三人は位置についてくれ」

「ま、待て!」俺は声を荒げた。「何故だ! まだ戦える! 実力はちゃんとわかっただろ! なんで下がらなきゃいけない! こっちは結果を出したんだ! なのに!」

「これは連携実践よ。チームワークは必要不可欠。それぐらいわかるでしょ?」


 籠中が苦い顔で言った。さきほどまふゆに声をかけたのが嘘のような、線引きをするような態度だった。

 呆然とするしかないまふゆに、翼切は「まだわかんねえのか」と吐き捨てる。


「お前んとこの精霊がいると連携もクソもねえんだよ」


 臓器なんて持たないのに、胸を抉るような、絶望的な言葉だった。あんな大口を叩いておいて、粋がっていたのは俺のほうだ。


「お前が、こっちの能力まで無効化しやがったんだよ!」


 精霊大いなる無力

 を、無効化する特徴を持つ。



▲ ▽




 精霊の持つ特徴のうりょくとは、俺たちそのものだ。

 名前であり、性格であり、生き様であり、存在である。

 ゆえにその威力は己でコントロールするようなものではなく、また、精霊はその一つしか特徴を持たない。俺の特徴は〝セツリの能力だけでなく、精霊の能力まで無効化してしまう〟というものだったようだ。これはコントロールできるものでも、なくして別のものに挿げ替えられるものでもない。

 剣を鞘に収めてからの三人の活躍は素晴らしかった。

 侮ることさえ恥ずかしいほどの戦いぶり。さすがはカンスト組だと誰もが舌を巻く。指導官も絶賛していた。精霊の力も遺憾なく発揮されている。己の主と戦えることに喜びを感じているような、楽しそうな声まで聞こえてきた。完璧な連携とは程遠かったが、俺がでしゃばるよりもずっと円滑にセツリを倒せていた。

 だめだったのは、足を引っぱっていたのは俺だった。

 まふゆは確かに結果を出した。しかし、セツリどころか祓が降ろした精霊の力まで無効化する特徴なんて、味方にとっては邪魔者でしかない。まふゆが戦えるようになったところで、彼女の周りが戦えなくなるなら、それは戦士戦力としてマイナスだ。

――またまふゆが居場所を失う。

 自信を持たせてやりたかった。どうだすごいだろうと胸を張れるものが一つでもあれば、まふゆの顔を上げさせることができると思っていた。この優等生まみれのチームの中でも活躍すれば、みんながまふゆを見直す。彼女の誇りを取り戻せると、そう思っていた。無様だ。今度こそまふゆ自身にはなんの落ち度もないのに。これから前を向こうとしていた彼女をフィールドで棒立ちにさせてしまった。なにもできず、ただチームメイトを眺めているだけの時間は、どれほどつらいものであっただろう。

 クラスメイトの目も悪意のあるものに変わった。今朝はあれほど狼狽えていたのに、使えないとわかった途端安心したように見下してくる連中は、「さすが。引き当てた精霊も十億分の一だな」と聞こえるように囁きあう。

 ただただ悔しかった。

 口があるのに言い返せない。

 その正しさに口を噤まざるを得ない。

 俺のせいだ。まふゆを俯かせたのは、唇を噛み締めさせたのは、全部俺のせいだ。

――もうこれ以上、この主を苦しめるわけにはいかない。


「俺をアンインストールしてくれ」


 一大決心をした俺は、誰もいなくなった更衣室で、まふゆに言った。

 しかし、意味を勘違いしたらしいまふゆは、思っていたのと違う反応を見せる。


「え……なんで。私、悪いこと、しましたか」


 まふゆは失敗を責められた子供のような表情で、俺の前に正座した。

 着替えの途中だったおかげで、ジャージがマフラーのように首のところで丸まっている。ものすごく馬鹿みたいな格好だった。強張った顔をしているギャップも相俟ってかなりシュールな絵面ではある。


「そうじゃないが……今回の訓練でわかっただろ。俺はお前にふさわしくない。俺は、精霊として失格だ。精霊を変えたほうがいいだろ……まふゆにとっては」


 降霊した人間は精霊を選べない。どんな精霊が降りてくるのか、本当に降りてくるのかさえ、その瞬間までわからない。

 まふゆはそんな運命の中で、俺なんかを引き当ててしまった。

 それが哀れだと思った。

 このままずっと誇りを見失ったまま過ごしていくくらいなら、俺ではない他の精霊を使うべきだ。

 しかし、まふゆは肩をすぼめて、拒むようなことを呟く。


「やだ。どうして。ナルくんがいたらもう大丈夫なんでしょ……?」


 安心させるために言ったあのときの言葉が、まふゆの杭になっているのかもしれない。

 否定するのは心苦しいけれど、そうしなければこいつは前に進めない。


「無理だ。俺がいるかぎり、まふゆはずっと背後に回される」

「でも」

「それに多分だが、学校側からもなにか言われるだろうな。生徒をこのまま腐らせるわけがない。そのうち俺以外の精霊をもう一度インストールしろって言われるはずだ。チームメイトが受け入れてくれるなら、上手く活用できるなら話は別だが、正直もう詰んでると俺は思ってる」


 まふゆは強く息を呑んだ。首のジャージをぎゅっと掴む。

 俺だってこんなことは言いたくなかった。俺以外の武器を持ったほうがいいなんて、そんなこと言いたくなかった。俺がいなくなったあと、あの冷たい一ヶ月を知らない、彼女のことをなにも知らない精霊に、彼女を明け渡したくなんてなかった。できることなら、俺がこの主をずっと支えてやりたかった。


「……わかった」


 震える小さな声でまふゆは言った。

 俺が言いだしたことなのに、その言葉だけで心が痛くなった。

 がばっと中途半端なジャージを脱ぎ捨てたまふゆは、甲殻――俺にずいっと体を寄せる。


「はっ、話し合おう」

「……? もう話し合ってるだろ」

「ナルくんとじゃなくて…………わた、わわ私の、チームメイト様とでござる!」


 は? なに言ってんだこいつ。

 まふゆはいそいそと着替えを続ける。ジャージの下のシャツも脱いで制服を着こみ始めた。ただ汗のせいで服が肌に貼りついてなかなか着替えが進まないらしい。かなり際どいポージングのまま固まっていた。ようやっと着ることには成功したが、髪は額や頬に貼りついたり、ぼさっと膨らんだりしていた。

 いや、待て。

 まふゆの着替えを見守っている場合ではなかった。

 俺はもう一度まふゆに声をかける。


「どういうつもりだ?」

「ナルくん言ったよね。チームメイトが受け入れてくれるなら、話は別だって……だから私、話してみるの。すごく優秀なひとたちだから、もしかしたら、ちゃんとみんなで戦える方法が見つかるかもしれないでしょ」


 その言葉に俺は驚いた。

 菜野まふゆとはこんな人間だったのか? ずっとそばにいたけれど、俺は今日初めて、彼女の強い意思や欲のようなものを感じていた――が、しかし。

 顔がすごい。

 極限だった。

 真っ青を通り越して真っ暗だ。

――まふゆが、あの三人と、話し合いをするだって?


「や、やめろ! 俺のためにむざむざ死にに行くことはない!」

「死なないもん……だ、大丈夫だもん……肉は切らせても骨は断つよ、ふふふ」

「正気かまふゆ! どうせ翼切あたりに文字通り一蹴されて終わりだ!」

「ナイッシュー」


 だめだこいつ。イってやがる。

 悲しきかな、寒い冗談が言える程度にまふゆはブッチギれていた。

 決してあの三人と話すのは得意じゃないだろうに。今日向けられた目の意味をわからないわけじゃないだろうに。変なところで無理をして、また傷つく道理もないだろうに。


「まふゆは祓になりたいんだろ! だったら、俺にこだわらなくていいんだ! 手段と目的を見失うな!」


 そう言うと、まふゆは傷ついたような顔をした。

 わけがわからない。いくら一ヶ月以上も共に過ごした仲とはいえ、そのあいだ俺たちに言葉はなかった。俺は一方的にまふゆを見ていたが、まふゆは全く干渉できなかったはずだ。音もない重たい甲殻を背負うのは楽しいものでもなかっただろう。やっと話すことができたのはつい昨日だ。思い入れなんてないはずなのに。


「いいから落ち着け……本末転倒してるぞ」


 なにやら血迷っているらしいまふゆの目を覚まさせなければ。

 しかし、どう言えば説得できるだろうと黙考している間を裂いて、まふゆは言う。


「してないよ」


 はっきりとした声だった。その芯の強さとは対照的に、橙黄色の瞳には涙が燻っていた。不満のぶつけどころがわからないまま、身に抑えつけようとしているみたいだ。

 俺すらも責めていない独白のような言葉をぶつ切りで呻く。


「私には、ナルくん。ナルくん以外に、誰が……」


 誰が。

 そう重ねる、まふゆの表情は硬かった。

 本当に、自分には誰もいないと、そう思っているのだろう。けれど、きっといる。まふゆがそれを知らないだけで、俺じゃなくとも、まふゆを守れて、まふゆと戦える、俺よりも適した存在はきっといる。初めての存在だから、待ち焦がれた存在だから、自分には俺しかないと信じこめるのだろう。

 俺の主は困った人間だ。インストールに時間はかかるし、勘弁してほしいほど消極的だ。単純だからすぐに俺を好きになる。自分には俺だけだと確信する。

 その間違いを正してやりたいけれど、俺はいつもこうなのだ。

 彼女にまっすぐに見つめられたら、もうなにも言えないのだ。


「……わかった。なら、こうしよう」


 せめて足掻いてからでも、もう無理だと責められてからでも遅くはないはずだ。

 主のことを考えない生意気な精霊だと笑われるかもしれないけれど。

 俺だってずっと彼女の武器だと誇りたい。



▲ ▽




 お近づきになるなら、まずは実花島英繰から。

 そして、剣術のスキルアップがしたいという名目で。

 俺がまふゆの作戦に提案したのはその二つだった。


「お前とあの三人との距離は遠すぎる。これまでのコミュニケーション不足が祟ったと言っても過言ではないが、たとえこっちを理解してもらおうとしても、それより先に槍玉に蹴りあげられ、速攻で窘められ、傷口抉られて終わりだろうな」

「う、うぬん」

「あいつらは完全にまふゆをナメてるからな。まずは自分を知ってもらって、ある程度の信用を作る。言ってしまえばプレゼンだ。お前が熱心な態度を見せれば、少しくらいはこっちのことも考えてくれるだろ……俺をどうにかするのも大事だが、スキルアップするのも大事なことだし。一石二鳥。親しくなれれば三鳥ってわけだ」


 まふゆは神妙な表情でこくんと頷く。

 翌日の昼休み。まふゆと俺は実花島と話すべく、敷地内で探し回っていた。

 人選に多少の疑問は残ったが、おそらくいまできる最善の判断のはずだ。比較的話しかけやすいのは同性でもある籠中だが、あそこは女子グループでガッチリ拘束されている。正直あのウニの群れにまふゆを飛びこませるのはリスキーだし、運よく一人でいるところを見つけて話が通ったとしても、後日どこぞから情報が洩れて、あのチクチクたちが波に乗ってやってくる可能性は高い。女子の集団真理とは実に恐ろしい。いっそあの横暴プリンセスのほうがマシだとも言えた。しかし、こちらから話しかけてあいつがいい顔をするわけがない。いつものように蹴散らされて終わりだ。消去法で、良くも悪くも日和見主義な実花島英繰がベスト。

 それになにより、俺はあいつの剣術を評価していた。

 連携実践のときに間近で見て確信したのだ――この学年で一番剣の扱いに長けているのは実花島だと。

 変則的でありながら無駄のない剣捌き。あれは一朝一夕で身につくような代物ではない。おそらく、どこかで訓練したものだろう。他のやつらとは一線を画する。普段は気の抜けた態度を取っているが、実践してみれば明らかだった。やつの精霊の力も足して考えれば、いまの段階でも祓として即戦力になるはずだ。レベル99は伊達じゃない。

 実花島は裏庭の木の窪みで昼寝をしていた。

 周りにひとけは三々五々となく、静かに風が和ぐ燦々午後。

 話しかけるには絶好のタイミングだった。


「寝てるんだけど」

「大丈夫だろ」

「……うん、そうだね。行こう」


 まふゆは実花島に近づいたが、やつが起きることはなかった。

 恐る恐る、その寝顔を拝む。

 やはり完全に寝入っているようだった。無防備に腑抜けた目尻。静かな息遣い。亜麻色の髪は風に弄ばれてしまっている。普段気にならなかった背後に垂れたフードの中身に愕然とした。いろんな味のチューイングキャンディーに絆創膏。どうしてあるんだと首を傾げざるを得ない、ぬいぐるみのストラップ。ふざけたやつだとは思っていたが、まさかここまでとは。


「かわいいひとかもしれないね」

「げえ。どこが。こんなもん持ち歩きやがって」

「でもこれ都会でいま一番ホットな刺し身ちゃんグッズだよ。限定三十個。甲殻にもつけてるなんて実花島くんってばおしゃれすぎ……」

「俺には絶対つけるなよ」

「僕だって嫌でしたよ。こんなふざけたもの」


 いきなり上がった声にまふゆも俺もギョッとした。実花島が起きたのかとも思ったが、そうやら声の主は精霊のほうだったらしい。そりゃそうだ。人間は睡眠を摂るが、精霊はしない。この状況で起きているのは当たり前のことだった。甲殻のスピーカーから「なんなんです? あなたたちは」と《変幻自由自在》の声が漏れる。


「み、実花島くんに話があるの。起こしてもいいかな?」

「僕の一存ではなんとも。本人に聞いてください」

「さてはお前意地悪だな」


 こいつにかまわず起こせ、と俺はまふゆに促した。

 まふゆは実花島を揺すって声をかける。ここまで寝入っているのだから覚醒には時間がかかると踏んでいたのだが、それを裏切って実花島は健やかに目を覚ました。

 まろやかな眼差しはふわふわと空を漂い、数秒後、まふゆに焦点を合わせる。


「……はあ」


 ため息というよりは今の状況を噛み砕くための頷きのように感じられた。瞬きをした実花島は「なんかよう?」と問いかけてくる。


「あーと、えーと……実花島くんに相談があってですね」

「うん」

「なにから……んぐぐ、ナルくんが、じゃないやいや、私の……そう、私の、剣の稽古に付き合ってほしいんだ」

「うん?」

「ほら、実花島くんって剣術上手でしょ? だからね、なんていうか、私もそんなふうに強く、ちゃんと戦えるようになりたくってね、チームメイトとして実花島くんにお願いしようかなあ、なんて……」


 いいぞ。その調子だ。まふゆにしてはかなり頑張っている。もし俺に目があったら感動の涙がちょちょぎれているころだ。しかし、実花島は冷めた態度で「えー……なんで俺があんたの面倒みなきゃいけないの?」と言った。気まずそうに唇を噛むまふゆの代わりに俺は返す。


「お前チームメイトだろ。そこはしょうがないなあって承諾するところだ」

「なにそれ誘い受け? 俺はやんないからね」

「そう時間も取らせない。都合だってお前に合せるぞ」

「じゃあ引き受けないって都合にも合わせてよ」

「こんだけ頭下げてんのに……!」

「頭ないじゃん」


 どこか茶化すような返答にイライラする。

 だが、本気でからかっているわけではなさそうで、実花島本人の表情は無に近い。

 無というか面倒そうなのだ。表情に出すことすら面倒だと、そう言っている。


「……貴女、本当に戦う気ですか?」こんなところで、《変幻自由自在》はまふゆに問いかけた。「貴女が強くなったところで、もうなにも変わらないと思うのですが」


 それは、俺を飛び越え、まふゆを否定する言葉だった。

 一度劣等生の烙印を押されたのだからなにをしても意味がない。どうせ十億分の一なんだから無駄だ。役立たずの精霊を宿しているんだから無理だ。そう一切合切否定して、まふゆに顔を上げる暇を与えない。

 そんなことはさせない。俺はまふゆの武器だ。まふゆの誇りを、なんとしてでも守らなけれなばならない。


「……これあげるから。バイバイキーン」


 フードから一つのチューイングキャンディーを取りだしてまふゆに渡した実花島。そのまま立ち上がってスタスタと去っていく。まふゆが「待って」と後を追えば、それより遥かに速いスピードで歩き――いや、走りだした。


「うそっ、なんで!?」

「逃がすか! まふゆ、追え!」

「が、合点だあ!」


 こちらもその背を追って走りだす。しばらく追いかけっこをしていたが、敵うことはなかった。まふゆの足も遅いわけではないのだが、男女の差は覆らない。スタートダッシュの早かった実花島との距離は徐々に開き、最終的には見失ってしまった。


「チッ、逃げ足の速いやつめ!」

「ナルくんそれ悪者の言う言葉だよ……」

「こんなところで諦めるなよ、まふゆ。今日がだめなら明日がある」

「でも、実花島くんの言い分はごもっともだよ。だめな私の面倒みるなんて死んでも嫌なはずだよ……」

「前向きに考えよう。死んだら嫌とも思えない」

「それって死ぬほど嫌ってこと?」

「大丈夫だ、まふゆ」俺は励ますように言った。「自分から話しかけられるようになるなんてえらいぞ。この調子で明日も頑張ろう。俺がついてる」


 そう言えば、まふゆはゆっくりと眉を下げてはにかんだ。

――しかし、それ以降の実花島英繰捕獲作戦は思いのほか難航した。

 昼食後、実花島を見つけては話しかけるのを繰り返していたが、二言目には逃げられてしまう。これがまた速いのだ。おまけに無茶苦茶な動きをする。校舎裏、階段、空き教室。立体的で高度な追いかけっこに、さすがは対セツリ訓練学校の優等生と言わざるを得ない。下手な実技訓練よりもハードだった。三日目からは実花島も警戒し始めたのか、見つかりにくい場所に身を潜めるようになった。おかげでまふゆの観察力や足腰も鍛えられ、たった数日でまふゆも逞しくなった。あの俯くしかなかったまふゆが「十二時の方向に亜麻色の髪発見」「背後に回って突っこもう」とノリノリに行動している。正直遊び感覚になってきたんじゃないかとも思うが、その遊び感覚を見事に打ち砕いてくれたのが標的の実花島だ。これはつい昨日のことなのだが、危うく捕まりかけた実花島が、ついに精霊の力を使い始めたのだ。鮮烈な緑の光を放つ《変幻自由自在》――その名の通り、剣の形状を自由自在に変えることができる、変幻自在の武器。質量質感関係なく変化させられることが強みで、柄に付属したバイクレバーのようなものを押すことで形状が変化する。応用がしやすいのはわかっていたことだが、事もあろうに実花島は、屋上に逃げこみ、まふゆをおびき寄せたうえで――剣を如意棒のように変化させ、棒高跳びの要領で、隣の校舎に飛び移ったのだ。あのときばかりはまふゆも俺もポカンとしていた。まさかそうまでして実花島が逃げるとは思っていなかったのだ。正直こいつもこいつでかなり真剣な遊び感覚になってきている気はする。そんなこんなで――実花島英繰捕獲を計画してから数日が経ってしまっていた。


「うーん……実花島くん、手強いねえ」

「そりゃあ、カンスト組の一人だからな」


 その名の通り花も実もある人間だ。あの実力を前にして、一筋縄でいくわけがない。

 まふゆは今日も空き教室の日当たりのいい席で昼食を摂っている。

 食べ終わってから実花島を探す予定だ。

 この教室とて適当に選んだわけではなく、ここ数日の動向から実花島が訪れやすい場所の統計を取り、そのポイントを眺めやすいという理由で居座っている。もちろんそれ以前に、食堂に居座りづらいという理由もあるのだが。

 相変わらず、まふゆや俺への風当たりは強い。毎日のように侮蔑の視線は浴びせられるし、「役立たずの精霊」「ポンコツ」「十億分の一」などの罵声はお約束。毒素まみれの空間でもなんとかしぶとく生きているような状態だ。こうしてカレー春巻きをもちゃもちゃ食べているまふゆだが、相当なプレッシャーとストレスがのしかかっているはずである。

 なんとかまふゆの気持ちを軽くしてやりたい。せめて少しでもいいから、楽しいと思わせてやりたい。喜ばせてやりたい。

 体を持たぬ精霊になにができるだろう。

 そのとき俺は、まだインストールが完了していなかったときのことを思い出した。

 あの期間もまふゆはこうして空き教室で弁当を食べていた。それも、サポーターという、初期データを話し相手に、だ。俺はその光景をたいへん痛ましく思っていたし、思い返しても複雑な気分になる。軽いトラウマだった。

 しかし、いまは俺も話せるのだ。

 こうして話をし続けることが、まふゆの喜びに繋がるのではないか。


「卵焼きが好きなのか?」


 俺の言葉に、まふゆは箸を止める。ちょうど卵焼きを持っていた箸だ。中途半端に浮いたそれをどうするか悩んでいたが、俺が「食べてからでいい」というと口の中に入れた。いつもより速く咀嚼して、俺の質問に答える。


「……だし巻き卵。好きだから、つい、毎日入れちゃうの」


 日々の弁当はまふゆ自身の手作りだ。毎朝早くに起きて台所に立つ。今日も鼻唄を歌いながら弁当箱にごはんを詰めていた。自分の思うがままにできるから、きっとまふゆの弁当箱はまふゆの好きなものでいっぱいだ。


「じゃあ、食べ物以外で好きなものは?」


 んー、と少しだけ悩むそぶりをしたあと、まふゆは指を折りながら答えていく。


「日向ぼっこ。美容院のシャンプー。あと、雨の音。誰かがあくびしてるときの顔。目覚まし時計よりも早く起きれた朝。時計を見たら自分の誕生日の数字だったとき。お洋服を買ったとき店員さんに〝いっぱい着てくださいね〟って言われること」

「まふゆの好きな色はなんだ?」

「金色」


 派手な色だなと思った。似合わないわけではないが、まふゆらしくない。

 戸惑っていると、まふゆは照れくさそうにくすくすと笑い、続けて言った。


「ナルくんの色だから」


 ……やられた。

 まふゆを喜ばせるつもりが、てんで逆になってしまった。

 まあ、彼女の武器である俺にできることなど、一緒に戦ってやることしかないというわけだ。


「…………お?」

「どうしたの? ナルくん」


 そうだ。俺にできることなど、まふゆの武器であることしかない。

――実花島英繰が本気で逃げようとするなら、こちらだって本気になるまでだ。

 昼食後。いつも通り、まふゆと俺は実花島を襲撃した。食堂近くの自販機で炭酸水を買っているところを見つけたのだ。もちろんすぐに追いかけっこへと発展したわけだが、思ったよりも差は開かない。実花島は買った炭酸水を強く振ってしまうことを恐れ、まふゆを引き剥がすほどのスピードを出すことができなかったようだ。裏庭まで逃げたところで、実花島は甲殻を展開させた。

 鮮烈な緑の輝きから、生まれ出でた漆黒の兜。口元と後頭部を保護するためのそれは、髪飾りや面のようにも見える。引き締まった体を、肋骨のように連なった背甲、精緻な肩甲が覆う。鞘の形が細身な分、柄のレバーが人目を引いた。

 実花島は精霊の力を使うためレバーを押す――が、その形状が変わることはなかった。

 腹立たしそうにやつは「……うーわ、そりゃねーやあ」と呟く。

 目には目を、歯には歯を、精霊には精霊を。

 甲殻を展開させ、剣を鞘から出したまふゆが、実花島と対峙していた。


「《大いなる無力》の力で《変幻自由自在》の力を無効化させたわけか。無効化は精霊にも通じるってこの前の連携実践でわかったわけだし。マジじゃん。マジカルじゃん」

「考えなしに行き当たりばったりで行動してるからこんな目に遭うんですよ」

「おまけにこのジュース完全にアウトだもん。開けたら噴きだすだろうな……ガチしょんぼり沈殿丸」

「はあ……僕の主ならもっとましな言葉遣いをしてくれませんかね?」

「うるせー」


 周囲に人っ子一人いないことも幸いした。カンスト組である実花島と自分が甲殻を展開して向かい合っているなんて状況を、まふゆは誰にも見られたくないはずだ。糾弾されやすい身の上のまふゆを、目撃者は許さない。悪質な陰口を叩くことは必定だった。

 しかし、誰にも見られていないなら、この瞬間だけは強く出られる。本来なら激怒されかねない、チームメイトの力を無効化するなんて暴挙を犯すことができる。


「本当びっくりした」実花島は呆れがちに言った。「いきなり変なこと言いだすと思ったら、まさかここまでするなんて。俺だったからいいけど、飛馬くんとかだったら後ろ足で蹴り上げられてるんじゃない?」


 そうなるだろうと思って候補から削除していたのだが、それは言わなかった。

 まだ俺のインストールが完了していなかったころ、退屈そうに愚痴ることはあっても、直接まふゆを責めるようなことをしなかった、実花島こそを、今回選んだというのも、俺は言わないでおいた。

 剣を構えたまま、まふゆは「あのね、」と口を開く。


「実花島くんとこの精霊さんは、この前、なにも変わらないって言ったけど……そんなこと、ないよ。変わるよ。私が変われるの」


 甲殻に宿る精霊の俺にはわかる。剣を持つまふゆの手は震えていた。怖いだろうに、頑張っているんだと、全てが読みとれる健気な震えだった。

 それを目聡に読みとったからかは知れないが、実花島は「……しょうがないな」と小さく呟いた。


「これ以上足手纏いになられても困るしとりあえず見てあげるけど、俺、ヘボいやつ鍛えてやるほど甘くはないからね」


 そう言って、実花島は剣を構える。

 まふゆも剣を構え、いつ攻撃が来てもいいように左腕の盾も前に出す。

 己の剣術のみの勝負。事態好転というには厳しすぎるが、審議時間はもぎ取った。

 剣を走る金と緑の筋がギラギラと光る。

――最初に動いたのは実花島だった。

 至極当然のような動作で近づき、横一線に剣を振るう。まふゆが盾で防ぐことを予想していたのか、さらに斬撃を見舞うまでに一瞬もなかった。無駄な勢いのない鋭利な刃でまふゆに肉薄する。しかし、まふゆはそれらを見切り、一歩ずつ背後に下がっていくことで逃れていた。実花島はぐるんと大きく薙ぎ、それを避けたまふゆに強烈な蹴りを入れる。間一髪、盾で防御したまふゆは吹っ飛ばされたが、その勢いのまま体を丸めて後ろ向きに一回転、腕のばねの反動で瞬時に起きあがる。怪我の功名、適度な距離を取ることができた。ふう、と息をついて実花島を見据える。

 にやりと笑んだ実花島は一気にこちらへ駆け寄った。

 実花島は縦に一閃するも、まふゆはそれを紙一重で避け、逆にこちらから突きを入れる。実花島は刃で防いだが、まふゆはそこで力押しをしない。涼やかな音を鳴らしながら相手の剣上で滑らせ、柄の裏でこめかみをぶん殴ろうとする。


「!」

 

左手を翳すその攻撃を防いだ実花島は、驚きに目を見開かせていた。しかし、すぐに冷静さを取り戻して、左手でまふゆの柄を手ごとで掴む。

 まふゆは焦ることなく手首を動かして実花島のほうへと刃を寄せた。開いた胴に浴びせようとしていた実花島の剣を盾でしのぎ、ふわりと回転して身をほどく。

 互いに解放された二人はもう一度斬りかかった。

 けれど、一度刃がぶつかると、まふゆはすぐにその刃先を逸らした。拮抗するような状況を作らない。実花島の斬撃は刃を滑らせることで受け流し、己の斬撃も食い止められれば、勢いのまま回転し次に繋げる。脇を掻い潜って背後から斬りつけ、それが防がれれば突きに変える。ゴリ押しの攻撃には相手をしない。相手の力を受け流し、流れるような動作でこちらから仕掛ける。なかなか一太刀を浴びせられないことに、実花島も困惑しているようだった――しかし。


「ふわっ!」


 足元がお留守になっていたようだ。

 実花島は足払いを仕掛け、まふゆのバランスを崩させる。

 やつはそのまま、背中を向けるようにたたらを踏んでしまったまふゆに斬りかかる。

 まふゆはそれを盾で防ぐも、剣圧と蹴りで放り投げられれば、その体は無様に吹っ飛び、今度こそ仰向けに倒れこんだ。甲殻が軋む音がしたが、それどころでないまふゆは苦しそうに呻く。

 当然のことながら――レベル99を相手に、まふゆは負けを決した。


「へえ、意外」


 しかし、実花島の反応は色好いものだった。

 ゆったりとした速度で仰向けになったまふゆに歩み寄り、ちょうど頭上のあたりで静止する。存外楽しそうな表情でまふゆを覗きこむ。


「あんたけっこうやるじゃん」

「えっ、本当? やるかな?」

「うん、やるやる。あんたを優しく叩いて伸ばすのも、案外悪くないかもしれないね」


 まふゆは驚きに口を開く。目をキラキラとさせて実花島を見上げた。


「やってあげるよ、剣技の訓練。面白そう」

「あっ、あ、あ――ありがとう!」


 実花島はまふゆに手を差し伸べた。まふゆもその伸ばされた手を掴む。実花島はまふゆを引っぱり起こそうとしたが、二人のこの体勢ではうまくいかず、まるで社交ダンスのように腕の中でくるりと回ってまふゆは立ち上がった。

 二人は友達のように、顔を見合わせて笑った。



▲ ▽




 実花島を味方にしたのはいい決断だったのかもしれない。

 倦怠的な雰囲気に反し、こいつは面倒見がよかった。

 剣術が上手いとは思っていたが、教えるのも決して下手ではない。飴と鞭を知っているし、なにより剣術の分析に長けていた。


「ちょっと素人臭いけど、合気のセンスがあるね。格闘技とか剣術の動画を見て研究したって言ってたからそのせいだと思う。相手の力と争わずに攻撃を流して斬りこむ。いんじゃない? あんたの精霊は力を与えてくれるタイプじゃないから、自分の腕が必要になってくる。剣技を追求するってのは賢明な判断だと思うよ。そういうの賛成」


 実花島は剣技が得意なゆえに、剣技を蔑ろにしている人間を見下す傾向があった。翼切と仔揺はある程度認めているようだが、他の生徒の剣術意識の低さにはたびたび毒を吐いていた。そんなやつだからこそ、剣術の腕を上げたいというまふゆに対して、寛大な心を見せてくれたのだろう。

 毎日の昼休みと放課後、律儀に稽古をつけてくれる実花島の目は、どこか活き活きとしているように感じた。これまでのやつの印象とは全く異なる。引き受ける前はあれだけ鬱陶しそうしていたのに、面倒だとは思わないのだろうか。


「別に俺、面倒くさがりなわけじゃないよ? 嫌なことはしたくないだけ。面白いことは好きだから、面倒なことだってする…………ところでナルくん、この刺し身ちゃんストラップつけようよ、兄ちゃんにいっぱい押しつけられて余ってんだよね」


 いらんわ。

 淡泊な態度の割に馴れ馴れしいやつだった。

 まふゆと一戦した日の実技訓練時、ヒラヒラと手を振ってきたときにはさすがにギョッとしたものだ。翼切も籠中もギョッとしていた。それでも、その態度の軟化がいい影響を起こしているのは確実だ。まふゆは実花島英繰という相談相手を獲得することに成功したのだ。しめしめ!


「定期テストの筆記の範囲が公開されたけど、まふゆはどう?」

「んと、武装基礎学と自然セツリ学は、なんとかなりそう……でも、討伐史学が自信なくて……えぐるくんは?」

「俺も討伐史学がピンチかなー。一般教養は自信あるんだけど」


 今日の昼休みも、まふゆは実花島から剣術の指導を受けていた。

 現在は芝生の上に座りこんで駄弁っている。

 こうした休憩中に世間話をするようになったのだから感無量だ。一か月前のまふゆと比べれば劇的な進歩である。張りつめていた気も適度に抜けるようになり、柔らかい表情を浮かべることも増えた。


「で、でも、えぐるくんは優秀だから、テストもなんとかなるんでしょ?」

「んー、多分ねー。初めてのテストだからよくわかんないけど」実花島はフードから棒つき飴を取りだした。「座学とかは多分、こゆりんのほうが得意だろうから」


 ぺりぺりとセロファンを剥がしながら実花島は言った。まふゆにもいるかとジェスチャーで問いかけたが、まふゆは首を振ってから「ありがとう」と小さく返す。


「籠中さんは本当にすごいよね。美人だし、しっかりしてるし」

「あーね……たしかに美人だ。まふゆもかわいい顔してると思うけど、こゆりんのほうが大人っぽくて綺麗な感じ。男子のあいだでも人気っぽい」


 籠中の持つ涼しげで優美な眼差しは、たしかにまふゆとは真逆のものだった。すっきりした鼻立ちと相俟って、精緻なカッティングを受けたガラスのようにも感じる。


「それに、こゆりんは俺たちと違って本物だから」

「本物?」


 まふゆの問いかけに実花島は答える。


「そ。本物の優等生。俺も飛馬くんもカンストしてるから優等生なんて言われてるけど、みんながイメージするような優等生とはちょっと違うじゃん」


 無気力そうな実花島もそうだが、あの翼切が優等生の枠に入っているなどかなり信じたい。その横柄さが強さからくるものであったとしても、乱暴な口調や態度から、不良の番長の間違いではないのかと思ってしまう。


「でも、こゆりんは違う。正真正銘の優等生だ。面倒な固さっていうのかな……疲れてるくせに、ちゃんとするのが当たり前だと思ってる。手を抜くことが苦手で、だけど根っから真面目ってわけでもない。一番厄介で、だけど典型的な優等生」


 俺はその表現に納得した。

 俺をインストールしている期間も、籠中だけはまふゆの様子を伺っていた。まふゆをお荷物だと思っていただろうに、必要最低限には気にかけ、親切最低限には声をかけ、正義最低限に恩情をかける。三人のチームメイトの中で、指導官が企てたプロットに最後まで従事しようとしたのは、籠中仔揺ただ一人だ。


「どうせこゆりんは試験前に特別勉強しなくたってそれなりに取れるんじゃない?」

「ふわあ……籠中さんってば本当にすごいんだね……かっこいい……!」

「それならまふゆだって取れるだろ。お前実はちゃんと勉強してるし」

「え? そうなの?」俺の言葉に、実花島は驚いた反応を見せる。「ふうん……意外。十億分の一の劣等生、なんて言われてるから、座学もダメダメなんだと思ってたけど……だったらまふゆ、定期テストで周りの鼻を明かしてやることもできるんじゃない?」


 その言葉に赤面したまふゆは、ゆるゆると首を振りながら目を瞑った。両頬に手を当てて、にやけるのを我慢しているらしい。期待してくれているような言葉が嬉しかったのだろう。しかし、すぐに我に返り、長い睫毛を伏せて「無理だよ」とこぼす。


「筆記はともかく、実技があるんだもん……」

「あー」実花島は察したように顔を顰め、両手を背後について重心を移動させる。「ナルくんの力ってコントロールできないんだっけ。もう一週間しかないのにどうすんの」

「……えぐるくんは、どうすればいいかとか、なにか、思いつくことある?」


――ここにきて、ようやく、当初目論んでいた計画を達成するに至った。

 心の距離もだいぶ近づいた。実花島も、もうまふゆを見捨てるような真似はしないだろう。少なくとも、チームメイトの一人としては認めてくれているはずだ。打開策を思いつくようなことはなくとも、共に考えるくらいはしてくれるに違いない。


「けけけけ。ないんだなー、それが。超お手上げ」


 違った。

 一瞬で見捨てやがった。

 少しの躊躇もそぶりもなく、実花島は降参の意を示したのだ。

 許し難しと苛立っている俺に《変幻自由自在》は囁く。


「わからず屋ですね、貴方も。僕の主を当てにするなんて大間違いですよ」

「……お前は随分と主を謗るんだな、《変幻自由自在》」

「僕の主ほど精霊に薄情な人間はいませんからね。たとえ誰が相手であろうと、精霊には関心を示さない。こんなアホンダラに頼るだけ無駄です」


 俺たちの会話を聞いていたらしいまふゆが心配そうな顔をする。実花島の甲殻――つまり変幻自由自在のことだ――に目を遣って「仲が悪いんですか?」と尋ねた。それに肯定を示した変幻自由自在の後に続くように、実花島は答える。


「精霊の特徴にはさ、二種類あるの。なにかわかる? 自分に作用するものと、相手に作用するもの。バフとデバフ。例を挙げるなら――前者がこゆりんと俺、後者がまふゆと飛馬くん」

 なるほど。振るっただけ己の斬撃速度を上げる《懲役燦然年》と、剣の形状を思いのままに変化させる《変幻自由自在》は、精霊との契約者である本人に作用するグループに入る。一方、刀身が鞘から出ているあいだ、相対している者の特徴を無効化する俺と、相対しているセツリの前後左右上下の感覚を逆にする《惑える子羊》は、外部に作用するグループと言える。


「俺は自分の剣で戦うことを考えてたから、相手に作用する精霊が欲しかったんだ。だからさー、こいつが来たときやだなあって思ったんだよね。だって《変幻自由自在》って、言っちゃえば剣術いらないってことじゃん。極力使わないようにしたとしても、それはセツリとのハンデが埋まらないってことだし、インストールした意味がない。だからしょうがなく使ってやってるんだよ」

「使わせてやってるんです」

「生意気だよね? こいつ、いつもこうなの」


 実花島の発言に改めて確信する。降霊した人間は精霊を選べない。どんな精霊が降りてくるのか、本当に降りてくるのかさえ、その瞬間までわからない。その出会いは運命で、拒否できない宿命なのだ。まふゆと俺が、実花島と《変幻自由自在》のような関係になることも十分ありえた。俺の主がまふゆで本当によかった。まふゆにも俺でよかったと思ってもらえるようになりたい。


「んー、でもさー、だからさー、言ってるじゃん」話しながら、実花島はなにかを視線で追っていた。「こういうのはこゆりんのほうが得意だって」


 実花島は目線の先に向けて軽く手を振った。こっちにこい、と誘うようなジェスチャーだ。

 誰に向けたものだろうとまふゆは振り向いて、目を見開く。

 石になったように固まった。

 それは、招かれた相手も同じだった。


「こゆりーん、聞きたいことがあるんだけど」


 実花島が呼び、二人の元へと寄ってきたのは、まさしく籠中仔揺だった。

 最近暑くなってきたこともあって、髪をポニーテールに結んでいる。制服の袖は捲られて、色白の腕が覗いていた。籠中はその美貌を用いて困惑の表情を湛えている。それは呼びかけられたがゆえでもあり、まふゆと実花島の二人が揃っていたがゆえでもある。


「……二人とも、なんで一緒に?」

「師匠です」

「弟子です」


 籠中の質問に、二人はリズミカルに答えた。

 その答えを聞いてもいまいち納得しなかった籠中に、実花島はまふゆに剣術を指南している旨を教える。さらに謎が深まったような表情を浮かべるも、籠中は追究を諦めて、理解するふりをした。


「そういえば最近様子が変わってたもんね。まさか稽古してるとは思わなかったけど」

「素晴らしいですね、菜野まふゆ殿!」籠中の精霊である《懲役燦然年》も溌剌とした声を漏らす。「己の研鑚に取り組むのは美しい心がけですよ」


 褒められたことに照れたまふゆは、両手で顔を隠しながらにやけていた。

 籠中は見送ることなく「で、聞きたいことってなに?」と実花島に話しかける。


「あっ、そうそう。まふゆの精霊のナルくん――《大いなる無力》と、俺たちがどう共闘していくか、なんだけど」


 籠中は目を見開いたが、数秒後呆れたような目をまふゆに向ける。


「まだ対処してなかったの? しっかりしてよ、菜野さん」

「ご、ごめんなさい……」


 籠中はため息をついた。まふゆの嫌いなため息だ。罪悪感と無力感を募らせるような愁いのため息。籠中を美しく見せるそれは、まふゆにとっての毒だった。

 実花島は「だから意見を聞こうかなって。こういう分野はこゆりんのが得意だし」と助け舟を出してくれる。見捨てるようなやつだと思っていたが、一応は最後まで面倒をみてくれるつもりらしい。それを籠中が気に入るかは別だけれど。

 籠中はさらに顔を顰めたが、ただ無為に非難するわけではなかった。


「菜野さんが考えることであって、誰かに任せていい問題でもないでしょ。そういうふうに怠けてると、もっと大変になるのは菜野さんのほうだよ。それに実花島くんの口から話を聞くってのもおかしな話だよね」


 籠中の言うことは正しい。まさしく実花島の言う――ちゃんとするのが当たり前だと思っている、一番厄介で、典型的な優等生の言い分。

 そんな籠中に、まふゆは口を開く。


「……ごめんなさい」

「だから、謝らなくていいから――」

「でも、お願いします」被せるように、まふゆは言った。「私じゃ、どうにもできなくって、それがだめなのは、だから私がだめなのは、わかってるんだけど……でも、思いつかないの。いつも、迷惑かけて、ごめんなさい。でも、だけど、今度こそ迷惑かけないように頑張りたいんだ。だから、お願いします、籠中さん……手伝ってくれないかな」


 未だかつて、ここまではっきりと、まふゆが、チームメイトになにかを申し出たことがあっただろうか。

 きっとないと、籠中の表情が物語っている。

 いつもまふゆは、このため息の似合う彼女に対し、謝ることしかしていなかった。

 籠中にしてはあどけなく目を見開かせて、不思議そうにまふゆを見つめている。


「…………実験」

「へ?」

「実験、してみよう。使いこなすには、まず、精霊を知ること」籠中はきびきびと指示し始める。「二人とも、立って。甲殻を展開させて向き合うの。剣も抜くこと。実花島くんは《変幻自由自在》の力も発動させておいて」

「まふゆも抜剣してたら意味ないんだけど」

「いいから」


 その強い言葉に実花島も渋々頷いた。二人は甲殻を展開――そのまま剣を抜いて、実花島は柄のレバーも押す。もちろん、俺の力により、剣の形状は変わらない。


「実花島くん。悪いんだけど、少しずつ菜野さんから離れていってくれる?」

「えー……なんで俺が」

「実花島くんのほうが後ろに余裕あるでしょ。早く」

「りょー」


 籠中の指示通り、実花島は一歩ずつまふゆから離れていった。

 距離はどんどん開いていく。傍から見ると異様な光景だ。しかし籠中はこの場にいる誰よりも、真剣にその様子を眺めていた。そして――おそらくこれを待っていたのだろう――実花島がある地点まで離れると、ある変化が起こる。


「ありゃ?」


 さっきまでなんの変哲もなかった実花島の剣が、ぐにゃりと、一瞬で、魔女っ子ステッキのような形状へと変化した。

 俺は籠中の意図を悟り、感動までしたのだが、それを見事に白けさせる実花島の形状変化のチョイスだ。これは《変幻自由自在》でなくともこの主に呆れてしまう。実花島も、魔女っ子ステッキを見て察したらしい。理解できていないのはまたしても、まふゆ一人だけだ。


「実花島くんはストップ。そのままの距離を保って菜野さんの周りをぐるっと一周してみてくれる?」

「りょー」

「えっ? えっ?」まふゆは棒立ちになったまま混乱していた。「どういうこと?」


 一周し終えるまで、実花島の剣は魔女っ子ステッキのままだった。距離を保ったまま、籠中に許可を取って形をほどき、元の剣の形状へと戻す。そしてまふゆをしげしげと眺めて「なあるほど」と悪戯っぽく笑んだ。


「目の前の二者間の距離の計測を、サポーターに申請します」

『スキャンします』籠中のサポーターは答える。『約十五メートルです』

「つまり、十五メートルよ」


 籠中の言葉に首を傾げるまふゆ。

 片手を上げてため息をつくも、籠中は見放すことなく、もう一度告げる。


「《大いなる無力》が特徴を無効化する範囲は半径十五メートルってこと」

「……ああっ!」


 ようやっと気がついたまふゆの口から、納得と驚嘆がまろびでた。

 籠中は補足するように淡々と告げる。


「いくらレアリティが三ツ星で、威力の強大な精霊だったとしても、鞘から出ているあいだ全世界のセツリの能力を無効化する、なんてこと、できるわけないでしょ。どんなチートよ、それ。それなりに制限もあるし、範囲だって決まってるはず。《大いなる無力》なんて言ってるけど、本当は《十五メートルだけ無力》だったってことよ」

「ぶっ!」


 籠中の皮肉に実花島は噴きだした。肩を震わせながらひいひい喘いでいる。

 しかし、さすが、籠中仔揺――レベル99の優等生だ。

 優等生レベル99と言ってもいいかもしれない。

 考えてみれば単純なことなのだが、まふゆも俺もそれには気づかなかった。焦るのに必死で、柔軟な発想ができないでいた。しかし、籠中は冷静に物事を捉え、俺も知らない俺の性質を弾きだした。ほとんどダメ元、大概にして賭けだった作戦が上手くいってしまった。まふゆの言う通り、チームメイトは優秀だ。話せば答えは見つかるのだ。


「すごいな。ありがとう。お前に聞かないとわからないことだった」


 籠中はきょとんとした。

 しかし、すぐに居心地が悪そうに目を逸らし、ぶっきらぼうに返す。


「別に……私も、最初は精霊の力の使いかたがわからなくて、苦労したから……慣れてただけ。それに、まだ実験は必要なんだから糠喜びはしないでよ。十五メートルっていう数字は、相手が精霊のときだけかもしれないし。セツリを相手に、もう一度計測しなきゃ」

「でもさ、こゆりん。ナルくんの無効領域は特定できたけど、それをどうやって活用すればいいの? まふゆの半径十五メートル以内に入らなければいい、っていうのはわかるんだけど、戦いながらそれを目測するのは難しくない?」

「なんのためのサポーターよ。戦闘中、菜野さんの半径十五メートルに入ったときだけ小さくブザーが鳴るように設定すればいい。同じタイミングで、菜野さんの位置を知らせるアナウンスも入れたほうがいいかもね。離れるときの混乱を防げるから」

「や、やっぱりすごいね、籠中さん……!」


 まふゆは興奮に握り拳を作って言った。

 いきなり声を上げたまふゆに、籠中は驚いていた。


「まさか、そんなこと思いついちゃうなんて。サポーターの使いかたも上手だし」


 お前は星占いとかしてたもんな。

 ある意味ではお前も相当上手に使ってると思うぞ。


「すごいね、籠中さんは……考えて考えて、強くなったひとなんだね。ありがとう。籠中さんに相談して、本当に良かった」まふゆは照れくさそうに目を細める。「いつも私のこと、気にかけてくれて、ありがとう」


 そうやって笑うずるいまふゆを、どこか責めるように籠中は見つめる。弱々しく唇を噛み締め、眉尻を下げていた。どうしようもなさげに口を噤む。

 きっとまふゆは無邪気に、なにも考えずに言ったんだろうけど。

 純粋な気持ちで〝気にかけてくれて〟と言ったんだろうけど。

 籠中仔揺と菜野まふゆがチームメイトになったのは、きっとこのときようやっとだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る