第5話 主かく語りき
《変幻自由自在》の力により、壁に開いた穴は塞がれた。もう一度密閉された部屋の中で、今度は全員で――室内をコントロールしなければならない実花島を除く――円になって、これからどうするかを話し合う。
「えーっと、みんなの情報を整理するけど」籠中は中心になって進行させる。「いろんなセツリがいたみたいけど、一番厄介なのが合計三体。《少産・暴風・消滅》のセツリ、《多産・震動・消滅》のセツリ、《托卵・灼熱・肉食》のセツリ。灼熱のセツリは、十中八九、震動のセツリの産卵で現れたセツリだろうね。全長二メートルから五メートル。強力。この三匹を手分けして倒さないとどうしようもない」
「作戦としては、実力のある俺とこゆりんと飛馬くんが一体ずつ対応するように配置したほうがいいだろうね。まふゆの位置も重要になってくる。ナルくんの力で無効化するセツリをどいつにするのか……やっぱ、肉食な上に熱くて近寄れない灼熱のセツリ?」
みんな納得したように頷いた。
しかし、肝心のまふゆは、考えこむように逡巡、確信を持って実花島の案を断じる。
「私は、暴風のセツリにあたるべきだと思ってる」
「はあ?」
翼切は怪訝そうに首を傾げた。それから急かすように「なんでだよ」と問いかける。
「ドライヤーとかと同じなんだけど、風って熱を伝導するんだって。灼熱のセツリのそばに暴風が起こったら、ただでさえ近寄れないのがもっとひどくなるんじゃないかな」
「だったらなおさら灼熱のほうをどうにかしたほうがよくない?」
「ううんと……難しいかもしれないんだけど」まふゆは慎重に告げる。「灼熱のセツリに二体のセツリをぶつけてやれば、こっちのリスクを最小限に抑えたまま、セツリを倒せるんじゃないのかなあーって思って」
その言葉に全員が目を見開く。そして考えこむように「確かに」と呟いた。
俺だって、なかなか冴えたアイディアだと思った。
この場にいるのはあくまで養成学校の生徒だ。長年経験を積んでいるわけでも、戦慣れしているわけでもない。実力だけでぶつかって勝つどころか、全員が無事でいられる確信すらなかった。だが、セツリの性質を利用することで戦闘を削減できるのなら、勝率は生存率と共に一気に跳ね上がる。
けれど突飛な提案に全員が賛成するはずもなく、数人は意義を唱える。
「そんなの机上の空論だろ。そもそも、その作戦が上手くいくのか?」
まふゆが困ったようにと口ごもると、実花島はひけらかすように言った。
「無礼者。ここにおわすを誰だと心得る」
「えっ、あの、えぐるくん、やめて」
「控えい控えい。誇り高き祓の、菜野まふゆ様であるぞ!」
「えぐるくん。ふちゅっ、普通にして……」
まふゆはあたふたと否定していたが、実花島の言葉にさきほどのまふゆを思い出したのか、反論した生徒も結局は賛成側に回った。
「じゃあ、そんな感じで進めるとして……」実花島は言う。「いま三体のセツリがどこにいるのか知りたいよねえ。この教室の周辺も。もしかしたらまだ大量のセツリがここを囲ってて、こいつの力を解いた途端襲ってくる可能性もあるわけだし」
「簡単だって。ケーブル接続して学校をハッキングしてるようなものなんだから、そのまま監視カメラの映像まで見ちゃえばいいのよ」
籠中はしれっと答えたが、実花島は訝しそうに反論する。
「監視カメラをコントロールしたって、モニターないんじゃ無理じゃん」
「なんのためのサポーター? 映像のリアルタイムでの映写を申請して、黒板をスクリーンにでもすればいいんだよ。それくらい全然できるから、この機械」
サポーターの意外な使いかたに、教室中の全員が驚愕していた。
籠中はしれっとしていたが、サポーターにそこまでの機能が備わっていることを知り、なおかつ使いこなしている者は少ない。この場にいる生徒にとっては、意外も意外な案と言えるだろう。
「へえ。こゆりんの言う通り、サポーターって便利。俺ももっと使ってみようかな」
「本当にすごいよ。総理大臣にメッセージも送れるから」
まふゆの返答に噴きだしてしまったのは俺だけだった。周りはなに言ってんだって顔で、話を続けていく。籠中の指示通り監視カメラをジャックし、黒板に放映させた。教室の周りには大物のセツリもおらず、倒すのに苦にもならなさそうなセツリ数体に包囲されているだけだった。
「灼熱のセツリは、五階の多目的ホール……地獄みたいになってんだろうな、そこ」
「でも、多目的ホールか……それは使えそう。暴風のセツリは校舎前。建物を破壊しながら進行中。震動のセツリは?」
「一階廊下。暴風のセツリと近いな」
これはラッキーだった。暴風、震動のセツリを俺の無効領域内に入れることができれば、一気に二匹ものセツリを無効化できる。凄まじい暴風と足場を悪くする震動がなくなるのであれば、戦闘は相当やりやすくなる。
まとめるように、実花島は言う。
「灼熱のセツリは一旦置いといて、二体のセツリをなるべく灼熱のセツリの真下に集めることを考えようか。作戦的に、
実花島の問いかけに何人かが手を上げる。それぞれの精霊の特徴を聞き、効果的か吟味した上で、実花島は「よろしく」と頷いた。
「……密室開放、準備」
そして、いよいよ動きだすときが来る。
教室の中心に立ち、まふゆは抜剣の準備をした。
そんなまふゆに背を向け、取り囲むように、他の生徒たちは急襲に備えている。
「――開放!」
実花島は繋いでいたケーブルを引っこ抜いた。
その瞬間、教室は元の壊れかけの状態に戻る。穴の開いた壁や窓から一斉にセツリが押し寄せてきた。まふゆはすぐさま剣を抜き、床に突きたてた。剣を構えていた生徒はなるべく無効領域内から出ないようにセツリを片っ端から屠っていく。数十秒後には、教室周辺からセツリは完全に消え失せていた。
「第一関門クリア」
教室を出てからは、二手に分かれて作戦につく。
思ったよりも外は暗くなく、また、全員が夜目に慣れたのが幸いした。立ちはだかるセツリを難なく切り伏せて一階を目指していく。ガイド班の先陣を切るのはもちろん、斬りこみ隊長こと翼切飛馬だ。獰猛な目を光らせて、殴りこむように剣を振り回す。闇をも惑わすような紫の光が妖しく光っていた。
「ぎゃっはははは! 戦闘っていうのは、やっぱりこうでなくっちゃねえ! 容易く消え失せろ! 蹂躙されろ! 跪け! 最近あんまり活躍できなかったボクの鬱憤を晴らさせろセツリ共!」
甲殻のスピーカーから《惑える子羊》の高笑いが漏れる。
それを《懲役燦然年》が「下品です」と断じた。
さきほどまで弱まっていた風が、また勢いを増しているように感じた。無事だった窓ガラスは小刻みに震え、布を裂くような風の音も聞こえる。おまけに、鳴りを潜めていた地震も復活した。震動のセツリは時間が経てば消滅する代わりに多産という性質も合わせ持つ。消えては増えてを繰り返す、厄介なセツリなのだ。
「……いたぞ! 震動のセツリだ!」
翼切が叫ぶ。
白く細長い、墓石のような体をしたセツリが数体、廊下に悠然と立っていた。おそらく親のセツリは消滅し、いまここにいるのは子のセツリなのだろう。体躯は大型というほどでもなく、目測でも二メートルはない。子のセツリは威力も小さいが、集まるとその力は強大になる。
「へっ! 覚悟しろよ! このままブッタ斬ってや――うおっ!?」
途端に大きく地面が揺れ始める。震度としてはかなりのものだろう。全員がその場に崩れ落ち、膝を着いた。何事もなく立っているのは震動のセツリだけだ。
震動のセツリは尖った腕を鞭のようにしならせて攻撃してくる。その腕が翼切に触れようかというとき、まふゆは剣を抜いた。実花島御用達の居合抜き。一瞬でその腕を刈りとり、すっと立ち上がって翼切を見下ろす。
「いーい? 翼切くん」まふゆは人差し指をチッチッチッと振った。「こうして戦うのは当たり前のことなんだから、浮かれて調子乗っちゃだめだよ?」
ブッと噴きだす俺と籠中。背後の生徒も何人か笑いで震えている。翼切も青筋を立てて震えていた。それから舌を打って目を逸らす。
「私たちがやるのは誘導だけでしょ。セツリの強さやスタミナ的に考えても、ここにいる全員いつも通りとはいかないんだから、被害、戦闘は最小限に食い止めること。しっかりしてよ」
そう言って、籠中は腕を掴んで翼切を立ち上がらせた。
再び激しく腕を振るって攻撃を繰り出してくる震動のセツリ。まふゆたちはそれを避け、戦いながら、目的の地点へと誘導していく。血の気の多かった翼切も、押せ押せとセツリを追い立てていった。
そのとき、攻撃の勢いが増したのを感じた。
パッとあたりを見回すと、さっきまではいなかった面々がそこにいた。
思わぬ加勢が入ったのを知る。
分断され、安否の不明だった残りのクラスメイトが、戻ってきたのだ。
「無事だったのかお前ら!」
「勝手に殺すな!」
「たしかに死亡フラグは立ってたけども!」そのうちの一人が力強く笑う。「話は上の階の連中に聞いたぜ!」
「あたしたちだってやればできるってところを見せてあげる!」
この展開には俺の心も熱くなった。それはまふゆも同じなようで、戦場には似つかわしくない笑みを浮かべている。
よそから現れた小物のセツリを薙ぎ、道を開ける。猛烈だった攻撃に、さらに勢いが増した。クラスメイト全員でセツリに立ち向かう。
「うわあっ!」
叫び声が聞こえたと同時におぞましいほどの風が吹き抜ける。振り返ると、半壊した窓際のほうから、暴風のセツリがにゅっと顔を出していた。相当な風量と風圧。気を抜けば飛んでいってしまいそうだ。
「くっそ……向かい風が強すぎる!」
「息が、できない!」
せっかくいい勢いでここまできたのに、こんなことでひっくり返されるなんて。風向きの悪かった生徒にはかなりこたえる状況らしい。剣を床に突きたてることでなんとか立っているような状態だった。だが、そのとき、翼切は動きだす。
「むしろ追い風だろうが!」
剣を思いっきり振り回し、震動のセツリを一緒くたに振り払う。
相変わらずの力業だったと思ったが、ちゃんと考えての行動だったらしい。
翼切のゴリ押しの攻撃により、震動のセツリは暴風のセツリの前に突き飛ばされる。そして、おそらく翼切はこれを狙っていたのだろう、ダメ押しが決まる――暴風により、震動のセツリが吹き飛ばされたのだ。強い風に乗って、翼切と共に長い廊下を一っ飛び。行き当たりの壁には風圧により花のような亀裂が走った。翼切は壁にぶち当たる前に床に剣を突きたてて着地する。抗うこともできずに一直線に飛ばされた震動のセツリは、凄まじい勢いで壁にぶち当たった。苦しそうな呻き声が漏れる。
「菜野!」
膝を着いて風に耐えている翼切が叫ぶ。
まふゆが剣を抜くと、俺の力で暴風がやんだ。
その隙を突いて一斉に追い風側に回りこんだ。翼切は窓から外へと避難する。それを見計らってまふゆは納剣――他の全員で暴風のセツリを追い立てた。
「うあああああああっ!!」
いくつもの声が重なり合い、混声合唱を奏でる。
追い風を受け取ったその勢いは強かった。威勢負けした暴風のセツリは押しこまれ、震動のセツリと同じように端から端まで吹っ飛ぶ。
一階、階段前、壁際――そこが目標地点だった。
全員が撤退を始める。階段を駆けあがり、安全圏にまで移動した。
ちょうどセツリの頭上の天井が、パラパラと軋んでいる。脆くなったように歪み、今にも落ちてきそうな状態だった。
「こっちは終わったぞ! 実花島!」
外に出ていた翼切が声を張りあげて言った。
五階の廊下の窓際から身を乗りだしていた実花島がオッケーサインを作る。
翼切も避難を始める。実花島と共にドロップに混じっていた生徒は、親指を立てていた。頷く実花島に《変幻自由自在》は皮肉に笑う。
「誰が自分だけで戦いたいですって? やれるもんならやってみてくださいよ。ほら。ほらほら」
「あーもーうるさいなあ。悪かったって」
実花島は面倒くさそうにぼやく。亜麻色の髪をがしがしと掻き、ため息をついた。
「そこそこ頼りにしてるよ」
「ふふ、最初からそう言ってればよかったんですよ」
「ムカチーン」
「なにやってんだ! 早くしろよ実花島!」
別棟に避難していた翼切が窓から顔を出して怒鳴った。ドロップ役の数人も、実花島を急かすような目で見つめている。気だるげに「はいはい」と頷いて、壁に据えられていた設備器にケーブルを接続した。甲殻から鮮烈な緑の光が行き渡っていく。
「下に参りまーす」
柄のレバーを押す――多目的ホールの床の大迫りを展開させ、灼熱のセツリを奈落へと突き落とした。
ドロップ班の補助により脆くなっていた天井や床は、灼熱のセツリの熱と自重により容易に穿たれ、激しい音を立てて崩れていった。五階から一階まで一直線に落ちていくセツリ。そしてその真下には、暴風のセツリと震動のセツリがいた。
衝撃。
接触から一瞬で、その灼熱は業火と化す。
暴風により熱気は広く舞い上げられた。凄まじい熱量だった。
けれど、下敷きにされた二種のセツリは灼熱により確実に焼かれていく。オーロラのような光をはためかせる燃焼。弾け飛ぶような火の粉。勢いの激しい流星群にも見える。死闘があったとは思えないほど幻想的な光景だった。
風がやみ、揺れも収まった――セツリが絶命したのだ。
「作戦成功だ!」
ガイド班もドロップ班も歓喜した。
ほとんど被害を出すことなく、二匹のセツリを倒すことができたのだ。
だが、灼熱のセツリは生きている。あれほどの衝撃を食らったにも関わらず、しぶとく熱を上げている。吹き抜けになった四階の廊下の穴から、まふゆはそれを見下ろした。
「暴風のセツリは消えたのに、この距離でも相当熱いんだね……」
「だから、どの祓も灼熱のセツリには手こずってるんだろ」
この学校の建物は天井が高い分、四階といっても相当な高さを持っている。一階にいるセツリには無効領域は届かない。おかげで一帯は相当に熱されている状態だ。これ以上近づいたら危ないだろう。他のセツリは全て倒せたわけだし、講師か祓に討伐を任せるしかない。やれることはやった。もう十分だ。
「誰かがとどめを刺さなきゃ」
だというのに、まふゆは剣を抜いてそう言った。
灼熱を受けてメラメラと燃える橙黄色の瞳に、俺は絶句した。剣を抜いた理由がわからないほどだった。俺の無効領域が届いていないことくらい、まふゆにだってわかるはずだ。ここからもっと近づかないと、意味がない。まさかとは思うが、一人で戦う気じゃないだろうな。
「ポーちゃん。セツリの状態はどう? 」
『スキャンします――生命レベル2。非常に脆弱です』
「それだけ弱ってるなら私でも倒せるよね」まふゆは深呼吸する。「一撃で仕留める」
おい、という俺の声が間に合うことはなかった。
まふゆはその場から跳び下りたのだ。
「まふゆっ! おま、なにやって……!」
甲殻を器とする俺には感じることができないが、相当な熱だとは思う。まふゆの白い肌はたちどころに赤くなっていった。
落ちれば落ちていくほど、逃げたくなるような灼熱に近づくことになる。
まさしく灼熱地獄。俺が発した熱とは比べ物にならないほどの熱さだ。
「ひ、いっ」
眼球も喉も熱され、乾き、晒した皮膚が焼かれていくのに、まふゆは短い悲鳴を上げた。そりゃそうだ。いくら甲殻で守られているとはいえ、遮断される熱にも限度がある。普通の人間ならとっくに音を上げているころだ。
しかし、まふゆの意志が揺らぐことはなかった。
まふゆは剣を握ったまま、前を向き続けている。
そんなまふゆが、俺にはどうしようもなく――悔しかった。
早くしろ。
早くしろ早くしろ早くしろ。
まふゆがこれだけ苦しんでるのに、なんで俺の力ははたらかないんだ。
無効領域はまだなのか。早くしろよ。いつもいつもそうだ。俺はまふゆを待たせてばかりで、苦しめてばかりだ。こんなときまでまふゆを苦しめるのか。このままじゃ、本当に取り返しのつかないことになるぞ。
早くしろ早くしろ。
もう、なにも言えずにただ眺めているのには、いい加減うんざりなんだ!
――そのとき、セツリの熱が一瞬で掻き消えた。
随分と待たせてくれたが、まふゆが焼き消えてしまうよりも先に、《大いなる無力》は正常に作動した。ただ落下による風が癒すように吹き抜くだけだ。
まふゆは強気に口角を吊り上げて、剣を振りかぶる。
「っはあ!」
強く振り下ろされたその剣は、灼熱のセツリを見事に仕留めた。
完全に絶命した灼熱のセツリは、だらりとその体を溶けさせる。半液体状になったその死骸にまふゆは埋もれ、大の字になって寝転がった。そこからぼんやりと見上げると、吹き抜けになった穴からこちらを見下ろすクラスメイトの驚愕した顔。不自然なほど静まり返った空気。まふゆはしばし呆然としていたが、そろそろと手を上げて、ピースサインを作った。
「決着」
わっと歓声が上がった。
惜しみない拍手が贈られ、口笛まで吹く始末。
真夜中の空気に、その黄色い歓声は誇り高く響いた。
未だかつてない称賛に、打ち震える。ここまで歓迎され、賛美されたことは、俺の知るかぎり一度だってなかった。俺はしみじみとした気持ちで、その光景を眺めていた。
生徒たちは互いに抱きしめ合い、勝利と尊厳の保守を噛みしめている。
別の棟に避難していた翼切が戻ってきた。まふゆの枕元に立ち、「大丈夫か?」と声をかける。
「だいじょぶう」
「お前もなかなかやるじゃねえか。菜野」
「やるじゃねえか、じゃないっ!」籠中は怒り心頭の表情で駆けつける。「どれだけ危ないことだったかわかってるの!? 無効領域が発動する前に全身火傷を追う可能性もあったの! 死ぬかもしれなかったってこと! しっかりしてよ菜野さん!」
「で、でも、うまくいったよ」
「結果的にはね! とにかく、いますぐ冷やさないと本当に大変なことになるからね!」
こちらへと降りてきた実花島も「そうだそうだ」と頷いた。
まふゆは苦笑して立ち上がろうとする。
そのとき。
ブ――――――――――――――――……
どこからか、大きなブザーが駆け抜けるように響いた。
『試験終了です。お疲れさまでした』
固まった。
生徒全員のサポーターから聞こえた言葉に、生徒全員が「は?」と声を漏らす。
するとだ。この戦闘中一切姿を見かけなかったはずの試験の監督官や講師たちが、別の棟から一斉に姿を見せはじめた。逃げだしたセツリにより校舎は半壊、生徒はへとへと、惨憺たるありさま。だというのに、彼らは驚愕の色を滲ませたり、安堵の色に染まったりすることなく、平常通りの態度で淡々と告げたのだ。
「全員無事のようだな。これにて試験は終了だ。諸君、ご苦労だった」
なに言ってんだこいつ。
まさかとは思うが、さっきまでの戦闘も試験だったなんて言うんじゃないだろうな。
「察しのとおり、セツリが養殖設備から逃げだし、その討伐を余儀なくされたのも、試験のうちだ」
この場にいる全員が半信半疑で思っていたことを、監督官は肯定した。
またもや生徒全員の、それどころか、精霊までをも含んだ「はあああああっ!?」という声が発せられた。それは絶叫や怒声の類に近く、翼切などは今にも掴みかかりそうな雰囲気だ。まふゆもまふゆで呆然としていた。
「え、ちょっと、説明してくれますか?」
籠中は苛立ちを抑え、それでも困惑しながら監督官に尋ねた。
「説明もなにも、最初から言っていたはずだ……一度目のブザーが鳴ったら試験開始。二度目のブザーで試験終了。最後まで気を抜かないように、と」
言われてみれば、たしかにそうだ。
試験開始の合図である一度目のブザーはエレベーターに乗りこむ前に鳴っていた。しかしどうだろう、試験終了の合図である二度目のブザーは――鳴らなかった。ただサポーターに地上へと上がる指示をされ、監督官に移動する指示を与えられただけだ。
試験が終わったとは、一言も言っていない。
「これが試験だったっていうんですか? あんな危険な目に遭ったのに?」
しかし、それで簡単に納得できるわけもない。非難の声を生徒は漏らす。
監督官はそれに動じることなく告げる。
「本当に危険だと判断したら、すぐに中断し、救出に向かう予定だった」
「そんなのないだろ! 指導官が一人死んでるのに……っ!」
「と、思うでしょ?」
監督官の後ろから、一人の指導官が顔を覗かせる。
そのひょうきんな声に、更に唖然とする羽目になった。
何故こんなところで平気で立っているのだ。灼熱のセツリにより食べられたはずの、あのお馴染みの指導官が。
「え、な、なんで生きて!」
「なんていうか、演技だよね、あれ。うちのセツリはちゃんと調教してあるから、噛まないように口の中に入れてもらうことくらいは簡単にできるよ。あとは君たちがいなくなったのを見計らって出してもらったってわけ。なかなかスリリングだよ。ペッて吐きだされるの。新しいアトラクションとして売れそうだった」
それには目撃者であるまふゆも他の生徒も絶句した。あのときあれだけショックを受けたのが馬鹿みたいじゃないか。必死になって逃げたのが阿呆みたいじゃないか。
全員が脱力した。
湧いていた怒りも消え失せ、もうどうでもよくなった。
俺だって失望した。もうなんでもいい。もう終わったことだ。もう知らない。
「――諸君も知ってのとおり」監督官は真剣な面持ちで言った。「……数千年ものあいだ、人類は、セツリに屈する弱者として甘んじていた」
いきなりの神妙な空気に、生徒全員が押し黙った。項垂れた居住まいをみるみるうちに正していき、話す監督官に目を向ける。
「ここ数年でセツリへの対抗技術は飛躍的に進歩し、いまやピラミッドは覆りつつある。元より進んでいた科学、工学の分野は凄まじい勢いで発展。人類は日々の研鑚により、セツリを駆逐できるだけの武器を手に入れた。たった数年で、人類の奪われた地位や築き上げた財は回復。人は取り戻したのだ」一拍置いて。「誇りを」
これから話されることが、生徒に説くためのものだということは、俺にもわかった。
すこし力んだ声で監督官は続ける。
「諸君には本当の意味での誇りを持ってほしかった。誇り高き祓という存在を言葉だけで終わらせてはいけない。精神を削るような過酷な状況、悲惨な光景、絶望的な場面。どんなときにでも顔を上げ、剣を構えるのは、そう簡単なことではない。覚えておいてくれ。誇りがあるから武器を手に取れるのではなく、武器を手に取れるから誇り高いのだ。今回の試験で、誇りとは何たるかを、わかってもらえただろうか」
監督官から引き継がれるように、指導官が口を開く。
「だからこそ、僕たちはあらかじめ、いままでの実践訓練とはわけがちがうと言ったんだよ。実戦では始めの合図なんてない。それどころか、終わりの合図さえもないんだ。いきなり立たされた窮地で、君たちはどれだけの決断をできるだろう。どれだけの誇りを持てるだろう。騙すような形になって本当にすまないけど、試させてもらったよ」指導官はにっこりと微笑んだ。「全員合格だ。満点だ。おめでとう。見事だったよ。よくあれだけの恐怖と戦うことができたね。君たちは立派な戦士だ。誇っていい」
指導官も講師も拍手を贈った。
相手を心から尊敬する、賞賛の拍手だった。
生徒の中には礼をする者、呆れる者、照れる者と様々だった。いきなり言われてもそう簡単に呑みこめることでもない。残ったのは倦怠感と、安堵と、あとは誇りくらいのものだった。
まふゆはずるずると体を起こした。それから「すみません……」と手を挙げて、涙目で指導官に訴える。
「火傷のせいか……全身が痛くてしょうがないです」
「だから言ったじゃん」
籠中は久方ぶりに、美しくため息をついた。
▲ ▽
いくら服と甲殻で体を防備していたとはいえ、相当の熱を浴びてしまった。素肌を晒していた箇所もあり、まふゆはこんがり焼かれてしまっていたようだ。緊急手当てを受け、冷却水を浴び、強力な軟膏をもらったまふゆは、指導官により車で家まで送り届けられた。数日の安静を強く義務づけられ、向こう一週間の欠席を促される。テストを後日受けられるよう手筈を整えてもらい、まふゆは指導官を見送った。
まだぴりぴりと痛むであろう体を鞭打って、まふゆは家に入る。
「ううー……ただいま」
「おかえり」
もう当たり前となったこのやりとりに、まふゆが驚くはずもない。ぺたぺたと廊下を歩いて、リビングの灯りをつける。鞄を適当なところに放り投げてから、そのまま一直線に甲殻を置く定位置まで歩き、甲殻を降ろしてからキッチンに引っこんだ。冷蔵庫を開けて買い溜めておいたらしい牛乳のパックを取りだす。開け口を開放したあと、そのまま口をつけてラッパ飲みした。
「……なあ、まふゆ」
「うんー?」
「なんで、あんなことしたんだ」
まふゆはぴたりと固まって、牛乳を戻した冷蔵庫のドアを閉める。
「の、喉が渇いてたから……」
「牛乳をがぶ飲みしたことじゃなくて」
俺の言葉に、まふゆはほっと息をつく。それから、だったらなんだろう、と怪訝な顔をした。本当にわかっていないらしい。首を傾げながらこちらへと歩み寄り、目の前に座りこんで俺の言葉を待つ。
「……なんで、灼熱のセツリを倒そうと、あんな危険なことをしようとしたんだ」
肝が冷えた、と俺は持たない臓器を引き合いに出して言った。
死んでしまうのかと思った。俺の無力さが、まふゆを殺してしまうのではないかと。苦しくてたまらなかった。自分にうんざりして、それから少し、まふゆを恨んだ。
「籠中の言う通り、すごく危険な状況だったんだ。死んでいたかもしれないんだ。あんなふうに軽率に近づくものじゃない」
「ナルくんがいるから大丈夫」
「俺がいてもだ!」まったくわかっていなさそうなまふゆの言葉に、声を荒げる。「俺の力が効く前に死ぬ可能性だってあったんだぞ! どうしてそんなに盲目的になれるんだ! どうしてそんなに……俺を信じられるんだ!」
その信頼が危うかった。
俺は、まふゆにこうも信頼されていて、こうも大事にされていて、こうも愛されている。約束の通り、扱いにくいであろう俺を使ってくれているし、俺を使えるためにそれなりの苦労もしてくれた。あの弱気なまふゆが、俺のために努力してくれた。それが俺はとても嬉しくて、わけがわからない。まふゆにそれだけのものを与えられるほど、俺はなにかを与え、返していただろうか。
俺はだめな精霊だ。散々にまふゆを待たせてしまうような、扱いづらく、不甲斐ない精霊。
だから、クラスメイトは俺を役立たずと言い、俺もそれに反論しなかった。まふゆに口を噤ませ、俯かせる俺に、俺は反論を許さなかったのだ。
だというのに、まふゆは言ったのだ。
俺を馬鹿にするな、と。
武器である俺を馬鹿にされることがなによりも恨めしいと、許せないのだと、そうクラスメイトに食ってかかってみせた。
なぜ、まふゆはそこまで俺に固執するのだろう。
なぜ、そこまで俺を信じ、武器として振るってくれるのだろう。
まふゆは黙ったまま、俺を見ていた。こんな機械を見ていても面白くないだろうに、いつもちゃんと見て、言葉をくれる。それは今日とて同じだった。
どこか虚ろな声でまふゆは呟くように言う。
「私はね……本当は……やってみる前から、それがだめになってしまうときのことばかり、考えるような人間なの」
主として、己の武器にはあまり言いたくないような言葉だろう。どんな思いでそれを言うのか。考えるだけで、まふゆの言葉を聞いているのがつらかった。
「この学校に、来たときはね……私は本当に立派な祓になれるのかなって。降霊式のときも、私なんかのところに降りてきてくれる方がいるのかなって……これまでだって、ずっとそう」とうとうその瞳は涙で滲んだ。「やっぱり私はだめなんだって、俯いてしまったときから…………ああ、わたしはここで、落ちこぼれのまま、みじめに終わっちゃうんだろうなって、そう、思ったの。でも」
「も、もういい……まふゆ」
「聞いて!」
これ以上を制した俺に、まふゆは強い声で訴えた。
唇と同じくらい朱くなった目尻。瞳からはぼろぼろと涙が落ちていく。まふゆはそれを拭おうともせずに俺を見つめていた。
「……でも、それでも、ナルくんは、大丈夫だって言ってくれたの」
それが、まふゆにとってどれだけの言葉だったか、俺にはわからない。
ただ安心させたいという一心を、寄り添いたいという思いだけを、それだけをありったけぶつけた言葉に、どんな感情を抱いたのか、まふゆでない俺にわかるはずもなかった。
「……だから、もしかしたらそうなのかなあって、思うようになったの。ああ、私も大丈夫なのかもしれない、落ちこぼれだけど、そんなことないかもしれない……やればできるんだって、思ったんだよ」
ゆっくりと手を伸ばし、まふゆは俺を持ち上げた。こんな重くて硬くて冷たい体を、心底愛おしそうに抱きしめる。まろい頬はすりっと擦れ、呼吸が間近に感じられた。
「ナルくん」まふゆは優しい声で言った。「優しくて、強くて、かっこよくて……私を守ってくれる、私と戦ってくれる、私だけの武器」
――体を持てないことを、これほどまでに悔やんだことはない。
「素敵な君が、私の誇りだよ」
一も二もなく抱きしめたかった。
この言葉では表せない喜びを、まふゆにも教えてやりたかった。
どうしても持て余してしまうのだ。
嬉しすぎて、心が痛い。
ここまでなにかを感じたというのは降ろされてから久しくなく、これ以上ないくらいの言葉に、魂が震えた。
俺が、俺こそが、まふゆを奮いたたせていたのだ。
それがこんなにも誇らしい。
俺はやっとの思いで、壊れてしまいそうな気持ちで、「ありがとう」と呟いた。
「いつも、大事にしてくれて、ありがとう」
「どういたしまして」
「これからも、そばにいさせてくれ」
「力になってね」
「明日もよろしく、まふゆ」
「登校は一週間後なんだけどねえ、ナルくん」
まふゆの声が温かい雪のように降ってくる。
ひたすらに眩しい瞬間だった。
まふゆ。お前が俺を誇りだと言ってくれるなら、俺はそれに足るだけの力になろう。
俺の誇りは、俺を自分のものだと言ってくれる、お前の心そのものなのだ。
▲ ▽
結論から言うに、まふゆの火傷はひどいものだった。
適切な処置も施され、軟膏も手に入れたとはいえ、その焼度は相当なもので、火傷の痛みゆえになかなか寝つけず、翌日の朝は少しばかりぐったりとしていた。一週間の安静に大袈裟だと苦笑いしていたまふゆだが、どうやら事の重大さに気づいたようで、積極的に欠席することを選んでいた。
他の生徒が試験を受けているあいだに自堕落な生活を送るわけにもいかず、一日のうちの数時間は勉強に充て、休み明けの試験に臨む姿勢を見せた。残りの大半はどう暇を潰すかで悩んでいたが、携帯端末で送られてきたチームメイトからのメールのおかげで、その悩みも解消された。頻繁に送ってくれたのは籠中で、まふゆの体を気遣うものが多かった。そして、内容にこそ触れられなかったが、筆記試験の内容が難しいこと、しっかり復習しておくことを告げられた。翼切は一度しかメールを寄越さなかったが、あいつが贈るようになっただけ見つけ物だ。まふゆはそれを保存フォルダに移動させ、挙げ句スクショまで取っていた。怠惰な性格からメール不精だった実花島だが、気まぐれに送った二匹の飼い猫、三毛猫のしめじと赤毛猫のまぐろの写真にまふゆが強く反応してから、まるで見せびらかすかのように写真付きのメールが何通も送られてくるようになった。まふゆはその猫の可愛さを暴れるように俺に訴えてから、ぼふぼふとソファーを殴るのだった。
そして、まふゆが休みを取ってから一週間が経ち、やっと登校日の日を迎える。
「おはよう。今日もよろしくお願いします」
「ああ。よろしく頼むぜ、まふゆ」
甲殻の電源を入れ、まふゆはいつもの挨拶を俺にする。
ご飯の用意と着替えを終えたまふゆは、テーブルに座って食事を摂る。真正面のテレビが流すニュースには祓の武勇が取り上げられていた。またもやセツリを倒したらしく、一つの市の干ばつ問題が改善されたようだ。まふゆはそれを見て「すごいよね」と呟く。
「ああ。そうだな」
「やっぱり現場で戦う祓ってかっこいいよね。見て。オーラが違うの。あの甲殻も強そうだし、武器だって洗練されてる……本当にすごい。私もあんなふうになれるかな」
「なれるだろ。まだ養成学校に入学して二ヶ月くらいしか経ってないわけだし、三年もいりゃあうんと強くなるはずだ」
「体が鈍ってないか心配だなあ。またみんなに迷惑かけたりしないかな」
「大丈夫だろ」
少なくとも、もうまふゆは軽んじられたりしないという確信が、俺にはあった。
自慢ついでに送られてきた実花島からのメッセージに、まふゆが休学しているあいだの学校のことが書かれていた。あの五月の実技の定期試験の翌日から、まふゆに対する批難がなくなり、十億分の一の劣等生と罵る声も消えたらしい。当たり前だ。尻込みしていた生徒に発破をかけ、灼熱のセツリを率先して退治した英傑に、そんな後ろ指はもう指せまい。それに聞くところによると、まふゆの実技の成績は百点満点中百十五点を記録したようだし、全体的に見てもなかなかの好成績だろう。おかげでまふゆの成績レベルは一気に40にまで伸び上がった。筆記の試験はまだ受けていないが、普段から真面目に授業を受けているまふゆなら、そう悪い点数も取らないはずだ。いつかチームメイトの成績に並ぶという目標も非現実的なものではないだろう。
まふゆはもしゃもしゃとトーストと啄む。
「やっぱり体を自由に動かせるっていうのはいいねえ……ここ数日はお風呂に入るのも一苦労だったもん」
「シャワーを浴びに行ったお前が悲鳴上げて戻ってきたときはなにがあったかと思ったぞ。しばらくはぬるま湯でって言われてただろうが」
「あったかいお風呂が好きだったから、忘れてた。あのぴりぴりは恐怖だよ」
まふゆは大袈裟に体をぶるっと震わせた。
傍から見ても不自由そうな生活ではあった。なにをしても痛いのか、着替えや布擦れまで億劫になったまふゆは、ほとんど下着姿のままで部屋をうろついていた。自宅でどうしていようが家主の勝手だが、もう少し恥じらいのある格好でいてほしいとは思った。数日経って痛みもだいぶ引いたころ、まふゆはようやっとまともな格好をすることになった。一週間の変遷を思い出すと、しみじみとした気持ちになる。
牛乳を飲み干して「ごちそうさまでした」と立ち上がる。皿を洗い、作っておいた弁当を持って鞄を取りに戻った。下りてくるころには準備万端の状態でいることだろう。
この一週間、話し相手としてまふゆと共にいたが、やはり身につけられ、振るってもらえるというのはこれ以上ない至福である。火傷のこともあり、もしかしたら二度と戦えないのではないか、武器として振るってもらえなくなるのではないかと冷や冷やしていたが、無事に回復してくれたおかげでその鬱屈も吹っ飛んだ。待ちきれない。久しぶりにまふゆの武器として真価を発揮できる。そう思うと興奮が収まらなかった。
支度のできたまふゆは俺の前に座りこむ。
燻るような橙黄色の瞳は、まっすぐに俺を見据えていた。
「じゃあ、ナルくん。学校に着くまではちょっとお休みしててね」
登校中と授業中、甲殻は、スピーカーを遮断する休止状態にまで落とす必要があった。構内を移動するときは甲殻の展開だけを制限したスリープ状態にまで持ってこれるのだが、公の場や授業時間はその限りではない。まふゆと話すのもしばしの我慢だ。
「ちゃんとむこうで起こしてくれよ」
「もちろん」
「俺の声が聞けないからって泣くんじゃないぞ」
冗談めかして言った俺の言葉に、まふゆは唇を尖らせた。図星のくせに、反抗的なことをする。
しかし、ぐずぐずはしてられない。もうそろそろ家を出る時間だ。
まふゆはさて行くかと甲殻のボタンを押した。
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