第14話 布野村の猿猴による行方不明事件

 布野村は妖怪伝説の数、日本一


 この頃になると浅田屋主人の与作に対する処遇につ

 いて、奉公人達が薄々と分かり出した様である。とに角、丁稚奉公人では有り得ない様な出退時間が不規則になったり、度々、休みも取るからだ。特に尾道に連休で出向いた時、とうとうバレてしまった。苗字帯刀の事だ。最近になって特に代官所から頻繁に浅田屋に使いがやって来ており、主人も隠しきれなくなったのだ。

 与作もそろそろ決断せねばと自覚をしていた。其れこそ色々な処にかえって迷惑をかけるからだ。

 特に他の奉公人達へもだ。店内に於いて、二番番頭には八幡山城に薬を大量に運んだ時、与作がお侍様から大将と呼ばれ、深々と頭を下げられ、礼を尽くされているのを知っていた。  

 此れは大変な事になったと自ら戦々恐々としていた。自分が今迄に与作に対して、散々、嫌がらせやいじめをしたと思ったからだ。更に浅田屋が永代三次藩御用達のお墨付きを頂いたのは、与作の貢献によるものだと聞き及んでいる。

 尤も、此の気持ちは他の番頭、手代や丁稚に至る迄が同様であった。処が与作本人は全く気にも留めていなかったのだ。やはり器が端から違っているのであろう。

 今夜も与作は浅田屋での仕事を終えると、何時もの様に鉄を呼び寄せる為に犬笛を吹いた。朝出掛ける時に玉も連れて来ており一緒に駆けつけた。するとラー助も鉄の背中に乗っかって来たではないか。今夜は上里様のお呼び出しで時間が掛かるであろうから多分、

 別荘に泊まるかもしれないのだ。勘のいいラー助は自分だけで奥屋で留守番をするのは寂しかったのだ。

「おやまぁ、ラーちゃんも来たか。よしゃ別荘で皆んなで一緒に寝ようか」

 この一声に大喜ぴだ。

 次席邸に着くと奥様が出迎えてくれた。

「おやまぁ、皆さんいらっしゃい。さぁ、中に入ってね」

 この奥様の優しい声には忍者一家はもうデレデレ状態だ。今迄は声を掛けて可愛がってくれるのは男ばかりだったので全く感覚が違うので有ろう。特に鉄は今迄に見た事のない様な優しい顔になっているではないか。

「与作さん、このあいだは有り難う御座いました」

「え、えぇ何の事でしょうか」

「尾道名産のデベラ、主人も私も生まれて初めて食べました。木槌で叩いて醤油で炙って焼いて本当に美味しかったですよ」

「あぁ、其れは確かに。私も初めてでしたから」

 そうして座敷で世間話しをしている時にご主人様が帰って来た。忍者一家は玄関に駆けつけ大騒ぎをしているではないか。

 早速にも鉄は小脇に抱えた風呂敷包みを降ろせと催促し、其れを口に咥えて上がってきた。

「こりゃ、ええかげんにせんか。うるさいぞ」

「ええから、ええから。よう来たのう」

「其れにしても鉄ちゃんは凄いなぁ」

 座敷に入ってくるといきなり切り出した。


「先般の尾道への長距離遠征、忍者一家共々、大変ご苦労じゃったのう。お陰さんで長年の懸案であった事が日の目を見る事が叶い、代官所一同ほんま感謝しております」

 と深々と頭を下げた。

「此の度の宝刀盗難事件での忍者一家の活躍、見事であったと御家老様よりお褒めの言葉があったよ」

「ついては、御家老様より報奨金を取らすとの事であったよ。今回の件は、お殿様への報告は内密の事じゃたから、ワシからも、宜しゅうに云うとってくれるかとの言付けじゃったよ」

「其れは上里様、とんでもない事で、私は今も丁稚奉公の身分で御座います故にお断り願います。お気持ちだけは有り難く頂戴致します」

「然しじゃな、与作殿は既に苗字帯刀を許されとる身分じゃでぇ、よう考えとって貰えんかのう」

「分かりました」

「そりゃええがのう、又々頼みたい儀があってな」

「どうぞどうぞ何なりと仰って下さい。及ばずながら少しでも上里様のお手伝いが出来れば」

「有難うな、何時もながら感謝しとるよ」

「本題に入るが前にも云うた様に、ワシ等、ていたらく役人の能無し捜査の所為で、迷宮お蔵入りしとる事件がゴロゴロあるんじゃ。今回お願いしょうとする件は布野村て起きた行方不明事件なんじゃ」

「其れは如何様な内容で」

「ほんにすまんのう」

「本来ならば、此れも公表出来る様な代物じゃないが、この件はな、何せ行き方知れずが三人も出とるで三次代官所の大恥を藩内だけならず、広う世間に晒したまんまよ」

「お陰で隣りの毛利野郎等の恰好のお笑い種よ」

「経緯を云うとな、石見銀山より産出した石州丁銀やらを秘密裡に出雲街道を三次迄運ばれとったんじゃ。赤穴の関所からこっちは、布野番所の役人が引き継いでから、百姓人夫達と警護の者と大八車三台で峠を下って来てな。暫く休憩の後、交代の奴等が番屋を出発し、真光寺前から山家回りで峠を登っとったんじゃ。

 処が、坂道が急な為に夫々の車列が見えない程離れてしもうた。まぁ、山家の峠のてっぺんの一里塚で合流すればええじゃろうと、荷番の見張り野郎等は軽うに思うたんじゃろうて」

「何せ、何時も通うとる勝手知ったる我が道じゃ」

「処じゃがだ、真ん中を進んどった荷車が何時迄経っても来んのじゃ。一里松の袂で待っていた他の二台は、おかしいな、奴らどうした、と訝ってな。

 居なくなった二番目の後を行っていた者が大声で叫んだのよ」

「ワシらは追い越して来とらんし、何処で消えたんじゃ!」

 前日の悪天候で大雨に見舞われ、神之瀬川もかなり増水していた。然し、荷車が通れない程の状況では無く、現に他の二台も何事も無く橋の上を通過しているのだ。

 他の六人も一向にやって来ないのにイライラが募り、其れが不安、焦燥感に襲われだした。

「こりゃ,猿猴に引っ張り込まれたんでぇ」

 一人の百姓人夫がこう叫んだ。

「馬鹿を抜かせ!。そんなもんがおる訳きゃ無かろうが」

「ほいでも姿、形が見えんじゃないですか」

「ウ〜ン、然し、ワシ等じゃどうしようもないで。とに角,大切な荷じゃけ、忽ち三次代官所へ急ごうや。其処で緊急の対策を講じてもらわにゃならんぞ」

 二台の荷車は一里塚から緩やかな下り坂を一気に西城川合流地点へ転がり落ちる様に駆けだした。途中に人家は無く誰と出会うではなし、自分等で通報に走るしかなかった。やがて前方に広い西城川が見えてくると

「オイッ、此処までくりゃもう一寸じゃ。ワシは今から駆けって通報に行くから後は宜しく頼むでぇ」

「分かりました」

 布野番屋の若い役人は川沿いのなだらかな道を一気に駆け出した。

 然し、三次代官所に到着した頃には日が暮れかかっていた。

 門番に緊急事態を伝えると、代官と他の役人も数人が出て来た。

「実は銀山送りからの内密の荷車が一台途中でおらん様になったんです」

「何ぃ!、どういう事なら」

「ハイ、赤穴峠から引き継いだ荷車三台を九人で比叡尾山城へ送っていたのです。処が山家の一里塚の手前で真ん中を運んどった荷車がそっくり消えたんです」

「お前な,何を馬鹿な事をぬかしょうるんなら!」

「でも本当の事なんです。其れも私と同僚の一人と百姓人夫の二人が姿が見えんのです」

「お前等は見張りに付いとったんじゃないんか」 

「其れはそうなんですが、山家の九十九折りの急坂で互いの間隔が空いてしまい、一里松の下で待ち合わせりゃええ思うたんです」

「そしたら中の奴等が消えたというんか」

「そうです」

「分かった。事情は今から行く道すがら聞くから即ぐに案内せぇ」

「然し、今から駆け付けてもとんと何も見えんぞ」

「そうなんです」

「コラァ! 他人事みたいな事を抜かすな」

「すいません」

「とに角な、大掛かりな捜査は明日になるで。なんぼ初動捜査が大切じゃ云うてもこれじゃぁな。取敢えず、今から先発隊を出して現地で野営をするつもりで当たってくれぇや」

「後から駆け付ける奴に明日早朝に一緒に現地を案内してくれるか」

「忽ち、お前等の荷は一晩此処へ置いとけ」


 次の日は早朝からの捜索活動を開始した。前日に現地入りした班が布野番屋を出立し、一方の三次代官所からは反対方向から山家を目指して駆け上がって行く。

 処が三次地方独特の自然現象である深く濃い霧の海だ。西城川を遡る時はまるで一寸先も見通せない。

 道を対向して来る山仕事に出かける馬と出合うと近づく姿が見えず、いきなり大きな図体が現れるのだ。蹄の音や山師の声で気付くが、皆が一様にたまげる事となる。

 此れが山間部に上がって行くと霧の晴れ間が見えてホッとする瞬間なのである。

「然し、こりゃ又凄い事になっとるな。何時頃晴れりゃ」

「下手をすると昼あたりかと」

「やむを得ん、暫く一里塚で待機じゃ」

 代官だけが馬で他の役人は全員歩きだ。

 旅人通行人が、街道を通行する時の為の距離の目安で有る、五、六本有る松の一里塚の下まで到着した。

「この辺りかい、よう猿猴が出るじゃの山賊が現れるじゃのいう所は」

「はぁ、山賊じゃいうてもコソ泥程度の奴等の様で」

「然し、お前等は其の程度の奴でも今までにとっ捕まえたこたぁないじゃろうが」

「・・・」 

「つまらん噂を立てられん様にしっかりやれえゃ」

「分かりました」

 このてっぺん辺りは霧も無く、代官からごちゃごちゃ叱言をくらいながら、比較的なだらかな坂を下って行くと神之瀬川に突き当たった。

「オイッ、今迄に来た処で別に怪しげな箇所は一つも無いで」

「此処までの来る間に居なくなったんですかね」

「まあ、あっちから来る奴等によう聞いてみるか」

 三次から来た班は大八車がやっと通れる程の橋の真ん中に座って布野から上がって来るのを待っていた。

 此の橋は欄干が無く足元から水面が見えるちゃちな作りであった。だが今日の水嵩でも流れずもっている。

 一方、布野側から上がって来た班は九人程であった。

 何とこの時に、気を利かせたつもりなのか、昨日と同様に、模擬的にかます袋に砂を詰め同じ条件で三台の大八車を引いて来たのだ。然し、結果的には此れが仇となる。

 真光寺から一里塚を目指して急坂に掛かりだすと、一列に上っていたのが段々と車列が乱れだした。夫々の体力の個人差が出てきだしたのだ。ましてや重い大八車を引いているとなると尚更だ。

 橋の袂に降り着いた時はバラバラの状態であった。

「オウ、ご苦労じゃったのう。来たのはお前等一台だけか」

「いいえ、もう二台やっで来ますが」

「出る時は一緒に並んで出発したんじゃないんかい」

「はい。でも九十九折りで差が付きました」

「なるほど、そういう事か」

「して通うた道すがら怪しげな不審な処は無かった か」

「いえ、道中にこの大八車が引き込まれる様なとこは何処も無かったです」

 そうした時、漸く二台目が到着、更に三台目も間隔を於いて橋の上にやって来た。

「フ〜ン、そうじゃったか」

 居なくなった区間の距離は結構ある。その途中には脇道に逸れる何本も道があった。ただ、草叢になっており、轍の跡とて無くあまり踏み締めた形跡が無かった。

「奴等、大八車ごと此の橋の上から落ちて流されてしもうたか。これしか考えられんで」

「今から、橋から下を探索じゃ。始め!」

 然し、命令した代官も半信半疑であった。

「こんな低い橋から落ちて全員溺れ死ぬかのう。積荷は重とうて沈むじゃろうし、とてもじゃないが考えられんがのう」

 川岸の両端から二手に分かれて探索にかかった。歩ける道も無く、草叢の中や場所によって腰まで水に浸かりながら進む。

 やがて布野川と合流地点までやって来た。

 然し、何の痕跡も見当たらない。

 以降も一本道に限らず他の細い道の草叢をチョロチョロと見回るだけで、周りの道より高い場所などへ駆け上がり調べる事など一切しなかった。馬車が道より高い所を通る筈もないと考え違いをしていたのだ。

 ましてや、行き方知れずの百姓人夫の事など、さして気にもしなかった。

 この戦国の世に国人領主が群雄割拠する時代、まだ法制度というものが確立されておらず、ましてや武家社会に於いて百姓町人の生命など意に介さず、同時に居なくなった見張りも最下級役人で全く軽んじられ、後の捜索などどうでもよく、早々に引き揚げてしまった。

 ただ、藩の内密の重要な公金搬送という事で代官みずからも現地に赴いたのだ。

 大八車もろとも番人と百姓人夫が橋から転落して流され、何もかもが行方不明として処理したものと思われる。

  

 今回の事件の発端も前回同様の河川絡みの事案である。

 三次地方は、中国山地の奥深くにあり、周りを山々に取り囲まれてかなり高い処に盆地を形成している。 

 其れに全国的にも大変珍しく、幾多の大きな川が一点に集中し其れが日本海へと流れていくのだ。その独特の地形の為、霧が発生し正午近く迄霧の海となり幻想的な風景となる。こうした背景の為、昔からの風習や因果応報の習わしが多く言い伝えられてきた。特に布野村はその数たるや恐らく日本一であろう。

 布野川や神之瀬川に大小様々な川が深い山懐に存在し、平家の落人、比熊山系の物の怪、川淵に潜む猿猴(カッパ)、狐火伝説と枚挙にいとまがないほどだ。


「与作殿、これが大凡の今回の依頼事件なんじゃ。この時もワシは全く関わっておらず、探索資料内での推測の域なんじゃ。すまんが山家を越えて布野村辺りに出向いてくれんかのう」

「其れが今回の事件の発端ですか」

「そうなんじゃ。此れも例によって何の確証も掴めとらんのよ。其れにこの時の番所役人と駆り出された百姓等二人が、今以て見つかっておらんで不明のままなんじゃ」

「此の件があってからは猿猴説が広まり出してな。実際は有りもしない事なんじゃが、何しろ人間が三人も消えとるでな。とに角、川ん中に引っ張り込まれて肝を喰われたじゃの、世間はまことしやかに吹聴しおるのよ」

  ''猿猴,,とは、全国的に伝わるカッパの別名で全身毛むくじゃらで猿に似ている広島、中国地方に昔から伝わる伝説上の生き物の事

 

 与作と忍者一家は、尾関山下から江の川を下り暫く行くと右手から神野瀬川と合流地点迄来た。其処を北に上って行くと布野村に続く。

 此の道は布野村に行くのには近道であり与作は度々利用していた。然し、険しい山並みの谷間を流れる神之瀬川は切りたった断崖でその直ぐ横が細い道の為、何時転落するとも限らないのだ。大きな荷物の時は絶対に通らない。

 その布野川に沿って北奥に向けて行くと細長く広い平地が見渡せる。

「オイッ、皆んな、ようよう始めるとこへ来たで」

 此の与作の一声に歓声を上げて走り回っている。

 此処の布野村は三次から出雲へ抜ける街道の赤穴峠の手前の宿場だ。

「おい、皆んな此処はお化けが仰山出て来る処じゃと昔から言い伝えがあるんでぇ。喰われんように気い付けや」

「・・・」「・・・」「ハイハイハイナ〜」

 こんな事を聞かせても分かる訳もない。皆んなキョトンとしている。ラー助は人をおちょくるような返事だ。

「ワシも馬鹿じゃのう」

 処が、ラー助は大真面目だ。上空を旋回していたが突然舞い降り

「カジカジ!」

 と叫ぶではないか。

「ラーちゃん、何の事じゃ!」

 すると鉄と玉が走り出したではないか。

「オイッ、何処へ行くんなら」

 本当に一家の連係がいい。もの凄い嗅覚の鉄と玉は燻る臭いに反応し、ラー助の飛ぶ方に向かって行くではないか。

「火事のことか」

 と与作も気付いて後を追いかける。

 右手の山裾の直ぐ先で、百姓家の納屋から煙が立ち込めているではないか。

 鉄は、いきなり其処の戸へぶち当たりひっくり返して飛び込んだ。そして燻っているボロ布団を口に咥えて外へ引っ張り出してきた。

 丁度、其処へ与作が駆けつけた。鉄がワンワン吠え立てる。

「鉄ちゃん、中へ誰かおるんか。よしゃ任しとけ!」

 幸い火は部屋中に移っておらず、コタツの先の積んであった物が燃え、布団に広がりつつあった。でも其のコタツには''中気(ちゅうき),,の母親が寝ていたのだ。  

 煙の中、与作は咄嗟に抱え上げ外へ連れ出した。そして又、布団を水に浸けて持って入るとバタバタと火を叩き消し始めた。

 そうした頃、鳴き叫ぶ鉄の大声に漸く周りの住人達が駆け付けだした。

 幸いラー助のお陰で、燃え広がる手前でくい止める事が出来たのだ。

 ボヤが終わった後、大勢が駆けつけ、現場は村の集会の様な火事場の馬鹿騒動になっている。何せ普段は皆んなが一同に集まる機会が無いのだ。 

 其処に庄屋さんが立ち合いに駆けつけて来た。

 救出された母親はその時もまだ、庭先の地べたに布団を敷いた上に背中を丸めて座っていた。

「婆さんよ、大きな火事にならんで済んだのう。助かってよかった、よかった」

「皆さんにはお世話になり有り難う御座いました。誠に相すまない事で。庄屋様、本当にご迷惑をお掛け致しました」

「どして火が出たんなら」

「多分、息子の煙草の不始末でしょうよ。本人はまだ戻って来とらんのですが」

「そうか、そりゃええが最初見つけて助けてくれた人はどうした」

「他所の全く知らん方じゃたですよ」

「火が布団に移って燻り出した時に、大きな犬が現れて、其れを外へ引っ張り出していったんじゃ。ほいから煙の中に男の人が飛び込んで来て、抱きかかえて連れて逃げてくれましてね」

「ほいじゃ、その人と犬に礼を言わにゃいけんのう」

 其処へ隣りの百姓が一口挟んできた。

「ほんなら、更にカラスにもでぇ」

「どういう事なら」

「あゝ、最初な、煙が出だした時にワシの家の空から、ぎこちのうて''カジカジ,,云う声が聞こえたんじゃ。何事かいな思うて外へ出てみたら吾作の納屋からよ。其の声はどうもカラスのようじゃたよ」

「ありゃ、どしたんじゃ。さっきまで居られたのに」

「ほんまじゃ、何処へ行かれたんかのう」

「その人も大けな犬も姿が見えんぞ」

「まるで忍者みたいな人じゃのう」

 与作は現場がひと段落付いたと確認すると、そっと裏山に立ち去ったのだ。

「早うに此処を逃げんとな。庄屋さんと逢うてみぃ、今迄に何度も使いに来とるワシが浅田屋の丁稚じゃ云う事が即ぐバレるからな」

「えらい手間どったが皆んな大丈夫か。もうくたぴれたんじゃなかろうのう」

「何を言ってるの、褒美を貰える遊びはまだ此れからだよ」という顔をして与作を見上げている。空からは「ホウベ、ホウベ」とラー助が叫んでいる。

 何とも頼もしい忍者一家である。 

 布野の番屋から君田街道へ進んで行くと高台に真光寺さんがみえる。街道とは名ばかりで三尺あるかそこらの道幅である。此処へは浅田屋から何度も訪れていた。

「此処から出発じゃから縁起を担いでお参りしてくるか」

 寺の直ぐ下から人家も少ない山道を山家を目指して駆け出していく。何と元気なものだ。いきなり峠に差し掛かった。

「オイ、慌てるなよ。此れからなんぼうも急坂があるけぇな」

 体力の個人差が如実に現れる険しくガタガタの細い坂道だ。与作でも息が切れる程なのだ。然し、鉄は全くへっちゃらである。これならば夫々の荷車が当然、差がつき間隔が開くはずだ。其れも何度も繰り返して有るのだ。

 やがて峠を下った先に岩だらけの小さな川が見えだした。  

 短く小さな橋がある。何とか荷車が渡られるだろうか。鉄が先に渡りきり、与作も其れに続いて渡りだした。坂を下る途中から与作の懐から飛び降りて歩いていた玉が、橋の手前で躊躇する様に止まってしまった。

「オイッ、玉ちゃんこっちで」

 と呼んでも動かない。

「恐ろしいんか」

 確かに橋板に隙間があり猫の小さな足がはまりそうなのだ。だが玉は、そんな事は関係無さそうに、右手の笹の被さった小道に入って行くではないか。

「ウ~ン、こりゃ神業が出たな」

 此れを見ていた鉄も、渡っていた橋を一気に引き返し、玉に続いたではないか。其れもあろうことかラー助も真上に飛んで来て

「ココ、ココ」

 と叫ぶではないか。

 途端に与作も直感的に閃いた。その場所は神之瀬川が大きく蛇行し深そうな青黒い水面に草木が覆い被さる様になっており、正しく猿猴が出て来て引っ張りこまれそうな川淵である。

「ウ~ン、何か漂うとるな」

 流石に与作も元坊主くずれの事だけはある。

 道を進むにつれて其れが増しだした。

 するとラー助は即ぐに看板らしき物を与作の目の前に落としたではないか。

「オモイ、オモイ」

「そりゃ重たいよ。なんぼうラーちゃんが爪が強いゆうてもな」

 其れには''此の先、崖崩れで通行止め、此方から回れ,,と記されている。

「何じゃ、奴等、此れにまんまと引っかかったな」

 其れにしても犯人は大胆な作戦に出たものである。

「ラーちゃん、何処にあったんかいな」

 ラーちゃんの目を見ると、直ぐ其処よと知らせている。

 何と道から十尺ほど高い草叢の中に無造作に放り投げられていたのだ。

 とに角、此れはラーちゃんの得意中の得意とするところである。小さな頃から忍者一家が、山中で宝探し遊びでやっている事で、造作もないことなのだ。

 狭い道の直ぐ上の草叢の中に玉が駆け上がって行く。

「どした、玉ちゃん」

 其処には人間の頭程の石が三つあるではないか。

 鉄と玉が其れに近づくと前足でガサゴソと土を掘り返しだした。

 少し掘っただけだが着物らしき布切れと白い物が見えた。

「待て,待て!そっから先はワシがするよ」

 然し、こんな卑劣な事をする犯人にも少しでもの呵責に苛まれる程、武士の魂が残っていたのであろうか。

 だが、その他の荷車、かます袋,縄などは一切無かった。

 此れ等は現場より神之瀬川を下り布野川と合流する迄の間に処分したと思われる。

 増水中の猿猴の淵から、荷車は叩き壊し、さでくり落とした事であろう。其処から更に江の川迄行ってしまえば銀のありかが誰にも掴めず手の施しようが一切ないのだ。

 犯行後は三次の地に未練など一切なく、お宝と共に早急に姿を消している。到底、犯人の足取りを追うなど絶対に不可能だ。

 与作が推測するには、先発隊と二番目との荷車が間隔が空いている時に犯人等は橋を渡る手前に

 ''崖崩れでこの先通行止め、此方から回れ,,

 の立て看板を急遽設置し、二番隊のみを誘導したのだ。この二、三日は雨続きであった為に何の疑いも持たず指示通りに進んだものと思われる。作戦に乗った後は直ぐに看板は外したのだ。

 此処の山家の峠では度々山賊が出没すると云われていた。

 実際に与作も何年か前に一里塚の袂で「有り金、なんぼか置いていけや」

 と云う様なケチな山賊に出くわしている。

 だが此の事件の犯人は明らかに元武士の其れも落武者の仕業と思われた。

 如何なる方法で襲撃殺害したかは分からない。埋められた白骨遺体全てを掘り返した訳ではなく判別不能だからだ。

 だが犯人の中に、一撃必殺の弓の名手が居たとおもわれる。現場の状況からして、瞬時的に犯行に及んだ事であろう。そうでなければ必ず前後を通過している他の仲間に大声で叫ばれ知られてしまう。この男は、何処ぞの負け戦から逃亡し、この地に隠れ住んでいた落武者であろう。

 橋の手前から右の細い小道に誘導された荷車は、何の疑いも持たず入ったのだ。処がニ、三十間進んだが

 他の荷車の轍の跡も草を踏み締めた形跡もない。

「おい、この道は先に行かりゃせんぞ」

 急遽、その場で方向転換しようとしたのだ。其処へ道上で待ち構えていた犯人等に狙い撃ちされ、大声を発する間も無かったのだ。

 後は何人いたか知らないが手際よく処置したものとおもわれる。

 八尺の大八車は叩き壊しバラバラにして目の下の川に投げ捨てた。然し、三人の遺体はさすがに流すわけにはいかず少し道上に運び埋めたものだ。

 そして盗んだかます袋も近くに埋めた。

 其の後は川を下って行き浅瀬を歩いて渡る。後は勝手知ったる山の尾根を自分等の隠れ家に帰ったのだ。

 かます袋は一袋だけ持ち帰った。中身の一応の確認をとる為に。

 其れから、日にちを変えて自分等も逃げる算段で山をおり、お宝を掘り起こすと後は川を下り江の川へ出たのである。

 此れだけの大胆な犯行を瞬時にしてなし得るはに一人や二人ではない。其れも並の人間に出来得るものではなく、確実に策士がいたものと察しがついた。

 其れは偽看板書きに見てとれた。 

 文字が書かれていた板は、事前に用意した穴掘り用の道具で、急遽、その上に矢立から筆を取り出し、走り書きしたものと思われる。

 やはり、武家崩れか落武者の仕業と考えられる。其れも部外者が急にここに来て犯行を仕出かしたのではなく、必ず近辺に住んでいて地の利を得ていた者のした事としか考えられない。

 与作は、犯行現場の立ち合いを終えると暫く其の場に佇んだ。如何にも無念な犠牲者の霊を放ってはいられない。

「オイッ、一寸待っとれな。何時もの様に供養をして上げるからな」

 鉄、玉、ラー助も心得ている。

 内懐に常に身につけているお数珠をとり出した。

 そして静かな川面に向かい読経を始めた。

「ナマンダブ、ナマンダブ・・・」

 すると何時ものラー助の伴奏である。

「ナンマイダ〜」

 然し、このカラスは本当に頭が良く、言葉と相手 心を理解出来る。完全に自分が人間で与作の子供だと思っているのだ。

 何はともあれ後の始末は代官所に任せ、本格的な供養はお寺さんにお願いするしかないだろう。


「さあ、此れからどっちに行くかな」

 と声を掛けた。

 鉄と玉の顔色を伺うと、当然よとばかりに互いが一緒に現場から道無き道を南に向かい歩き出した。

 比熊山系に続く雑木林で誰も立ち入らない険しい山中だ。

 処が狼系の鉄にとっては何の苦にもならない。

 獣道など得意中の得意とする処だ。倒木が有ったり背丈ほどの草木が行く手を遮る。こんな処を犯人等が通過したのも何年も前の事だ。

「鉄ちゃんよ、ほんま此処を通たんかい」

 だが此れ等の足跡でも確実に察知するのだ。恐るべし狼犬の嗅覚だ。

「オ〜イ、鉄ちゃんよ、ゆっくり行ってくれぇや。ワシも玉ちゃんも付いて行かれんよ」

 処がいたずら半分なのかますます調子に乗って先に駆け上がっていく。

「こんにゃろう。よしゃ、玉ちゃん飯にしょうや。 腹が減っては戦にならんからな」

 小さな声で話したのだが聞こえたのか、途端に鉄が踵を返して駆け下りてきた。

「コリャ、お前は現金な奴じゃな。まあええか。先はまだまだよう見えんから腹ごしらえでもしょうや」

 今日は一家の為の昼飯を作る必要がなかった。出かける時、上里様の奥様から作ってもらった弁当が有るからだ。

「オイッ、皆んなの口に合うかな。ご馳走が仰山有るでえ。何時も粗末なもんばっかし食わしとるからな。ごめんよ」

 その場に頂いた昼弁当を広げているとラー助がいないではないか

「あれぇ、ラーちゃんはどうした。メシ云うたらいの一番にくる奴が」

 呼んでやるかとカラス笛を取り出して一吹した。然し、何時もなら即ぐに舞い降りるのだがなかなか来ない。

「どしたんかいな。何処かへ雲隠れしょったんか」

 すると鉄、玉が鳴き出した。どうやら南の空から帰って来た様だ。

 やがて何やら爪に引っ掛けているのが与作にも見えた。

「ラーちゃん、何処へ行っとったんかいな」

 すると何と分けてあるラー助のメシの上に被さる様に落したではないか。

「ワシメシワシメシ」

「こりゃ、何をするんなら、隠さんでもええのに」「おぉ、そりゃええがこりゃ何なら」

「かます袋の端切れじゃないか。中に入っとった布袋で、確か荷車で運んどったやつじゃろう。然し、何処で見付けて来たんじゃ」

「まあ、取り敢えずは飯でぇ、ラーちゃんが好きな物が有るぞ」

「カァ、カァ~、ウマウマ」

 然し、鉄や玉、ラー助にしても与作にとってはほんとに助かるのだ。食べる物と優しい褒め言葉だけで、夫々が超能力を発揮してくれる。

 特にラー助は国久公やお殿様の''ホウベ''と優しい言葉に、上空からの見張り役や、離れた場所への伝達事項を一っ飛びし簡単にこなしてくれる。

 此れは、全国的にも珍しく、全く他藩には存在しない。狼犬の鉄と共にカラスのラー助は三吉の殿様認定の忍者一家なのだ。

 飯が済んでひと休憩を終えると又々道なき道の険しい雑木林だ。先程からかなり歩いて来たが、全く人の歩いて踏み締めた痕跡が無い。

「鉄ちゃんよ、ほんまに犯人は此処を通ったんかい」

 空身柄でも難儀なのに、奴等はなんぼか分からんが袋を担いで上がった筈じゃで」

 玉の足では歩くのは難しく与作の懐の中だ。

「お前はええな、楽ちんで」

 そうしてゆっくりと登っている時、玉が飛び降りた。

 何間か先に行った時に止まって振り向くと

「ニャ〜ン」

 その時、上空から「ココ、ココ」とラー助が叫んだ。

 可愛いものだ、見つけたのは自分だよ、とばかりに与作に知らせたつもりなのだ。

「オオゥ、お前さん達凄いな」

 玉もラー助も嬉しくて堪らない。

 処が鉄ちゃんは知らんぷり、優しく、気ままでやんちゃな両方を見守っている。全く包容力が溢れているのだ。本当に仲のいい忍者一家なのである。

 案の定、与作が思った通りになった。

 犯人は中身を確かめる為に持ち帰ったが、かます袋があまりにも重く袋をばらして少量ずつ各自が運ぼうとしたのであろう。その為に、切り捨てた端キレが其処らじゅうに散らばっていたのだ。

「いよいよ、近うなったで。奴等はこの辺りに隠れ住んどったんじゃな」

 此処からは鉄、玉の動きが速くなりだした。ラー助は上空を旋回している。どんなに偽装していても、人間が通った後の折れた枝や踏み締めた草木を完全に見透すのだ。恐るべしラー助の眼力!正に千里眼だ。

 その上に更に凄いのが狼犬の鉄である。何年も前に通った道なき道を、其れも初めて嗅ぐ人間の臭いを、何処までも察知し追いかけていく事が出來るのだ。

 然し、こうした超能力を引き出せるのも、互いが一つ屋根の下で暮らし、宝探しや隠れんぼ遊びをやり、日頃から動物用語で話をして生活しているからこそ実現する事なのだ。

 特に其れらの能力を切磋琢磨し、最大限引き出せる様にする与作も並大抵の人間ではない。

 

 平家の落人が隠れ住んでいると云われる、比熊山に連なる険しい北側山中に、お粗末な掘っ建て小屋が其処にあった。

 随分前、明光山に登った時にも同じ様な物があったが、此処も一時的に山に立ち入った人間が見つけるのはまず不可能であろう。その小屋に近付く道が何処にも見当たらない。同じ箇所を絶対に踏み締めないのだ。

 与作はその建物を見て、此れは地元の人間が建てた物では無いと直ぐに判断出来た。何せ、親父は大工仕事を生業としている。常に作業を子供の頃から見ているからだ。

 この小屋は小さくて、中心になる大黒柱は要らないが梁の木組みのやり方が根本的に全く違い、其れに屋根の形も構造もだ。木の材質もそうだが天候の違いの影響であろう。何処の地方の建築方法かは分からなかったが、明らかに西日本のものではなかった。

 此処の比熊山は昔から妖怪が現れるという伝説があった。然し、何時の世もお化けなど居よう筈がない。此れは世を忍ぶ為の落ち延びた人間が自分達の身を隠し、世間を欺く一つの手段だったのだ。その為に、神楽面、かつら、衣装や狐火のお化け小道具を各地の神社から盗み集めては、世間一般人を近付けさせないよう変装して仕掛け、脅しがてらに使用し、町中に下りてはまことしやかに吹聴したのである。

 特に、其れが顕著に現れ出したのは壇ノ浦の合戦で敗れ、全国各地に散らばった平家の落武者の影響が多いなるものがあった。

 此の三次の地に於いてもそれが云われていたのであった。

 隠れ住人が普段街中に現れる時は、木こりや百姓風の出立ちでまず疑われることは無かった。

 三次の町にはそれなりの人口がおり、其れこそ士農工商様々な人間が去来している。

 其れがこんなにも悪質な悪知恵を働かせて地元の人間を三人迄も殺害している。

 犯行は絶対に許せるものではない。

 だがそれに対して、一矢でも報いてやりたくても時が経ち過ぎており、追跡とて到底叶わぬ事なのだ。

 与作は残念でならなかった。 


 比熊山の南側の西城川に面した麓に太歳神社が有る。創建も古く平家落人が逃げ隠れたといわれる時代よりも約四百年も前の事である。其の間は、おそらく此の三次の地も比較的平穏無事で物の怪伝説等存在しなかった事であろう。この太歳神社は古く、神話伝説の出雲大社の近くから勧進され、八百万の神の木花佐久夜毘売命が主祭神として祀られている。

 この三次の地は古墳時代の遺跡が多くあり川が人間が生きていく上で重要な役目を為していたのであろう。

 この地を治めた三吉藩主が代々、十五代に渡り戦国時代、約四百年を生き延びたという事は驚異的な事である。

 鉄砲等の飛び道具のない時代、刀と弓矢と人海戦術で合戦をする為に、堅固な城郭が一番の防御法であった。

 然し、其れも時代とともに変わっていき人民と隔離した高く険しい城山は廃り、住みやすく全てに便利な平地に変わっていったのである。

 各地で戦力闘争に明け暮れる国人領主ばかりで全国制覇をする程の権力者未だ現れなかった。


「御家再興などとは程のいい名目なのです。確かに主犯は位の高い武家の出の者でしょう。付いていた奴もかなりの策士の様です。然し、此の時代、所詮は悪あがきに過ぎず、山賊の類でしょう。

 残念ながら盗られた物は返って来ません。バレずに両替えが簡単に出来る京、大坂に持ち逃げしている事でしょう」

「今回の件ですが如何せん時が経ち過ぎております。其れに犯人等はとっくにこの地を離れております。どうにも京、大坂まで追跡する事は到底私達では不可能です。悪しからず」

「何を言うとる。ワシ等の読みの浅さと筋違いの探索方法を痛感させられたよ」

「ご苦労じゃったのう。所詮、盗まれた物は返っては来んが、ほんま犠牲者の方々に、ええ供養をさせてあげる事が出来るよ。ワシからも感謝申し上げる」

「其れとな、今回の未解決事件に関してはお殿様も満足じゃないかのう。そりゃなんぼか銀が取られたのは残念じゃが、毎度の様な忍者一家の目覚ましい活躍ぶりじゃ。何せ、直々の認定忍者じゃからのう。人間じゃ到底成し得ん離れ業は日本国中何処の藩にもおらんぞと鼻高々じゃないかのう」

「こっち迄嬉しゅうなるよ」

 と次席は深々と頭を下げた。

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