第15話 昨日の友は今日の敵

 天文九年六月、尼子軍は三次路を通り志和地八幡山城に陣を敷いた。尼子国久公の軍勢は此処から二里程先の吉田郡山城を侵攻する為だ。

 然し、犬飼平で可愛川の長雨による河川増水や野分き(台風)の為、渡川する事すら出来ず攻略作戦が失敗し、敢えなく撤退する事となる。其れから尼子軍は此の二ヶ月後に第二次侵攻として石見路から三万の大軍を率いて郡山城の北西一里の風越山に本陣をおいた。尼子晴久公が総大将として吉田郡山城攻めを敢行したのである。

 此れに対して、一方の毛利元就は三千の精鋭と農民や工商の住民の殆ど一族郎党、約八千人を引き連れて籠城をしたのである。

 此処が元就の賢いところであろう。

 其れに呼応した近在の多くの領主も一斉蜂起し援軍に加わった。何箇所での撹乱戦法で尼子勢を分散させ地の利を活かしては尼子軍勢を翻弄した。

 奇襲戦法で仕掛けると見せては逃げ籠城をするの繰り返しだ。

 本丸の郡山城を攻め落とすどころではない。三万の大軍は分散されられ、小競り合いの紛争を余儀なくさせられた。その為に尼子の風越山の本陣が手薄になった隙を突かれ焼き払われてしまったのだ。ますます晴久は攻めあぐね処置なしであった。

 そうした処へ元就より援軍を求めてられていた大内義隆は十一月末頃に漸く参戦したのである。

 正に鬼に金棒だ。

 晴久は其れこそ成果を上げられず、段々と戦況不利となって来た。 

 そうした処に、尼子勢に従軍していた国人衆は叛旗を翻し出したのである。何の為、誰の為に遠くまで遠征し生死を懸けて戦わなければならないのか。現にかき集められた領主も何名か討死しており、更に多くの戦死者が出ている。

 毛利の加勢に多くの援軍がドンドン駆け付けだすと、更に形勢不利となりだした。

 其れに季節柄寒さが増してきだしたのだ。多くの軍勢は寒空の下で野ざらし状態だ。其れに対して毛利勢は都合が悪くなると直ぐに籠城してくる。屋根も有るし食料にも不自由しない。

 此れには尼子軍勢も戦闘意欲が全く萎えてしまった。

 不利なる状況を察した晴久は、翌年一月早々に雪の中を退却したのである。

 何度もの毛利攻めに失敗した尼子晴久は、これを機に尼子陣営を離れる各地の国人領主がどんどん増えていき衰退への道を辿っていったのである。

 一方、郡山城の毛利元就は、この合戦に勝利して以降、安芸、備後の國に勢力を拡大していく。近隣の国人領主の三吉広隆は其れまでに何度も尼子勢に手を貸した事により目の敵にされ、元就の侵攻の脅威に晒され、抗しきれず万止むを得ず、与(くみ)することとなってしまった。其れと前当主の尼子経久がこの頃亡くなった事により、尼子とは何の確執も無くなっていた事にもよる。   

 其れで大内勢の毛利元就に寝返った三次藩を憎しと思った尼子晴久は、叔父にあたる新宮党の国久公に三次藩の掃討を命じたのである。

 然し、国久公も辛かったであろう。今迄は何度も三次の地を訪れ、ありとあらゆる面で親交があった為に、急に転換し刃を向けられるものではない。

 ましてや、若いのに師と仰ぐ与作殿や忍者一家と事を構えるなど到底想像もつかなかったのだ。本当に戦国の世を恨まざるを得かった。


 時に天文十三年七月

 尼子国久公は、出雲国から国境の赤名峠を越え、七千の大軍を率いて比叡尾山城攻略を論んで布野迄来ていた。毛利が其の情報を知ったのは三刀屋を通っていた頃であった。

 毛利元就は急遽、援軍として安芸国の福原、児玉、井上の各氏を呼び寄せた。いわば寄り合い所帯みたいなもので作戦指揮も何もなく''てんでんばらばら,,の状態であった。

 千人そこそこの軍勢で夫々が時差を置いて布野に入った。其の為、戦闘態勢を整え待ち構えていた多勢の尼子軍に、布野川沿いに取り囲まれて逃げ場も断たれ、難なく壊滅されてしまったのである。

 尼子軍勢は圧勝し、それに乗じて更に山家から三次へ進軍する勢いであった。

 後日談として、毛利元就陣営は、各地の戦さにおいて過去に一度として負けた事がなかったが、この山﨑の戦いは何の策を講ずる間もなく完敗した為、布野崩れと称し以降の戦の戒めとしたのであった。

 其の戦況が時々刻々と早馬で城まで知らされる。

「オイッ、家老、ワシャどうすりゃええんじゃ。毛利の援軍の福原、児玉、井上各氏の軍勢か無茶苦茶やられて敗走しとるらしいじゃないか」

「こちら側は千人そこそこのようです。其れに先程の情報では井上氏が討死されたと報告がありました」

「ウ〜ン・・」

「何れ、明日中にも勢い付いとる奴等が此処の城下まで来るで!」

「今迄に三吉家が十何代も続いとるが、此処の天守が攻められたのじゃの古文書にも無い筈じゃ。ワシ等は籠城せにゃいけんのか。その備えが出来とるんか家老よ」

「・・・えぇ~、何とも」

「相手は七、八千も来とるらしいで」

「ほんま、頼りないのう」

「・・・」

「こっちゃ、なんぼもおらんじゃろうが」

「・・・」

「コリャア!家老、何とか返事をせえや!」

「頭のええ奴はおらんのか、頭のええ奴は!こんな時の名参謀はどうした!代官じゃ役にゃ立ちゃへんし、糞ったれが!」

「然し、・・・」

「ワレが先に立って陣頭指揮を取れや」

「そんな無茶な、こんな爺では何の役にも立ちませんよ」

「そりゃそうじゃのう」

「ウ~ン、頭が痛いのう.・・・・・」

「・・・」

 お殿様と家老は何の名案も浮かばず暫く黙り込んでしまった。額には脂汗を垂らしている。

 突如、殿様が大声を張り上げた。

「そうじゃ!こうなりゃ一か八か、戦さの素人でも構わん、忍者一家に頼んでみるか。前に国久公と話しとった時、奴は名参謀になれる男じゃと云われとったぞ。そうじゃ!そうじゃ、与作殿に相談せぇ!」

「ワッ、分かりました、其れはええ考えで。早速呼んで手を打つ様にしましょう」

 其処で殿様は犬笛を取り出し

「南無八幡!この近くにおってくれぇ、頼む!!」

 と念じながら一吹きしたのである。

 丁度、其の頃、与作は城の家老に呼び出しを受け、訓練施設の設立の相談の為、坂道を登城途中であった。

「然し、毎度の事ながら此処の急坂は堪えるなぁ、鉄ちゃん!」

「玉ちゃんは懐じゃし、ラーちゃんは空飛び忍者じゃし、ええなぁ」

 だがこの声に互いがウンもスンもない。

 荒い呼吸をしながら階段を踏みしめている時、先を行く鉄の耳がピンと立ったではないか。そして

「ウゥ~、ワン、ワン」

 と大声で叫んだ。

「ありゃ、お殿様がお呼びでぇ、何かいな。鉄、行け!」 

 反応の早い事、早い事、坂道を駆け上がりあっと思う間に開いている門番の前を通過した。

「コリャ、コリャ!何処へ入るんじゃ」

 制止をものともせず城内に侵入した。静けさの中、沈黙していた屋敷内の階段を駆け上がる大きな足音がするではないか。

「コリャ、待て!何処へ行くんなら!」

「ウヌッ、まさか、もう来たんか!」

「ウゥ、ワンワン」

「オイ、門番!もう良い良いワシが呼んだんじゃ!」

 此れにはお殿様も家老もびっくり仰天の笑顔であった。

「なんちゅうこったぁ!」

「鉄ちゃん物凄いな!」

 頭を撫でられ大喜びをしているではないか。そうして戯れあっている時に与作が駆けつけた。

「オオゥ、与作殿、いや、大将!」

「よう来てくれた早いのう。ほんま、頼りになる奴じゃのう」

 と言いながら立ち上がり、お殿様自ら駆け寄り手を差し伸べられた。

「お殿様、其れは・・」

「よいよい。まぁ座ってくれぇや」

「火急の呼び出し、何事で御座いましょうか」

「実はな、今、三次藩が大変な危機に瀕しておるんじゃ」

「其れは下々には分からない事で御座います」

「そりゃそうじゃ。そこでじゃ。大将の頭と知恵を早急に活用してもらいたいのよ。是非助けてくれんか、頼む!」

 と言いながら頭を下げられた。此れには与作も大変な事だと緊張が走った。だが

「分かりました。中身は不明ですが、私に出来得る限りの努力を致します」

「そうか引き受けてくれるか、有り難う、有り難う」

「詳細は家老と相談して詰めてもらえんか」

「大将、宜しく頼む!」

 何度も念を押され、殿様が席を立たれる時、

「鉄ちゃん、玉ちゃんはワシがその間、守りをしとくからな」

「ラーちゃんも多分天守の上におるじゃろう。呼んでホウベをやるからな」

「有り難う御座います」

 そういうと鉄、玉も嬉しそうにお殿様に寄り添って出て行った。

 後、家老と二人になると

「与作殿よ、殿から緊急の依頼を頼まれたが是非、助けて貰いたいんじゃ」

「其れは如何なる事案で御座いましょうか」

「与作殿も薄々は知っていると思うが、実は尼子軍が現在、出雲街道を布野迄来とるんじゃ。前の犬飼平遠征とは違うて、今度は晴久は国久公に命じて、ワシ等の比叡尾山城攻めを目論んどるらしいんじゃ」

「昨日の友は今日の敵の状況じゃ」

「やむを得ない事の様で」

「ワシもこんな事を与作殿や忍者一家に頼むのはほんまに辛いんじゃ。今迄は国久公とは特に仲が良うて互いの架け橋役を果たしてくれたからな」

「じゃが今度ばかりは三次藩の存亡がこの一戦に掛かっとるのよ」

「与作殿には、今度ばかりは全くの専門外じゃがええ知恵を出して貰えんかのう。是非、ワシからも頼む!」

「分かりました。お殿様や御家老のお気持ちは十分お察し致します」

「有り難うよ」

「近況報告の戦況によるとな、赤穴を超えてきた尼子勢を、毛利軍の安芸の國の福原、児玉、井上各氏の軍勢が迎え討ったんじゃが多勢に無勢、簡単に蹴散らされてしもうたのよ。完全に勢い付いとる様なんなじゃ」

「こうなりゃ、其の勢いで一気呵成に此処へ押し寄せて来るじゃろう。国久公は、ワシ等の事情を隅から隅まで何もかもよう知っとる」

「何せ、我が軍は五百少々の軍勢じゃ。相手は七千も八千も来ておる。まともにやりゃ到底勝ち目は有りゃせん」

「尼子軍勢は今晩、布野で陣を張っとるが明日の午前中の早い時刻にも攻めて来て、此の城山を取り囲むかもしれん」

「なるほど、分かりました。其れではほんの一時、猶予を下さい。その間に幹部の方々に集まっとって頂ければ」

「分かった。即ぐにそうする」

 与作は急遽、お殿様の心情を察し、必ずや成し遂げてやる、そして今やるべき事は何か頭の中で思い描いていた。

 とに角、早急に布野の地で決着を付けなければならない。

 山家を越えて三次に入って来られて城より一里も離れた町中に、広範に渡って火の手を上げられては、到底我が藩の少ない軍勢では攻めるどころか防御の方法も無いのだ。

  ''今打つべき手は何か,,

 真っ向勝負に挑んでは到底勝ち目は無い。何せ、尼子勢は十倍以上の戦力だ。相手が三次の町に入って来る迄にはケリをつけなければならない。とに角、山家越えを絶対に阻止する。そうしなければ精々、籠城するのがオチだ。

 今から夜半に掛けてが勝負だと咄嗟に踏んだのである。幸いにもこの布野の地には浅田屋の使いで何度も足を運んでいる。

 与作は決断を下すと開けっ広げの広間に入って行った。

 家老は与作の指図通り早速、大広間に幹部連中を五,六十人集め、鎮座させていた。

 此れには実の処、与作も多くの武士を目の当たりにして気が引けた。

 何せ、つい最近迄は丁稚奉公の身の上だ。然し、「ええぃままよ」

 と度胸を決めた。

 そしていきなり御家老が大声で叫んだ。

「ええか、皆の者、今日から与作殿は大将じゃ。お殿様の命令である。指示に従え!」

「オウ〜」

 と鬨の声(ときのこえ)を挙げた。 

 然し、この時、列席した侍達からヒソヒソながら驚きの声が発せられた。

 何せ与作は町人髷である。其れに中には三次の町の商店街を、前垂をした商人の恰好で彷徨いているのを見知っている者もいた。

 其の場の空気を察した家老は

「騒ぐでない!」

 と一喝した。

 早速、緊急謀議に掛かった。

 与作はおもむろに作戦を口にしだした。

「今から私の考えている通りに従って下さい。いいですね」

「オゥ」

「御家老様、今、松明を何本集められますか」

「何に使うんじゃ」

「そんな詮議よりまず集めることです」

「よしゃ分かった。管理しとるのは誰じゃ、すぐ分かるか」

「其れは城攻めの籠城に備えて千本は有ろうかと」

「其れでよかろう、大将、此れでどうじゃ」

「いいでしょう。其れでは、早急に其れを三、四つに叩き割り、尼子軍が陣を張っている布野に運んで下さい。急遽です」

「其れと、あと一つ、布野で尼子の軍勢と対峙する時の方法は一塊になり行動する事です。所詮、こちらの数は五百少々、バラバラに勝手に動くと到底勝ち目は有りません、簡単に蹴散らされてしまいます。今日の毛利の一千の援軍もほぼ壊滅状態です」

「差し詰め此れは''火の玉作戦,,と名付けておきます」

「私からお願いするのは此れだけです」

 此れには居合わせた連中から騒めきが起きた。

「たった其れだけで?」「此れで勝てるとでも思っとるんですか!」

「これじゃ全員早々に討ち死にじゃないですか」

「全く子供騙しの戦さ遊びじゃ。とんと話しにならん!」

「ワシャ、布野には行かん、此処で籠城じや!」

 大勢の不平不満の声に、さすがの家老もあまりにも淡白な作戦指示に心配になったのか

「大将、ほんま此れだけでええんか」

「大丈夫です!」

 此処まではっきりと断言される限り、大将に従わざるを得ない。

「分かった。皆の者、騒つくでない。命運は大将が握っとる。皆の者、ついていくぞ!」

「オウー、エイエイオー!エイエイオー!」

 打ち合わせが終わると、忍者一家がお殿様から離れて階段を降りてきた。

 与作は誰もいなくなった広間に暫く佇み、鉄、玉、ラー助を前に涙ぐみながらお願いをしたのである。

「あのなぁ、お前さん達には分かっていると思うが、実はお師匠さんがこの近くに来ておられるんじゃ」

「そんなの、あたぼうよ」

 ラー助に分からない訳がない。

 だが、皆んなはお師匠さんの物悲しい感情をとっくに理解していたのである。今は、やむを得ぬ事情で大好きなお師匠さんと三吉のお殿様が敵、味方になっておられるが、どうしたら皆んなを助ける事が出来るか、忍者一家は真剣に考えており、与作の気持ちを理解していたのだ。人間と動物ながら、互いに物言わぬが心は通じあっていたのだ。


 大八車何台もで城を下り、足りない分は城下の倉庫から補充し、畠敷から寺戸回りでやって来ると西城川を一気に駆け上がる。後は山家の峠を越えるだけだ。

 明日は晴天なのであろう。霧が立ち込めだした。

 大八車が現場周辺に到着すると与作は作戦の内訳を説明しだした。何時も浅田屋の使いで何度も通っており地形に詳しく

「尼子勢は川を挟んで谷間の低い処に陣を張っております。従って、今やるべきことは高い尾根沿いから谷間にかけて、下から見える様に等間隔に松明を立てて下さい。幸い今は霧が立ち込めて相手に気付かれる心配はありません。其の場所へは夜目が利く私と鉄が案内します。決して明かりは点けないように。万一、途中で相手の見張りが居るようでしたら、物凄い嗅覚の鉄が教えてくれますから其れに従ってください。

 夜半に霧の掛かり具合を見て火を点けて合図を送ります。そしたら一斉に点火して下さい」

 与作と鉄は、陣を取り囲む様に別々に二手に分かれ、おいこに松明を背負った若者達五、六十人を先導していった。

 かなり高い処からは目の下に大軍が野営をしているのがよく分かり、広場には何箇所も松明の明かりが見える。

 本日の圧勝気分に浮かれているのか陽気に談笑する声が聞こえてくる。

 若者は夫々に小分けした松明を命令通りに土の中に立て掛けていく。尾根から谷間にかけて鉄が先導して行く。そうしている時、鉄が立ち止まった。

「とした鉄ちゃん!」耳がピンと立つ。其れに気付いて後続の奴等は音を立てない様にその場に佇んだ。

 すると鉄はゆっくり木々の中を下りて行く。かなり下の辺りに明かりを持った見張り番であろうか二人いるではないか。その時

「ウォーン、ウォ〜ン」

 と鳴く声が山々に木霊した。

「オイッ!、この上に行きゃ狼がおるでぇ。降りろ降りろ!喰い付かれるぞ」

 この見張り番の叫びは上で据え付け作業をしていた者達にはっきりと聞こえた。

 然し、本当に鉄は凄い。正に千両役者だ。この声は谷向こうの与作達の耳にも届いた。以降全く作業がし易くなったのである。

 何千本かを立て終えるのにはかなり手間どった。更に、与作は雲の流れと霧の具合を確かめ頃合いを見計らい、最初の点火は夜半頃となっていた。

「それぇ!」

 何十箇所から一斉に行動に移った。松明には即ぐに点火出来る様にあらかじめ油に浸してある。

 すると徐々に山々に薄ぼんやりと明かりが灯り出すと、霧の中に浮き上がり、幻想的すら有る光景となった。

「何と見事な光景じゃのう」

 点火した本人達も感心していた。

 布野川、神之瀬川にかかる独特の深い霧の中に、狐火や火の玉の様な光が尼子勢を取り囲む様に二重、三重に高い山から見下ろしているようだ。 

 丁度、其の時刻に見張り番に立っていた尼子の兵士は、度肝を抜かれてしまい、浮かれ気分も一度に冷めてしまった。そして、大声が山中に木霊の様に響き渡った。

「オーイ!起きろ!大事じゃ」

「ワシ等は、いつの間にか完全に取り囲まれとるで、上から狙い撃ちされるぞ!」

 他の者は寝入り端に叩き起こされ

「何事じゃ!」「どしたどした!」

 寝ぼけ眼で空を見上げると、物凄い数の敵兵がこっちを取り囲んで睨んでいるではないか。完全に寝ぼけていてそんなふうに見えたのである。

 恐怖の為に戦意喪失してしまい、口々に

「オイ、起きろ!敵じゃ!」

「退散じゃ、退散じゃ、急げ!」

 物凄い数の敵の援軍が駆けつけたと勘違いしたのである。

 与作は退路を遮る事なく開けておいた。

 閉じてしまえば窮鼠猫を噛む場合が生じ、又、嘘の偽軍勢がバレて一気に反逆される可能性があるからだ。

 全く、烏合の衆と化してしまい動揺した尼子軍勢の者達は、野営施設から兵領米まで何もかも打ち捨てて逃走してしまったのだ。

 然し、国久公はこの時、此の光景を目にしていたが何の指示も命令もしなかった。

 この時の総大将が国久公の子、誠久であったが、戦にはまだ未熟であったのであろう。

 冷静さを欠いて「逃げろ!逃げろ!」と勝手に指図し、自らが一目散に逃走してしまうと後は収拾が付かなくなってしまった。

 だが国久公にとっては

「此れでよい、此れでよい」

 と胸の内がさっぱりとした気持ちで引き上げて行ったのである。

 此の奇襲作戦の手口は、相手の心情を慮(おもんばか)り、互いの犠牲者を少しでも出したくない、与作殿の作戦に間違いないと完全に悟っていた。どこまでもお師匠さんと与作は以心伝心深く繋がっていたのだ。

「与作殿、有り難うよ!」

 と心から叫んだのであった。

 翌朝、早くに此の奇襲作戦の情報は、早馬にて比叡尾山城の殿様の元へ火急の知らせが持たされた。

「お殿様、大変な事になりました!」

 この使者の一声に、昨夜から徹夜で、籠城覚悟の段取り謀議を重ねていた殿様、家老と数名の幹部連中に緊張が走った。

「どした!愈々こっちへ来やがるか!」

「いや、そうではありません」

「ほんなら何じゃ」

「はい、尼子の軍勢が一人もおらん様になりました」

「何ぃ!、其れこそどう言う事なら」

「奴等は踵を返して赤名峠を越して行きました」

「コリャ、訳の分からん事を抜かすな!ボケカス!七、八千も来とったんでぇ」

「実は私もよく事情が分かりません。ただ夜中に大声で、退散じゃ退散じゃ急げ!と叫ぶのが聞こえました。其の時分は真っ暗でしたから」

「成程そうか!」

「オイッ、家老、どう思やぁ」

「分かりません。某にはとんと」

「奴等は引き上げたと見せかけといて、半分は別の道から三次へ入ってくるんじゃないんかい。ワシのとこの軍勢が少ないのを国久公はよう知っとるから三千の兵でよかろうとな。昨日みいや、千人の毛利勢が簡単に遣られとるんで」

「別の道と云いますと」

「布野川を下って尾関山下に抜けるとかじゃな」

「其れは先ず無理でしょう。とてもじゃないが道が細うて軍事物資が通れません」

「然し、其れならなんでおらんようになったんなら」

「・・・」

「なんでじゃ、大きな山みたいなお化けでも出たんかいな。まぁそりゃ冗談じゃが」

「待って下さいよ。今、お化けと言われましたが確か布野村には、昔から猿猴伝説やら狐火伝説が御座います。さては、お殿様が言われた事が其れじゃないですか」

「狐火の事か」

「そうです。大将が命じてやった松明(たいまつ)のせいじゃないかと思われます」

「ウ~ン、これかのう。然し、松明をどう使うたんなら」

「分かりません」

「オイッ、われは夜中に起きとったんじゃろうが。何か気が付かんかったか」

「はい、そう云われれば山々の尾根や谷に物凄い数のゆらゆら揺れる明かりが見えました。まるで狐火の様でした」

「そうか、其れじゃ!正しく其れじゃ。奴等はな、ワシ等の援軍に駆け付けた何万の軍勢に取り囲まれたと勘違いしたんじゃ。大将が布野の地形を上手く利用したのよ」

「何という奇襲作戦じゃ。ワシ等の五、六十人の松明軍勢に七、八千の尼子軍は戦わずして退散してしもうたで」

「凄い!凄い、全く感服した!」

「大将は超能力者じゃ。千里眼とはこの事でえ、何もかも先を見通しとる」 

「そうじゃろうが家老!」

「全くで、お殿様の機転のお陰で御座います。恐れ入りました」 

 そうして一時の不安感の払拭に安堵していた半刻経った頃、二番目の早馬が到着した。

 この使者は布野から一段と奥の横谷よりからの知らせに駆け付けた。

「オウ、又、来たか。ご苦労じゃったな。してその後の様子はどうじゃ」

「尼子軍勢は、今頃は頓原辺りかと思われます。布野番屋の奴と一緒に後を付け、私は急遽、横谷から折り返しました。奴等が陣を張っていた場所を通とった時何もかも散らかして立ち去っていました」

「私等は大将の命令通り''火の玉作戦,,で一塊りになり山中で態勢を整えておりました。

 皆んなは夜明け前から霧の中、相手の様子を窺いながら前進しましたが何の気配も有りません。そして敵が陣を張っていた場所に、誰一人としていないのに気付きました。随所に食べ物から寝袋から散らばっておりました。此れには誰もが驚嘆し、間もなく喜びの大歓声が上がりました」

「なしてじゃ!尼子は何処へ逃げたんじゃ」

「物凄い事、奴等はおったんで。わし等に怯えて逃げたんか!」

 と口々に叫んで嬉し涙をこぼしながら誰彼なく抱き合っておりました。

 そして誰一人として犠牲者が無い事で口々に

「大将!」「大将が!」

 と感謝の歓声を上げておりました」 

「そうかそうか、処で大将はどうしとりゃ」

「其れが、さっぱり分かりません。何処で何をしておられるのか、皆んなで大声を掛けながら探しまくりましたが行方が分かりません。とに角、不思議なお方で御座います」

「ハハハ、さすが忍者一家の親分だけの事はあるな」

「然し、肝心の重要な時には、ちゃんとツボを押さえとる」

「そうじゃろうが家老!」

「然し、全く以って凄い大将で」  

 城中で歓喜の声に溢れている時、与作と忍者一家は暗闇の中、街道筋を引き揚げて行く国久公一行の後を追っていた。どうにも此れで二度とお会いする事が出来ないと思うと未練が残り本当に辛かった。これは鉄、玉、ラー助も同様である。

 与作と鉄と玉は赤名峠のてっぺんに到着した。此れ以上は國越えをする事は出来ない。朝焼けの中、遥か先を下って行く行列が見える。その中の馬上の国久公を涙ながらに一緒に見送った。

「ウォーン、ウォ〜ン」

「ニャーン、ニャ〜ン」

 特に玉には辛い別れであろう。あれだけ山中で死にかけたお師匠さんを思いを込めて看病し、心から息子のように愛し続けたのだ。

 又、この鉄の遠吠えは山々に木霊してお師匠さんの耳に届いている事であろう。

 ラー助はもう二度とお師匠さんと会う事は出来ないのを理解していて、更にもう少し見送っていく様だ。

 与作の辛い立場をカラスながら心得ており、目の下を引き上げるお師匠さんの肩に止まる事はなかった。布野から頓原辺り迄ずっと付けてきて上空から見張っていたのである。

 お師匠さんはとっくに忍者一家が峠まで付けていた事に気づいていた。そして、もの悲しく鳴く鉄の遠吠えを耳にし

「鉄!鉄!」

 一人涙したが振りかえることはなかった。さよならを云うのはあまりにも辛い。

 更にラー助は尚も頭上を飛んでいる。然し、お師匠さんはカラス笛を吹く事はなかった。だがこれ以上引っ張っては可哀想だ。

 惜別の念に堪え難かったが馬上より両手を振り振り

「ラーちゃん、もういいよ」

 と小さく叫んだ。

 すると、お師匠さんの頬が濡れたではないか。上からラー助の涙が顔に落ちて来たのだ。此れには、

 国久公も自分の目にも涙が溢れまくり慟哭(どうこく)したのであった。

 ラー助は身体を揺すらせ弧を描きながら南の空に飛んで行ったのである。


「じゃがよ、家老よ、こんな急を要する時には早馬だけじゃ埒が明かんよのう」

「左様で御座います」

「ラーちゃんがおってみいや、山、川、峠も何も関係有りゃへんぞ。互いの緊急連絡があっという間に繋がるで、其れもホウベだけで何遍もな。今は、今迄に仲良かったワシと国久公に挟まれて、どっちにも付かれず大将は自粛させとるようじゃ。じゃが此れが済んだら凄く役に立ってくれるぞ。早うに訓練所の設置をせにゃならんのう。ワシも教師役で一役買うで」

「またまたぁ、例によって忍者一家と一緒に出掛けたいんでしょう」

「へへへ、バレたか」

「実は、その事で与作殿と打ち合わせの為に呼び出し、登城の途中だったのです」

「ほうか、其れで早うに現れたんか」

「仰せの通りで御座います」

「然し、家老も大変な事をしてくれたな」

「えぇ、某が何をしたと・・」

「あん時に大将がおらんかってみぃ、強烈な城攻めをやられて、今頃はワシ等の運命は真っ逆さまになっとったかもしれんのでぇ」

「ほんま、お主にも感謝せにゃならんな」

「そんな、私は全く何の役にも立っておりませんが」

「ワシからも礼を言うよ」

「何度もいう様ですがお殿様の慧眼には恐れ入ります」

「ほうかほうか。嬉しい事を言うてくれるのう」


 この頃から、新宮党の国久公は国人領主の晴久公と尼子藩内で確執が生じ出し、段々と尼子は衰退の一途を辿る事となる。

 何度もの毛利攻めに失敗し中国地方の覇権を握るどころか次第に大内、毛利勢に領地を奪われていった。

 備中、備後、安芸と多くの国人領主が尼子を離れ、更に尼子藩内に於いても家臣の寝返り造反するものが増えていったのである。そして晴久が四十七歳で急死、後を継いだ義久は毛利元就の軍門に降り、降伏を余儀なくされ尼子氏滅亡へと繋がって行ったのである。

 国久公は尼子藩内の当主である甥の晴久に嫁していた娘が亡くなった後、互いが反目し新宮党共々粛清されてしまった。

 時に天文二十三年十一月一日の事である。

               享年六十三歳


 あれだけ尼子国久公本人と親交のあった与作と忍者一家はどうする事も出来ず、本当に痛恨の極みにむせび泣いたのである。 

 戦国の世を恨まざるを得なかった。

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