第12話 新たなる旅立

「オイッ、母さん、美和よ、浅田屋も大変な事になったでぇ」

「何でですか」

「うちがなぁ、この間、御家老様から内示を貰っとったんじゃが、三吉の殿様から終身藩御用達の金看板を頂戴したでぇ」

「ええ〜、そりゃほんまですか」

「其れもお殿様の直筆じゃ」

「嘘でしょう」

「何を言うとる。嘘や冗談でこんな事が言えるか」

「でもつい最近迄は闕所扱いされとったのにね」

「ほいでな、国久公とお殿様より超過分な礼金と見舞金を仏壇に供えてあるで」

「早速にも掲げるか」 

「母さん、美和よ・・・」

 主人は感極まって声に詰まった。

「どしたん、お父さん」

 美和の一声に、皆んなが顔をぐちゃぐちゃにしながら一斉に泣き出した。

「お父さん!美和ちゃん!」「お母さん!」

 暫く間をおいてから母親が

「今日は仕事を早めに切り上げて、内々だけのお祝いを奉公人達と一緒にしましょうよ」

「分かった。是非お前さん達で段取りを頼むよ」

「任しといてよ。ねぇ美和ちゃん」

「腕によりをかけて作るぞ、イェィ〜」


 翌朝、与作は何時もの様に店に入ると、掃除道具を持って出て前の道を掃きだすと、例の如く隣り近所の丁稚共が箒を持って近づき雑談を始め出した。

 其処へ主人がガラガラと玄関戸を開けだすと、蜘蛛の子を散らす様に各店に走りこんだ。

「おはようございます」

「やぁ、おはよう」

「与作よ、今から看板を取り付けようと思うんじゃが手伝ってくれるか」

 其処へ奥様と美和が細長い看板を抱えて出て来た。

 昨日のお祝いの席で、浅田屋主人は奉公人達の前で金看板をお殿様より頂戴した事を披露した。

 そして此れは、各自一人一人の努力の賜物ですとお礼の一時金を配ったのである。

 此れには季節外れの臨時報奨金に皆大喜びであった。

「与作さん、おはよう」

「奥様、昨日はご馳走になりました。礼金までも頂き有り難う御座います」

 脚立を掛けて浅田屋薬種問屋の看板の横に取り付け終わると、浅田屋親子は其れに手を合わせ

「有り難い事で」

「ほんに感謝致しております」

 誰に言うともなく長く頭を垂れていた。

 其処へ先般、脅迫状の紙を拾って届けた呉服屋の店主が目ざとく見つけると近寄って来た。

「おはよう御座います。お揃いで早ようから何事で」

 まさかこんなに早くに店先に出て来るとは思わず、躊躇っていると

「おやまぁ、何の金看板で」

「はぁ、一寸した事で」

「何々、終身御用達!こりゃ凄い看板じゃないですか」

 そして、呉服屋は羨ましさもあって皮肉混じりに

「然し、なしてこんな事に。其れにしても浅田屋さんは色々あって忙しい事ですな」

「はぁ、皆さんのお陰を持ってこう云う事になりました」

 そして主人は店の中に入ると

「与作よ、本日は一日休みがてら、志和地の庄屋さんとお寺さんへ使いを頼まれてはくれんかのう。今日は店に戻って来んでもええからな」

「有り難う御座います。其れでは早速にも出立させて頂きます」

 既に店内には書簡と小包を揃えて準備を整えてくれていた。他の奉公人が出て来る迄に顔を合わせ無い様に気を使ってくれていたのだ。そして夫婦で見送りをしながら奥様は手を振ってくれ頭を下げている。

 店を出ると与作は、今日の仕事予定が変わった為、連れて来た忍者一家をそのまま放っておくのは可哀想だと思い、幸い主人が休みをくれた様なものだから

「一緒に連れてってそのまま奥屋へ帰えろう」

 と結構重い荷物を背負い、今日はどの道を行くかなぁと考えながら田んぼ道を別荘へ駆けていた。

 犬笛も吹かずに近場に帰って来ると、流石に忍者一家だ。まだ距離が有るにも関わらず鉄と玉は競争する様に駆け寄って来た。

「何で分かったんだ。さてはラーちゃんが知らせたな」

「へへへ」と頭の上で声がする。

「でもお前さん達は凄いなあ」

 今日はどしたん早いね、という様な顔をしながらも鳴き声を出さずに大喜びをしている。

 すると鉄はいきなりその場に座った。与作の荷物を別けてもらって背中にくくってもらう為だ。

「鉄ちゃん、何時も何時も有り難うさん」

「よっしゃ、出発じゃ。今日一日宜しく頼むでぇ」

「エイエイオー、エッチラ、オッチラ、ホイサッサ」

「ラーちゃん、何ちゅう掛け声じゃ」 

 これは野良で仕事や遊ぶ大人や子供達の掛け声を、空から聞きながら覚えて来るのであろう。

 間道を駆け上がり途中から右手に曲がって青河神社の側に出た。後はもう少しで志和地である。

 青河峠のてっぺんに座り込みながら暫く佇んだ。目の下に可愛川が見える何時もの見慣れた風景だ。然し、今は懐かしい子供時代からの足跡が去来し、更に、これからの新たなる人生の旅立ちになると思うと感無量な気持ちになるので有った。七曲りの坂を下ると一面平野が広がり多くの人家が有る。その田んぼ道のその先に、高い大きな木が見える。庄屋の庭先に有る榧(がや)の大木だ。子供の頃、実が落ちる頃には塀の外に拾いに行ったものだ。苦味があり美味しいものではなかった。

 道に面した生け垣の東側の正面門に来ると扉が開いている。広い庭先には所狭しと筵が敷いてあり、その上には茶葉なのであろうか干してある。中に入り

「御免ください」

 玄関先から声を掛けると、暫くしてから奥様が出て来た。昼飯の用意をしていたのであろうか、前掛けを着けている。

「アラァ、与作さん、いらっしゃ・・ウワ〜!狼がいる!」

 とたまげて戸の向こうに走り込んだ。

「奥様、大丈夫ですよ。鉄は優しいですから何もしませんよ」

 案の定、奥様の心配をよそに尻尾を振り振り近づいて来た。

「ごめんね、びっくりさせて。鉄ちゃんよく来たね」と頭を撫でられると大喜びをしている。

 そして猫の玉も足元に擦り寄って甘えている。

「何と可愛らしい事ね」

「今日は浅田屋の主人より書き付けを預かって来ました」

「今、主人は村の寄り合いで出掛けておりますが追っ付け帰って来ますよ。ハナちゃんと一緒ですよ」

「そうですか、其れでは一寸と待たせて下さい」

「どうぞ、どうぞ。それはそうと与作さん、昼飯はまだでしょう」

「ハァ」

「丁度よかった、一緒に食べましょうよ。お粗末なもんだけど」

「有り難うございます」

 奥様が食事の準備している間、与作は広い前庭に出て子供の頃の昔を思い出し懐かしんでいた。

 志賀神社の神無月(かんなづき)の秋祭りの時、どう打ちが神社から天狗を先頭に神主、巫女、稚児、獅子舞と行列で出発し鐘、笛、太鼓で賑やかに庄屋の庭で舞うのである。

 其れを追っかけて来て、柿の木に登り柿を食べながら近所の子達と其れを眺めていたのである。

 そうした時、主人とハナが帰って来た。

 鉄と玉が入り口に駆け出した。そしてハナに飛び付いた。

 一瞬、ハナはびっくり仰天だ。与作に狼犬を飼っているのは聞いていたが実際に見るのは初めてなのだ。

 其れにしても尻尾を振って甘えた顔で大喜びをしているではないか。やはりこれも与作と同じ臭いがするのであろうか。玉も同様に足元に擦り寄ってきた。

「鉄ちゃんよね。有り難うさん、よう来たね」

「この猫は」

「あぁ玉よ」  

 鉄と玉を撫でていると

「ハナチャン、ココ」

「えっ、誰か呼んだ?」

「ハハハ、ラー助だよ」

 見上げると松の枝に止まりこっちを眺めている。

「自分も仲間に入れて欲しいんだよ」

「そうね。ラーちゃんいらっしゃい」 

「アイヨ」

 ハナは与作が犬、猫、カラスを拾って来て育てているのを知ってはいた。だがこんなに賢くて賑やかで楽しいとは想像もしていなかったのだ。

 此れには側で見ていた庄屋さんもたまげまくった。

「何ちゅうこった。カラスが話しをしとる。与作よ、こりゃおまえが皆んな飼っとるんか」

「そうです。奥屋の山の中で一緒に暮らしております」

「まだ其処から通うとるんかいな。ワシはとうの昔に三次の町に住んどると思うとったよ」

「ご無沙汰しております」

「あぁ、とに角、上がってくれえや」

 座敷に上がると昼飯の支度がしてあった。

「まぁ、ゆっくり飯でも食うて話そうや」

「有り難うございます」

「然し、暫く見ん間に立派になったのう」

「とんでもない、私はいつまで経っても丁稚のままですよ」

「いや、違うで。ワシが見るにお前さんは桁が違うた人間になっとる様な気がするんじゃ」

「旦那さん、買い被らんといて下さい」

「そうかのう。まぁええ、処で今日は何用かのう」

「大した用件ではないと思いますが浅田屋から預かりものを届けに来ました」

 と云うと与作は書簡二通を主人に手渡した。

 そのうちの一通は家老から浅田屋主人に宛てたものと思われた。無論、与作には内容が分かる訳がない。

 主人はおもむろに封を切ると其れを読み出した。   

 最初は気軽な姿勢だったが段々と顔色が真顔になり背筋を伸ばしているではないか。

 そして読み終えると

「母さん、手を休めて一寸、こっちへ来いや。ハナちゃんもな」

「愈々ですな、与作と呼べるのも今日の今迄か」

 突然の庄屋の様変わりな態度に奥様が

「何ですか。それは」

「大変な書状じゃ」

「三吉のお殿様、直々の与作殿への藩士要請が記されておる。こりゃ大事でぇ、こんな話など聞いた事がない事態じゃ」

「ちゃんとお殿様の花押もある」

「えぇ〜、其れは如何言う事ですか」

「まぁ、お前も読んでみいや。ハナちゃんもな」

 その文面を読んでいる時、奥様は

「ひぇ〜、大変じゃ!」

 更に別の書簡にはこの度、苗字帯刀を許すという仰付状もあった。

「お兄ちゃん、此れはほんまね、どしたんよ。百姓の倅で丁稚には似合わんよ」

「そりゃそうじゃ、でもほんまじゃ」

「然しなぁ、為してこういう事になっんじゃ。ワシ等凡人には全く見当も付かん」

「何はともあれ目出度い事じゃ。とにかく、詮索は抜きに早々にも祝いの段取りじゃ。なぁ母さんよ」

「分かりました。ほんにお目出度う御座います」

「とんでも御座いません、庄屋さん、奥様、与作は与作です。此れから何時迄もずっと変わるものでは有りません」

「有難うよ、その気持ちが嬉しゅうてならん」

 と言いながら溢れる涙を手で拭った。

「ワシの家も何代目になるかよう知らんが、こんな嬉しい事は初めてじゃないかのう。なぁ母さんよ」

「そうですよ」

「昔から村の世話役をしとったらしんじゃ。荘園時代からの古い古文書には荘屋とあるよ。

 まぁ、庄屋、名主と云えば聞こえはいいが、所詮は侍供の為の体のいい使い走りじゃ。武家社会の世の中では如何ともし難い事じゃ」

「それから、手紙をよこしてくれた浅田屋もよっぽど嬉しかったんじゃろうな。此奴は元々、昔からうちの小作人でな。子沢山の貧乏世帯じゃったよ。秋町に家が有ったんじゃが、小さな小屋に六〜七人が住んどって筵(むしろ)の上で寝泊まりよ。前後ろの障子は破けて風通しがえかったろうよ。ほんま冬は寒かっただろうて。然し、子供は皆、ええ子だったぞ。此奴は四男くらいじゃったか、特にしっかりしとったな。

 こいつの出世のお陰でもって、今は小さいがええ住まいを建てとるよ。親孝行をしたで。特に母親にはな。どんなに貧しゅうても何時もニコニコし働きもんじゃったな。親父も酒癖が悪かったが終いには丸うなって、ワシも奴を浅田屋に送り出して心から喜んどるよ」

「然し、与作には敵わんかったな。おっと失礼、与作殿じゃった。何せ、三吉の殿様直々の藩士要請じゃからのう」

「思い出話になるが最初の頃、うちの前をビクを背負うて三次の町へ買い物の手伝いで一緒に通うとったがたまげたで」

「私もおっちやんがそれ程のお侍様とは全然知らず甘えていたんですね」

「然し、それがよかったんじゃろう」

「お陰で二人のとんでもない兄妹を育ててくれたよ」

「終い頃には馬に乗って駆けとったよな。百姓の小倅が武士と並んで行くなんぞ考えられ時代じゃぞ。

 まぁ、これも城主の弟の連れじゃという事で、大目に見てくれたんじゃろうがのう」

 食事をしながらの話に互いが終始ご機嫌で有った。

 然し、普段の日の昼飯時に与作が立ち寄ってご馳走になったが、庄屋といえどもお粗末なものであった。

 麦飯に野菜の煮付けに漬物と丸干しである。此れであるならば、余程、商人の丁稚暮らしでの食事の方がましである。

「ご馳走になりました」

「今日は急な事で祝膳も用意も出来ず申し訳ありませんでした」

「奥様、何を仰います、有難う御座いました」

「庄屋さん、子供の頃から今迄本当にお世話になりました」

「何のワシはさして貢献はしとらんよ」

「然し、此れからも何かとご迷惑をお掛けし、厄介な事も生じる事が有るやもしれません。何卒、宜しくお願いします」

「とんでもない、其れはこちらからお頼みする事で何卒、村の為に末長くお付き合い下さい」

「ハナの事も宜しくお願い致します」

「アァ、そりゃ母さんに任せときゃ大丈夫じゃ」

「ハナちゃんよ、今日の仕事はもうええから与作殿と一緒にお寺さんへ付いて行ってあげんか」

「有り難うございます」

 夫婦揃って玄関先に見送りに出てくれた。すると土間の上に何と鉄、玉、ラー助が一列に行儀良く座っているではないか。

「何ちゅう躾じゃ」

「へへへ、お話しはしとりませんでしたが、実は鉄とラー助は三吉のお殿様が認められた藩公認の忍者一号、二号なんです」

「何と茶目っ気の有るお殿様じゃのう」

「然し、実力はもの凄いですよ」

「そうじゃろうて、与作殿じゃったら何でも出来るよ」

「近々、又、お呼びします。その時は両親も一緒に来て下さいね」

「有り難うございます」

 庄屋さん宅を出ると板木川沿いを上がって赤い屋根のお寺に向かった。

 子供の頃にお婆さんやハナと一緒に何度も歩いたが、それ以来の二人の道行だ。

「オイッ、ハナちゃんよ」

「何よ」

「さっき鉄ちゃんはどうしたんじゃ。庄屋さんに来た時、ハナちゃんを百年来の知己(ちき)を得た様な顔をして迎えとったな」

「へへへ、そりゃそうよ。うちの念力が通じとったのよ」

「どう云う事じゃ」

「其れはね、鉄が小さな頃に行方不明になったでしょう。その時、うちはいずれ又帰って来ると言ったよね」

「確かにそうじゃたな」

「その時に、うちは一生懸命に念力を掛けていたのよ。そして何時も仏様にお願いしていたんだよ」

「そうか、其れが鉄に通じたのか。有り難うよ」

「げに、実際のところ、いきなり戯れ付いたのはお兄ちゃんとうちは兄妹で同じ臭いがするのよ」

「然し、ハナちゃんはどして念力じゃの言葉を使うたんじゃ。ワシは和尚さんから直接習ろうとらんから、ハナちゃんには教えとらんがな」

「其れはね、お兄ちゃんが時たま借りて来る仏典を盗み読みしたんよ。そしたらその言葉があったんよ。他に信力とか五つ教えがあったよ」

「ウ〜ン、わしゃ何とも云われん。参った!」

「超能力いうたら玉ちゃんも凄いんで。今迄に何度も霊感を発揮してくれてどれだけ助けてもろうた事か。人間に見えんものが見通せるんじゃ」

「なぁ、玉ちゃん」

「ニャ、ニャ〜ン」

「ほれみぃ、ちゃんと応えてくれとる」

「ほんまじゃね」

 話しながら歩いている時、鉄と玉はハナにぴったりくっ付く様に嬉しそうにしているではないか。

「お兄ちゃんとはお使いや買い物に、あっちゃこっちゃよう行ったよね」

「そうじゃ、お経を唱えたり、暗算のやり合いをようしとったよな」

 土手を並んでお寺さんに向かっている時、橋の上に差し掛かった。

「こんにちは」

「何時もお世話になります」

「あれ、ハナちゃん旦那さんをもろうたんね。ようお似合いで」

 と村人から声を掛けられた。

「違う、違う、与作お兄ちゃんだよ」

「あれまぁ、立派になられてからに、見違えましたよ」

 板木川に架かるこの橋は、与作が子供の頃の思い出がある。親父は大工で人夫としてこの橋の架け替えに従事していた。この日はあいにくの雨模様であったが、足場を丸太で組んでいる時に足を滑らせ下へ転落したのだ。

「ワア〜」皆が叫んだ。 

 処が、たまたま運良く稲藁を積んだ筏が丁度下を通っていた。其処へ頭から突込んだのだ。

「オイッ、大丈夫か!」

 人夫達が皆、一斉に上から覗き込んでいる。

 暫くすると藁の中からゆっくり頭を持ち上げ首を振っている。筏の人が心配そうに「大丈夫か!」声を掛けると

「エへへへ、何ともなさそうじゃ」 

 この橋の建設現場をたまたま近所の子と与作は見ていた。子供の頃の強烈な印象として残っている。 

 間もなくして、専正寺さんの正門前に到着した。

「ハナちゃんは、小さい頃から絶対にお婆さんと一緒に寺に来んかったよな」

「うちはお寺さんが怖かったんよ。でも今はお寺さんが大好きだよ」

「此の鐘もよう撞いたなぁ」

 小さな子供時代から、数え切れないほど出入りした多くの思いが去来し懐かしさがこみあげてくる。

 二人は手を合わせると、お祈りをしながら懐かしい庭先に入って行った。丁度、その時に和尚さんが水桶を持って出て来た。

「おやまぁ、与作か、よう来てくれたのう。ハナちゃんも一緒か。こりゃ珍しい、嬉しいのう」

「和尚様、お久しぶりでございます」

「お互いにご無沙汰じゃったな。まぁ上がれや」

「有り難う御座います」

「ハナちゃんはな、今じゃ村ではなくてはならない人なんじゃ」

「和尚様、大袈裟な。やめて下さい」

「いや、ほんまの事じゃ」

「此れもみんなお寺さんのお陰で御座います」

「其れこそ面映いのう」

「そりゃええが今日は二人連れで何用かいのう」

「はい、今朝ほどは庄屋さんに寄ってきたところです。ハナは付録で付いて来ました」

「ハハハ、何を言うとる。ハナちゃんはな、志和地じゃ重要人物なんじゃで」

「ワシの処もしょっちゅうお世話になっとるんじゃ」

 庭先で話しをしている時

「今、鉢植えに水を差しよったとこじゃが与作よ、ええ庭になっとろうが」

「随分と綺麗になっていますね」

「お陰で与作が始めてくれた伝統をな、皆んなが継続して守ってくれとるよ」

 庭先で大声で話しているのに気付いて奥様が顔を出してきた。

「与作さん、いらっしゃい。久しぶりですね。元気?」

「有り難う御座います。お陰さんで何やかや忙しく動き回っております」

「よかった。うちも元気にしておりますよ」

「でも随分と歳をとりましたよ」

「今はね、親父様にはしょっちゅう手助け頂いてほんに助かっております」

「そうよ、今はな、大工仕事は全部、やってもろうとるんじゃ。ほんに有り難い事で、よう礼を言うとって下さいや」

「分かりました」

「今日来たのは二つの書簡、其れと尼子国久公の言付けのものを持参致しました」

「国久公よりとは何の書簡じゃ。天下の大殿様とワシとは直接何の縁もないんじゃがのう」

「まあ、とに角上がってくれえや」

「有り難う御座います」

「犬と猫がおるようじゃがどうすりゃ」

「土間で待たせてやって下さい」

 座敷に上がると奥様がお茶を出してくれた。

「然し、いきなり緊張するのう」

 という和尚さんに、三吉の殿様の書状の他に密封した国久公からの添え状を手渡すと、恭しく(うやうやしく)姿勢を正して開封し目を通し始めた。

 無論、与作が内容を知るわけもない。


  〜この度は、専正寺殿とは何の所縁も無い尼子国久から一筆啓上仕り候。 

 ワシはこの志和地の八幡山城には一昨年来、何度も遠征し時には長期滞在をしておる。城とお寺さんとは近接しておるが一度も面識が無いのう。然しながら、ワシはほんに未熟ではあるが写経や念仏を唱える事を日課としており、仏道を通じ繋がっていると思っている。

 この戦国の世に於いて、ほんにあってはならない事ではあるが常に殺生が伴っておる。

 武将として避けて通れない宿命を背負わされてるのだ。

 やはり今も大内、毛利と尼子は対峙しており毎度の

 如く三次藩比叡尾山城や八幡山城に出向いて来ておる。

 ワシはそうした時に偶然、与作殿と知己を得たのだ。夕方の暗い山中の間道でマムシ禍に遭い、その時に与作殿と忍者一家に命を救われたのだ。

 意識が無くなったワシを、炭焼き小屋で三日三晩の看病をしてもらい寝食を共にした。爾来、夫々の身分格差や年齢差の垣根を取っ払い、師匠と大将と呼びあいながらの付き合いじゃ。

 此れは二人だけの内密の関係じゃ。

 然し、実の処はどっちが師匠で弟子か分からん様な馬鹿殿じゃ。寧ろ年上のワシが弟子の方よ。

 ワシが炭焼き小屋で、具合が大分良くなった頃、与作殿の勉学する机上を盗み見した時、物凄い実力を知ったよ。

 ワシも少なからずとも、お経を唱え写経もやっている男じゃが、与作殿には到底足元にも及ばぬと思ったよ。

 其れとな、更に凄いのは小刀使いの達人よ。何処でどう鍛えたか、教えたのはまさか和尚ではあるまいな。ワシが奥出雲からこっちへ出向いた時は何時も立ち合い稽古じゃ。居合いが凄いのよ。

 とに角、与作殿のお陰で宍戸の間者十人に間道で襲撃されたが撃退してくれ命を救われたんじゃ。ワシは其の頃、暗い夜中でその上に鳥目でよう見えん。与作殿と鉄と玉も大活躍してくれたよ。

 其れ以降も、敵の間者に付け狙われ襲撃されたがその度に命を救われたのよ。余談じゃが鉄、玉、ラー助も物凄いのよ。今では藩公認の忍者に認定されとるよ。動物の狼犬、猫、カラスの忍者など日本國中何処にもおりゃせん。まあ茶目っ気の有る殿さんよ。

 ワシはそんな事もあり、与作殿に苗字帯刀を許し、三次藩士として取り立てる事を三吉殿にお願いし承諾してもろうたよ。

 何せ、文武両道に優れとる。こうした立派な人間を育てたのも専正寺さんときいている。

 持って生まれた与作殿の才能もある。然し、其の潜在能力を引き出したのは和尚である。

 夫々の立場こそ違えども人間として如何有るべきかも与作殿から学んだ次第じゃ。

 戦国時代といえども将来の日本の事を考えると、町人、百姓、武士と身分に関係無く、人間の潜在能力を引き出すのに如何に教育が大切じゃという事が与作殿を通じて非常によう分かった。和尚も此れからもより精進をして立派な人材を育成して頂きたい。付いては些少ではあるが寺子屋での育成資金に活用してもらいたい。     

          健闘を祈る 〜 


「オイ、お母さん、国久公よりの書状に大変な事が書いて有るで」

「おまえもよう読んでみいや」

 和尚さんは興奮冷めやらぬ表情で手渡した。

「はい、でもまともに読めるでしょうか」

 目を通して半ばの頃、奥様は涙を流しながら文を持つ手が震えている。読み終えると

「与作様、国久公の心のこもった礼状と超過分な御寄進を頂きました。何とお礼を申し上げれば、此れひとえに与作様のお陰で御座います」

 和尚さんと奥様は揃って両手を付いて頭を下げられた。

「ちょ、一寸、やめてくださいよ」

「ほんまに与作殿有難う御座います。然し、わしらには与作殿や国久公、三吉のお殿様へ何もお返しするものがないのです。特に与作殿の新たなる旅立ちに、何のお役にも立てなくて悔しいのです」

「何を仰います。お寺様は今のままでいいのです。常に人々を見守り続け、仏の道へ導いて頂けるだけでいいのです」

「有り難う御座います」

「でも、和尚様、与作が一つだけ頂きたいものがあるのです」

「其れは何なりとおっしゃって下さい」

「一枚の紙を頂けますか」

[ウン?」

「御朱印で御座います」

「エッ、其れだけですか」

「はい。此れだけ頂ければ結構で御座います」

「しかし・・・」

「私にとっては、和尚様の仏心の導きや学問の教えと奥様の優しさに思い出が一杯詰まった、何よりも大切なものなのです」

「・・・・・」

 和尚さんは、暫くの間、無言で俯いたまま涙ぐんでいた。そして奥様は、与作が子供の頃から寺に尽くしてくれた事を思い出し、声をあげて泣きじゃくっている。

「私はまだまだ修行が足りんな。より精進を重ねて世の為、人の為に尽くす覚悟です」

「和尚様、覚悟などとんでもない。何も気張らずほんに何時もの姿であって下さい。自然体でおられるからこそ皆から信頼されるのです」

「ワッ、分かった。与作殿の言われる通りじゃ」

「偉そうな事を言ってすみません」

「何の何の。でも、与作殿が欲しいものは、ワシにとっては何時も何の価値の無いものばかりですね。だが其れが何時の間にか大変な事に変化していくんですよ」

「エッ、エ〜、何の事ですか」

「私が与作殿に学問を教え始める時にあげた蝋燭のカスといい、今回のたった一枚の紙の事にしても無限の可能性に発展していくのです」

「でも其れはお寺様の導きがあっての事で御座います」

「有り難う御座います」

「まだ私は世間知らずの未熟者で御座います。まだまだこれからも人生の大先輩として、そして仏に仕える身として和尚様これからも見守って頂きたいのです」

「いや、与作殿、歳には関係ないよ。どちらが師か分からんと国久公も言っておられる、ワシも国久公と一緒よ。

「もはやワシも与作殿に教える学力も知識ものうなっと思うとったが、まだまだ人間として坊主として、生ある限りは修行を続けにゃならんと痛切に感じたよ」

「正に''青は藍より出でて藍より青し,,の諺の通りじゃ」

 座敷から土間に下りると忍者一家の鉄と玉がきちんとお座りをしている。和尚さんと奥様は

「これが忍者一家の犬と猫なのね」

「鉄ちゃん、玉ちゃんよう来たな」

「ウゥ~ワン」「ニャ~ン」

「あらぁ、返事をしてくれている」

 と云うと近づき頭を撫でてやると大喜びをしている。

「何と素直でいい子達ね」

「でももう一羽カラスがいるんでしよう」

 玄関を出て、庭先に揃って見送りの挨拶をしている時

「ツルッパゲ、ヨワラースケジャ」

「ウン?」「エッ?」

「今、誰が言うたんじゃ」

「ホホホ、お父さん上、上!」

 見上げると松の木の枝からこちらをみつめているではないか。

「コリャ、ワシはハゲじゃないぞ。剃っとるんじゃ」

「スマンスマン、ヨヨガワルカッタ」

「ハハハ、然し、愉快じゃな」

「与作さん、こりゃまた凄い事ね。是非また皆んな連れて来てね」

「奥様、ラー助だったら何時でも此処へ来れますよ」

「ほんと、嬉しい」

「何時も、比叡尾山城から八幡山城まで往復の定期便の様に、お師匠さんや三吉のお殿様の使いで飛んでいます。書簡や小さな荷物などあっと思う間に簡単に届けてくれます」

「去年は尾道の千光寺さんから三次代官所迄書簡を届けてくれました。其れもほんの一刻ですよ。此れには私もびっくりしました」

「そうだ奥様、三次へ薬の用やら他のお寺さんに連絡事項でも有れば何時でも呼んでください。来るのは早いですよ。朝は奥屋にいますから一山越えるだけですから。軒下か何処かに目印を置いて有れば大丈夫です。その時は何か褒美をやってくだされば。食べ物であれば何でもいいです、後は私が中継します」

「ほんと、その時はラーちゃん頼むね」

「ワシニマカセトケ」

「まぁ、凄い凄い!」

「此れはね、国久公が此方に来られる度に言葉を仕込まれるんです」

「与作殿、国久公に又、会われる時は心から御礼申し上げていると伝えて下さらんか」

「分かりました。間違いなくお伝え致します」

「与作様、本日は有意義な日で御座いました。本当に有り難う御座いました」

 寺を出ると真っ暗闇の夜道をハナと忍者一家が仲良く歩いて帰って行った。

「お兄ちゃん、今晩はどうするんね」

「あぁ、家へ寄らずに奥屋へ帰るよ」

「分かったよ。そりゃええが、此れからうちらはどうすりゃええんね」

「何がじゃ」

「三次藩士の事よ」

「別に今迄と一緒よ。何も変わりゃへん。ワシは何時迄も与作のままよ」

「そうは言っても。苗字が貰えるんでしょう。浅田屋与作平衛門とか」

「ハハハ、何を冗談いうとる」

「親には何と言えばええんね」

「そうよな、内緒、秘密事は何時もワシとハナちゃんだけとしとったからな」

「そうよ」

「まぁ、適当に言うとってくれえや」

「分かった」

「然し、面白い兄妹じゃな。ハハハ」

「へへへ」

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