第8話 草原の民
ケンタウロスは勇ましく、しかし慈悲深い草原の戦士として知られている。
20~30匹程の群れで行動し、ケンタウロスの強靭な筋力が無ければ引くことすら出来ない巨大な弓と槍を用いて狩りを行う。
その狩りの手腕は見事なもので、大陸にいる種族でケンタウロスの右に出る者はいないとすら言われる程だ。
40年前の人魔戦争でもその能力は遺憾無く発揮される事となる。
人間の常識では考えられないほどの遠距離、相手が米粒以下に見える程遠くからの一方的な狙撃で部隊を恐怖のどん底に陥れ、距離を詰めれば圧倒的な機動力を活かした槍により刺し殺される。
ケンタウロスは人類相手でも関係無く、狩りを行なったのだ。
……なんで人類勝てたの??
「それはそれは凄かったのだ私は他の魔物とかに興味はなかったがケンタウロスの戦士には一目置いていたのだぞ奴ら死が怖くないどころか戦死を誉と思っているからな私と話が合うのだどうした魔王何故答えん無視かお前おい魔王」
「んんんんー! 」
高速で飛行する鋭く睨む者。
彼女から何とか振り落とされないよう、必死でしがみ付いている和也に会話する余裕など無かった。
口を開けば舌を噛み切ってしまいそうで恐ろしい。
「ふぅっ! ふぅっ! 段々早くなってんの! 体感速度人間に合わせて! 」
「馬鹿め魔王この加速が心地良いのだろうとはいえ最初に比べると早過ぎたなそれは謝ろうしかしもう心配いらんぞそろそろ見えてくる」
速度を落としてくれたので、恐る恐る身を乗り出して下を見る。
広い広い草原が広がっていた。
ポツポツと背の低い木が生えているだけで、あとは全て平たい大地と草で出来ている。
ドラゴンの背という高所から見下ろしているにも関わらず、見える範囲は全ての大草原だ、
風に靡き、時折草原に模様が現れては消えていく。
とても綺麗だった。
煌びやかという訳でも、美麗で繊細という訳でも無いこの風景は、多分何の意図も無く作り出された自然の芸術なんだと思う。
ひたすら壮大で、力強い。
そんな大草原を猛スピードで何かが駆けていた。
何かの正体は直ぐに分かった、ケンタウロスだ。
和也の知る伝承と全く同じ姿、上半身は人間で下半身は馬の魔物が弓と槍を携えて狩りを行なっている。
人間の上半分は皮鎧の様な物を纏い、馬の部分は鐙が変化して大きくなったような鎧を身に付けていた。
完璧な傘型陣形を維持しながら、同じくらいの速度で逃げる大きな獣を追い立てているよう。
「……」
先頭を走っていたリーダーらしい雄のケンタウロスが槍を振る。
それが合図だったらしく、傘型陣形を崩したケンタウロス達は三つのグループに分かれた。
リーダー率いる中央の集団はそのまま、新たに現れた端2つのグループが速度を上げて獣の両端を固める。
こうなってはもう、獣にとって逃げ場は前方しか無い。
ケンタウロス達を振り切って逃げるしか、生き残る方法は無い。
それを悟った獣は涎を撒き散らしながら速度を上げるも、ケンタウロスらも同じくらい早くなる。
死力を尽くし、更に獣が速度を上げても、また同じくらいケンタウロスが速度を上げる。
そんな速度のいたちごっこが暫く続き、とうとう耐え切れなくなった獣が転がる様にして倒れ伏した。
ピクピクと痙攣しながら、明らかに限界を超えた異常な呼吸を繰り返す。
ケンタウロスらは獣を囲むと一斉に槍を突き刺しトドメを刺した。
「え、えげつねー。あれがケンタウロスの狩りか、凄いスタミナだな」
「私もケンタウロスが息を切らしたりした所を見た事がないぞあいつらより早い奴も見たことが無い凄い奴らだしかし私の方がずっと凄いぞ魔王私は無敵だからな褒めろ」
「よしよしいいこいいこ、じゃあゆっくり降りてくれる? 早速話をしてみよう。お肉生活まであとちょっとだぞ」
ケンタウロスの長、風の鏃は獲物に突き刺さしていた槍を抜き、獲物が完全に生き絶えた事を確認すると雄叫びをあげた。
大草原全体に響き渡る様な勇ましい声、狩り成功の叫びである。
風の鏃は今や一族の最年長、70歳を超える。
70年もの間、草原を駆け続けたにも関わらずその俊足、槍と弓の腕は衰えずまだまだ一族最強の名を欲しいままにしていた。
「大いなる草原に感謝を! 誇り高き獣の命に黙祷を、今日も我らは生きてゆける……」
部下らに血抜き等々を任せ、自らは狩りの昂りを収めるがてら草原を走ってこようとした瞬間。
草原が騒めいた。
「ッ! 戦闘態勢! 」
まず真っ先に気が付いた風の鏃が檄を飛ばす。
愛用の槍を構え直して辺りを見渡した。
空は意図して見なかった。
見たくなかった。
しかし、草原の何処を見渡しても敵は見当たらない。
なら、もう空しか無かった。
「……鋭く、睨む者! 」
見上げた先には竜がいた。
最悪の予想、鋭く睨む者との遭遇は風の鏃を以ってしても絶対に避けなくてはならない事態の一つである。
巨大な皮翼を一度羽ばたかせるだけで草原が震える様に騒めき、紅蓮の瞳で睨み付けられた一族の若い者らは震えて槍も持てないでいた。
「何用か鋭く睨む者、獲物を横取りにでも来たかのか。それとも以前の非礼を詫びに来たか」
風の鏃は鋭く睨む者の眼光に真っ向から正対する。
以前、この竜は人類との争いで勢い余り草原の一部を焼き払った事があった。
ケンタウロスらにとって草原とはそれそのものが信仰の対象であり、神である。
その草原を焼いた竜を、ケンタウロスが許すはずも無い。
例えそれが魔物のテリトリーを守るための戦闘だっとしても、だ。
「静まれ、草原の勇士らよ。私はお前達の糧を奪いに来たのではない」
「ならば、何用か! 」
鋭く睨む者が草原に降り立った。
ズシン、と大きく低い衝撃が地揺れの様に伝わって行く。
「あ……まさか、いやそんな筈は」
鋭く睨む者の荒れ狂う魔力に紛れ、別の気配がある事にようやく気が付いた。
この魔力、草原に降り注ぐ暖かな陽の如く優しい魔力、間違えようもない。
「陛下……」
鋭く睨む者が得意げに口を歪める。
「如何にも魔王の御前で有るぞ。頭が、高い」
竜の背から黒髪黒目、まだ若い人間の男が顔を出した。
辺りを珍しそうに眺め、その後に風の鏃を見る。
透き通る黒曜石の様な瞳。
一点の曇り無き無垢で、しかし誰よりもこの世の白と黒を一身に受け続けたお方。
竜の言葉より先に四つの膝を着いていた。
一瞬遅れたが一族の者らも風の鏃に続く。
「うむ、しかし魔王は以前と同じ様に権威を好まぬ。楽にせよとは言わぬが、顔を上げ語らう事を許すだろう」
「は……魔王陛下、40年ぶりにございます。お、覚えておいででしょうか、私は風の鏃……かつて魔王陛下の命により、正しく矢の如く駆けた風の鏃に御座います! 」
風の鏃が恐る恐る魔王に語りかけるも、魔王はよく分からないと言った風に首を傾げるのみであった。
「魔王の記憶は復活後間もない事もあり、混濁し言葉も覚束ん。この中で人類言語を使える者はいるか、名乗り出よ」
風の鏃を始め、ケンタウロスの一族は生活全てが一族と草原で完結している為、普通人類の言語を学ぶ者はいない。
しかし変わり者というのは何処にでもいる物で、隅にいた一頭の若いケンタウロスが名乗り出た。
名を春の息吹、雌でありながら、唯一狩りに参加するケンタウロスである。
風の鏃の孫娘にして、祖父に次ぐ俊足と祖父をも超える槍の名手。
未だ発展途上にありながら健やかにスラリと伸びた四肢と、優しげな瞳と長い栗色の髪が映える美しい娘であった。
「私が」
「うむ、翻訳せよ」
緊張を隠しきれない様子で、しかし寝物語に聞いた憧れの魔王と言葉を交わせる栄誉に身を震わせ、春の息吹が魔王の目の前に立つ。
「お初にお目にかかります、偉大なる魔王よ」
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