第33話 卒業式と卒業後の話

 そんなわけで国家試験も終了し、後は卒業式を待つこととなった。6年次はクラス委員が私を含め6人で勤め、委員の代表者として、クラスの人望厚い、4年次の大学祭でトップを務めた滝口君を立てていた。6人で合議し、滝口君がその決定を発表する、という形で1年間を過ごした。


 卒業式は、午前中に全学で行なわれる卒業式があり、午後から医学部で学位授与式を行い、その後記念植樹を行う、という流れであった。全学の卒業式には、稲盛賞の授賞式があるため、私はそちらにも出席しなければならない。


 そして、医学部医学科での学位授与式では、最後に卒業生の「宣誓」がある。これから医師として人生を過ごすための原点としての宣誓なのだか、これをどうにかしなければいけなかった。結局「宣誓」の言葉は、ヒポクラテスの誓いをもとに、現代社会に合うように内容を少し変えた宣誓文を私が考え、人数分印刷した。式典当日は滝口君を中心に全員で宣誓できるよう、宣誓の次第も私が作り、本番を滝口君にお願いした。もちろん他のクラス委員にも確認してもらい、内容についてはOKをもらっている。


 卒業式当日は、晴れの舞台だから、と妻は仕事を休んでくれた。本学の式では、彼女は保護者席から写真を撮ってくれたが、豆粒みたいで、どれが私だかわからない。授賞式で舞台に登壇するのは医学部では、医学科と保健学科が毎年交代で登壇することとなっており、私の年は保健学科の学生が登壇することになっていた。せっかくのいい機会なのに登壇できず残念であった。


 「稲盛賞には、数万円の副賞がついているよ」

 と親しくさせていただいていた衛生学のT教授が教えてくださった。妻と、

 「どんな副賞かなぁ、お食事券とか、旅行券とかだと嬉しいよね」

 と話をしていたが、いただいたのは、表彰状と薩摩切子のお猪口二つであった。しかし、確かに薩摩切子は高級である。すごいねぇ、と夫婦で感動し、子供が生まれるまでは自宅に飾っていたのだが、子供が生まれると、ケガしてはいけない、ということで薩摩切子をしまい込み、さて、今ではどこにあるのやら。表彰状は、母親が欲しいというので渡してしまったので、私の稲盛賞を証明するものは、卒業式で取った写真だけである。


 本学の式を終え、妻と二人、医学部キャンパスに戻り、今度は医学科の学位授与式に参加した。各人の名前が呼ばれ、登壇、医学部長から学位記を授与される、という流れであった。私の時には、何か稲盛賞受賞についてコメントがあるかと思っていたが、何もなく残念だった。そして、式のクライマックスで卒業生の「宣誓」、滝口君を中心に荘厳な雰囲気の中、全員で誓いの言葉を述べた。私の作った宣誓文なのだが、滝口君がかっこよく映ったので、ちょっとだけ、おいしいところを持っていかれた気分になったのは内緒である。


 その後は記念植樹、みんなで土をかけ、水をかけた。たぶん今では大きな木に成長しているだろう。


 夕刻からは大学内で謝恩会。先生方を交えて軽い立食パーティー。僕らもスーツを着ているし、女性はドレスや袴姿であった。親しい友人や、ちょっとあこがれのクラスメートと写真を撮りあった。


 卒業式を終えると、自分の就職と、妻の仕事のことを考える必要があった。万が一、国家試験に不合格であったら1年間の隠居生活となるため、仕事をしている妻に養ってもらう必要があった。合格していた場合には、この県を離れることになるのだが、当然のことながら妻は、「仕事辞めます」と言ってすぐに辞められるわけではない。正職員として働いているので、当然引継ぎのためにある程度の時間が必要である。なので、私の国家試験の結果を見てから、今の職場に退職届を出すのであれば、ある程度引継ぎのために別々に生活する時間が生じる。私と暮らすためにわざわざこちらに来てくれたのに、彼女をこちらに残して自分が先にこちらを離れるのは非常に心苦しいのだが、やはり生活の安定は重要だと判断した。妻には私の国家試験の合否がはっきりしてから、彼女の仕事の進退を考えていただくようお願いした。


 今は2月に国家試験、3月に結果が発表され、4月から仕事開始、となっているが、私たちの学年では3月に国家試験、4月下旬に合格発表、5月から仕事開始であった。4月に卒業旅行に出かける友人が多かったのだが、試験疲れか、4月は体調が悪く、結局卒業旅行らしいことはしないままであった。


 就職先(となる予定である)九田記念病院は4月の上旬に新人の宿泊研修があるので、研修医候補生はまだ国家試験に合格したかどうかわからないまま、宿泊研修に参加した。同期となるであろうメンバーは10人、それ以外にも、看護師さんや事務スタッフなど、医師以外の職種の人たちとチームを作り、一緒に研修を受けた。


 結果発表日、結果は厚生労働省、全国8か所の厚生局で掲示、インターネットで公開となるのだが、当然地方である私たちの県には厚生局がないので、ネットでの確認となった。発表時刻にアクセスすると、当然のことながらアクセスが集中してつながらない。1時間ほど後にサイトを確認すると、無事に自分の受験番号を確認できた。


 本当に良かった…。これで、子供の頃から、はるかに手の届かない夢だと思っていた医師になれるのだ。ただし、国家試験に合格しても、医籍に登録しなければ医師として仕事をすることができない。なので、すぐさま市の保健所に向かい、医籍登録のための手続きを行なった。どんな手続きだったのか、詳細はよく覚えていないが、医籍登録まではしばらく時間がかかるようである。ちなみに、医籍への登録料は当時6万円、貧乏学生には大きなお金であったが、何とか都合して支払った。その次に、九田記念病院の研修医担当の方に合格したことを連絡。家族用の借り上げ社宅を用意してくださるとのこと。周辺がどのような環境なのか、Mapionで周囲の地図を大きく10枚近くプリントアウトし、大きな地図を作って、ここにこんなものがあるんだなぁ、と妻と予習を行なった。あとは引越しの手配だ。本格的に必要なものをまとめ、新居に送らなければならない。と同時に、妻の仕事の引継ぎが終わり、妻が退職するまでは、お互いに一人暮らしということになる。


 ちょうど引越しと同じ日に、小学校の時からの友人の結婚式に招待されていた。なので、前日に妻とバイクでフェリーに乗り、翌朝フェリーターミナルから最寄りの駅まで二人乗り。その駅で妻と別れ、妻はバイクを飛ばして新しく住む家に向かい、引越しの荷物を受け取ることに。私は友人の結婚式に出席後、新たな家に向かった。


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