保谷君の医学生時代(保谷君外伝)
川線・山線
第1話 初めに
ここでは、初期研修医、後期研修医を頑張った保谷君の医学生時代の話をしたいと思う。
彼は、子供の頃から医学に強く興味を持っていたが、中学、高校と彼自身の努力不足から、医学部への進学はかなわず、他の理系学部に進学することになった。少しでも医学に近い研究を、と思いながら研究テーマを求め、修士課程、博士課程と進んだのだが、身近でお世話になった先輩の優秀さに「研究の世界では、自分の能力では職を得て、食べていくことはできない」と彼は痛感。研究者としての自分の限界を強く感じたのであった。彼の年齢も25歳、年齢的にも人生の路線変更の最後の機会と考え、彼は子供の頃から憧れていた医師への道へもう一度挑戦しよう、と思い立った。
彼が、医学部医学科に入学してからの来し方を振り返ってみると、おそらく、彼の選択は正しかったのだろうと彼は考えている。彼が大学院生の時には、大学院重点化、大学院、特に博士課程への進学を国が強く勧めていた時代であった。就職氷河期でもあった当時の大学生、大学院生は、その政策と就職難のために苦労して博士課程に進学、博士号を取得したのである。しかし、その後は多くの方が、その優秀さを社会に認めてもらえず、その能力を社会に還元することもかなわず、現在「高学歴ワーキングプア」として、不安定な生活をせざるを得ない社会となってしまっており、全くの愚政と言わざるを得ない。
また大学院時代に彼がお世話になり、心の底から「研究者として、この人にはかなわない」と思った先輩が、若くして国立研究所の教授となられた実力の持ち主であり、その先輩がおられたからこそ、彼は自身の研究者としての力量と限界を理解し、人生の路線変更を決断できたのである。人生の路線変更については、彼自身は良い判断をしたものだと思っているようである。ただし、医学部に合格し、医師となっていなければ、彼の人生は全く違うものになっていただろうから、たまたま彼がラッキーだった、というだけの話かもしれない。
また、彼が医学科に合格できても、学費が払えなければ学生生活を送れるはずもない。貧乏人の子供であった彼を「若い医者を育てるのも医者の仕事だ」とおっしゃって応援してくださった恩師や、「惚れた男を食わしていけないなんて、女がすたる!」といって彼と結婚し、応援してくれた彼の妻も、彼にとって大きな存在である。また、貧乏で、本当は早く彼に就職してほしかっただろうに、「お前は勉強が好きみたいだから、気のすむまで勉強すればよい」と言ってくれた彼の継父も立派である。
本章に入ってからの文章は、一部の読者の方にとっては「なんか読んだことがあるんじゃないか?」と感じさせるかもしれない。その既視感についてはどうぞご勘弁願いたい。「これはデジャヴュだ(笑)」と思って読んでいただければ幸いである。
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